長編9
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私を呼ぶ声

幼稚園に入って間もない頃、大好きだった母方の祖父が亡くなった。

私はまだ小さいながらも大変に悲しんで、祖父の死後、毎日を泣いて過ごした。

そして49日が過ぎた頃だろうか、祖父の死から少し経ったある日、私は耳の奥で、何やら、かすかに音がしているのに気づいた。

集中しないと、聞こえているのか、いないのかも判別つかぬような、かすかな音。

幼少の私は、不思議に思って母に尋ねた。

「ママ、ぼくの耳の奥で何か少し音がしてるよ?」

母が答える。

「それはね、耳鳴りって言うんだよ」

「すぐ治るから、心配しなくていいんだよ」

ふーん、そうなのか、といった感じで納得した私。

しかしその耳鳴りは、一旦、収まっても、しばらくするとまた聞こえた。

そしてそれが再度、収まっても、しばらくすると、また聞こえてくる。

私は気になりつつも、母が心配ないというので、特に何もせずそのままにしていた。

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その後、小学校に上がった私は、1年生時のある日、ある事実に気づいた。

園児時代からの耳鳴りは不定期に続いていたが、その耳鳴りで、耳の奥でしていた、かすかな「音」。

しかしこれはどうも、「音」ではないようだ。

それはどうも、人の「声」ではないか。

具体的には、遠くにいる誰かが私に向けて、

「おーい」

「おーい」

と、繰り返し呼びかけているのではないか。

そんな事実に気づいた。

その事実に気づいた私は、次の耳鳴りを待って、さらに注意深く聞いてみた。

するとやはりそれは、

「おーい」

「おーい」

と、遠くから私に呼びかけているのだった。

大人の男のような、とても低い声で呼びかけている。

私はこの事実を、さっそく、母に伝えた。

「ママ、今、誰かが、ぼくを “おーい” って呼んでる声が聞こえたよ」

少しの間を置いて、母が答える。

「それはね、空耳って言うんだよ」

「聞こえてる気がするだけで、実際は聞こえてないの、気のせいなんだよ」

今度は、ふーん、そうなのか、とは、納得できない自分がいた。

確かに誰かが呼んでいるのは間違いなさそうであるし、気のせいにしては何度も繰り返されている。

しかし私は、母がそう言うのだからと、あえてそれを、気のせいと、思うことにした。

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小学校3年生になった私。

あの「声」はまだ聞こえていた。

幼稚園時には小さな音に過ぎなかったそれは、小学3年次になると、かなり大きな、はっきりと聞こえる人の声になっていた。

10メートルほどの少し離れた位置から、誰か大人の男が私を呼んでいるような声。

相変わらず、

「おーい」

「おーい」

とだけ、繰り返し続いていた。

しかし私はその頃にはその声にもすっかり慣れ、声が聞こえることが日常化していた。

その為、そのことをわざわざ母に伝えたり、他の人に話したりすることは既になくなっていた。

私はその、

「おーい」

「おーい」

という声に親しみすら感じて、数日、声を聞かないと不安になりさえした。

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話は変わるが、小学3年次に私は、夏に家族でハワイ旅行に行った。

今から20年以上前の当時は、海外旅行に行く人は今に比べるとだいぶ少ない。

私達家族はピーク時を避けるため、終業式を待たずに旅行に出発したのだが、出発の前日にはクラスメイトにちょっとした壮行会みたいなことまでされて、大変に冷やかされた。

私は金持ちのおぼっちゃんのような気分で、少し得意げになって空港に向かったものだ。

初めての海外旅行の、私を含む子供たち。私、兄、弟。

父はよそ行きのパリッとしたシャツを着て、母はこの旅行のために買ったと思われる、ハワイアンな柄のドレスを着ていた。

私は相変わらず聞こえる、

「おーい」

「おーい」

という声を聞きながら、飛行機の中で、まだ見ぬ南国を夢想した。

あまりにも日常化し、当時は気に留めてもいなかったが、

「おーい」

「おーい」

という例の声は、その時はもう、まるで隣の部屋から聞こえるような、すぐ近くから聞こえていた。

幼少時からの流れを振り返ると、その声は初めは遠くにいるような、かすかな音であり、徐々に近くにいるような、はっきりした声となってきた。

それはつまり、その声の主が、だんだんと私に近づいているということだ。

今、振り返ると不気味なことだが、その当時の私はハワイで浮かれ、そんなことは考えもしなかった。

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ハワイ旅行で私たちは、少し気合いが入りすぎたのか随分と奮発して、かなり高級なホテルに泊まった。

ホテルには大きなプールも付いており、そのプールは、広々としたプールサイドでドリンク片手に寛いだり、本格的に泳ぐこともできる仕様だった。

我々は海の方が楽しかったのでプールは利用しなかったが、旅行何日目かの時、天候不良で海では遊べなかったので、初めてプールで遊ぶことにした。

さあ、プールに入ろう、遊ぼう。

私と兄は、少し体に水をつけ、体を慣らし始め、まだ小さく泳げなかった弟は、母とプールサイドにいた。

私は体を水に慣らし終えると、いよいよプールの中に入ってみた。

水の冷たさにヒャッ、となる。

すると突然、

「おーい!」

「おーい!」

という、大きな声がして、私は大変に驚いた。

いつも頻繁に聞いている声ではあるが、今日は何故か、ひときわ大きい。

まるですぐ後ろに誰かがいて、その人が叫んでいるような、近距離からの大きな声だ。

私は奇妙に思いながらも、少し体をほぐす意味で、軽く泳いでみようとした。

するとまた、

「おーい!」

「おーい!」

という大きな声がする。

私は兄が泳ぎだしたのを見て、気にしていてもしょうがないと、声を無視して泳ぎ始めた。

片道20mほどのプールを、流す感じで、ゆっくりと泳ぎ始める。

5mほど先には兄が泳いでいた。

するとプールの半ば、10mほど泳いだところで、私の右足のふくらはぎの筋肉に、ピリッと痛みが走った。

しまった、と思ったのも束の間、私の右足は完全につって動かなくなってしまった。

私は痛みを堪えながら、仕方が無いのでプールの底に左足をつこうとした。

しかし実はこのプールは、中央に行くほど水深が深くなる仕様だったようで、当時の私の身長ではプール中央では全く足がつかなかった。

私は何度か潜り気味になりながら、足をつこうと懸命に努力したが、一向に足はつかない。

やがて私は酸素不足で苦しくなり、その場で完全に溺れてしまった。

私は暴れもがきながら、「助けて」と声をあげようとするが、声を出そうとすればするほど水が喉の奥に入ってきて声が出せない。

急場しのぎに息を吸おうとしても、口にはすぐに水が入ってくる。

5m先を進んでいた兄が私の危機に気づいて助けに来てくれたが、当時は兄も小学生で、兄も足がつかない中、溺れる私を救出することはできなかった。

プールサイドにいた弟は溺れる私に気づき、母に知らせたが、母も泳げない。

母はプールサイドをかけずり回って、他の白人旅行客に息子の危機を伝えようとしたが、母もパニックで上手に英語を話せるゆとりがなく、全く相手に言葉が通じない。

万策尽きた中、私はプールの中央に一人取り残され、少しずつ、意識が遠のきつつあった。

すると突然、

「おーい!」

「おーい!」

あの声が聞こえた。

そしてその声は、

「おーい!今、助けるぞ!」

と、「おーい」以外の言葉を初めて発した。

私の体は突然、誰かに抱き抱えられるよう持ち上げられ、私は水上に顔を出した。

私は溺れてパニック状態だったので、何が何だか分からない。

水上に顔を出しても助かったと気づかず、溺れたときのまま暴れ続けていた私は、そのまま平行に移動を続け、プールサイドへと運ばれた。

プールサイドに着いて、ハッと我に返った私。

あ然とする、母と弟。

母と弟の目には、プールの水面上に突如できた波に乗り、スーッと移動してきた私が見えていた。

私は大量に水を飲んだことで、かなりの頭痛がしたので、すぐに部屋に戻ってベッドに横になった。

そして私を心配してベッドの横にいた母と、さっきのはなんだったんだろうね、という話をした。

私は寝る前、久しぶりに、母にあの声の話をした。

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その日の夜のこと。

私たち家族はホテルに2部屋借り、一つは子供たち、一つは両親で使用したのだが、その両親の部屋で、ある事件が起きた。

父は先に眠り、母もやがて眠りについたのだが、母がふと、目を覚ますと、母のベッドの右脇に誰か立っている。

最初、母は、父がトイレか何かで立っているのかと思った。

しかしその誰かは、立ち尽くしたまま、ずっと動かない。

不思議に思って母がよくよく見てみると、それは私が幼稚園の時に亡くなった、母の父、つまり私の祖父であった。

母が驚き、言葉を失っていると、祖父が口を開いた。

「本来、お前が、しっかりしなきゃならんのだぞ」

祖父はそう言って、母を見つめた。

さっきのプールのことだ、すぐに母は気づいた。

プールで溺れた私を助けてくれたのは、祖父だったのだ。

「お父さん、ごめんなさい。私も、少し浮かれていたものだから……」

母は祖父に、そう返した。

その後、母と祖父は朝方近くまで、父娘で話し込んだ。

そして朝になった時、いつのまにか母は眠っていたようで、目が覚めたときには、祖父はもう既にそこにはいなかったという。

何年も前から聞こえていた、あの声の主は祖父だった。

最初、耳鳴りのようなものがしてから、それが声と分かるまでに間があり、その間に私は大好きだった祖父の声を忘れ、あの声が祖父の声だとは気づかなかった。

私はそのことを恥じ、そして、命を助けてくれた祖父に感謝した。

もしかすると祖父は、将来の私のプールでの危機を知って、死後の世界のずっと遠くの所から、私を助けるための旅を続けてきたのかもしれない。

「おーい」

「おーい」

と、私に声をかけ、警告を続けながら。

私達家族は、ハワイから戻ると、皆で祖父の墓参りをした。

そしてあらためて祖父にプールの一件の感謝を伝え、その日は家族で、祖父の思い出話に花を咲かせた。

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それから、20年以上の月日が過ぎた。

私は30代も半ばを迎え、中年の仲間入りを果たした。

ハワイ旅行時には若さが残っていた母も、既に還暦を迎えた。

あの時のプール事件以後、祖父のあの声は完全に止まり、耳にする機会がないまま月日が流れていた。

しかし最近になり、奇妙なことが起き始めた。

30代に入った頃に、私は少し耳鳴りのようなものを感じるようになったが、年のせいかと気にも留めていなかった。

しかし30代も半ばを迎えた今、気づいたのは、それは実は耳鳴りではなく、「声」だったということ。

昔と変わらず祖父の声で、

「おーい」

「おーい」

と言っている。

そのことを母に話すと、母は笑いながら、

「あんた、また溺れるの?」と言った。

溺れるかどうかは分からないが、きっと私は再び、何か、命の危機に直面するのだろう。

「まあでも、きっとまたお爺ちゃんが助けてくれるでしょ」

「あんたが頼りないから、お爺ちゃん、まだまだ心配してくれてるのね」

母はそう言って、また笑った。

私は30代も半ばを過ぎ、自分としては一人前の大人の男のつもりだ。

これから何年後か分からないが、こんな大の大人が今さら祖父の助けを借りるのは、少し情けないような気もする。

「おーい」

「おーい」

母と話している最中、また祖父の声が聞こえた。

「あ、そうそう、お爺ちゃんの好きな物作るから、いよいよ近づいてきた時は言ってね」

母は祖父が次に私の命を救った後、祖父に好物を振舞うつもりらしい。

「おーい」

「おーい」

また祖父の声が聞こえた。

先程よりも近づいたのか、声がほんの少し、大きくなっている気がする。

「おーい、孫よ、しっかりしろよ」

祖父にそう、激励されている気がした。

怖い話投稿:ホラーテラー 山下の息子さん  

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