第一回 掲示板リレー作品 前編

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第一回 掲示板リレー作品 前編

【神火地鈴】

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これは僕がまだ小学生だった頃の、梅雨が終わりを告げて、蝉が一斉に鳴き始めた夏の出来事である。

僕はその頃、田んぼが広がる山間の村に、両親と祖父母、妹の六人で生活していた。

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家の外には向日葵が咲き始めていて、見上げれば透き通るような夏の青空に嬉しくなった僕は、妹を散歩へと誘った。

暑さに負けそうな妹の手をとりながら、僕は気持ち良さのあまり、今まで行った事のない所まで行ってみたいと思った。

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田んぼに水を流す小川があり、そのまま川を辿って行くと、この先はどうなっているんだろう?

そんな思いで、僕たちは毎年夏祭りの舞台になる神社の前を通り過ぎ、緩やかな坂道を川上へと歩みを進めた。

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川辺の風は心地好く、僕らの歩みはどんどん調子を上げていく。

やがて木々の繁りが勢いを増し、坂道の勾配もきつくなった頃…妹の足が止まった。

「お兄ちゃん、あれは何?」

振り返ると、妹が僕らの左側を指差している。

僕はその指先へと視線を移した。

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ちりー。。。ん。。。ちりん。。。ちりーん。。。

微かに風鈴のような音が聞こえてくる。 妹の指差した方向には、大きな松の木。

それは、その木の一番低い位置にある太い枝にだらりとぶら下がり、小さく揺れていた。

途端、妹は繋いでいた僕の手を弾いて、松の木へと近づいて行った。

ふと我に返った僕は妹の後を追い、共に松の木を見上げた。

誰がやったのか、幾つかの鉄製の風鈴と共に枝にガッチリと巻き付けられたその白い縄の先には、灰色の麻袋が結ばれていた。

そして、中に何か入っているかのようにこんもりと膨らんでいる。

それはカサカサと軽い音を立てながら左右に揺れていて、耳を澄ますと僅かにだが中から「ガ…ガ…ガ…」といった声の様なものもする。

「何が入ってるのかな?」

妹がそう言った時、僕たちの足元にヒラヒラと一枚の黒い羽根が落ちてきた。

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僕はその時、今までなんとなく感じていた違和感の正体に気付いた。あれほど五月蠅かった蝉の鳴き声が消えているのだ。

木々の間からそよいでいた風の匂いもしない。

妹は落ちてきた羽根を無邪気に摘み取ると「烏?(カラス)」と言って頭を傾げた。

「それに触るな!」

僕は知らないうちに声を出していた。

自分でも驚くほどの大声に妹はビクっと身を竦め、手にした羽根を取り落とした。

「ごめん、お兄ちゃん」

「あ…いや」

何が起きたのか自分でもよく分からなかったが、麻の袋からは相変わらず奇妙な声が聞こえてくる。

とても嫌な感じはするが、もし烏や動物なんかが閉じ込められているとしたら、このまま放って帰る訳にもいかない。

暫く迷った後、僕は…

恐る恐る袋に手を伸ばし、そっと持ち上げてみた。

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「…イタッ!!」

突然、指先に走った痛みに僕は手を引っ込めた。

…噛まれた。

…?…噛まれた?…突かれたじゃなくて…?

烏じゃない…のか?

不思議に思いながら袋をよく見ると小さな穴が幾つも空いていて、不意にそこからギロッと血走った目が見え、僕は思わず叫び声を上げてしまった。

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「に、人間の目?!」

腰が抜けて動けない僕とは違い、妹は勇敢にも足元に落ちていた木の枝を拾うと、ペシペシ!と麻袋を叩き始めた。

「やめろ椎名(しいな)!それに近づいちゃだめだよ!」

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その瞬間、赤黒く変色した麻袋の底が抜け落ち、ズサリと真っ黒で大きな塊が僕たちの目の前に落ちてきた。

「きゃ!!」

のんきに麻袋を突っついていた椎名も、中から落ちてきたモノを目の当たりにして腰を抜かしたのか、尻もちをついた。

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ガ…

後ずさる僕達の眼前には、今まで見たこともないような「異様なモノ」がいた。

元の色がどんな色をしていたかも判別できないくらいに赤黒くヌラヌラした体と、ありえない方向に不自然に折れ曲がった両手両足であろう四本の棒の様なもの。

頭と思しき部分には、血走った2つの眼が怪しく光り、口には鋭い牙が何本も生え、ダラダラとヨダレを垂れ流している。

僕は背後に妹をかばいながら、じりじりとその場を後退しようともがくが、目の前の赤黒い「モノ」は、今やはっきりとその獣じみた瞳で僕たちを見据え、手足をうねらせながら少しづつ僕たちの方へとにじり寄って来た。

「きゃあ!」

ふいに僕のシャツの背中を握っていた妹の力が抜け、同時に激しい水音が辺りに響いた。

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(しまった!)

僕は自分たちが川沿いを歩いていたことを忘れていた。

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村では穏やかな小川でも、それが上流ともなるとその勢いはかなり速くて、水嵩も高かったのだ。

あっ!という間もなく、妹の頭が川下に向かって流れていくのが見えた。

「椎名!」

考えている余裕などなかった。

僕は一声そう叫ぶと、清流の中に身を躍らせた。

しかし、焦って肝心なことを忘れていた。

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僕は泳げないのだ。

「溺れる!」

———

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チリーン。チリーン。

遠くの方から風鈴の様な音色が聞こえる。

どうやら僕は自宅の縁側で眠っていたようだ。それにしても暑い。

身体は汗でビショビショ、喉はカラカラだ。立ち上がろうとすると「スイカ切ってきたよ」 と、後ろから妹が声を掛けてきた。

振り返ると見知らぬ中年の女性がそこに居た。

誰だこの女。知らない。確かに妹の声だが容姿は別人だ。

「スイカ切ってきたよ。」

再度そう言いながら、あろう事かその女は持っていた包丁を自らの腹にズブリと突き刺し、顔色一つ変えずに首の方へと切り上げたのだ。

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猛烈な血飛沫が僕の身体に降りかかる。

そして、女の身体の中からゴソゴソと全身赤黒い、血走った目の「モノ」が出てきた。

「またコイツだ!」

さっき夢の中で見た麻袋から落ちてきた人間と、こいつの風体は酷似している。

ガ… ガ… ガ…

そいつは呻きにも似た割れた声を絞り出しながら、ゆっくりと僕に近づいてきた。

ガ… ガ… ガ…

近づくにつれ焦げたような強烈な臭気が鼻をつく。

その赤黒い皮膚とは対象的に真っ白な両目と、隙間だらけの尖った歯がカチカチと音を立てている。

僕は気づいてしまった。

こいつの身体が赤いのは焼け爛れているからだ。

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ガ… ガ… ガ…

ミ…ツ……ケタ…

ミツ…ケタ…ゾ…

ガガガ… 熱い… ガガガ…

ガガガガ熱いガガガガ熱いガガガガ!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!

熱い熱い熱い熱い熱い熱い!!!

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僕はいつの間にか気を失ってしまっていたようで、次に目を覚ましたのは僕を背負いながら川沿いを歩く、暖かい祖母の背中だった。

「おんや、目を覚ましたかい利也(としや)?」

いつもの柔らかい祖母の声、足元を見ると祖母と手を繋ぐ椎名もいる。

「婆ちゃん… 僕…」

そう言った僕に、祖母はまた柔らかな声で言った。

「なんも言わんでええ。いつかはお前達にも話さないかんとは思うとったんじゃ」

五月蝿い程の蝉の声に辺りを見渡す。

やっと現実の世界に戻ってこれた様な気がして、僕は祖母の首元に頭を押しつけた。

もう陽は傾き掛けていた。

「この村に伝わる昔話は、知っておるじゃろ?」

そう祖母に聞かれて、僕が村に越してきたばかりの頃、クラスメイトの美佳(みか)が教えてくれた事をふと思い出した。

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「村外れの奇妙な石像はブエルさんってゆーらしいの。なんか、外国の悪魔と同じ名前らしいんだけど元々はこの村の守神だったの。

この村の昔話にも出てくるのよ。でもねー、それがいつからか人に祟るようになってしまってね…」

「…なんで?」

僕の問いかけに、美佳は「うーん、それはよく分からない」と言った。

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どうせ、子供を大人しくさせるためのホラ話に決まってる。

昔話に、そういった要素が入ってくる事なんてよくあることじゃないか。

「そんなの…コケ脅しだよ。ブエルさんなんて変な名前だし。ただの昔話。…違う?婆ちゃん?」

僕がそう言うと、祖母は小さく笑ってから、少し真剣な声音で語り始めた。

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「今から300年程前の話じゃ。当時、村は不作で飢饉に陥っていてな。」

「飢饉?飢饉って何?」

祖母はくしゃくしゃのタバコに火をつけ、大量の煙をゆっくりと吐き出しながら言った。

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「ググレカス!」

———長い沈黙。

ひぐらしの甲高い鳴き声が響きわたる。

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そう。村の人間はとても短気だ。

ちょっとしたことですぐに激昂する。これが原因で昔から殺人や放火、血生臭い事件が多発しているのだ。

しかしこれには一説があり、我が村では代々、近親同士で子孫を残し続けていたために、血が濃くなりすぎて凶暴な人間が多く誕生したというのだ。

飢饉とも相まって、口減しの意味合いもあり罪を犯したものは村の決まりごととして次々と火刑され村外れに埋めていったというのである。

ブエル…増えるが訛って出来た言葉。

つまり餓死者や処刑した死体が増える…増えたという意味があるのだ。ブエルさんは大量の死体を祀った塚だったのである。

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「分かったか?」

スマホ片手にドヤ顔でこちらを見る祖母の問い掛けに、うん。と素っ気ない返事をした。

結局ググっただけで、祖母は殆ど何も話してはくれなかった。

と、その時、突然後ろから嗄れた怒鳴り声が降ってきた。

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「おい!子供に適当な話をして混乱させるんじゃない!まったく。。。ググった振りをしてブエルさんの事まで嘘八百並べおってからに!」

祖父だ。

祖父に叱られ年甲斐もなくアッカンベーをしている祖母を尻目に、改めて祖父が話し始めた。

「その昔、この村を大飢饉が襲ったのは本当じゃ。

飢えて亡くなる者が後を絶たず、かと言ってその死体を埋葬するほどの体力など誰にも残っておらず、放置されておった。

しかも体が衰弱しておるところに放置された死体が腐り、衛生的にも劣悪な状態になっていったんじゃ。

そのうち疫病が蔓延し、壊滅の危機に瀕した。 今のように医学も発展しておらんでな…

特効薬など無い。村人達はなす術もなく、ただバタバタと死んでゆく者達を眺めている事しかできなかった。

そんな時に、一人の若者がふらりと村を訪れたんじゃ。

高熱に喘ぎ、血を吐き続け、一人また一人と死んでゆく村人達を黙って眺めていたその若者は、ある時「水銀の紋章」をはめ込んだ小さな石像を村の長に渡した。

『これはある国に伝わる物を模した物だ。簡易的な物だから、大した効果はないかもしれないが、この石像に村人の治癒を願ってみるといい。

ただし、それを行うのは夕方から真夜中以外の時間だ。

そしてもし願いが叶った暁には、村人全てが生涯に渡り、星に祈りを捧げ、苦境にある人には必ず救いの手を差し伸べる事を忘れるな。』

それだけ言うと、若者はまたふらりと旅立って行ったのじゃよ。

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若者が去ったあと、村じゅう挙って石像に願いを込めた。

するとたちまち高熱は引き、血を吐く者も居なくなったのじゃ。

ただ、ある晩の事。

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一人の妊婦が、安産の願いに来た。

妊婦は『夕方から夜以降の願いは禁止』という約束を知らんかったんじゃ。

「どうかこの子が元気に産まれてきますように……」

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妊婦がそう願った時、石像の目から強烈な赤い光が溢れ、妊婦は気を失ってしまった。

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次に妊婦が目を覚ましたのは自宅だった。 どうやら気を失っている間に誰かの手によって自宅まで運ばれたらしい。

だが、医者の『妊婦も腹の中の赤ん坊も無事だ』というその言葉に妊婦は胸を撫で下ろした。

それから一月後、ついに出産の時がきた。

最初は順調だったものの、なかなか赤ん坊が出てこない。

「熱い!お腹が焼けるように熱い!」

そして、妊婦の意識が朦朧とし始めた頃に、ようやく赤ん坊は産まれた。

医師や助産婦達は安堵したが、産まれてきた赤ん坊を見た時、皆は言葉を失ってしまった。

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なんと、赤ん坊の顔と体の色が、まるで焼け爛れたかのように異常なほど赤黒かったというのじゃ…」

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そこまで祖父が話した時、突然椎名が座り込んでしまった。

うわ言の様に「熱い、熱い」と繰り返し、僕がおでこを触ると確かに平熱よりも熱くなっていた。

しかし、熱いと騒ぐほどの熱は感じない。

どういう事だ?いつもの椎名なら、これくらいの熱なんて大した事では無いと言い張るだろう… しかし目の前の妹は、胸を掻き乱しながら苦しんでいる。

「椎名!しっかりしろ!」

狼狽えた僕は妹に取りすがる。

しかしそれも一瞬の事、すぐさま祖父によって引き剥がされた。

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「いいからお前は、川を遡って山の樹にぶら下がっている麻袋を取って来い!

風鈴が目印じゃ……だが決して中は見るんじゃないぞ!!さあ、行け!!」

僕は理由も告げられぬまま、玄関から放り出された。

麻袋…まさかあれか……?

僕の背筋を、夜風がゾワリと撫でた……。

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生ぬるい夜気の中、僕は再び川上に向かって歩き出した。

日中、あれほど心躍らせて歩いたのがまるで遠い昔のことのように思えるほどに、川のせせらぎの音色は禍々しく、時折聞こえる鳥の鳴き声すらも不吉に感じられた。

考えてみると……

僕は歩みながら思った。

あの麻袋の近くには「例の奴」がいる可能性が高いじゃないか。たった一人で、武器も持たずに麻袋の所に行き、無事に帰ってくるなんてことが出来るのだろうか?

なぜ祖父は大した説明もなく、僕を一人でまたあんな危険な場所へと行かせるのか?

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そんなことを考えながら歩いているうちに田んぼを通り過ぎ、気づけば僕は、あの時見かけた神社の前までたどり着いていた。

神社……。

(ひょっとして、神社にいる人なら何かうまい方法を知っているかもしれない)

でも、あの時の祖父の態度は尋常ではなかった。もしかすると時間はそれほど残されていないのかもしれない。

(神社に立ち寄ろうか、どうしようか)

僕はしばらく悩み…

「神社に寄ろう」

ひとりごちて、鳥居をくぐった。

確かに時間は無い。

椎名のあの尋常ではない苦しみ方は一刻を争うだろう。

しかし、もし次にまたあの「例の奴」に遭遇してしまえば、恐らくただでは済まないはずだ。

武器や対処法も知らずに麻袋の所に向かうのはやはりどう考えても無謀ではないか?

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そう考えながら、足早に石畳の道を進み、社へと上がる階段を目指す。

気怠い空気が体に纏わりつき、汗がふつふつと湧き出してくる。

その時、ふと気付いた。

一切の音がしない。虫の鳴き声も、鳥の声も…

僕は一旦立ち止まり、整地された参道を取り囲む暗い林の方へ注意を向けた。

ガ…

嫌な予感がする。

ガ…ガ…

その声は、沈む静寂を邪魔するかのようにどこからとも無く近づいて来た。

ガ…ガガガ…ガガ…

「ど、どこだ!?」

脳裏にあの赤黒くヌメヌメした身体と、真っ赤に血走った目が鮮明に蘇ってきた。嫌が応にも足が竦む。

…あぁ、でも…!

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しかし僕はその時、苦しむ椎名の顔を思い出して、カタカタ笑い始めていた自分の膝に無理やり喝を入れながら社を目指し走りだした。

ヤツの声が後ろへ遠ざかる。

僕をすぐにどうこうしようとする気はないのだろうか?

たどり着いた階段を、僕は休む事なく一気に駆け上がった。

階段を登りきると、先ほどくぐったものよりも一回り小さな朱色の鳥居があった。

背後から迫って来るヤツの気配を遠くに感じながら、僕はその鳥居をくぐった。

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目の前に広がるのは、田舎特有の小ぢんまりとした境内。

…誰か…!

人の姿を求めて、辺りを見回した時だった。

「…おや。利坊かい?」

いきなり背後から聞こえてきたその声に、僕は飛び上がるほど驚いた。

振り返ると、声の主はいつもニコニコと優しい笑顔が印象的な、お祭りで見かけた事もあるここの神主さんだった。

「。。っ!!」

無我夢中で走り続けたせいで、呼吸が乱れ過ぎてうまく話せない。

でも、得体の知れないモノから追いかけられた恐怖で今にも気が狂いそうだった僕には、神主さんが神にも仏にも見えた。

僕は思わず、神主さんのそばへと駈け出していた。

「。。。利坊。。。お前さん、一体何をした。。?」

優しい笑顔だった神主さんの顔が、僕を見るなりみるみる険しい表情になった。

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その時僕は。。。。

完全にパニックになっていた。

「神主さんっ!あの…ヌメヌメで、ぐにゃぐにゃな奴で…ガガガっていう……あと、目がギラギラで!……」

「シッ!!」

とりとめの無い言葉でただ大声を喚き散らす僕を、神主さんは無言で静止させた。

そして僕の肩越しに、ある一点を見つめながら、 神主さんの顔が険しいものから厳しいものに変わった。

ガ……ガ…

ガ……ガ…

背後から不気味な鳴き声がゆっくりと近づいてきた。

神主さんの額に玉のような汗が浮かびあがる。

その顔を見て、思わず僕の足がこの場から逃げ去ろうと動き出す。

(動くな!)

神主さんが音にならないほどの声で小さく叫んだ。

そして、そのままゆっくりと懐から何かを取り出し……

チリン……チリン…

小さく鳴らした。

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(鉄風鈴だ!)

なぜ神主さんがそれを?

思う間もなく

ガ……ガ…ガ!…ガ!!…ガ!!!

一気に鳴き声が近づいてきた。僕のすぐ後ろで心臓を抉るような不快音が鼓膜を震わせる。

据えたような、腐ったような異臭が一瞬であたりに立ち込めた。

と、ヌルヌルした触手のような髪の毛がゆっくりと上から降りてきて、僕の視界を遮り、肩先にねっとりとしたなにかが絡みつくように置かれた。

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数瞬後、僕の視界の中央に赤黄色い濁った球体が二つ浮かび上がり、 血走った… まるで猫のような瞳が眼前に迫ってきた。

僕はすぐに理解した。「あいつ」が背後から肩に手をかけ、僕の顔を覗き込んでいるのだ

そう認識出来たとき、僕はふっと気を失いそうになった。

熱い、熱い…

おぞましい異形姿のそいつは、そう耳元でつぶやいた。

...ガ ...ガ...ガガ.

ガン...ノ...スケ

僕の足は、そこから一歩たりとも動かない。

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「ガンノスケ? どうして、俺を嵌めた」

直接頭の中に響く声。悲しんでいる?

チリン...

風もないのに風鈴の澄んだ音がした。

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僕の目の前に、突然、田んぼが裾野に広がる、山の風景が飛び込んできた。

これはきっと遠い昔のこの村だ。

山の中腹には、登り窯が列を成している。

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古くより、この地では焼き物が盛んで、中でも風鈴作りは伝統があり今でも毎年、風鈴祭りが行われている。

僕の目の前には清楚で美しい女が頬を染めて恥らうように佇んでいる。

ああ、僕はきっとこの人を知っている…

次の瞬間には、突然、目の前に、炎が渦巻いていた。

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僕は、石の蓋を叩いている。

閉じ込められた。

どこに?そう、僕は登り窯に閉じ込められたんだっけ。

誰に?決まっているではないか。恋敵のガンノスケだ。

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横恋慕?焼け爛れた僕の皮膚が窯の蓋に張り付いた。

炎を逃れようと、一心不乱に石を叩くが、石に張り付いてしまって身動きが取れない。

「せめて… せめて最後に、君の姿をこの目に焼き付けたかった。」

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男の声が頭に響く。悪魔のような炎が更に僕を襲う。

「 恨めしい。 俺は、末代まで、俺を嵌めたやつらを呪ってやる。

この忌まわしい村の全ても。 人減らしのためなら、登り窯をも利用するやつらを。

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悪しき村の忌まわしい記憶。

悔しい... 

悔しい... 」

ガ…ガガガ…ガガ…

ガ…ガガガ…ガガ…

「邪魔者を消すのは、登り窯が一番じゃて。」

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ガンノスケがほくそ笑みながら、鎮火した登り窯の蓋を開ける。

「ひっ!」

そこにガンノスケの悲鳴が上がった。

焼き尽くしたはずの恋敵の目だけが、登り窯の石の蓋にくっついて、こちらをジッと睨んでいたのだ。

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....これが、この男の遠い過去の記憶?

憎しみ… 後悔… 悲しみ… 情けなさ…

僕の中で様々な感情が渦を巻いている。

そして気付けば、僕の目からは止め処なく涙が溢れていた。

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こんな結末なんて本当は誰も望んじゃいなかった筈だ。

ただ、ただ、

こんな小さな村でも自分のやりたいことがあって、信じ合える友人がいて…

心の底から好いてる人がそばにいてくれて…

平凡でもいい。

ただ、幸せになりたかっただけなんだ!それが、それがなぜこんな事になってしまったのか?

僕の意識は、ゆっくりと浮上を始めた。

「…目を覚ませ…。そして真実を自分の目で見るといい!」

遠い過去の、懐かしく聞き覚えのある声が、すぐそこで聞こえた気がした。

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「目を覚ましたかい?利坊」

僕は、普段参拝客が利用する長い石椅子に身体を横たえていた。

なぜ、大して話もした事のない神主さんが僕の事を利坊と呼ぶのかは分からない。

しかし、神主さんの顔をこうして眺めていると、どこか懐かしい、不思議な気持ちになる。

「あっ!あいつは?!」

僕はようやく、後ろから抱きついてきた焼け焦げたあの人間の事を思い出した。

「ははは、大丈夫大丈夫。流石に奴もここまでは入ってこれん」

確かに先ほど化け物に抱きつかれた場所よりも、この石椅子は随分と社に近い場所にある。

(もしかして『結界』でも張ってあるのかな?)

僕はいつも見ているアニメを思い出した。

「…そう、結界だ。」

神主さんが僕の心の中を見透かしたかのようにそう言った。

「利坊が見た記憶の断片は、もう君も気づいているとは思うが、君の前世の記憶だ。」

右手にチクリとした痛みが走る。

「君は無残にも登り窯に放り込まれて焼け死んだんだ」

神主さんの声が一枚壁を隔てたように、急に遠くに感じられた。

「だがな利坊、勘違いしてはいけないよ。君を追いかけて来たあれは君じゃない。」

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徐々に僕の右手の指先が赤く変色していく。

「あれの正体は、君の強い思念が呪い殺した、雁之助という男だ。

その昔、この村に全身赤い皮膚の赤ん坊が生まれた。

だが、皆の心配を他所に、その子の身体は歳を重ねるごとに正常な皮膚へと戻っていった。

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ブエルの呪いは解かれた!

少なくとも村人はそう思っていた事だろう。

しかし、彼が二十歳を迎えた時、恋敵である雁之助の手により彼は焼き殺されてしまった。

『呪いは解かれていなかった』

誰かが言ったその言葉に村中は大騒ぎになり、雁之助は隔離部屋に閉じ込められた。

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しかし、数日後に雁之助の様子を見にいった村人が見たものは…」

「う、うわ嗚呼ああああ!!!」

僕の両手はみるみる赤く焼け爛れ、それは胸をも伝い、首元まで上がってきた。

「落ちつけ利坊!流石に痛みまでは感じておらん筈だ!」

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確かに、神主さんの言う通り、身体中にピリピリとした軽い痺れはあるものの、火傷をした時のような痛みは感じない。

「話の続きだが、村人が見たのは火の気のないはずの部屋で焼け爛れ、白目を剥いて絶命した雁之助の姿だった。

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だが、絶命するまさにその時、雁之助は復讐に来た君の姿を見ていた。

そして、現世に利坊、つまり君として生まれ変わった事を知った雁之助は、再び君を殺す為に、力を蓄えながら静かにそのチャンスを伺っていたんだよ」

そこまで話した所で、神主さんはハアと息を吐いた。

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「そ、そんな…僕が殺したなんて」

「よし利坊、爺のところに行くぞ!」

僕を背中に背負うと、神主さんは僕の家を目指した。

「利也!」

神主さんの背中でぐったりしている僕を見て、祖父が駆けよってきた。

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神主さんは縁側にそっと僕を下ろし、離れた場所に祖父を呼んで、事の顛末を説明し始めた。

その時。

ガ…ガガ…

焦げた匂い。

僕は自分の目を疑った。

「アイツだ!」

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玄関前に咲く向日葵の向こうに、全身が赤黒く焼け爛れ、地面を這いずるようにしてこちらに向かってくる雁之助が見えた。

神主さんが逸早く僕達を守るように間に立ち塞がり、雁之助と対峙した。

すると、どこからともなく黒い霧煙がもおもおと現れ、神主さんを覆っていった。

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そして霧が晴れた時に目にした神主さんの姿は…

祖父が見せてくれた、ブエル様の石像と瓜二つだった。

とても人間とは思えない容姿。

身体の中心から放射状に張り出した5本の、蹄を持った獣の脚。その中心に有る頭部は獅子の貌をしている。

異形でありながら、どこかユーモラスでもあり、同時に威厳も感じさせるその姿は、色々な所で目にする悪魔ブエルの姿そのものである。

「神主さんが、悪魔になっちゃった!」

僕は思わず祖父にしがみつく。

「あれは、悪魔というよりもこの村に来た時の、もともとのブエルさんそのものじゃ。」

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祖父が静かに僕の目を見て言った。

「そもそも、西洋の悪魔も、もとは神や天使だったものが多い。とある事がきっかけで、悪魔に変化してしまったものじゃ。

ここ日本でも、例えば守り神だった神様が祟り神と化すこともある。

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ブエルさんが最初に来た時、その霊験は素晴らしかった。疫病はたちまち消え失せ、原因となった飢饉も二度と起きなかった。

最初はみんな感謝した。教えの通り、星に祈りを捧げ、困っている人には救いの手を差し伸べた。

だが、世の中が平和になると、人は全て忘れていった。祈りも、助け合いも、神への感謝も。

一度祀った神様を忘れるのは、ある意味一番非礼なことじゃ。こうしてブエルさんは祟るようになってしまった。

じゃが、あの神主さんは村人全員を代表して、過去のことをブエルさんに謝罪し、その誠意の証しとして、何時でも自らの身体を差し出すことを、約束していたのじゃよ。

そして、今回雁之助を封じる為にお力を貸して下さい、と願ったのじゃ。」

「………… 」

そんな話…とても信じられない。

でも、実際に僕の目の前には二体の異形が対峙している。

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雁之助は爛れた体をうねらせ、濁った眼で目の前の異形を見つめている。

と、その瞳が歓喜の色に輝いた。

「オオオ、ブエル様・・・・・・」

出来損ないの糸人形のように不自然に体を傾げ、神主さんに・・・ブエルに向かって歩き出す。

「ブエル様、約束通リ、アノ利造メヲ捧ゲマシタゾ。オ望ミ通リ焼キ尽クシマシタゾ。

サア、アノオナゴヲ我ガ元ヘ。

椎ヲ…オ椎ヲ雁之助ノ元ヘ……サア…サア!」

雁之助はへし曲がった両手を広げ、ブエル神に歩みを進めていく。

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ブエル神は獅子の瞳を閉じたまま微動だにもしない。

(雁之助よ……)

周囲に厳かな声が響いた。それは音というよりも、心に直接響いてくるようだった。

(そなたの役目は終わった)

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ふいに獅子の目がカッと開いた。その瞳は酸漿よりも紅く、鮮血のようにぬらぬらと輝いていた。

次の瞬間、山羊の脚が雁之助をまるで蜘蛛が獲物を捕らえるように挟み込んだかと思うと、 その咢が冗談のように大きく開き、雁之助を頭から飲み込んだ。

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ベキッ。グシ!ゴキ。バキ。バキ!!……

異様な裂音が響いた。

僕の顔にビチビチと肉片とも、泥ともつかない飛沫が飛び散った。

「見、見るな!」

祖父が慌てて僕の目を眼前の光景から引き離そうとする。 だが遅かった。

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部屋中に、雁之助の断末魔の声と咀嚼音が響き渡り、僕の…小学生最後の夏が血塗られていった。

超常現象なんて、ちっとも信じていなかった僕が…今それを体験している。

僕の前世での存在が、一人の男の運命の歯車を狂わせてしまったが為に…

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「…爺ちゃん…、僕は…、僕と椎名は…何故この村に来てしまったのかな…?」

「利也…」

「…僕は、椎名と…この夏を楽しいものにしたかっただけなんだよ…」

涙声で呟く僕の背中を、祖父は優しく…優しく撫で続けている。

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そんな祖父の温かい手が、今にも膝から崩れ落ちてしまいそうな僕を支えてくれている。

しかし、祖父の意に反し僕の体はどんどんと熱を持ち、赤黒く爛れていくようだ。

(いやだよ…もう。やだ。どうして僕がこんな目に……

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体が熱い……熱い…熱い……あつい………

・・・・・・

・・・あつい。あつい。あつい。助けて……

助けて、お兄ちゃん!)

wallpaper:2920

僕は、はっと我に返った。

椎名。

そうだ!椎名が今も苦しんでいる。僕の助けを待っているんだ。

僕は祖父の手を離し、気力を振り絞り自分の足で立ち上がった。

だが、その聞こえないはずの声に反応したのは僕だけではなかった。

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目の前のブエル神が一瞬ニタリと見たこともない形に口をゆがませる。

(椎の小娘。そこにいるな)

星形に組んだ獣の脚を車輪のように動かして、縁側から続く奥の間へと向き直る。

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(前世からの因業を抱いた魂はさぞうまかろう。雁之助も待っておる。さあ、その宿業の魂ごと余の中に入るがいい)

「……やめろ」

声を出すのが精いっぱいだった。このまま、僕は現世でも何もできないのか……

と、ブエル神がその動きを止めた。

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ちりん。。ちりん。。。

ブエル神の体の中からわずかに音がする。

(ほおおお…)

ブエル神がその真っ赤な瞳をすうっと細めた。

(まだ意識があるというのか。その祈りとやらで、余を止めようというのか)

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ブエル神のその燃え盛る火焔のような鬣の中に、僕は神主さんの姿を見たような気がした。

と、その時だった。

「な、なな、なんじゃこりゃあ‼」

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縁側から顔を出した祖母がブエル神のそのおどろおどろしい姿に驚嘆の声を上げ、おもむろに懐からiPhone5sを取り出した。

カシャカシャという音とともにフラッシュが眩き、辺りを照らす。

なんと祖母は写メを撮り始めたのである。

動画ではなく写メである。

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てか、こんなに騒いでいたのに今頃気付いたの?お婆ちゃん…

( ぐっ!なんだそれは?!や、止めろ!)

ブエル神が叫ぶ。

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「ふむ、どうやらブエルさんは光に弱いようじゃの。」

祖父はあくまでも冷静に淡々と言い放つ。

いったいこの人はどこまで心臓が強靭なのだろうか?

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( ぐぁぁあぉぉ。)

ブエル神が苦悶の表情を浮かべながらうずくまった。

光に弱い?

いや、目が眩んているのか…?

いずれにせよ、これはまたと無いチャンスだ!だけど、どうすればいい?

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そう考えた刹那…

ちりん。…ちりーん。

どこからとも無く風鈴の音が鳴り響き、悶絶しているブエル神の鬣からモワモワと靄煙が立ち上がった。

そしてそれは徐々に形を成しながら、神主さんの形となった。

「おお!奇跡じゃ!」

祖父が駆け寄る。

「待て!まだ終わってはおらん!」

祖母の機転で窮地を脱したかに見えた僕たちだったが、神主さんが発した次の言葉で、それがまだ悪夢の始まりだった事に気付かされた。

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「早く逃げなさい!こんな事もあろうかと、八咫主(やたす)神社に結界を張ってある!

私は八咫烏様のお陰で一時的にブエルの中から解放されたが、これはほんの一時の時間稼ぎにしか過ぎない!

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私はもう助けてやれんが、後ほど八咫烏様がお前達の元に現れ、今後の対応について教えて下さるはずだ!

時間が無い!さあ、早く行け!!」

神主さんはそう告げると、懐から漆黒の鉄風鈴を取り出し、祖父に手渡した。

「それは大事な物だ。肌身離さず持っておきなさい!」

すると、神主さんの体からまたモクモクと霧煙が登り始めた。

「おい!椎名を早く連れて来い!」

祖父の怒鳴り声を聞いて「私が神主さんを助けたのよ!」と言わんばかりに軒先でドヤ顔をしていた祖母が、慌てて家の中へと消えていった。

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その時、バサバサと大きな羽音が辺りに響き渡り、見上げると今まで見た事もないような大きな翼を広げた巨大な烏(カラス)が、空高く山の方へと滑空して行くのが見えた。

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後編へ続く。

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久しぶりに掲示板リレーを読んでみましたが、コメント欄でダレソカレ先生が死ぬほど褒めてくれてらっしゃいますね!…ひい…やだ!///
こちらの思い出といたしましては、編集作業がとにかく大変だったと記憶しています。みなさんの作品を潰すことなく、違和感を消しながら繋げていく作業は、たぶん今までの人生で一番頑張ったと自負しておりますよ…ふふふ…

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