中編6
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屋根付車庫の家 

数ヶ月前、夫の転勤が決まった。東京だ。

幸い実家からもそう遠くない。私達は数年間暮らすであろう都内での生活場所に、某区を選んだ。

某区は福祉の面で充実しており、子どもを持つ私達にとってとても魅力的な場所だったからだ。

早速ネットの不動産サイトを検索する。便利になったものだ。数年前は情報誌を片手に歩き回ったものだが。

「古くてもいい、車庫付の一戸建て」それが私達の希望である。

条件を入力し検索する。時期が悪いのかヒットした数は思いのほか少ない。

しかし急な話でもあるので、私はめぼしい物件をピックアップして内見の予約を入れ、上京の日に備えた。

上京の前日、夫から電話が入った。ネットに新しい物件が出ていると言う。

チェックしてみると確かに見覚えのない物件が出ている。先程まではなかったものだ。

少し違和感を覚えたが、間取りはゆったりとしていて、リフォーム済み、とある。確かに魅力的な物件だが、

今更新しい予定を入れるのは難しく、私が渋っていると、夫は是非見たい!と言う。

夫はこういう時人任せだ。

「何がいいって車庫に屋根があるんだよ」

車を何よりも大事にしている夫の言いそうな事だ。

改めてその物件を見る。他の物件よりもさらに古いが、なるほど車庫は屋根付だ。しかも相場よりも2、3万は安い。

正直面倒だが、取扱い業者に電話を入れる事にした。

「はい」若い女性の声だ。社名を名乗らない。

「○○さんですか?」こちらから尋ね、やっと「そうです」と言う。また違和感…。普通先に名乗らないか?

まあ所詮街の不動産業者だからこんなものか。女性は事務員なのだろう。後程担当者に連絡させますとだけ言った。

何時間か待たされた後、連絡してきた営業の男は、愛想はいいが横柄な印象を受ける話し方だ。

「私どもも反響が大きすぎて正直驚いている」と、しきりに繰り返し、稀少な物件であることを強調する。

私達が他の物件も見る予定なので、内見は現地集合にさせてほしいと言うと、語調が強くなった。

いやな感じだ。この営業には気をつけなければ。と思いつつもアポイントを入れた。

週末を利用して子どもを実家に預け、夫婦で上京した。とにかく早く良い物件を見つけなければ。

もちろん例の物件は後回しだ。この時点では一切の期待などしていなかった。

まずは大手を二社回り、候補を二軒までに絞ることができた。良い条件でどちらも捨てがたい。

そしていよいよ例の物件へ。さすがに疲労感を覚えるが、夫は元気だ。何しろ次は「屋根付車庫のの家」なのだから。

私達はタクシーに乗り、現地へ向かった。車窓から見る限り、坂が多いのが難点だが、閑静な住宅地、という趣で申し分ない環境だ。

約束通り現地に到着したが、営業の男はまだ来ていない。

その家は見るからに古い。小さなアルミの門あり、そのすぐ奥には昭和を感じさせる玄関ドアがある。向かって右側の車庫のシャッターは

閉じられたままだ。

あまりの古さに、期待はできないな、などと話していると5分ほど遅れて営業の男がやってきた。

年の頃は40くらい、といった所だろうか。顎にヒゲを生やし、派手なネクタイをしている。

カジュアルすぎる眼鏡が似合っていない。一見すると外車のディーラー、といった印象だ。

型どおりの挨拶をかわし、早速中を見せてもらう。意外にも中はきれいだ。リフォーム済みというのは本当らしい。

夫はさっさと無言で上がり込んで行った。こういうタイプの男と話すのは苦手だからだろう。

一階はリビングとダイニングキッチン。ゆったりとした広さだ。風呂場も広く、窓もある。

二階の二間も南向きで日当たりもいい。しかし何よりも気を引いたのは車庫だ。

細い鉄骨を組んだ上にトタンを乗せただけの簡単なものだが、周りをブロック塀で囲んであり、防犯上も安心だ。

…どうしよう。気に入ってしまった。いい家じゃないか。

夫は黙って見ているので真意は判らない。

私は気になっていたことを尋ねた。

「前に住んでいた方はどうされたんですか?」

階段の下に立ち、とにかく稀少物件であることをずっと独り言のように話し続けていた男は、態度を急変させ、にこやかに話し始めた。

大家さんは遠方の人であり、ここに住んでいたのは70歳のおじいさんで一人暮らしだったそうだ。しかしもう年も年なので、

娘夫婦と暮らすことになり、急ぎ引っ越した、とのことだった。

なるほど、と思う間もなく、とにかく他にも内見希望の方が何人かいるので、とまた繰り返す。

少し腹が立ってきたが、申し込みの説明を受けることにした。

しかしまたここで違和感。こちらは勤務先も身分も明かしているにもかかわらず、仮押さえはできないと言う。

今までにそんな経験はなかった。しかし、何故、という気持ちよりも「どうしてもここに住みたい」という気持ちが強くなる。

とりあえず本日中に返答するとの約束でその場は別れた。

あとは夫婦の話合いだ。

夫は意外にも「さすがにあれはちょっと…古すぎる」と言う。

何で?!どうして?!こんなに広くて明るくて車庫だって広い!ちょっとしたお庭みたい!あたしここで暮らしたら楽しいと思う。

私は強く主張した。私の意志があまりにもはっきりしていたからか、夫は「そこまで言うなら」と、それを受け入れ、

申し込みをすることになった。

営業の男に電話をすると、喜ぶかと思いきや、何だか意外という口ぶりだった。断ると思っていたのだろうか。

私達は指示された通り、非常に細かい申込書に記入し、夫の免許証のコピーを添えてホテルからFAXを送った。

一息ついた私達は祝杯を上げ、ホテルへ戻った。気分は新しい生活への希望でいっぱいだ。

夫はすぐに眠ってしまった。一日中家探しだったのだから無理もない。

私も寝ようと、常用している睡眠導入剤を飲んだ。これでゆっくり朝まで眠れるはずだ。…しかし

何分経っても何時間経っても眠りは訪れない。

これは何だ?部屋の空気が重い。天井を見上げるのが怖い。ここは「出る」ホテルだったのか?

疲れている夫を起こすのもためらわれ、私はまんじりともせず朝を迎えた。

夫は良く眠れたようだ。私が昨夜の話をしても気にも留めない。それどころか変な顔をされただけだった。

疲労感と眠気で思考能力も低下している中、昨日の営業から電話が入った。

「実は他にも是非にと言う方がいまして」という内容だ。

何言ってるの?私達は遠くからわざわざ来て申込書にもきちんと記入して免許証のコピーまでしてFAXしたのよ!どうしてもあの家に

住みたいの!そんなことあなたの裁量でどうにでもなるでしょ!?思わず感情的になる。

その後も何度も「保証人の件で」などと電話をかけてくる。話していてもまるで要領を得ない。私達は更なる疲労感に襲われた。

帰途につこうと新幹線のホームに立っていると、その日何度目かの電話が鳴った。嫌な予感がした。

「いや、実は私もさっき知ったんですが、あの家、事故物件だったんですよ。どうします?」

 最後の言葉はもう聞こえない。あの家に住んでいた老人は、娘と暮らす為に転居したのではなく、あの家で自殺していたのだ。

この男は初めからそれを承知の上で、私達に紹介したのだろう。さも貴重な物件である事をにおわせ、しかも面倒な手続きまでさせ、

そして私達の帰る時間を見計らってそれを告げたのだ。

当然だ。不動産業者には事故物件であることの説明義務がある。

私達に時間がない事を知った上での営業行為だったのだろう。

突然、怒りよりも先に、全身を包む悪寒が私を震えさせた。

何故なら、私の目の前には、あの細い鉄骨でできた、青いトタン葺きの、心許ない程に細い梁にぶら下がる老人の姿が浮かんだからだ。

何故あの古い家にあれほど心惹かれたのだろう。

何故夫の意見も聞かず、私の主張を押し通したのだろう。

数々の違和感と昨夜の寝苦しさは予感だったのだろうか。

古い家は、そこで誰かが亡くなっていてもおかしくはない。

しかし自殺となると話が違う。

きっと私は呼ばれたのだろう。一人寂しく命を絶った老人に。だからあれほど心惹かれたのだ。

もちろん私達はすぐさま断りを入れた。幸い同某区に物件が見つかり、今ではそこで暮らしている。

例の物件は、物好きな夫が見に行ったが、未だ空家になっているそうだ。

私達が断った後すぐに、屋根付車庫の家はネットから姿を消していた。

今となっては業者の名も思い出せない。

あの営業の男はまだ入居者を探しているだろうか。

そしてあの寂しい老人はずっと待っているのだろう。

あの青いトタン屋根の下、あの細く心許ない梁の下で。

怖い話投稿:ホラーテラー 銀太さん  

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