中編6
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習字教室

未だに現実だったか錯覚だったか区別できない話。

そんなに怖い話でも洒落にならない話でもないかもしれません。

私がまだ小学生頃、近所の習字教室に通っていた。

通い始めた理由は単純で、まだ1年生の頃に幼馴染が通い始めたから行きだした。つまりただ単に幼馴染と学校が終わっても遊んでいたかっただけだった。

その習字教室は私の地方では人気な教室で、古い日本家屋のような建物に30人以上の子供が毎日ひしめきあっていて賑やかだった。

決められた時間割などは無く、課題の文字を先生が納得するものを書き上げれば終わりというスタイルだった。運動が得意でヤンチャだった私にとって習字は決して面白いものではなく、1日平均2〜3時間という時間のほとんどは幼馴染や新たにできた友人とのおふざけに費やされていた。

もちろん真面目な生徒もいて、幼馴染も真面目な奴だったので私より先に先生を納得させ早く帰ることが多かった。

しかし、古い建物だったので、夕方以降になって来ると不気味さが立ち込めてくる。さらに時間が遅くなるに連れて生徒も減っていき、だんたんと習字教室は古さ墨汁の独特な臭いが誇張されていた。そのため夕方のまだ明るいうちに終わらせて帰りたかった。

特に嫌だったのはトイレだ。建物の雰囲気からしたら便所という表現の方が合っていたかもしれない。その便所というのが、襖を取り外し3つの部屋を繋げた大きい教室のすぐ隣にあるにもかかわらず、壁や窓の位置関係などから昼間でもあまり光が当たらない場所にあり、そこに当時でも少なかった裸電球があるだけで、小学生には少し怖い場所だった。

私はそこが大嫌いだった。墨汁の臭いとサ◯ポールの混ざった独特な嫌な臭い。そして暗いし自分の家とは違う和式便所。その雰囲気が嫌いにさせたのだと思うがとにかく異常に恐ろしいと思っていた。

そんな怖い思いをしながらも特に何もなく2年ほどが過ぎた頃、教室の立て直しが行われた。工事の間は近所のさらにボロいところを借りて運営していたが、特に何もなかった。

立て直しが終わり、綺麗な今風なグレーの洋風な建物に変化した教室は、染み込んだ墨汁の匂いも消え去り、爽やかな気分で再スタートした。先生はそこで土日に学習塾も始め、今までの古臭さは一蹴されていた。

しかし私には一つぬぐいきれないことがあった。

トイレだ。

いや、洗面所だ。

なぜか新しく洋式で綺麗になったにも関わらず、嫌で仕方なかった。近所の私はできる限り教室ではせずに家で用を足すようにしていた。

しかしよくよく思えば私を嫌にさせたのは、洗面所の鏡だ。建て替え後のトイレの前には鏡つきの洗面台が作られ、終わった生徒はそこにある雑巾を使って自分の使っていた机を拭いて帰るというルールができた。

とにかくその鏡が嫌だった。新しい建物は入り口が建物の真ん中よりちょい右にあり、入ると左が大きい習字と学習塾用の教室で、右はそれより小さい部屋が一つあり、それぞれドアが入り口にある。そして玄関の正面に3Mほどの短い廊下があり、廊下の右にトイレ、左に洗面所+鏡となっている。おそらく間取りは全て建て替え以前と同じだ。

その鏡を見るのが嫌で机を拭かずに帰ったこともある。昼間でもなぜか私にはそこが不気味だった。だから雑巾を取りに行くのが嫌だったのだ。

それでも特に何も起きずに3年が経った頃だ。4年生になった私は、鏡の恐怖が少し薄れていた。

それにその年で机拭きをサボればさすがに注意されたのもあり、洗面所にも毎回ちゃんと雑巾を取りに行っていた。

ただ鏡はできる限り見たくなく、手元に集中してささっと済ませていた。

とある日、多分初秋の平日だったと思う。その日はなぜか生徒があまりおらず、夕方に私が終わった頃には3、4人の生徒しかいなかったと思う。

いつも通り先生に合格点を貰い、片付けをして机を拭いて帰ろうとしていた。

ただその日は道具の片付けをしている間から用が足したくてモゾモゾしていた。片付けの最中にトイレに行けば良かったのだが、あの洗面所が嫌なので雑巾を取りに行く時に一緒に済ませようと我慢していた。

いよいよ片付けが終わった。思っていたより尿意があり、急いでドアを開けてトイレに向かった。

トイレと洗面所の間の廊下に着いた時に、なぜか雑巾を濡らしてから用を足そうかと一瞬迷った。

おそらく尿意と嫌な鏡が頭に同時によぎり、混乱したのだろう。

それがいけなかった。

その一瞬の迷いで雑巾に手を触れ、やっぱりトイレが先だと思い雑巾から目と手を離した途端に鏡を見てしまった。

女性がいた。

白い着物を着て赤子を抱いていた。

濡れた髪は長く、目がつりあがり、頭からは血が流れていた。

着物の白との境目がわからないほど血色が悪く白い肌をしていた。

赤子も同じくらい白かった。

とてつもなく身長が高い女だった。

自分のなかでしっくりくる表現は浮世絵のような雰囲気だった。

鏡を凝視したつもりはなかった。おそらく視界の端にこの像を捉え、無意識に確認してしまったのだと思う。多分5秒ほど固まってしまっていただろう。いや、そう感じただけで実際はわからない。

とにかく体が動いた時には一目散にドアに向かい、勢いよく教室に戻った。

生徒の少ない教室に私が勢いよく戻ってきたのを友人の一人が不思議そうにしていた。そしてそこで尿意が限界なのを体が思い出し、泣きそうになりながら男のメンツを守る為に目をぎゅっとつむりまたあの場所へ。

怖さと尿意で分けわからない中、トイレに入り用を足していると少しずつ落ち着いた。

しかしまたトイレを出ればあの鏡が正面に見える。死ぬほど怖かった。尿意と漏らしてはいけないという男のプライドが恐怖を麻痺させてここまで来たものの、帰りは何も恐怖を誤魔化すものがない。

「またあの女がいたらどうしよう」

「次見たら何かおこるんじゃないか?下手したら呪い殺されるかも?」

色々頭をよぎったが、何だかトイレのドア一枚を隔てて鏡と向き合っているのが怖くなった。それにまだ夕方になったばかりなので周りは明るかったのも私を動した。

もう一度目をぎゅっと瞑り、ドアを開けた。

なぜか走れなかった。

そして頭は意外に冷静で、目を瞑りながらも手探りで雑巾を掴んだ。もう雑巾をすすぐ時以外ここに戻らなくて済むように。

ありきたりだが、物凄くドアまでが長く感じた。正確にはドアを閉めてあの忌まわしい鏡と遮断され、教室という人間がいる空間だけになるまで半端じゃなく汗をかいてゆっくり動いた。

恐怖からの解放と解消された尿意のせいで、顔の緊張が緩み変な笑顔だったと思う。ただまた頭の整理がつかず、友人や先生にも話せなかった。

幸いにも結構水分を含んでいた雑巾のお陰で、机もしっかり拭け、あとはすすぎに戻るだけとなった。

しかしさすがにもう戻る勇気はなく、まだ終わっていない友人に「あまりよごれてないから」と言って渡して帰宅した。

帰宅時も玄関に出るのも洗面所と廊下が繋がっているので怖く、別の生徒が帰るタイミングを見計らって一緒に出た。

家に着くまでにぼんやり歩きながら頭を整理した。

今まで霊など見たことないので錯覚だ。きっとテレビの心霊特集の見過ぎで変な錯覚を起こしただけだ。

そう言い聞かせた。

ただ一つ、どうしても錯覚にしても不思議なことがある。

それは女と見たときに自分が鏡に写っていなかったという事だ。

本来なら鏡の位置とサイズから自分の胸くらいの高さまでは写るはずだ。だが私は女の腰上くらいまでを全て鏡越しに見ていた。自分が写っていたら女の胸から腰あたりまでは私の姿と被るはずだが、女の着物の帯や抱いている赤子までもしっかり覚えている。

ただ我に返った途端、自分と女が重なり恐怖に慄く自分が重なった絵も覚えている。

どういうことだか今でも分からない。

それ以来私は鏡を直視できない。

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mamiさん
コメントありがとうございます。
他に色々怖い話があるのですが私にとっては未だに忘れられない嫌な思い出です。
恐怖のなかでもプライドを守って漏らさなかった小さい自分を褒めてあげたいです。笑

ドキドキしながら読み進めて行きました。
子供目線で読むと、尚怖いですね…
『男のプライド』が守られて何よりです。