中編6
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或る二人の話

仕事が終わり帰宅すると、さくらは寝室のベッドに横たわっていた。

「ただいま」

「おかえりなさい」

廊下から声をかけると、彼女はおもむろに身体を起こした。

「ゴハン、まだだよね?ごめん、用意してないや」

「そっか。出られそうなら、外に食べに行く?」

私の提案に、彼女は少し間を空けてから、

「ごめんね、何だかだるいんだ」

弱々しい声で返事した。

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さくらと暮らし始めてから、1ヶ月が経つ。彼女が働いているキャバクラで私達が知り合ったのは、春の初めのことだった。私は、大学時代の友人数人と、飲み会の流れでその店へ行ったのである。そこでさくらを気に入り、それからは足繁く店へ通い、彼女を指名し続けた。彼女の売り上げの為、時には友人達に声を掛け、大人数で行くこともあった。

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さくらは、あまり愛想の良い女ではなかった。最低限の接客はするが、正直、水商売に向いているとは思えなかった。何故、彼女なのか?と、友人達には聞かれた。私は、曖昧な笑顔で誤魔化した。40手前にもなって、顔がタイプというのは何だか恥ずかしかった。

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私は、水商売を辞めて一緒に暮らそうと、さくらを説得した。君の生活は面倒見るから、うちにおいでと、会う度繰り返した。

梅雨が明ける頃、彼女は最小限の身の回りの荷物を持って、私の住むマンションへやって来た。

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結局、夕飯は宅配ピザで済ませることにした。さくらは、だるいと言いながらも、1人でMサイズのマルゲリータを1枚、コーラで胃袋に流し込み、私のDVD鑑賞に付き合ってくれた。少しは気分が良くなったのだろうか?

私は、缶ビール片手にソファの隣に座る彼女の綺麗な横顔を眺める。部屋の電気を消しているので、顔色までは分からない。プロジェクターには、古い洋画が映し出されていて、彼女は熱心な表情でそれを観ている。

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「食べてるし、寝てるんだけどね。夏バテかな?」

さくらは前方を向いたまま、話し始めた。

「朝、ハルさんを送り出した後、今日も1日頑張ろうって思うんだけど。身体が気持ちについていかない」

「血液検査してやろうか?」

「やだよ、針痛いもん」

彼女がこちらを向き、苦笑いした。

私は、亡くなった父から継いだクリニックで内科医をしているのである。父が亡くなってから3年になる。母は私が生まれて間もなく亡くなっていて、兄弟もいない為、私にとって彼女は家族の様な存在なのだ。

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さくらの体調不良は、一緒に暮らし始めてからずっと続いている。全く何も出来ないわけではない。最低限の家事はこなしてくれている。しかし、家事以外の時間は、割と横になっている事が多いようだ。

「仕事辞めて、気が抜けちゃったってのもあるのかも。どうしても辛かったら、ハルさんの病院に突撃するね」

「いつでもどうぞ」

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夜、私はリビングにあるソファベッドで寝る。さくらとの間に肉体関係はない。彼女を我が家へ呼んだのは、私にとってはプロポーズの様なものだったのだが、彼女はそうとは思っていなかったらしい。寝室を共にすることは、初日の夜に丁重にお断わりされてしまった。彼女が何を思ってこの家に来たのか、問いただす勇気もなく、今日に至る。

「ハルさんおやすみ」

パジャマに着替えた彼女は私にひと声かけてから、寝室に向かった。

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日曜日の昼下がり、友人宅でのホームパーティーに招かれていた私達は、出掛ける支度をしていた。私が洗面所の鏡とにらめっこしていた時、

「キャーッ‼︎」

と、さくらの悲鳴が聞こえてきた。

慌てて声のした寝室へ向かうと、彼女はドレッサーに向かいスツールに座っていた。

「さくら、どうした?」

声をかけると、さくらは震える声でこう言った。

「お化粧してたら、足元に男の子がいたの」

「男の子?」

「そう、男の子…消えちゃった」

にわかには、信じられなかった。こんな昼間に幽霊でも出たというのか?

「さくら、疲れているんじゃないか?今日の約束、キャンセルしようか?」

「平気、そんなんじゃない」

「でも、さくら…」

「大丈夫、大丈夫だから」

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しかし、それから数日後、午後の診療の始まる前に、さくらが連絡もなくクリニックへやって来た。蒼い顔をしている。好奇の目を向けてくるスタッフ達を適当にあしらい、彼女を診察室へ通した。

「ごめん、急に来て。」

「いよいよ採血させてくれる気になった?」

冗談のつもりで言ったのだが、彼女は硬い表情のままだ。

「さくら…」

名前を呼ぶ。彼女は長い睫毛を伏せて深いため息をついた後、おもむろに話し出した。

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今日ね、お昼ご飯食べた後、また少し眩暈がしちゃって、ベッドに横になって休んでいたの。エアコンだと冷えちゃうから、窓開けて風入れてたんだけど。目を閉じてじっとしてたら、何だか冷や汗かいてきて。耳鳴りが始まって、それと同時に、遠くに聞こえていた筈の蝉の鳴き声が、だんだんと近づいてきて、どんどんうるさくなっていって。まずい、って思うのに身体が動かなくて、目も開けられなくて。頭の中が蝉の鳴き声でわーってなって、もうダメって思ったら、フッと鳴き声止んで、

「フフフッ」

って、耳元で女の人の笑い声がしたの。

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さくらは、そこまで話すと、長く息を吐いた。そして、こう続けた。

「それで、ビックリして目を開けたら、この間の男の子が私の足にしがみついていて、『ダメ‼︎』って言ったの」

「男の子が…」

これは一体何を意味しているのか。

「多分、5歳とか、その位の男の子なの。色の白い男の子…すぐ消えちゃうから、生きている子ではないと思う」

実はマンションのすぐ側には寺があり、その為か、近所では落武者の亡霊が出るという噂は聞いたことがあった。

しかし、彼女の身の上に起こっている一連の現象は、それとは関係はなさそうだ。

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さくらを1人にしておくのは心配であったが、本人が大丈夫と言い張るので、仕方なくタクシーを呼び、先に帰ってもらった。

夜、私がマンションに戻ると、さくらはベッドでスヤスヤと寝息を立てていた。

冷蔵庫の中に、さくらが作っておいてくれたカレーが鍋ごと入っていた。温めて、ひとり食べながら考える。

出会った頃のさくらは、25歳という年齢相応の若々しい美しさを備えていた。しかし、一緒に暮らし始めてからの彼女は、日に日に衰弱しているように見える。

そして、男の子、蝉の鳴き声、女の笑い声。

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それからも、さくらの体調不良は続いた。時々、怪現象のような事もあったみたいだが、もはや私に報告する気力さえも失われているようであった。

そして、金木犀の薫りのする或る夜、私が帰宅すると、彼女は忽然と消えていた。

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最初は、コンビニにでも行っているのかと思った。しかし、朝になっても彼女が帰宅することはなかった。数日経っても、連絡もなく、何か事件にでも巻き込まれたのではと心配したが、戸籍上の家族でもない私が警察に相談するのは二の足を踏んでしまった。第一、私は彼女の名前と年齢しか知らない。携帯電話は私が契約した物を持たせていたが、それはリビングのテーブルの上に置かれていた。彼女は、我が家に来た時同様に最小限の荷物を持って、自分の意志で出て行ったのである。

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それから、数年の後、私は街中で偶然にもさくらを見かけることとなる。初めて会った時と同じ季節に、彼女は幼い男の子の手を引いて向こうから歩いてきた。変わらぬ美しさに私が見惚れていると、刹那、目が合った。しかし、彼女はすぐさま目を逸らし、愛しい我が子に微笑み、話しかけていた。彼女に似て、色白のかわいい子どもだ。

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もしかしたら、さくらに対する私の強い想いが、彼女の精気を奪っていったのではないかと、今になって思う。私は彼女の家族になりたかった。彼女を自分だけのものにしたかったのだ。

彼女は、私のそんな想いに、精一杯答えようとしていた。だけど、到底抱えきれないと悟ったのだろう。

すれ違いざま、息を止めた。その名を呼んでしまわぬように。

そしてそのまま、私は足早に駅へと向かった。

決して振り向かないように。

散る花びらが、街中を舞っていた。

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ネタバレ注意

初めまして、ラグトと申します。
すべてのお話を読ませていただきましたが、作品と登場人物の雰囲気はこのお話が一番好きでした。

人間同士が一緒になるって、本当に簡単ではないことですよね。

mamiさん、はじめまして。
読んで下さってありがとうございますm(_ _)m
続編が出来ましたので、よろしければご一読ください。

続編、楽しみにしてます。