長編10
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誘導員と匂い (参)

不憫なもので、末期の癌だと宣告され、現世と黄泉へと連れ立つ“誘導員”とか言う自分にしか見えない温水さんと似た通称(ぬ)が現れてはや3日、

家族は普段の生活に戻らねばと言わんばかりに、ハリボテばりの日常の日々をしつらえ始めていた。

家族の笑顔がまだ、ぎこちない事と、食卓に肘をつく息子の横でハナクソをほじっている(ぬ)が居る事以外は朝日が、すがすがしい一日の始まりだった。

『この、ガキたいがいにせいよ、ワレ人の目の前で、ハナクソほじくり倒して、それ日にかざしやがって、ワシが癌の患者やのうてもメシなんぞ食えるかぁ?ボケぇ』

『あ、あっ、すみません、思ったより大きいヤツが鼻の奥から、ひょろっと取れまして、どんなのか見たかっんです』

『もうええ、ワシの寿命の残りまで鼻の垂らした波平ミジンコみたいな死神と一緒やと思うと、情けないより腹、立つわ』

『僕を死神、呼ばわりした上にサザエさん的な微生物ですか?何度もいいます。僕は死神ではありません。誘導員です。現世と冥府の入り口と誘導すべき人を誘導する事だけが任務なんです』

注釈します、『』の中の文字は心の言葉で「」は音を伴う普通の会話です。

突然、息子が硬い表情をして喋り始めた。

「お父ちゃん、僕な、家族みんなで温泉に行きたいって思うてんねんけど、、、」

意外な突然の言葉に涙を堪えるのに必死になった。

きっと息子がこの重い状況を何とかしようと悩み抜いた末に出した答えだろう、溢れる優しさを感じた、 堪え切れなかった。

涙が落ちないようにネクタイを締め直すふりをして真上の天井を見上げた、、、

「ええやん、行こうや?この週末でもかまへんで?お母ちゃんはどやねん?お前達もこの週末に決め事はないんやろ? ほんならかまへんやんか、決まりやな行こ行こ」

足早に玄関に向かい靴を履き、家族に背を向けたまま

「お父ちゃんな、みんなの行きたい温泉に一緒に行けるんやったらどこでもええねん。お金はどないでもするから、行き先は皆で決めてや」

と言って履きかけた靴の上には我慢していた、いくつぶもの涙が落ちた。

*****

時はそれから家族旅行の朝となる。

「お父ちゃん、早よせな電車に乗り遅れるやん、家のゴミっちゅうゴミは、ほかしたし、もう匂いなんかせえへんやん、な?もう、ええやん」

「お父ちゃん、お兄ちゃんの言うとうりや、早よいこ、うちら電車に乗り遅れたら全部、台無しになるやん」

息子と娘が言う事には無理がないが、鼻の奥から“匂い”がとれない。

その“匂い”は木曜日の朝からだった。手を洗おうと台所でかがむと突然、甘酸っぱく腐乱した臭気が排水溝付近からし始めた。

その“匂い”が、その夜に帰宅した時は玄関まで漂い始めていた。

家族に言わせると、そんな匂いはしない、気のせいだと言わんばかりだったが、

その臭気に吐き出さんばかりにえづく私に対して家族は末期癌患者の“症状”だと判断した様子だった。

(ぬ)と言えば相変わらずテレビの前で横になり片肘を着き菅野美穂の結婚を嘆いていた、、、

『しかし、臭いですねぇ』

横になったまま背中越しにお尻を掻きながら他人事のように声(?)をかけてきた(ぬ)には腹がたった。

背中にぶつけてやろうと灰皿に手をかけると(ぬ)は

『当たりませんよ、霊体には。現世の物質は私を素通りするだけです』とほざいた。

危ない、危ない、あのアホに当たらんで灰皿がテレビに当たって壊れたら大ごとやん、あのテレビは高かってん、タコ焼き何個、買える思うてんねん。

(ぬ)は振り返り気の毒そうに、、、

『はぁ、やはり関西人の貨幣価値の単位はタコ焼きでしたか』

灰皿は手を離れテレビに当たった。

それからは‘匂い’が家の中から消える事は無く、脱臭できぬまま、家族旅行の週末となったのだが、‘匂い’を放置して行けないと思うのだが家族にはその‘匂い’はしない。

あきらめて家を後にした。

*****

久しぶりの家族旅行は楽しかった。子供達が、思春期になると親との行動を避ける様になるのは仕方の無い事だが、皮肉にも末期癌と告げられて、ふたたび家族は寄り添いはじめた。

あの告知から初めて心から笑った。そんな笑顔を見た家族も最初はぎこちない笑いだったが、今は屈託もない微笑みを浮かべる。

死期を告げられる事も悪い事だけじゃないんだと思った、、、が、、、

その思いも、目の前を浴衣をはだけた(ぬ)が背伸びしながら通り過ぎるまでだった。

『出たな、うぶ毛ダコ!人がしみじみと思いしのぶ時になんやねん緊張感ゼロのその姿、おのれにはデリカシーっちゅうもんが無いんかい?皮膚だらけの頭しくさって』

『はぁ、でも魚類に昇格ですか?しかしねぇ関西人にデリカシーが無いと言われると本気で傷つきますね』

『なんやと? ワレ?関西人はオノレの頭の毛ぐらいのデリカシーも無いっちゅうんか?アホにしくさって。オノレは全ての関西人を敵に回したな?アカンもう辛抱たまらへん。ワシ、神様を拝み倒してでもオノレと‘くいだおれ太郎’と交代して貰うわ』

『ほ、本気ですか?じょ冗談ですよね』

(ぬ)はあきらかに動揺していた。

ん?神様に頼むと“誘導員”の交代は可能なんか?奴に有効なイエローカードを手に入れたぞとほくそ笑んだ。

『貴方の思ったように前例があります。えっ?ええ、私は誘導員ですよ、貴方の考えた言葉も聞こえます。今、気づいたんですか?初対面の時に説明した筈ですが、、、

話しを続けます、交代はあり得ますが、それは私にとって不名誉な事でもあります』

『分かったから、そのはだけた浴衣を何とかせいっちゅうねん。お前は全体的にやる気が無いし容姿はだらしなさ満開やど』

*****

日曜日、家族が揃って家に帰るなんて何年振りだろう。そのほんのりとした‘優しさ’を抱きしめて玄関のドアを開くと鼻腔にあの‘匂い’が、、、「臭い」

現実に引き戻される以上に充分すぎる暴力性のある匂いだった。

室内に溢れるその‘匂い’は週末に家を離れた時より異常性を増し、凶器のように自分だけに襲い来る。

温泉で団欒とした雰囲気を持ち続けている家族の前で吐く訳にはいかない。

慌ててトイレに駆け込んで便器を抱えた。

後ろには顔をしかめた(ぬ)が立っている。 口を拭い後ろ手でトイレのドアを閉じると、いきなり玄関のチャイムが鳴った。

「はぁ〜い」と前を横切って玄関を開けた嫁の前には制服姿の警察官が立っていた。

「すみません、家族調査なんです。ご主人の会社やお子さんの学校など差し支えない範囲でお答え下さい。ご主人はお勤めですか?いえ、会社名は要りません、、、お子さんは」

などと短い質問をして警察官は足早に去って行った。

「なんやねん、警察官はそんなにヒマかい?日曜日に家族調査?そんなんより事件を解決せんかい、犯罪で泣いてる人もぎょうさんいてはるやんか、税金泥棒やな」

「あなた、そないな悪態ついたらあきません。あの方やて地域を守るため働いてます。あなたが家族のために働いているのと変わりません。感謝も出来へん人間やったら、うちはいつでもあなたの頭はらせてもらいます」

*(注)はる、、、平手で叩く事

*(例)どつく、、、拳で殴る事

ビリケンはんの正しい大阪弁辞典

(んなモン無いでぇ)

この女房には死んでからも頭は上がらへんのやと観念した。まぁええ、ワシはハナから女房と勝負した訳や無い、いや、いや、それにしてもこの匂いどないかならんか?

確かに‘匂い’は換気をしている部屋の中をあきらかに意思を持って移動している。顔を覆うふりをして鼻をつまんでいる目の前に小さな黒い粒子が塊をなし、よく見ると何やら黒い個体が床の上にあった。

『猫?、子犬』

『みゃ〜みゃ〜』

『猫やんけ』

いつの間にか背後に立っていた(ぬ)が突然、呟いた。

『意思の持たない、いや持つ事も叶わなかった浮遊霊です』

*****

次の日の朝、会社へと玄関を開けると目の前にはパトカーが数台、路上で回転灯を点灯させていた。

彼等は路上のマンホールを開けて周りにバリケードを組みマンホールの中を覗き込んでいる。

完全防備で宇宙服?姿の人が、マンホールから這い出していた。

そんな彼等を尻目に会社に向かい駅へと歩く末期ガン患者のワシって真面目だと思うし誠実やんか、何で、もてへんのやろ?容姿かて梅宮辰夫に似ているし、神様の手落ちやな。すると(ぬ)が、、、

『あのぅ、梅宮さんと言うよりパタヤビーチのウガンダ虎さんって感じですよ。

そんなくだらない漫才より、

昨日貴方の住まいから‘はなし’が始まりました。でも貴方は只の傍聴人、触ってはなりません。すなわち関わってはいけません。

以上、誘導員からのお知らせです』

『訳、分からへん。何が言いたいねん』と(ぬ)を見ると電車の扉が静かに閉じた。

会社の昼休み、何気なく見ていた食堂のテレビに我が家の前の通路が写されていた。

張り巡らした黄色いガムテープが立ち入り禁止を物語っていた。

画面下のテロップに“遺体発見”と書かれていたが、ニュースの内容までは聞き取れなかった。

*****

夕暮れ、帰路の駅には珍しくと言うか初めて(ぬ)が出口改札の左手にある駅の窓口の横に立っていた。開口一番に(ぬ)は

『何でも貴方が望めば叶うと言うもんじゃありません。勘違いはしないで下さい』と恨めしげな面持ちでワシを見た。

『お前、出迎えに来てええヤツやなぁと思ったら‘お帰りなさい’も言わずに何を訳の分からん事ぬかしとんねん、ホンマに残った毛ぇむしり倒すぞコノ阿呆がぁ』

『どうせ貴方が神様に願ったんでしょう?誘導員の交代は免れましたが、助手と言う名目でまだ誘導員歴3ヶ月の誘導員が貴方と私に付く事になりました。誘導員歴80年のこのわ、た、し、がですよ』

『知らんがな』

家へと歩き始めるワシに(ぬ)は愚痴をこぼし始めた。

『もう、メチャクチャですよ、‘はなし’は始まるし、経験した事のない誘導員助手?

ラテンのノリの末期ガン漫才師、担当神様は南半球でサーフィン休暇、、、これは私への天罰なんでしょうかね』

家の玄関前で、とうとう切れた。

『だから知らんちゅうねん!、、、?おいコラちょっと待て、誰が漫才師や?その上、何やと?担当神様がサーフィン???

オノレら、冥府の役人やろうが?何をおちょくっとんねん、ええ?あぁもうええわ、もうええ。後、残りわずかの我が命、オノレら沈めてワシも沈んだるわ』と言い終えて玄関のドアを引いたその瞬間、女優の優香似のビキニ姿の女の子が、玄関にいた。

以下(ゆ)と表する。

『はじまして、私、誘導員助手を命じられました。よろしくお願いします』

(ぬ)は固まった。

『なんや、お前は自分の助手を見てへんかったんかい?お前のその‘わらい’漫画やったら、でへへ、うへへって吹き出しが必要やろ。お前の笑顔はホンマ気色わるいわ』

突然、(ゆ)は、あどけない笑顔で‘匂い’が這う家の中を見回すと、昨日みた、黒い粒子の塊に近寄り、何事も無い様子でその黒いかたまりを抱き上げた。

『え?』と(ぬ)

『うわぁ』とワシ。(ゆ)に抱き上げられた黒い塊は甘えるように身を委ねている。

『に、匂いが白いビキニに着いたら大変やないか、あぁ、それに、む、胸に押し当てたらアカン、むちゃしたらアカン、うわぁ!あの黒いヤツもう片方の乳に手ぇ伸ばして触っとるがな、アカン、アカンやろ、、、

最後のほうは涙声になっていた。

*****

結論から言うと(ぬ)が言った、‘はなし’は現在も続いている。今も(ゆ)に抱かれているが‘匂い’はしない。

‘匂い’は言葉を持たない赤子が自分の僅かな存在を知って欲しくて振りまいていた。すなわち助けを求めて‘感じる’人に送ったメッセージだった。

‘はなし’は簡単な事、育児に悩んだ独りの幼き母は毎日泣き続ける我が子に2.3日の無断休日を決行した。

誰にも頼る事も出来ない幼き母も弱者ではあるが、母にしか命を委ねる事の出来ない赤子には死ぬこと以外の選択は無く、猫の鳴くような助けを求める声は次第に小さくなった。

チカラ(暴力)の強さは弱者に向かう時に比例して強くなる。それゆえ、あがなう、すべのない赤子が犠牲となる時のチカラは最大級となる。

我が子の亡骸を小さく小さく刻んで排水溝に流した。いく日もいく日もかけて、、、

排水溝から異常な匂いがすると近所の古いアパートに住む方からの苦情が発端だった。

通常、トラップと呼ばれるモノがあり排水溝から上がる臭気を防止するのだが、古いアパートでは直接排水溝に繋いでいるために臭気が排水管を伝って室内に流れ込む。

雨が降らず、排水溝で腐った異常な臭気はその古いアパートの全室を襲った。

水道局員がマンホールを開け確認すると、人間の一部分が、見つかった。

警察は家族調査と称して排水溝に繋がる家庭の住民票と現状との不一致を調べあげたのだった。

哀れな母子家庭が対象となるまでそう時間はかからなかった。

流された赤子には人に伝え終り存在がわかれば‘匂い’は必要なくなった。

‘匂い’はしなくなったのだが、何故か吐き気が止まらない。(ぬ)と過ごす余命を考えると吐き気は増すのだが、(ゆ)の参加にはうすら笑いが止まらない。神様も粋だと思い始めた。

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フム、やはりこのシリーズ、中々深いですね。
そして、話を進める毎に奥深さが、増していく。
その感じが癖になると言うか、なんと言うか···
だからこそ私はこのシリーズ大好きです。

登場人物たち(の、ノリ…)からは思いがけない展開となり、ラストのほうのくだりでは口が開いたまま読んでしまいました。
むごい展開の中にも、力は弱いものに向かうときほど強くなる、といった辺りに、単純に起こった事件のみに目を向けることで見失ってしまう、人間の業みたいなものにも思いが行く作品でした。

はなさん“怖い”と怖いコメント本当にありがとうございます。そうですか、死臭って経験が無いもので、突然、線香臭ってのは数回あります。はなさんの言葉は僕の励みになります。改めて感謝します。

おもしろかったぁ(*´ω`*)怖さも悲しさも、色々ミックスされてます!!           死に近い職場についてましたが、死期が近づくと、人は甘いあんパンの臭いしてくるのですよ。それでもうすぐかなと(*´Д`*)     ちょっと違う匂いのコメントでした!