長編15
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双子

※はじめに警告しておきたいのは、記述のすべてが実話であるということだ。どこまでも救いがなく陰鬱な話である。マゾヒズム的刺激を求めない人はすぐにフェードアウトしてほしい。ーーーサイコパスは異常人格の王さまだ。思春期のころ書店で開いたジョセフ.ダンの著書をみて、ふ~ん。平気で人を騙し、おなじ泥棒仲間でも利益のために騙し合う。

パロディだな…。当時は"変態についての記事"にご執心であの日まで、たんなるキーワードとして、おぼろに脳の片隅で眠っていた。奴は残酷で、無慈悲で、作為的であった。ある女性はそれまでの貯金を失い、中絶し、出会った人間はみな不幸になった。

ーーーあの玄関チャイムがすべてのはじまりだった。柔らかな風が吹き、わずかな金木犀の香りが漂う、いつもの午後。短期大学に入ったものの、実際はなんの目標もなくひたすら憂鬱だった。昼ひなかから布団でごろごろしているのがまさに心境を表している。たまに鳴る玄関のチャイムは、ほとんどが母親の宗教関係者だと知りつつ、真っ先にドアを開ける。昔は友人が訪ねてきてくれたけど、内向的な性格からか、いまは友人は一人もいない。それを知りつつ玄関の外に広瀬や山岸が立っているのを想像する。

母親は働いていないので家にいる。テレビゲームでもするかな。熱中していると、玄関チャイムが鳴った気がする。母親がいるしな…。川東さんか石橋さんあたりだろう。この日は珍しく応答にでた母親の声があまり聞こえない。耳をそばだてた。突然母親が部屋の扉をあけて、そっけなく「良太…東君」ついでにこの家にはプライバシーもない。

玄関の外には、小学生時代の面影を残した東がたっていた。

茶髪で、ジャケットにデニム姿。どこにでもいる十八歳の少年の出で立ちだ。

服のバランスに少し違和感があるのは、何かの気のせいだろう。しかし、無精髭をたずさえた顔立ちは少し暗く、すぐさま例えようのない不安を感じた。

「やあ、良太、ひさしぶりだね」

「おう…」

こいつは何か悩みを抱えている。なぜかすぐそう思った。

「前に家へ何回か訪ねてきてくれてたってばあちゃんから聞いてね…」

東は16歳で家をでて消息不明だった。昔から少し変わっていたのかもしれない。同級生たちは東の"変わったところ"を嫌悪していたふしがある。一方ぼくはよく遊んだ。

土曜日のお昼、インスタントラーメンを作ってあげたら、「ありがとう!一生友達でいようね!」

そんな東が嫌いではなかった。なにより、お互いに友人がいなかった。

ぼくは感極まっていた。

ああ、こいつは行方不明になったあと、心配して家を訪ねたことをを覚えてくれていて、律儀に顔をみせてくれたんだ。

さて読者のみなさまはザルのようなぼくの感性をアホだと感じるかもしれない。当時を思い返せばぼくも歯痒い思いだ。東は16歳で暴力団となり、関係者とトラブルをおこして地元に逃げ帰ってきたのだ。両親とは疎遠。頼るあてがなく、暮らしは行き当たりばったり。行きずりの異性と関係を結んでは金をつくり、住みかを点々としていた。

「へえ、良太短大行ってるんだ」

「ああ、まあね」

タバコに火を付けて答えたあと、なにもいう言葉がないことに気づく。ぼくは感情表現が乏しかった。高校の時うつ病になり、少しそれをひこずっていた。変に見られたくない。短大でも家にいても防衛意識でいっぱいだった。

間をおいて東がいった。「良太格好よくなったね。無邪気なイメージしかないもの。」

でもさ…。

「俺と二人きりのときくらい、そういうのやめようよ」

こころがほぐれるのを感じた。これまで、後ろめたい思いで何年も鍵をかけていた気持ちを見透かされた気がした。

(数年間の行方不明ねえ…。)東は大人しく猫のようにぼくを眺めている。母親は事態をよく思ってないが、深刻に考えるのを辞めようと決めた。じぶんに知られたくない心の秘密があるようにこいつにも話したくない秘密があるだろう。風のウワサでヤクザになったと聞くけれど、こいつが何者であれいい奴であることに変わりないのだ。

とはいえ正直いま一つ現状の整理ができずに、戸惑っていた。ふいに東が口を開いた。

「俺がヤクザやってたこと知ってる?」こちらの心中を察したのか。

「うん」

内心、やっぱりか。

「でももう辞めたし、仕事を探したいって思ってる。親切にしてくれてありがとう」

一円も持ってないものだから、弁当を買ってやった。

「みんなそれぞれ色々あるさ」

ぼくは恥ずかしくなるようなセリフをいったかもしれない。

「良太」

東がふいにいった。

「俺も短大に遊びにいきたい」

微妙な空気を払拭しようと話題を考えている最中だった。換気窓の隙間から刺さるような風が入ってきて、どこか体を冷たくさせた。

「それは無理だよ」

平静を装おっていたが、乏しい感情の一部が強く反応した。東は、中卒である。だから次は高校へいかねばならない。やんわりとその旨を伝えた。初めて東を見た時に感じた違和感。それが強くなりつつある。

東は

「だから、遊びにいくんだよ。勉強嫌いだから」

そして驚きの言葉をいった。

「良太の双子の弟ってみんなには説明してよ。二卵性の双子なら似てなくてもいいんだから。」

その瞬間ぼくの中でなにかが崩れる音がした。ぼくは悟った。家出、両親との不仲。突然の行方不明の背景を感覚的に。東と友達とか、孤独さとか、なんでもいい、共有できるなにかを築きたかった。悟ったことはぼくの独断だ。乏しい感情から独断に至った。途方もなく悲しかった。確かに感じた東の違和感は、ぼくにあって東にはないなにかの欠落を証明している。

「じゃあ明日ね」

きわめて明るい東は、数時間まえ玄関を開けた時とはまるで別人だ。当分の食費を渡した。どこに帰るのだろう?実家しかないだろう。じぶんの中でこれまでの話の統合性を計ることが、恐ろしいタブーに触れるような気がした。不安の波が押し寄せるなか、声を聞いた。退屈な日常が破壊されることを望む無意識の心の声だ。

朝早く携帯が鳴る。

「良太、おはよう。今から遊ぼうぜ」

東だ。

昨日連絡先を教えたのだった。

「俺んちへ来いよ」

という東をさておき、携帯の画面を見ると、何度も何度も掛けてきている。実家の事情には触れないで

「いいよ」

とだけ返答すると、またしても不意討ちをくらった。

「姉ちゃんも連れてこいよ」

東は幼少期に家とは交流があった。姉が小5のとき、足の不自由な姉を父親が自転車で送っていたら

「咲希ちゃ~ん一緒に帰ろう」

後ろから東が走ってきた。満面の笑顔。後で父親がそのとき、東は不良に追いかけられていたといった。

う~ん。東が姉を知らないわけではない。だけどそれも何年ぶりだよ…。

一応姉にお伺いだけたてとくか…。

姉は昨日の事情を知っていた。「私足が悪いから…。」

断りかたを知っている。

もろもろ説明すると

「大丈夫。俺がおんぶしていくから」

さも当然のように答える。再三無理だと繰り返すと、ぼくが東の家に遊びにいく話自体がなくなり、短大へいく話になった。それまでーーー姉を東の家に連れていく話を蹴っただけで凄い労力だ。

短大行きに対して納得したのではない。外交のように手をうったのだ。電話の向こうから聞こえた東の声は明るさと、命令口調が重なって聞こえた。

結局昨日1日のことを考えなおすとすべてがバカらしく思えた。なにが嘘で本当か、やっとこさ想いを馳せてみた。東の明るさの奥に、もともとなにも存在しなかったような虚無感が居座っていて、身震いする。

当日の東は昨日とうって変わり、ハンティング帽子に、ニットのセーター、革靴姿だった。印象は爽やかな二十代の青年だ。またもやちぐはぐな服装から、別々の誰かからの貰い物だろう…。見当をつけた。

ぼくの自転車に二人乗りで、短大へ向かった。途中東が"服が見たい"と言い出し、値段が高めの服屋へ入った。東はなん着か試着した。もちろんどちらも服を買うだけの金は持ってない。たまにいくぼくの昼間のアルバイト料も雀の涙だ。試着が終わるまで、少しの間色々と考えていた。本来はバイトか、学業かどちらかに力を入れるほうがいい。普段から感じながら、なにをやってるんだか…。

短大へ向かうまで東はなにやら、好きなアーティストの話をしていたが、一人で喋り続けていた。ぼくはほとんど聞いていなかった。短大へ着いたら、こいつと兄弟だ。こいつなら、飄々と学校ではお兄ちゃんと呼び、外では良太とこともなげに使い分けるだろう。

いやいや、バレるって…。でも

「二卵性だから」

押し通すつもりだ。それでも、彼女の美紀の感は鋭い。のっけから信じないで笑っている顔を想像できる。

説明はどっちがするんだ。信じてもらえたとして、どのみち

゛共犯゛という文字が浮かぶ。

日常への破壊欲と平行した罪悪感の天秤がカタンと傾いた。やばいぞ…。続いて東の経歴が元ヤクザだと思い出す。いつかバレるかもしれない。いや、じぶんでバラす可能性がある。街へ入ると短大はもう目と鼻の先だ。

自転車のうしろで喋り続ける東の声がノイズのようになる。ぼくは静かに内向していく感情を見つめていた。

◯◯短大は女子短大と併設していた。夜は社会人も通う一方、昼間は女子生徒がちらほらしている。後に東はぼくの知らないうちに女子大の生徒と関係を持っていた。突然家に女連れで遊びにきて、彼女だと紹介された人物が女子大の生徒だと聞いてびっくりした。校舎に入り、途中先生方とすれ違ったけれど東に異変を感じる人はいなかった。だけど内心、犯罪者に弱みを握られている心境だ。そこまでの無茶をしないだろうと東の性格に期待してしまう。

ゼミの和也と武司が現れると、東が前に進み出た。

「弟の良二です。」

和也も武司も同い歳。十代の好奇心がすぐに、我々を結びつけた。内心ホッとした。ぼくが兄弟の説明をしなくてすんだこと。また東の人と接する雰囲気は、人慣れしてるようで、凶悪な暴漢の一面はみえない。心配が過ぎたか…。ただ慣れ慣れしいようにもみえるのだけど。二人からは良二良二と、ぼくの弟として可愛がられた。

良二は良太の弟として、ぼくの自慢話をする。閃いた嘘を繋いで即興で提供する。騙された人間をみて、初対面ならぼくも騙される。果たしてもし嘘を指摘すれば、「あれ~バレちゃったか」

で終わるかもしれない。存在がカメレオンである。他の人間には正体を知られず、その正体をぼくだけが知っている。それでも、東から兄貴、兄貴と呼ばれるうちに倒錯してしまう。和也と武司というゼミ仲間が良二を介して友人となり、四人で十代らしい話で盛り上がる。偽りが端を発し、ゆえにこの関係が存在すれど、ぼくは幸せだった。

だが東の異常性に二人が気づきはじめるのは一瞬であった。

偽りとは現実のどこかにヒビが入っているのだ。東の人間性を信じたいという願いも十分身勝手な思惑だったのだ。ヒビは結果として裂け目を大きくし、器を破壊する。

和也と武司と座っていたら、なにやら紙を握った東が現れて、

「替え歌を作ったよ」

二人と東が合流して、三日目、当時流行った"お魚天国"の替え歌を作ったらしい。

"かずや、かずや、かずや、かずやを殴るとたけし、たけし、たけし、気分がよくなる~さあ~みんなでかずやを殴ろう~"

歌は第三章まである。満足げにゲラゲラ笑う東。ぼくの目の前に静かな暗さが近づいてくる。和也と武司は黙っていた。

目の前には東でも、良二でもない、ぼくをただ兄貴と呼ぶ男がいる。

暗さはどんどん膨らむ。懐かしいうつ病のような闇へと変化を遂げていた。

通り過ぎる学生たちの多くがぼくらを振り返っている。もうすぐ授業が始まる。

静かになった学舎の外、東の興奮を抑えようともしない笑い声だけが生々しく響いていた。

短大のグラウンドにはテニスコートの横に体育館があり、女子大生や民間の団体が使っていた。心地よく響くテニスボールの音、側を通りながらバスケシューズの踏み込みを聞くと、高校時代との違いを思った。

あの頃もこうして、校舎裏を自由に闊歩したけれど、気持ちが深く沈んでいた。黒い学ランも、掛け声をかけて走る野球部員たちも、すべてが寂しさのまえにおぼろに滲んでいたものだ。

環境という意味では家も機能不全だ。気がつけば宗教に入信してたし、両親といつもどのような話をしてたか、頭のなかで曖昧になる。曖昧な頭で東の暴挙と、環境の接点を無意識に探しているじぶんがいた。だけど現れるのは

居場所を探してあがくじぶんの姿。常になにかに立ち向かっている。

東も孤独だったのだ…。倒錯にすぎないと知りつつどうしても東の存在を否定しきれずにいた。

夜が来る。学生の波がゆるやかに校舎へ向かう。その中にまぎれるように東の顔がある。

「兄貴、きょうは二階の教室だったよな」

心理学の講義だったと気づく。東はある日を境に学生の一人として講義を受けていた。人が消えた休憩室で一人、タバコを吸っている時間に飽きたのだと思う。

東を部外者だと告げ口する人間は現れなかった。その事ではじめはぼくが一番訝しんだ。周りはぼくたちを兄弟だと耳に挟んでいるかもしれなかった。バレないかな…。スリルを感じないでもなかったが、半分面白くない事態だ。東が学内でなにかやらかしたら………。

「兄貴」

後ろに座る東が、小声で囁く。ときどきみなの前で間違ってぼくをお前と呼ぶけど、板についてきていた。それだけは安心要素だった。

「明美かわいいよな。きょう告白するから付き合ってよ」

一瞬状況がわからなかった。明美さんは三歳歳上の明るい人だ。一年の間に休憩室で一緒になるけどそれしか情報がなかった。東と明美さんはきょうが初対面である。ぼくの弟を名乗り休憩室で10分くらい話してるのを見た。

いくらなんでも…。

口にはださず間抜けな言葉発してしまった。

「一次限目で明美さん帰ったんじゃないかな」

すかさはず東が「きょうは西内たちと8時に飲み会にいったんだよ。兄貴携帯あるよね。後で貸してよ」

息を吐くように、さらっという。ぼくにはそんな風に響いた。

「少しだけなら」

少しで終わる話ではない。そうわかっているけれど、帰りも一緒なんだよな…。

講義が終わると、短大近くの公園に立ち寄って、西内なる人物に電話をかけはじめる。そもそもなぜ東が西内の番号を知っているのか、理解できずにいた。夜のしじまにコール音が鳴り響いた。西内が電話に出た。二人は話だしぼくは蚊帳の外だ。通話のやり取りが進むにつれ、東がひどく興奮していくのがわかった。

明美さんは東を怖がっており、西内がとにかく状況を諌めているのだとわかった。

前触れもなく

「いいから明美を出せ!」

東の怒声が響き渡った。そこからはとまらなかった。

俺がヤクザやってたの知ってる?…。子供が親にいえない秘密を打ち明けるように語った東の言葉。俯瞰した現実が胃におちていくのを感じた。

「テメエ、ただですむと思うなよ」

ドスが利いている。

(環境要因…)

蚊帳の外から事態を静かにみつめるしかできなかった。東への倒錯はもう存在しない。これは事件だ…。鈍い頭が理解をはじめたがとめることができないでいた。

とまらぬ怒声。西内の細いノイズと、ノイズを引き裂く明美さんの

「怖い怖い」

という叫びがこれまできいたことのない一つの楽曲のように、ぼくの頭に形造られていた。

その夜を境に東は頭を金髪に染めた。

やたら獰猛な日もあれば、ヘラヘラ笑っている日もあった。

精神がまるで舵を失ったかのようで、あるいはもともとそうであったのかもしれない。

そのままの勢いで、短大の女性徒数人に言い寄って、

「私、良ニ君に犯されたの」

講義の後で朋子さんという女性に呼び止められて、告げられた。…声をかけられた理由はわかってる。良ニがぼくの弟で、ぼくが兄だからだ。違和感なくこの頃はそんな意識も慣れっこになっていた。

一緒に警察にいきましょう…。

本来なら諭すべきだけど、朋子さんが

「やっぱり寂しいって気持ちがあるじゃない」朋子さんは瞳が大きい美人だったが、どこか不健康な雰囲気をもつ人だった。

「うん、わかるよ」

それは本当だ…。

「朋子が私と別れたら死んでやるって言うからさ、俺と別れてから死んでって答えたよ」後に東が自慢げに語っていた。

彼女は東の子をはらみ中絶し、貯金も全て失った。失っても東と一緒にいた。東は母親を知らない。東が覚えているのは二人目の母親との記憶だけだ。いつもなにかに復讐するかのように一瞬の刺激だけを求めていた。

本人は認めなかったけれど東は孤独だった。そしてぼくも、朋子さんも抗い難い孤独のために、東という孤独な怪物と鎖で繋がったのだ。こいつなら現実を破壊してくれる…。ぼくは内心ではそんな期待を東に抱いていたに違いない。

ぼくの復讐心はうつ病でも、社会でもなく、常にじぶん自身に向いていたんだ。

ーーーーどこ吹く風に

「良ニがヤクザを語って女を脅してるぞ」

交友関係は繋がっている。おなじような話が人を介して回ってきて、和也からも「良ニのことだけどさ…」

知ってるけど、話を聞かないわけにいかない。やっとこさ事態を収集させた頃には、次のマッチが擦られている。

(良ニ)…一人になって、空虚な名前が宙に浮かぶ。あのとき結果てきにヤバいことになる…。予感したつもりだけど、これは劇だな…。擦られるマッチをぼくはどこかで期待していた。

事務員の横田さんは通路を歩く学生を日々観察していた。十分に東を怪しんで学長に報告すると、

「君はうちの学生じゃないね」

たちまちバレてしまった。東の怒りがみるみる膨らんでいく。それが新たな火種だとわかる。東は学長と横田さんに激しく凄む。そのときぼくの頭に信じられない言葉が浮かんだ。(もっとやれ…。)

なぜそんな言葉が浮かんだかわからない。東は凄みながらじぶんでもどうしていいかわからない。

「俺に土下座して謝れ」わめいている。

小さな頃からぼくの中にもう一人のぼくがいる。

火種をぼくももっている。うっすらふに落ちつつ。確かな現実を見据えていた。もう学校にはいられない。

彼女の美紀はぼくと同期でありながら五歳年上で昼間は社会人である。和也たちと短大で学生生活をしながら、二人きりで街へ繰り出すと、大人の世界が広がっていた。彼女はぼくよりはるかにたくさんの飲み屋や、遊ぶ場所を知っていながらぼくを十代扱いしなかった。愛嬌があり、美人ではないものの、笑顔の端の八重歯がかわいい。ちょうど゛学長との騒ぎ゛の頃のことだ。「私結婚することにしたの。良太くんは十八才だからこれからだわ。」

美紀はざっくばらんだから驚かない。代わりに、スマートだな…。

美紀の洗礼があったものだから、東の男女関係がひどくお粗末なものに感じてしまう。

終始ぼくは訳知り顔だった。朋子さんが東に殴られるのを知りつつ、一方で男女の関わりに介入するのは野暮なことと固く信じた。繋がりにおける大切な部分は他人なんかに絶対わかりっこないんだ。この辺りにぼくなりの事情がある。

肌寒い季節がやってくる。コートのポケットに手を入れると、高校の教師の顔が浮かんだ。次に、東の顔、そして勉強を迫る親の顔が現れる。思案していると、からだが冷たくなるのをぼくは感じた。学舎にじぶんを縛る事情はなくなっていた。

ぼくには車に関しての知識はほとんどなかった。ベンツといえばヤクザが乗る車くらいの感じだ。写真からベンツなのかプレジデントなのか判断しろといわれれば自信がない。短大をやめて3ヶ月後、ぼくと東は港にいた。三人の男と一台のベンツが止まっていた。そのことを後の担当刑事に説明した。

東がヤクザというのは嘘で、とある組の名前を使って人を脅していたのが組員にバレたのだ。

男の一人が玲央に向かっていう。

「ご苦労さん。おまえは帰っていいよ」

玲央は泣きながら帰っていく。彼女が乗ってきた軽ワゴンの音が遠ざかると、回りは恐ろしいほどの静けさに包まれた。冷たいアスファルトの上にぼくと東は正座している。木刀を持つ男たちはぼくたちを囲んでいて、逃れられそうにない。

玲央は東が付き合った彼女のなかで、東よりも一枚上手だった。初めて東の暴力を受けて、すぐさま

「私、彼氏にDV受けてるの。ヤクザだっていうんだけど、田中くんの知り合いに話つけてくれる人いないかな?」

悪い友達に電話をいれた。それだけでいい。後は連中にまかせておけば万事別れることができた。一仕事あるとすればデートを装いみずから港まで、東を誘いだすこと…。事情をまるで知らないぼくは、最悪のデートに付き合ってしまった。

東は「勘弁してください。勘弁してください。」

泣いて繰り返している。学長事件の時のように、往生際が悪い…。

ぼくはどこか冷静だった。目の奥で小さな火種を見つめている。火が炎と化していく様に悠然と見いる心境。ただでは済むまい、そう理解しているのだけど。

その横で東が確かに

「良太ごめん」

というのを聞いた。

あれも演技だったのか、ぼくは無事に帰された後も考えた。東は連中に袋叩きにあった後、近場の工場へ逃げこんで翌朝出頭した。

同じ頃ぼくはどこへともなく、車を走らせていた。

…頭の中では、炎が焼きつくした残骸の印象が繰り返し現れて、消えた。

ビールを一本飲んでいた。車はどこへ向かうのかわからないけれど、教師の顔も親の顔も東の顔も浮かんでこない。とても愉快な気持ちだ。なにもかもはじめから望んでいたかのように。

…いつからだろう…ぼくの中にもう一人のぼくがいて、そいつはぼくに似ていない。

東のことばを思い出す。

「二卵性の双子は似ていないんだと。」

あらゆるものが破壊されて、形をとどめないというのに可笑しくてたまらない。この日のぼくの笑い声は、腹の底から登ってくる本能的なものだった。

終わり

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