中編6
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りんご先生

10年ほど前、新潟のある小学校に新米の男性教師がいたそうだ。

おっとりした性格で、まん丸と太っていた。雪が降ると子供のように頬を赤くするので、「りんご先生」と呼ばれていた。

山奥にある小学校なので生徒の数は少ない。なぜりんご先生がこの学校にやってきたのか誰も知らなかった。

寒さの厳しい冬のある日、しんしんと降り積もる雪の中、黄色のマフラーを巻いたりんご先生が歩いていた。

向かう先は小学校だ。今日の宿直なのである。

木造の校舎は静かで物音一つしなかった。りんご先生は裏の小さい扉から入った。扉は寒さをふせぐため2重になっている。

ドアを開閉する音はがらんとした校舎に大きく響く。窓からは雪をかぶった木々が見えた。

りんご先生は3階の職員室で暖房をつけて、湯を沸かして湯たんぽを作った。暖かい湯船につかった気になってりんご先生はほっと息をついた。

ふとおかしなことに気づいた。不思議なことに、前日きれいにされていた床にほこりがうっすら積もっている。

よく見ると机の上や本棚、はたまた椅子の上にまで白っぽいほこりが見える。おかしいなと思ったものの、人のいいりんご先生は暇をつぶしがてら掃除することにした。

掃除用具入れから箒を持ち出して丁寧に掃いていった。かわいらしい小さなちりとりをつかってせこせこごみを集めていく。

りんご先生はちりとりを使うのは何年ぶりだろうかと思った。

一時間ほどして一段落したころ、食事をとることにした。宿直のときは大抵カップめんを買って食べる。健康を気にして小さな容器に野菜も持ってくることにしている。小さい台所でお湯を沸かし、カップめんに注いだ。しょうゆの香りがたちのぼって部屋に満ちた。3分待ってから、りんご先生はお茶を一緒に並べて食べ始めた。

食事のあとの紅茶を淹れていると、窓が大きく揺れた。風が強くなりつつある。

このままだと吹雪になるかもしれない。宿直のとき、ひどい吹雪になりそうな場合は帰ってもよいことになっている。この学校にはTVが無いので、予報を見るためラジオをつけた。しかし電波がなかなか届かないらしく、ノイズに混じっておぼろげに声がきこえるだけだった。

仕方なく備え付けの電話を使って他の先生に指示を仰いで見ようとした。しかし数人の先生にかけてもつながらない。苦労のあげく木崎という先生が電話に出た。

「どうされました...。」

電話口に聞く木崎の声はいつもよりくぐもっているようだ。

「今雪が強くなってきているのですが、こちらでは予報が見れないんです。この後吹雪になりそうか、予報を教えていただけませんか?」

しばらくの沈黙のあと、木崎が答えた。

「このあと吹雪のおそれはありません...。ないようです...。」それだけ言うと木崎は電話を切ってしまった。

いつもは愛想の良い木崎の反応に少し面食らったりんご先生であったが、吹雪になりそうに無いならばと考え、残ることにした。

窓の外では真っ白な雪が舞っている。大きなストーブにはのぞき穴があって、火が揺れている。

りんご先生は他の教室を見てまわることにした。

この学校にはクラスが2つしかない。1年から4年生をまとめたクラスと5、6年生のクラスである。

しかし教室は1階と2階に2つずつあり、普段は1階の教室2つが使われている。

りんご先生は暗い階段を下りた。廊下の電気はついていない。踊り場にある窓からの光がやわらかく階段を照らしている。

低学年がつかう教室の扉を開くと、青い水に藻が揺れる水槽が見えた。ここではネオンテトラを飼っている。

カーテンを閉め切った暗い部屋の中では青い水槽の照明はひときわ明るく見える。そばにある小さな餌入れには子供のつたない字で「1日2回まで、当番を守ること。」と書かれている。りんご先生はほほえましくなった。これは3年生の女の子が書いたものだ。むやみに餌をあげたがる小さな子供たちをけん制するためのものらしい。

眼をこらすと教室にはいたるところに小さな決まりが張ってあるのが見えた。掃除用具入れには「ちゃんと戻すこと!」とある。掲示板横には「画鋲で遊ばない。」教卓の小さなライトスタンドには「つけっぱなしにしないこと。」と張り紙がある。りんご先生は小さく声を立てて笑った。これはりんご先生の癖をいましめるためのものなのである。

黒板の上にはげ ん き に あ い さ つと大きな張り紙があった。楽しそうに部屋を見渡していた先生がその時突然硬直した。

黒板の張り紙のすぐ右を見たときである。そこには時計があった。11時30分を過ぎたところ。

11時30分?

りんご先生は急いで廊下に出た。窓からは白い光がそそいでいる。おかしい。なぜ暗くならないのか。

窓の外はもう一面の白でわずかも見えない。それでいて雪も見えない。まるで窓の外には何も無いかのようだ。

下駄箱へ向かう。大きな玄関口からは白以外は何も見えない。ガラス戸をあけようとしてみるが、固定されたように動かない。

その時、今しがた出てきた教室の扉が開いた。りんご先生は戦慄した。誰もいなかったはずなのに...。

かさり、かさり、と乾いた音が聞こえる。こちらへ近づいてくる。りんご先生は振り向かずに急いで階段を上り始めた。

暗い階段をかけあがる。いつもより段差が多いように感じる。2階に着くとくしゃみが出そうになった。足元からなにか立ち上ってくるようだ。

さらに急いで3階に上がる。職員室に立てこもろうと考え、扉を開けた瞬間、眼に痛みを感じた。

職員室に恐ろしい量のほこりが積もっている。1年や2年ほうっておいたという程度の量ではない。扉を勢いよく開けたせいで視界がかすむほどのほこりが舞っていた。

かさり、かさり、と音がする。もう逃げ場になるのは屋上しかない。またりんご先生は階段に戻って上り始めた。

太った体にムチを打ち、暗い段差を出来るだけ早く上っていく。音はより近いところにきている。不自然なほど多い段差を上るとようやく屋上の扉が見えた。

扉についた窓からはやはり白だけが見える。身に着けていた鍵束から屋上の鍵を探しあて、鍵穴にさしこんだ。

開かない。

暗い中で鍵を間違えたかと思い確認した。しかし何度見ても屋上の鍵で間違いなかった。どれだけ鍵穴を回しても扉が開かない。

かさり、かさりという音はすぐ下の階から聞こえる。半狂乱になってりんご先生は扉に体当たりし始めた。

蝶番がきしんだが、扉はなかなか壊れない。音は着実に近くなってきている。りんご先生は真っ赤になって体当たりし続けた。

音はもう下の踊り場まで来ていた。りんご先生は階段を見ないようにしながら、最後に思い切り体をぶつけた。

蝶番がはじけてとんだ。りんご先生は勢いあまって前に飛び出した。起き上がって周りを見た。屋上から見える大きな木を伝って逃げるつもりだった。

しかしフェンスの外には何も無かった。白い平坦な空間がただ広がっていた。乾いた音が後ろで聞こえた。濡れた重いものが肩にのせられた。

りんご先生は振り向いて絶叫した......。

りんご先生は次の朝、屋上で凍えているところを発見された。前日は記録的な吹雪になったこともあり、宿直である彼から何の連絡もないことが心配されていた。何が起こったのか聞いても「覚えていない」とだけ答えていたという。

病院から帰ってくるとりんご先生はあとかたもなく痩せていた。少し無口になった。しかし変わらずに温和であった。りんご先生の事件があってから、宿直は2人ですることになった。

りんご先生はその後、10年ほど同じ学校に勤め、生徒や同僚の教師に惜しまれつつ他の学校へ去った。

りんご先生はその学校にいる間ずっとあだ名で呼ばれ続けた。しかし、太っていたころを知らない生徒や教師は、彼のあだ名を不思議に思ったそうである。

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面白かったです!
田舎の学校っていうだけでなんかワクワクしますけど
さらに宿直〜
謎が多いだけに想像を掻き立てられますね

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