男の名は荒木稀人。
赤城たちの、かつての級友となり、やがて不登校となった生徒だった。
荒木稀人はいつのころからか休みがちになり、そして不登校になった。
稀人はいわゆる、ひきこもりのような生活を送っていた。
「まぁくん、ご飯、ここに置いとくから。
ちゃんと食べてね・・・・」
「ん・・・・」
キーボードを叩きながら、気のない返事をした。
稀人はトイレと入浴を除き、一日中この部屋にいた。
ゲームのコントーラーを握っているか、電脳世界の不毛なやり取りに始終しているか。
稀人の行動はほとんど、その二つに限定された。
そしてあるころから、稀人は妄想に取りつかれる。
やがてこの世界を迎える終局。
多くの人間が死に、かつての文明は跡形もなく消滅する。
そこは異形の者たちが闊歩し、僅かに残った生存者との熾烈な戦闘が繰り広げられる。
稀人の精神状態は、もはや正気とは呼べないものになっていた。
だが彼はその妄想に駆り立てられ、来るべきその日のために自らを鍛え上げた。
母親に頼み、自宅で筋力トレーニングができるよう買いそろえた。
そしてさらに白兵戦、戦略について独学で学び、独自の戦闘理論を生み出した。
それは彼の手段であり、また哲学でもあった。
世界から拒絶された今、自らの能力が唯一のアイデンティティ。
彼の能力は、現実を認識する能力を除き、他の人間を遥かにしのぐものとなった。
暗闇の中、人知れず、稀人はただ己の刃を研ぎ続けた。
しかし自らの状況を改めて理解し、そして理性を取り戻した稀人は二度目の絶望に襲われた。
今度は狂うことすらできない。
誰にも認めてもらえない。
こんなに懸命に努力しているのに。
稀人は、かつての自分に戻る決心をした。
一日中、テレビのパソコンの画面の前に座り続け、現実から逃避することを選んだ。
そして突如襲撃された日常。
崩れた天井が彼に迫った時、彼は自らの死を確認した。
しかしフィギュアを保存していたラックと、今は使うこともなくなった本棚がたがいに寄り添うように倒れ、瓦礫の間に僅かなスペースをつくった。
そして稀人は死を免れた。
何とかそこから抜け出し、稀人はあたりを見回す。
「パソコン、壊れてるだろうな・・・・」
この危機的な状況で、自分がどうでもいいことを気にしていることに気づき、稀人は自嘲気味に微笑んだ。
靴に足を通すと、懐かしい感触を覚えた。
一体何ヶ月振りだろう。
ずっと日の光を見ることはないと思っていた。
まさかこんな形で外に出ることになろうとは思っていなかった。
「俺、結構ついてんのかもな・・・・」
ドアの金具は地震の衝撃で壊れていたが、体重をかけるとなんとか開くことができた。
今まではずっと、ドアを開けた瞬間まばゆい光に包まれるのとばかり思っていた。
外では、心地よい静寂と闇が広がっていた。
深呼吸すると、肺に冷たい空気が流れ込んだ。
それはとても新鮮なものに思えた。
ふと稀人はあることに気付いた。
靴のサイズが少し小さくなっているのだ。
買った当時は成長期の自分の足が大きくなることを見込み、少し大きめのサイズを選んだのに。
心が過去に置き去りにされても、身体はずっと成長し続けていたのだ。
そのことを思うと、なんだか切なくなった。
稀人は近くの量販店を物色し、食糧や生活用品をあさった。
そしてあるブティックへ訪れた。
かつての稀人には、ブティックなんて縁がなかった。
稀人は周りに誰もいないことを確かめ、そして服探しを始めた。
ひきこもりになってから、服は下着を含め全て母親が買っていた。
なので、こういう風に自分で服を選ぶのは、とても新鮮な感覚だった。
鏡の前に立ち、いろんな服を身体の前であてがう。
まるでワンマンアーミーならぬ、ワンマンファッションショーだ。
どうしても自分は、地味な色合いの服を選ぶ傾向があるようだ。
そして数十分店内を歩き、並べられていた物のうちのいくつかを取ると、それに着替えた。
だが、何だかしっくりこなかった。
そこで、南側の大きな窓に取り付けられていた、白いカーテンが目に入った。
稀人はそれを器用に縫い上げ、フード付きのマントを作った。
鏡の前でいくつかポーズを決めてみる。
悪くない感じだ。
荒野にただ一人たたずむ、孤高の戦士、といったところか。
そしてブティックからでた稀人の前に、爬虫類的なフォルムのアンデットが現れる。
アンデットは少し間を置き、外気を吸い込むと、稀人の方に火を吹いた。
今度こそ死ぬ。
そう思った。
しかし防火性のカーテンによって、稀人は死を免れた。
死への恐怖は、暴力的な衝動に変わった。
今こそ、俺の能力、俺という人間が試されるとき。
闘うのだ。
稀人は超人的な身体能力と反応速度でアンデットの攻撃を回避し、ナイフで繰り返し切りつけた。
ナイフは刃渡りが小さく、アンデットを即死させることはできなかったが、やがて失血したようにアンデットは絶命した。
勝利。
勝ったのだ、俺は。
この怪物に・・・・。
思えば俺の人生は競争の連続だった。
部活、恋愛、受験。
そう。
かつての俺はその度に、次々に勝利を手におさめた。
闘う。
闘って、闘って、闘って、完膚なきまでに相手を叩きのめす。
それこそが本来の俺、そして人間の在るべき姿なのだ。
これから何が始まるのかは分からない。
だが俺は生き残って見せる。
この怪物たちを一つ残らず殲滅して・・・・。
そして稀人に、ある考えが生まれた。
木材を無造作に組み、火を付けると、勢いよく炎が上がった。
そしてアンデットを、豚のように丸焼きにした。
かつて古代の戦士は、相手の力を自らに取り込むため、戦闘によって殺害した敵兵の肉を食らったらしい。
稀人も同じような心境で、ただひたすら肉塊を貪った。
アンデットの肉は、牛や豚などのものではなく、外骨格を持つカニやエビのそれだった。
そして咀嚼するたびに、乾きが満たされるようだった。
生きている。
今俺はそれを実感している。
稀人はアンデットの異常に発達した犬歯に注目した。
これは使えるかもしれない。
稀人はかつて原始時代の人間がしていたように、ナイフで牙をとぎ、手ごろな大きさ加工し、その先端を平たく研いだ。
このちゃちなナイフよりかはよっぽど役に立つだろう。
稀人はそのあとも街をさまようように歩き続け、アンデットを何体も仕留めた。
もともと電気をほとんどつけず部屋に引きこもっていた稀人は、とても夜目が利く方だった。
俺はハンターだ。
孤高の誇り高き狩猟者。
そして稀人は尋常ではない高揚感に包まれ、ほとんど意識のないまま路上を歩いていた。
そこへバイクの駆動音が轟き、そして地面を揺らすような足音が続いた。
なんだ、あれは。
まるで恐竜じゃないか。
決めたぞ、次の獲物はあいつだ。
稀人は路地に入ったアンデットを見失わないように追跡し、そしてある建物に隠れた。
迂闊に動けば、自らの命を失う。
隙を見て、獲物と呼吸を合わせ、機会を待つんだ。
無防備な頸が、目の前に差し出されるのを。
そしてその時は来た。
アンデットは目の前の少年に気を取られている。
少年の顔にはどこが見おぼえがあったが、今はそんなことどうでもいい。
窓から身を乗り出し、そして全体重とともに渾身の一撃を後頭部にはなった。
確かな手ごたえとともに、獲物が崩れ落ちる。
その時、高揚感はエクスタシーに達した。
しかし獲物の近くにいつの間にかいた小物をみて、水を差された気分になった。
「興醒めなんだよ・・・・」
稀人は人面猿の頭を鷲掴みにすると、鬱憤を晴らすように投げ捨てた。
そして改めて二人を観察した。
一人は名前が出てこないが、もう一人は元江だ。
かつて稀人は、元江の知性を見込んでいた。
そうか。
お前も俺と同じ、狩猟者なのか。
お前とは・・・・気が合いそうだ・・・・。
稀人は、再会を懐かしむ心境にいた。
そこへ名前も知らない、阿呆面が口を開いた。
「お前・・・・荒木か・・・・!?」
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話