中編7
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邪兒 #双魚

白羊:第1

金牛:第2

双児:第3

巨蟹:第4

獅子:第5

処女:第6

天秤:第7

天蝎:第8

人馬:第9

磨羯:第10

宝瓶:第11

双魚:第12最終話

********

もう、本当に、全てが終わったのだろうか。

なにもかもが夢の中のようだった。夢のように仲間が死んでいって。

夢であったら。

夢であったら、どんなに。

死を迎える者の、最期の煌めき。

それまでの彼の人生の全てが、あの瞬間に燃え尽きた。

その一瞬、彼は何を想ったのだろう。俺の顔を見つめて、一体何を。

瞼を閉じるその度に、彼の瞳に宿った光が鮮やかに甦る。

蛍火のように、儚く咲いて、散る。その一瞬が、なにものにもかえがたい。

なにものにもかえがたい、感動となって。

俺の魂を激しく揺さぶった。

託されたものはなんなのだろう。

生命の畢わり、俺は石川からなにを授かったのだろう。

この感動を、なににぶつければいいのだろうか。

この感動は、なにに移り変わってゆくのだろう。

夜空に月輪はなかった。

曇天に何を見出せるわけもない。

マンションが見えてきた。

マンションの、入口が見えてきた。

マンションの、入口に。

白い、影。

堆積していた恐怖の澱が、ふわっと舞い上がる。

その場で固まる。

息を、殺す。

斜め後ろからでも確信できるのは、君が。

石川。

確かに石川だった。

部屋番号ボタンを押している。

ゆっくりと、おそろしいほど緩慢に。

一見動きがないように錯覚するが、一瞬目を離し再び見ると、僅かに手先が移動している。

手先の描く軌跡を、白い残像が追いかけて。

一体どの部屋の住人を呼びだすつもりですか。

ボタンを押していた右手が落ちる。

重力に逆らわず、あくまで力を入れないで、自然なのだけれど。

今までの動きに比べて、それが余りにも鋭敏だったから。

びくっと肩を揺らす。

こちらに背を向けて、静止する。その後ろ姿は、何かを語りたがっているようで。

およそこの世の動きとは思えない滑らかさで、一切の淀みなく、こちらを振り向く。

ああ…石川だ。

表情が皆無だった。ただこちらを、じっと見据えているから。

見つめ返した。

瞬間、先ほどまで石川の居た位置に、俺が居た。

マンションの入口を背にして。俯いている俺の。

視界の端に、脚が見える。こちらに爪先を向けて、死の薫りを漂わせながら。

この薫りは、俺の。それとも、貴方の。

沸々と、汗が玉となって噴きだす。

ぶつ

すぐ後ろ。

電話で、会話状態に切り換わったような音がした。

直後背中を舐めるのは、あの。

あのときの。

玉那覇。

どうして、マンションの中に。

震慄し、臓腑が締め上げられる。

細かい息が口から漏れる。

後頭部に痺れが走る。

斜め下を凝視しながら、全神経を背中へ収斂させる。

う、ゆうぅぅ…

うぃぃぃぃぃぃぃゆうぃぃぃぃいゆういいぃゆうぅぃぃぃゆぅぃぃぃぃぃぃぃ、…ぃぃぃぃゆうぅ…

喉を震わせているような、念仏調子のその声を背中で受け止める。

脚は消えていた。

代わりに、顔があった。

逆さに覗いているのは、寺島。

彫刻のように動きのない表情。彫りつけられたような闇い両眼には、光を逃がさない淀んだ瞳。

光だけでなく、俺の視線さえも奪った。捉えられて、離れられない。

ふと、回線を通じてこもっていた玉那覇の奇声が、真上から聞こえ始める。

より生々しく、より明瞭として。

すぐに声が、おそらく一階分、近くなる。

逆さに覗きこむ寺島も明らかに普通の体位ではないが、背後から迫ってくるモノの湛える禍々しい存在感は、異常性においてその遥か上をいっている。

空気が冷気を帯びて沈殿したと思った時には、さらに一階分声が近くなり、すぐ隣に、女の声が移動していた。

入口の硝子扉一枚隔てた

その向こうにいるのは、間違いなく、半襦袢の女。

寺島の視線から眼を逸らすことができない。

隣にいるモノもみたくない。

行動の選択肢を完全に失い。

誰かに二の腕の中ほどを激しく掴まれる。

瞬間的に半襦袢の女とは反対方向を見遣る。

石川だ。

すぐに反対側の腕を掴まれる。

見遣る。

寺島。その向こう、二度と見たくなかった。

鼻の付け根から上を覆っ

て垂れる異常に長い髪が、床を這っていた。

山吹色の半襦袢を羽織っていて、首を傾けて俯いている。

ゆっくりと左右に躰を揺すっていて。

白い鼻、白い頬、闇い口元。

開く、開くぞ、その口が。

…ああ……開かない。左右に吊りあがってゆく。

嗤ってる。

ふうぃぃぅぃゆうぃぃぃぃぃゆふいいういぃぃぃひひ…ゆうぃいぃぃいふふ…

両肩が小刻みに揺すれている。

俯いていた女がいきなりこちらを向いた。

瞬間、寺島がそれに覆い被さり視界を遮る。そして、頷いた。

確かに、頷いた。力強く、瞳に光を宿らせて。

視界が揺れ始める。巨大な地震に見舞われたように。

周囲全てのものの輪郭が何重にもなる。

それが、突然止んだ。

目を落とすと、寺島の手を、誰かが握って。

石川なのだろうなあ。

俺を、二人して、両手で包んでくれていて。

暖かくて、心強い。

硝子扉をすり抜けこちらに歩み寄る白い脚。

主についてくる、蛇のようにのたうつ長い髪。

その足が、はたと止まる。

これ以上先へは進めない、そんな余韻を遺して。

ひた

刹那、女が両手を地につけ、腹這いになる。綻びを嗅ぐように、片頬を地面につけながらずりずりと足元を周り始める。

寺島の腕で女の顔の上部は覆われていた。しかし腕がなかったら、女の顔は露わになるだろう。そして、確実に目が合ってしまっていた。

粘りつくような、執念深くて、怨念の籠った邪悪なそれを、全身で受け取っていた。

十指を蜘蛛のように蠢かせ、頬をつけ這い周りながら。

俺を見て目を逸らさない、そんな気配。

不気味な声は一層激しくなり、不快に鼓膜を揺する。

そのとき、玉那覇の声の、さらにその奥で、誰かの荒い息遣いが聞こえてくる。

それはどんどん大きくなっていき、女の声を呑みこんだ。

気付くと、そこには、草原があった。

見渡す限りの、緑。

見上げると、やはり。

そこには、太陽も、月も、星も、雲も、蒼穹も、なかった。かわりに。

水が、あった。

草原の向こうから誰かが歩いてくる。

まるで、水が人の貌を成しているようだった。

透き通ったその全身は、光を映じて煌めき、流動している。

躰の表面から、細かい水滴が玉となって宙に浮かんでゆき、天に吸い込まれてゆく。

目の前で立ち止まる。

両掌には、月白(ゲッパク)色に輝く珠が、ひとつずつ握られている。

その珠を。おもむろに両側に放る。

初め、草原が揺れたのかと思った。

轟く地鳴りと、激しい息遣いが聞こえたかと思ったら、地平から二匹の獣が駆けてくる。

尋常を超える倢さと、その巨大な体躯。

地平に姿を見せた瞬間から、放られた珠を喰らうまで、息つく暇もなかった。

しかも、それほどの速度から急停止したのにも関わらず、微風すら起きなかった。

龍の如く独立してたなびく樺色の鬣(タテガミ)は、五蘊の髪を彷彿とさせた。

大きくせりだした眉宇には、外に向かって堂々とそり騰がる紅鳶(ベニトビ)色の眉。

翳った眼窩に埋め込まれているのは、妖しく揺らめく翡翠色の瞳。

腹に響くような荒々しい鼻息とともに、鼻頭から金の箔が散った白い息が漏れる。

扇のように展開した巨大な耳には、小指ほどの太さはあろうかと思われる血管が、迷路のように巡っている。

横顔は、狼のようだった。額から鼻先にかけての美しい曲線。

黒く縁取られた唇の狭間からは、ちらちらと月白色の炎が見え隠れしていた。

 「ひとつは、君の未来のために。もうひとつは、迫る兇気のために。ふたりに感謝しなさい」

唐突に、水人が言葉を発する。

まさか言葉を交わすとは思ってもみなかった。いや、交わすという表現は正しくない。それ以上のなにを喋るわけでもなかったし、俺もなにも問わなかった。

二匹の獣のうち、一匹の躰が透き通ったかと思うと、億千の水光を放つ珠となり、天に昇ってゆく。

既に片方の獣の背には水人が跨っていた。

突如、獣は天に轟くほど雄悍に咆哮し、地平に猛進していった。

翡翠色の光が尾を曳きながら。すぐにその後ろ姿は見えなくなって。

水天が堕ちてくる。

叫ぶ暇もなく、呑み込まれた。

目の前には、馴染みのあるマンション、の入口。

しかしそこには誰もいない。

石川も、寺島も、…玉那覇も。

泪が、初めは熱く。頬を伝う頃には、既に冷たくなって、零れ落ちる。

あまりにも、一方的すぎて。

断る機会も与えられなくて。

 「こんなところに突っ立って。どうかしたんですか那波さん」

隣の住人だった。

 「…ああ、これですか。こんな街中で、珍しいな。初めて見た」

隣人の目線を辿ると、そこには。

白く、透き通った躰。翡翠色の翅。

蝉が。

新たな可能性を授かり、別天地へ旅立とうとしていた。

怖い話投稿:ホラーテラー 1100さん  

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