15年10月怖話アワード受賞作品
中編6
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夕月

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「うわっすげぇ…」

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思わず声が漏れた。

二十万円ほどの金が、目にとびこんできたからだ。

大学からの帰り道、歩道脇の植え込みに黒い長財布が落ちているのを見つけた。

おもむろに手に取り、中を確認する。

使い込まれたその財布は、角擦れや色褪せがあるものの、上質な革を使っていることが見てとれた。

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このまま持ち去ってしまおうか…

俺のような貧乏学生にとって、二十万など夢のような大金だ。

旨い飯を食い、旨い酒を飲み、賭事にも興じてみようか。

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…いや、止めておこう。

一時の誘惑に負け、人生をも棒にふるつもりか。

俺は財布を握り、近くの交番へと向かった。

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「すいません」

「はいはい、どうしました?」

奥の部屋から警官が一人出てきた。

「あの、向こうの通りで財布を拾ったんです」

「ゴホッ…ゴホッ…そう、じゃあそこの椅子に掛けて。書類書いてもらわなきゃいけないから」

マスクをした警官は、時折咳をしながら俺を席へと誘導した。

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「ここに君の住所、氏名、生年月日、連絡先書いて」

「はい」

警官は俺の正面に座り、文字で埋められていく書類をじっと見つめた。

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「君、学生?」

「はい、T大学の三年です」

「ゴホッ…ああ、あそこの学生さんか。学生証も見せて」

「はい」

学生証を手渡す。

「僕も、T大の出なんだよ」

「えっそうなんですか?」

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先程までの気だるそうな声色が幾分明るくなった。

マスクで顔半分を覆っているものの、細い目はますます細くなり、まるで三日月のようだ。

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「学生さん、住まいは隣町なんだね」

「はい、大学の近くだと家賃が高くて…貧乏学生なもんで(笑)」

「ゴホッ…僕も学生時代は金が無かったから、叔父の古い家に下宿させてもらってたよ」

「へぇ、俺のアパートもおんぼろですよ。昨日から玄関の鍵が掛からなくなっちゃって(笑)」

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「おいおい、それは危ないな。泥棒に入られたらどうする」

「いやー盗られる物も無いんで(笑)」

「そういう問題じゃない。どんな輩がいるか分からないんだ。早く直しなさい」

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チャイムが鳴った。

夕方の五時だ。

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交番を出ると、冷たい空気が頬を撫でた。

「気をつけて帰れよ」

警官が俺の背中に声をかける。

まるで自分の息子を見送るかのようだ。

離れてくらす父親を思い出す。

目尻の皺、年季の入った手。

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盗人にならなくて良かった…

財布を届けた自分を、少し誇らしく思えた。

次の日、友人達に自慢したのは言うまでもない。

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「なぁ、この交番お前が行った所じゃないのか?」

友人のタケが食堂のテレビを箸で差した。

規制線が張られた交番が映し出されていた。

リポーターが神妙な顔つきで中継をしている。

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『七日午後五時二十分頃、K町のK交番の給湯室で、地域課の35才の男性巡査が倒れているのを同僚が発見しました。

巡査は搬送先の病院で間もなく死亡が確認されました。

巡査の首には紐のような物で絞められた痕があり、県警は殺人事件とみて捜査を進めています。

また、巡査は制服を身につけておらず、所持していた拳銃一丁も行方がわからなくなっています。

繰り返します。

七日午後五時二十分頃━━━━』

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言葉が出なかった。

どういう事だ?

確かに俺はあの交番に財布を届けに行った。

そして、交番を出たのが五時頃だ。

夕方のチャイムが鳴ったから間違いない。

つまり、そのすぐ後に殺人が起きたのか?

交番には警官が一人しか居なかったはずだ。

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殺されのは、あの警官なのか…?

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完全に箸が止まり呆然としている俺に、タケが言った。

「…なあ、嫌な事言ってもいいか?これって、お前も危なかったってことだよな…?」

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彼の言う通りだ。

後少し交番を出る時間が遅かったら、俺も犯人に出くわしていたかも知れない。

そして、あの警官のように…

俯いて、喋らなくなった俺をタケが家に泊めてくれた。

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天井を見つめながら、俺はあることを考えていた。

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「…リョウ、起きてるか?」

タケが話しかけてきた。

「…ああ、起きてるよ」

「昼間の事…悪かったな。俺、変なこと言っちゃって…」

「…いや、いいんだ。お前の言った通りだよ。俺もヤバかったんだ。それより…」

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「それより?」

「…いや、ちょっと引っ掛かってるんだ」

「何を?」

「…お前、ニュースの内容覚えてるか?」

「ん?ああ、五時過ぎに35才の巡査が給湯室で首を絞められて殺されました。」

「そう。そうなんだけど…」

「何だよ」

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「…若すぎるんだ」

「は?」

「35才にはとても見えなかった」

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そうだ。若すぎる。

マスクをしていたとはいえ、あの目尻の皺、つやもハリも無いあの手、あの声…

35才なものか。もっと年寄りなはずだ。

「ちょっ…どういう事だよ?」

タケが飛び起きた。

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「殺されたのは、本当にあの警官なのか…?」

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俺の疑惑は膨らんでいった。

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それからしばらくの間、俺はタケの家に泊めてもらい、そこから大学に通う生活をしていた。

なんとなく、一人で居たくはなかったから。

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「おい、これ見たか?」

友人の一人が、机の上に新聞を広げた。

そこには、あの事件の記事が掲載されていた。

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【K交番で今月七日、巡査が何者かに首を絞められて殺害された事件で、

県警捜査本部は十二日、殺人などの容疑で元会社員、A容疑者(56)の逮捕状を取り、

全国に指名手配した。】

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…どくん…どくん…

心臓が音をたてる。

やめろ…

やめろ…

やめてくれ…

そんな事するな…‼

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思考とは裏腹に、俺の手は容疑者の顔写真の目から下を隠すように翳された。

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「うわぁっ‼」

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俺は尻餅をつき、まるで水を失った魚のように、口をぱくぱくさせた。

「おい、大丈夫かよリョウ」

「…こ…こいつだ…あの時の警官だ…‼」

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その男は、紛れもなくあの警官だった。

あの日俺が交番を訪ねた時、すでに巡査は殺されていたのだ。

そして制服を剥ぎ取り、自分が警官になりすましていた。

そして今、拳銃を持ち行方をくらませている。

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全身が震えた。

俺は、犯人の顔を見てしまった。

そしてあいつは…

あいつは、俺の全てを知っている…

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次の日、タケに付き添ってもらい警察に行った。

いよいよ俺は自分の家に帰れなくなり、友人達の家を泊まり歩く日が続いていた。

外に出ることも躊躇し、大学にもあまり行かなくなった。

苦労して大学まで行かせてくれた両親を思うと涙が溢れ、眠れなかった。

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犯人が捕まらないまま、日々は刻々と過ぎていった。

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人通りの多い昼間を選んで、俺は着替えを取りに、自分のアパートへ向かった。

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部屋に入ると、慣れ親しんだ匂いに少し安堵した。

何も変わっていない。

ベッド…ソファー…積み重なった本…

テーブルの上には、溜まった新聞。

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バッグに服を詰めていると、電話が鳴った。

ビクッと身を翻し、恐る恐る受話器をとる。

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「あ、リョウか?」

タケだ。

「お前かよ…びっくりさせんな」

「悪い悪い、そろそろ部屋に着く頃かと思ってさ。大丈夫か?」

「ああ、大丈夫だよ。ありがとな」

「なるべく早く帰ってこい。今朝の新聞に、事件のことが載ってたんだ。犯人の目撃情報が、N町でもあるらしい。お前のアパート、N町だろ?」

「えっ…そうなのか。今朝の新聞…」

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おもむろにテーブルの上の新聞に手を伸ばした瞬間、身体中に戦慄が走った。

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どうして溜まった新聞が室内にあるんだ?

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「…あ…あ…タケ…」

「リョウ?どうした?」

「あ…あいつ…全部知ってるんだ…俺のこと…」

助けて。

助けて。

誰か。

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「知ってるよ!だから早く帰って来いって言ってんだろ!」

「そ…それだけじゃない…あいつは…」

「おい、リョウどうしたんだよ!何言ってんだよ!」

「あ…あいつは知ってるんだ…俺の…俺の家のこと…助けて‼助けて‼タケ‼」

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…ガチャッ…キィー…

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風呂場のドアが開いた。

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……ゴホッ……ゴホッ……………

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Concrete
コメント怖い
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あんみつ姫さん、コメントありがとうございます。
お恥ずかしながら、アワード受賞をあんみつ姫さんのコメントを拝見して知りました。

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M様

10月月間アワード受賞おめでとうございます。
「夕月」ワクワクぞくぞくしながら拝見させていただいた時の興奮を未だに覚えております。
これからも、楽しいそして怖い、面白い作品を投稿してくださいね。
どうぞよろしくお願いいたします。

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元消防士さん、駒形さん、コメントありがとうございます。

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これはコワイ…

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しょんたろうさん、コメントありがとうございます。

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よもつひらさかさん、コメントありがとうございます。
自分が何気なく喋った事柄が、他人に良いように利用されてしまう。怖いですね。

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すごく引き込まれました。
新聞の伏線とか、上手いですね。素晴らしい。
善意がこんな恐ろしいことになるなんて。
身近にある恐怖ですね!嫌だ、怖い!

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すけちゃんさん、コメントありがとうございます。
そうですね、財布を届けなければこんな事にはなりませんでした。
仮に財布を自分の物にしてしまったとしても、リョウは人として墜ちてしまうでしょう。
どちらを選択しても、救われない物語です。

犯人のその後は、ご想像にお任せ致します。
拳銃を所持してますからね。
リョウはどうなってしまったのでしょうね…

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mamiさん、コメントありがとうございます。

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ゾワゾワ来ながら、読み続けていきました。
《theこわばな》ですね。

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ロビンM子さん、あんみつ姫さん、鏡水花さん、コメントありがとうございます。
お誉めの言葉を頂き、とてもありがたいです。

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話の構成、人物、何を取っても上手すぎです(⌒▽⌒)

これからも、この様な上質な話を読ませて下さい(∩´∀`)∩

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M様

初めまして。
過去の作品も読ませていただきました。
クォリティ高いですね。
これからもよろしくお願いします。

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