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中編4
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狂った亡霊

休日の午前10時頃。

私は○○駅のホームにあるベンチに座り、電車の到着を待っていた。しばらく時間があるので、ライトノベルの文庫本を開く。ベンチは3人がけ。私は右はし。真ん中と左端には、私より少し年上の女性が座っている。女子大生……かな?

クスクス

ふとそんな笑い声が聞こえ、私は目線を上げた。確かに聞いたように思ったが、そんなかすかな笑い声が聞こえるような距離に、誰もいなかった。んー? 首をかしげて、私は文庫本に眼を戻した。

「そう言えば、こないだ言ってた、鬱っぽい知り合いって、あれからどうしたの?」

横に座る女性の一人がふと思い出したように言い、それが耳に入って、私の、文庫本を読む眼の動きが止まった。

「んー。携帯メールであれこれ悩み事が来てねー。最初はまあ参考書とか、いろいろ教えて、次はメンタル系の

クリニックを紹介したり……けっこう協力したつもりなんだけどなー」

「だめだったん?」

「だめっつーか……自分では何もしやしないのよー。ま、だからこそ『鬱』なんだけどさー。

だんだんメールの回数が増えてきて、それも、『もう死にたい』だの『つらい』だの『気力が出ない』だの、鬱にありがちなメールばかりで。

もういやんなっちゃって」

「……で、相手にしなくなった?」

「ううん。その逆よ」

……逆?

私は思わず心の中で聞き返していた。知らず知らず2人の会話に引き込まれていたのだ。

「逆って、どういうことよ」

「メールの返事で、はげましたのよ。『負けるな』『がんばれ』って」

え……?

それって、『鬱』の人にはタブーじゃなかったっけか……

私はうろ覚えの知識を探って、思った。

はげませばはげますほど、『鬱』の人にはプレッシャーとなるんじゃ。

「えと。それって、あまりよくないんじゃなかったっけ……」

「うん。よくないよ」

話している女性が、笑いながら話しているように思えた。

確認したかったが、聞き耳を立てているのがばれそうで、私は文庫本を読んでいるふりを続けた。

「私が専攻してるの精神医学だもん。常識じゃない」

「じゃ、わかっててやったわけ?」

「うん。連日、はげましメール送ってやったわよ。授業で習ってるからね。どうすれば精神的にこたえるか、よくわかってるし」

「で、あの……どうなったの? その人」

「はげましメール送るようになって2、3日ぐらいした頃かな……電車に飛び込んじゃった」

「……わっ!」

「だから言う通りに、勧めたクリニックに行けばよかったのにねえ。最近はいい薬だってあるんだから」

「……と言うか、その」

言いかけて、話を聞いていた方の女性が言いよどんだ。女性が言いたいことは、私にもわかった。

「それって、だめじゃん」

そう言いたかったのだと思う。

なんか、いやな気分になった。聞き耳を立てるんじゃなかった。

文庫本に集中しようと思ったが、そんな気分になれなかった。

クスクス

また、さっきの笑い声が聞こえて、私は思わず顔を上げた。

今度は、人がいた。私たちが座っているベンチのすぐ前に、女性が立っていた。

若い。横にいる二人と同じぐらいか。

かなりの細身で、どこか神経質っぽく見える。

クスクス

女性はまっすぐに立って、薄笑いを浮かべながら二人を見つめていたが、私が見ているのに気づいたのか、私の方を見て、

ちょっと眼を丸くした。

「あら、あなた……あたしが見えるの? うふ。ちょっと静かにしててね」

女性は、唇に人差し指を当てて「静かに」のジェスチャーをした。

そのとき、特急電車が通過するアナウンスが流れた。

そのアナウンスが流れると同時に、鬱病の知り合いを「殺した」方の女性が立ち上がった。

「じゃあたし逝くわ」

短くそう言うと、スタスタとホームに向かって歩き出した。

あとに残った女性は「え……」と言って、呆然としていた。

ホームへ歩く女性のすぐ後ろに、さっき私に「しばらく静かに」と言った女性がついて歩いていた。

「ね、ちょっと。『逝くわ』ってどういうことぉ?」

ベンチに残された女性がそう言いながら立ち上がりかけたとき、電車がやってきた。

「しばらく静かに」と言った女性が、鬱病の知り合いを「殺した」女性の背中を押して、線路に突き落とした。

そのすぐあとに、ホームに電車が滑り込んだ。

悲鳴が上がった。

「るみ─────っ!!」

一瞬遅れて横にいた女性も悲鳴を上げ、ホームへ走った。

「飛び込みだ─────っ!!」

「女の子が飛び込んだぞ─────っ!!」

構内がパニックになった。

白線に並んで電車の通過を待っていた人たちが、口々に叫んだ。

私はというと、ベンチから立ち上がれないでいた。

女性をホームから突き落とした女が、逃げもせずにまだホームに残り、狂ったように高笑いしているからだった。

そして、口々に叫んでいる人たちの誰ひとりとして、その女に気づかないからだった。

狂ったように。

自分で思い浮かべた言葉の意味に気づき、私は凍り付いた。

鬱病で悩んでいた女性。

狂ったように高笑いしている女性。

あれは、電車に飛び込み自殺した女性なのだ。

私は、両手で力いっぱい耳をふさいだが、それでも女の笑い声が聞こえてきた。

狂った亡霊は、いつまでもいつまでも高笑いを続けた。

怖い話投稿:ホラーテラー 冴子さん  

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