中編4
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コピ・ルアク

「コピ・ルアクって知ってる?」

家で妻が作ってくれた夕飯を食べていると、目の前に座った彼女が、そう話しかけてきた。

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今夜のメニューは、カレーに、付き合わせのピクルス、バジルを混ぜ混んだお手製ウインナーにサラダ、それにコーヒーだ。

妻は大のコーヒー党で、彼女に付き合っているうちに、僕もコーヒー無しでは生きられない体になってしまった。

夕食の時でも、コーヒーが欲しくなる。

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「コピ、なんだって?知らないなぁ、なんのことだい?」

僕はウインナーを頬張りながら、妻に応える。

ジューシーで薫り高く、とても旨い。

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「コピ・ルアクはコーヒー豆の一種よ。

とっても美味しいんだけど、希少で、ちょっと高価な豆なの」

妻は得意気な顔になって言った。

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「インドネシアの島々で作られていて、『コピ』はコーヒーを表すインドネシア語、『ルアク』はジャコウネコの現地での呼び名よ。

直訳すると『ジャコウネココーヒー』になるのかしら」

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ふうん――カレーライスを口の中に掻き込んで、モゴモゴと相づちを打つ。

カレーもレトルトではなく、凝り性な妻の手作りだ。体中の汗腺が開くような辛さ。混ぜ込まれた各種スパイスの薫り。旨い。

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「このコピ・ルアクなんだけど、ちょっと変わってるの。

このコーヒーが持つ、独特の複雑な香味は、ジャコウネコのおかげで出来上がるのよ。

というのは、ジャコウネコが餌として食べたコーヒーの木の果実、その『消化できずに身体から排出された』種こそ、コピ・ルアクのコーヒー豆になるからなの」

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それってつまり――僕が口に含んでいたコーヒーをゴクリと飲み込むのと同時に、妻が言った。

「そう、コピ・ルアクはジャコウネコの糞から出来てるの。」

彼女はどーだ、といった表情で笑った。

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「一説には、ジャコウネコの腸内にある消化酵素や、腸内細菌による発酵のおかげで、コーヒーに独特の香味が加わると言われているの」

何が本当かはよく知らないけど、と最後の最後で主張をぼやかす妻だった。

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「で、お味はどう?」

「これ……そのコピ・ルアクなのかい?」

ニンマリ笑う妻。

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確かに、これまで一度も飲んだことのない味と香りのコーヒーだとは思った。

僕は嫌いではないが、好き嫌いが別れそうな味だな、と思った。

猫の糞から出来ている、と言われても、コーヒーの形で出されるなら抵抗もなかった。

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「私もあなたも猫好きだから、このコーヒーにも舌が合うのかもしれないわね。

好きなモノの身体から出てきたモノなら、美味しく感じるのよ、きっと。

ところで、今日のソーセージ、美味しい?」

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妻が笑顔で訊いてくる。

妻の手作りソーセージ。

分厚くて、噛むとたっぷりの肉汁と、練り込まれたバジルの香りが口の中に溢れ出す。

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「……美味しかったよ」

僕の皿の上に三本出されたソーセージ。そのうちの二本はすでに胃の中だ。

そうよかった、と妻が微笑む。

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「私、頑張って作ったのよ?まだおかわりあるから、たくさん食べてね。

ところで、ピクルスはどうだったかしら」

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キュウリに人参、セロリにミニトマト。

妻が手製で漬けたものだ。

ほどよい発酵具合。

食べやすいように、小さめにカットしてある。

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「……美味しかったよ」

皿の上にはミニトマトのピクルスだけが残っている。

あとはすでに胃の中だ。

そうよかった、と妻が微笑む。

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「ミニトマトは形が崩れないようにするのが意外に大変なの。残さず食べてね。

ところで、カレーはどうだったかしら」

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体中の汗腺が開くような辛さ。

混ぜ込まれた各種スパイスの薫り。

細かく砕かれた具材。

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「……」

うつむいた僕の顔を覗き込む妻。

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「あら?美味しくなかった?」

「……いや、美味しかったよ」

重くなった口を動かし、なんとか応える。

そうよかった、と妻は微笑んだ。

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「なあに、黙りこんじゃって。

あ、もしかして、今日出した料理を私が……コピ・ルアクしたと思ってる?」

僕はじっと彼女の顔を見つめる。

妻はそんな僕の顔を見て、プッと吹き出した。

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「やだなぁ、そりゃ、話し出したタイミングとメニューが誤解を招いたかもしれないけど、あなたに出す料理にそんなことしないよぉ」

くっくっと喉を鳴らして笑う妻。

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「キッチンに証拠もあるから、あとでちゃんと見せてあげる。

やだなあ、青い顔しちゃって」

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「違うんだよ……」

そう、違うのだ。

僕が気になっているのは、テーブルの上に並んだ料理のことじゃない。

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自分だけデザートにコーヒーゼリーを食べている妻に尋ねる。

「……それ、美味しいかい?」

「ええ、美味しいわ」

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「……それ、いつ作ったんだい?」

「今日の昼、あなたが会社に行っている時よ」

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「……君、昨日の夜、『精が付くのよ』って、僕に無理矢理何か飲ませたろ。

……あれ、コーヒー豆じゃあなかったかい?」

「コーヒー豆だったわ」

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「けっこうな量だった。おかげで胃の中がゴロゴロしたよ」

「大変だったわね。あなた、寝ながらうなされてたわよ。可愛かったわ」

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「おまけに今朝はトイレが詰まっていたのだったね」

「詰まっていたわ。間の悪い故障ね。もう直っているわよ」

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「……それ、美味しいかい?」

「美味しいわ。

それに良い香り。

大好きな人から出てきたモノは、きっと美味しく感じるのよ」

そう言って、妻はコーヒーゼリーを口に運んだ。

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