ちょっと未来のちょっといい話

中編3
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ちょっと未来のちょっといい話

市内を走る都市交通電車内。

朝の通勤ピークは過ぎていたが、座席はすべて埋まり、立ち客もそれなりにいた。

私も座席を確保できず、ドアの横に立って、文庫本を読んでいた。

それでも、フリーライターのありがたさ、ラッシュ時に乗る必要がないのは助かる。

晩春、それとも初夏……まだ冷房を入れるほどの暑さではなく、窓からの風で十分ではあった。 耳障りな携帯の会話もなく、かしましいオバハン連中のしゃべりもない。

静かな、午前の車内であった。

……それが、破られた。

赤ん坊がむずかる声。

声はすぐに泣き声になった。

私と同じように、ドア付近に立つ若い母親。

その腕に抱かれた赤ん坊が、泣き声を上げていた。

乗客の目がいっせいに泣き声の方を向く。

「よしよしよし」と言いながら赤ん坊をあやす母親だが、赤ん坊の機嫌は直らない。

それどころか、泣き声はさらに大きくなってきた。

赤ん坊のことであるし、母親のせいでもない。

誰も文句を言うものはいない。

……だが、耳を刺す泣き声に、乗客の間に少々いらだちがつのり始めているのも事実であった。

なんとかならないものか……と。

「もうほんとに若い人は仕方がないわねえ」

よく通る声が車内に響いた。

泣き声のときのように、乗客の目がまたもいっせいにそちらを向いた。

いかにも「世話好きなおばさん」といった風な初老の女性が、若い母親に近づいていった。

「若いお母さんは大変よねえ。慣れないことばっかりだもんねー」

かすかな「おびえ」の表情を浮かべていた若い母親だったが、初老の女性の悪意のない言葉に、緊張をゆるめた。

「ほらほら。ちょっと貸してごらんなさいな」

と、ごく自然に母親の手から赤ん坊を受け取った。

関心ないふりをしているが、乗客のほとんどがこのやりとりに注目していた。

もちろん私も例外ではない。

独り身ではあるが、初老の女性がどうするのか、興味があった。

「よちよちよち。いい子ねー」

そう言いながら、初老の女性は赤ん坊の頭を右手でわしづかみにした。

そのまま、ぐいとひねる。

指の関節を鳴らすような、軽い

ポキポキッ

という音がした。

それと同時に「クッ」と小さな声を上げ、赤ん坊は沈黙した。

息を詰めて見守っていた乗客の間に、「ほお~~~っ」というような空気が流れた。

緊張が解け、安堵感が広がってゆく。

「はい。これで大丈夫。がんばってね。お母さん♪」

初老の女性は、ぐんにゃりとなった赤ん坊を若い母親に手渡した。

「ありがとうございますう。おかげさまで助かりました」

赤ん坊を受け取りながら、若い母親は何度も頭を下げた。

そのとき、ちょうど若い母親の目的駅に着いたようで、車内のあちらこちらに頭を下げながら、下車していった。

初老の女性は満足げな笑みを浮かべ、若い母親に手を振った。

下車した若い母親は、ホームにあるダストボックスに、赤ん坊の死体を投げ込んだ。

若い母親が消えた後の車内には、暖かな感動が広がっていた。

人のつながりが希薄になったと言われる平成2×年。

しかし、まだまだ世間も捨てたものでもない……

車内の誰もがそう思っているようであった。

初夏の陽気のような優しさを乗せて、電車は次の駅へ向かった。

怖い話投稿:ホラーテラー 彩子さん  

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