それは上京して間もない頃のことだった。
お世辞にも小綺麗とはいえないアパート。家賃の安さに惹かれて入居してみたものの、使い勝手の悪さといったら。
歩く度に床はギシギシと軋むし、トイレの水は時々流れない。ドアのチェーンロックははじめから錆びて切れていた。陽当たりも悪いから、洗濯物もなかなか乾かない。
大学の友人がこの部屋に遊びに来たときーーーポツリとこんなことを言っていた。
「……出そうな部屋だね」
何が「出そう」なのかは敢えて聞かないでおくことにした。
その日はバイトが長引き、アパートに帰ってきたのが深夜になってしまった。シャワーを浴び、簡単に腹拵えを済ませ、ベットに入る。
疲れているはずなのに、なかなか寝付けないでいた。自分の部屋のベットの中という安全圏の中にいるはずなのに、妙に落ち着かない。
ようやくウトウトしかけた時ーーー小さな物音で目が覚めた。
耳を澄ませる。微かだが、足音のような音がした。その足音は、私が寝ているベットの周囲をせわしなく歩き回っているようだ。
うっすら目を開けると、黒いシルエットがぼんやり見えた。背丈からすれば男性のようだが……よく分からない。
”出そうな部屋だね”
ふいに友人の言葉を思い出した。
嗚呼ーーーそうか。彼女が言うように、やっぱり出たのか。
これが心霊体験というやつか。
私は震える声でお経を唱えた。
「南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……南無阿弥陀仏……」
ところが。お経を唱えているなのに、奇妙な気配はちっとも消えない。どころか、だんだんとベットに近付いてきているようだった。
「南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!南無阿弥陀仏!」
恐怖のあまり、私は泣きながら必死でお経を唱えた。すると枕元で「ズブッ」と鈍い音がした。
ーーーナイフだ。ナイフが枕に突き立てられていた。
枕の中から羽毛がパッと舞い散り、それらが私の顔にも掛かった。
ふいに耳元で囁かれる。
「幽 霊 じ ゃ な い よ」
作者まめのすけ。