その日私たちは、七十歳になった母の家から帰る途中でした。
久し振りに母の元気な顔を見て、車の中で私たちは昔の思い出を語り合っていました。
私は助手席に座っていて、弟が運転を、兄は後部座席にいました。
数メートル先に自販機を見つけ、のどが渇いたから二人の分もついでに買ってくるよって私は車の外に出ました。
車は自販機から少し離れた所に止めてあるんですが、私が何を買おうか迷っていると、車の方から視線を感じました。
車の中にいる兄と弟は、必死に手ぶりやジェスチャーで何かを伝えようとします。
私は意味が分からず、とりあえず車に入って「何?」と二人に聞きました。
二人は一様に、口の前に人差し指を当て、「静かに」と合図しました。
そして運転席の弟が横目で目配せした先には、人影が見えました。身体つきや着ているものから、男だと分かりました。
白いシャツは黒い染みで汚れていて、その顔は意識がほとんどないようで、足取りも
ふらふらしています。その男はどう見ても異様でした。
「なんかやばそうだろ、姉ちゃん・・・・」
運転席の弟は蒼白な表情です。
白いシャツの男は先ほど私がいた自販機の辺りでうろうろしはじめました。
「なんか怖いよ、速く車出そうよ・・・・」
私は弟に小声で訴えました。
しかし男はそれを阻むように、車の前に立ちました。
そして信じられないことに、男は這うようにしてボンネットに身を乗り出したのです。
その姿はまるで壁を伝う蜘蛛のようでした。
車の中にいる私たち三人は、必死で息を殺していました。
私は耳を両手でふさぎ何も見ないようにしていたんですが、しばらくして固く閉じていた瞼をそっと開けました。
すると目の前には、ガラスに張り付くようにしてこちらを見る男の顔がありました。
「きゃああああああっ」
私の悲鳴に反応したのか男はボンネットから滑るようにして降り、助手席のドアに手をかけました。
ガチャガチャガチャと音を立て、何度もノブを引こうとしていました。
ロックをかけているのでドアは開くはずはないのですが、私は恐怖のあまり失神しそうになりました。
茫然としていた弟は震えながら車を急発進させ、私たちは逃げるようにしてその場を後にしました。
そして次の日、私たちが通りかかった自販機の辺りで殺人未遂事件があったことを知りました。
容疑者は三十歳半ばで、新聞やニュースで見るその顔は、私たちが昨日出会った男とそっくりでした。
あの日、あのまま弟たちの警告に気づかず自販機の前にいたら、私は一体どうなっていたんでしょう。考えるだけでゾッとします。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話