長編9
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南洋の狐

えー、どうも三番手を務めさせて頂きます、田中 国弘って言います。気軽にヒロちゃん、とでも呼んでくださると嬉しいです。

・・・おっ、其処のご婦人方、早速有り難う御座います。おーい、ヒロちゃんですよー。なんてね。

さて、五人居る内での三人目、丁度座りっぱなしで疲れて来た頃合いかと思われます。こう、背伸びなんてしたりして、リラックスしてください。そう真っ直ぐじいっと見られると、此方も緊張で口が回らなくなっちゃいそうですよ。お互い、気楽に行きましょうや。

俺もね、こんな性格してるから怪談なんて苦手なんですよ。何話してもバカ話になっちゃうんだから。

だからね、もう背筋の凍るような話なんてね、端から諦めます。

そうですね、箸休めとでも思ってください。定食の沢庵みたいなもんと思って。ほんの添え物です。気合いを入れて食うもんじゃありません。沢庵が好きで好きで仕方ないって人には申し訳ない話ですが。気合いの入った怪談は、また次の人達がやってくれますからねっ・・・と。

さーて、そう考えると何だか一気に気が楽になって参りました。やっぱり無理はするもんじゃありません。身の丈をキチッと弁えるのが大事。

ほら見てください其処の色の白い二枚目、あれね、トリ任されたんで緊張して、だからあんな真っ白な顔してんですよ。無理矢理大役を押し付けられたってんで、隣の奴の手の甲に爪を食い込ませてあれあれあれ・・・おいっ、ご両人、そういうのは余所でやっておくんなー。

・・・・・・本当にねぇ、仕様の無い奴等です。えーと、それじゃ何処まで話したっけか・・・嗚呼、すみません。始めてもいなかった。

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それじゃあぼちぼち始めさせて頂きましょう。三番手、田中国弘で『南洋の狐』

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さて、一番手二番手と人から聞かされた話で御座いましたが、俺の用意した話も、人伝に聞かされた話です。とは言いましても、別に今回の為に態々仕入れた訳では御座いません。

近所に話好きのじい様が一人居りまして、俺は小さい頃ちょくちょく、そのじい様の所へ遊びに行ってたんですが、その時にちょっとした昔話として聞いたって訳でして。

えー、皆さん。『狐に化かされた』なんて話は何処かで聞いたことがお有りで?いや、詳しいことを聞いたことが無くたって、狐は人を化かすってことを知ってればいいんです。知らないって方はちょいと手をね、こう、挙げてくれませんか。

・・・ああ、知らない人は居ませんね。いやー、最近の若い子の中には知らない人も居るかとヒヤヒヤしてたんですが、良かった良かった。

さて、皆さんも御存知の通り、狐ってのは昔から人を化かすものと相場が決まっております。

背中の塩鯖をかっさらったり、道に迷わせて同じ所をグルグル歩き回らせたり、温泉と偽って人間を肥溜めに入らせたり、伝わる話を数えたらキリが有りません。

これから話すのも、そんな類いの話です。それではちょいとお耳を拝借。

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えー、今から時を遡ること数十年。太平洋戦争も終盤、日本が泥沼の負け試合でどんどん追い詰められていた頃合いの話です。

私に話をしてくれたじい様は、本人曰く南洋・・・今の東南アジア方面ですね。其処の、とある島に出兵しておりました。

え?何処の島か?いえいえ、それは言えません。

ただ、激戦区ではなかったそうです。人を殺すことはあまり無いような場所だった。戦う相手は他に居ましたがね。・・・何かって?

飢えと病ですよ。

食料供給は無く、撤退も出来ない。飢えを凌ぐ為に野草や木の根を食い、それでも到底腹は充たされず一人、また一人と行軍する仲間が消えていきます。

ジャングルの熱と湿り気で身体はどんどん痩せ細り、元気だった若い兵隊も生きながら骸骨のような様相となっていきました。そんな中、マラリアや赤痢なんかが起これば下っ派の兵隊なんかがバタバタ死にます。それこそ、敵に出会う前に一個隊全滅なんて話も珍しくなかったそうです。

そんな島に、じい様は居た訳ですが・・・この時はまだ、じい様じゃありませんね。何せ十代だったそうですから。そうですねぇ・・・よし、名前で呼びましょう。仮に『利市』とでもしておきます。

さーて、話を進めますよ。こっからが本番だ。

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進めど進めど薄暗い森。若かりし日のじい様、利市青年はジャングルの中で一人、困り果てておりました。理由は一つ。自分の部隊とはぐれてしまったからです。

いえ、はぐれてしまった、というのは少しばかり違うかも知れませんね。利市青年は見捨てられたのです。何故かといいますと、足に怪我を負ってしまった。こう、脛の辺りをザックリね。それでも、途中まではなんとか歩けた。

けれど、傷がそのうち悪化して、一歩歩くごとに激痛に襲われるようになりました。録に手当てもしないのに無理して動かすから、傷口が熱を持って化膿しちゃったんですね。それで、その内仲間の歩くスピードに付いて行けなくなって、置いてきぼりにされてしまったって訳です。

持ち物は銃と、空の飯ごうと、雑嚢・・・ポーチみたいなもんですね。後は、これまた空っぽの水筒だけ。雑嚢の中も包帯がほんの二、三巻き程度残っているだけで、他にはなんにも入っておりませんでした。

・・・あっ、いけね。一つ、忘れてました。

手榴弾ね。それも一つだけ。敵を倒す為の物じゃありませんよ。いざというときに、自ら命を絶つ為に使うんです。敵兵に捕まりそうになったり囲まれたりしたとき、若しくはどうしようもなくなって、死んだ方が楽になれるとき、なんかに。

・・・・・・そろそろ、こいつの使い時か。

今まで何人もの仲間が隊から脱落していくのを見てきました。全員「直ぐ追い付く」「少し休めば大丈夫」と言って去り、一人として追い付いて帰って来る者は居ませんでした。

きっと、自分も同じ運命を辿るのだろう。

利市青年は、死を覚悟していました。

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さて、人間、一度腹を括ると何故か気が楽になるものです。例え、それが自分の死に行く運命を受け入れるという、極めて酷なものであったとしてもです。それには、利市青年も例外ではなかったようで・・・。

「自分は、もう、祖国の土は踏めないだろう。どうせ死ぬならば、最後にのんびりしてみよう。なに、敵に捕まったら手榴弾をドカンとやって巻き添えにしちまえばいいんだ。」

なんて明るいんだか暗いんだか分からない、妙な開き直りの境地にまで達しました。

そんな訳でジャングルをぶらぶらしていますと、近くの茂みがガサリと動いた。敵か味方か、反射的に銃を抜くと・・・

出てきたのは一匹の狐。

ヨロヨロと動き、逃げようともしません。空腹でもあった利市青年、撃ち殺して食ってしまおうかと引き金に手を掛けて・・・其処で気付きました。

その狐も、自分と同じように足に怪我をしていたんです。後ろ足の一部が抉れていて、真っ赤な血がポタリポタリと垂れている。どうやら、まだ怪我を負って時間が経っていないようです。これの所為で、逃げることが出来ないのでしょう。

家族等も見当たりません。一匹狼ならぬ一匹狐というところでしょうか。

「そうかそうか、お前もか。」

開き直っては居たけれど、やっぱり悲しかった利市青年。俄に親近感が湧き、なんだか撃ち難くなりました。

どっかりと地面に腰を下ろし、手を差し出してみます。狐は暫く警戒をしている様子でしたが、軈て指の先に鼻先をすり寄せ、匂いを嗅ぎ始めした。人に慣れています。

「何かやりたいが、生憎となんにも持ってなくてなぁ・・・そうだ。」

雑嚢を探ると、転がり出ましたのは僅かに残っていた包帯。

「よーし、ちょっとじっとしてろよ。」

傷口からゴミを取り除き、包帯を巻き付けます。残り少ないとはいえ、細い狐の足程度なら十分治療出来ました。

言葉が通じたのか、単に逃げられない程に弱っていたのか、狐はじっと動かずに居ったそうです。

「これでいい。血止めぐらいにはなるだろ。」

利市青年がそう言うと、狐はまるで礼でも言うように一声鳴いて、またゆっくりと茂みの向こうへと帰って行きました。

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さて、それから日が落ちて昇ってを幾度繰り返したことでしょう。溜まりに溜まった疲労と空腹で、利市青年は愈々地面に倒れ込み、動けなくなっていました。

「結局、自分で死ねなかったなぁ・・・。」

ぼんやりと呟き、目を閉じます。眠りと言うには余りに深い暗闇へと、落ちて行きます。

きっと、もう目覚めることはない

利市青年はそう胸の中で呟きました。不思議と辛くはなく、心地良い思いがしました。

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「・・・し、もし。しっかりしてください。それとも、もう死んで居られるのですか。もし、もし。」

揺すぶられる肩。耳元で聞こえる声。利市青年は泥沼の底から引き揚げられるようにして意識を戻しました。久し振りに聞く日本語です。

そうか、死んで祖国に帰れたのか・・・

重い瞼を抉じ開けてみると、目の前には広がるジャングル。なんだ、まだ生きていたのか。

「あ、起きた!良かった・・・!!」

声の方に視線を逸らします。五分刈りにされた頭、見慣れた軍服。まだ若い兵のようです。自分と同年代・・・いえ、なんなら年下かも知れません。少なくとも、利市青年が元々居た部隊では、見たことの無い顔でした。

「今、重湯を拵えています。もうすぐ出来ますので、少し待っていてください。」

さて、重湯ってのは薄い薄い粥みたいなもんでして・・・。

「火を焚いているのか。」

利市青年が声を絞り出すと、目の前の青年はにこりと微笑みます。

そのうち、じわじわと足元の辺りが暖かくなってきました。頭を動かすと、赤々と燃える焚き火の炎が見えます。飯ごうからはクツクツと小さな音が出ていました。

青年が「そろそろかなぁ・・・」と呟きながら飯ごうを火から外し、蓋を取り除きました。

ふわりと甘い米の匂いが流れます。

「さぁどうぞ。起きられますか。焦らず、ゆっくりと食べてください。ゆっくりとです。」

渡された重湯に礼を言う暇も無く、横たわったままで匙を突っ込みました。ゆるゆると煮られた米を口に含むと甘く蕩けるような心地がしたそうです。一口、もう一口と胃の府へと送り込み、あっという間に皿は空になりました。

久し振りに膨らんだ腹を撫で擦りながら、利市青年は身体に力が戻ってくるのを感じていました。起きることも、もう少し休めば可能でしょう。

「有り難う、助かった。」

「いいえ。当然のことをしたまでです。」

死にかけの奴に態々飯を食わせるのが当然とは、随分と惚けた奴だと思いました。戦場でそんなことを一々していたら、キリが有りませんからね。

「お前さんも、はぐれ者かい。」

「まぁ。そんなところです。」

「国に帰りたいな。」

「そうですね。」

それから暫く、利市青年は彼と他愛もない話をしていました。

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「そろそろ行かねば。」

不意に青年が立ち上がりました。

「貴方はもう少し休んだ方が良いでしょう。」

利市青年は頷き、また目を閉じます。

青年が片足を引き摺りながら、去って行く姿が、何時までも脳裏に焼き付いていました。

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目を覚ますと、身体が随分と楽になっていました。食べ物を胃に入れたからでしょう。

起き上がってみると、可笑しなことに気付きました。焚き火の跡が見付かれど、火を焚いた形跡が無いのです。

「夢か?」

いや、それにしては胃の辺りが重い。身体に力が戻っています。

「なら、どうして・・・・・・あ。」

地面に小さな凹みと、何か擦り付けたような線。幾つも不規則に並んでいます。狐の足跡でした。

青年の引き摺っていた足と、同じ方の後ろ足を引き摺っていたようです。

そして、そういえば、先日に包帯を巻いてやった狐。あの狐も、そういえば、同じ足に怪我をしていました。

「成る程、彼奴はあの狐だったか。」

恩返しの積もりだったのでしょうか。利市青年は笑いながら立ち上がりました。そして、また気付きます。手榴弾が無いのです。

「死ぬな、ってことかね。」

伸びを一つすると、今までに無い程に良い気分です。

「もう少しだけ、頑張ってみるかな。」

さあ、荷物を持って歩き出そう。

地面に置かれた匙と飯ごうを手に取ります。昨日の残りが入っていました。少し濁った水と、白い米粒・・・・・・

いいえ、よく見れば違う。これは・・・・・・

粒の一つを指で摘まみ上げ、目を見開きます。

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利市青年が米だと思っていたのは、水の中で丸まった無数の蛆で御座いました。

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お、おうっふ……

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