長編9
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削(ケズル)

その夜も俺は自宅のマンションで海外ドラマに夢中になっていた。

ふと壁の時計に目をやると時刻は1時を回っていた。

「やべっ明日も仕事なのに」

俺はリモコンに手を伸ばすとテレビの電源を切った。

先ほどまでドラマの銃声が響いていたのに、それが無くなるとこんなにも静かなのか。

「まぁもう2時前だしなー」

独り言をつぶやきながら重い腰をのそりとあげ、部屋の照明を消した。

自分の寝室は今いる7畳の居間からハシゴを登ったロフトにある。

寝室というか、本来は物置に使われるようなスペースに布団を敷いただけなのだが。

真っ暗の部屋の中、当然ほとんど何も見えないのだが、

ここでの生活も1年が経ち、今や真っ暗な中でもハシゴを上り布団にもぐりこむことぐらい簡単にできるようになっていた。

手探りでハシゴに手をかけギシギシと上る。

寝室は4畳という狭さなので、上ってしまえばあとは目の前が布団である。

俺はいつも通り布団がある方向に向かって飛び込んだ。

次の瞬間俺は布団から弾かれたように飛びのいた。

あまりに驚きすぎて声も出ない。

飛び込んだ布団の中に何かがいたのだ。

いたというか横たわっていた。

俺が飛び込んで全身で着地した感触が、明らかに布団をかぶった人の上に着地したそれとそっくりだった。

「ちょ、え・・?」

自分の勘違いなのか・・?枕が布団の下に入っていたとか・・?

いやそんなはずない、今朝ちゃんと枕も布団も整えたじゃないか。

それに何より・・・

俺は自分の手に残る感触に意識を戻した。

布団から飛びのく際に、この手は確実に人の頭のようなものを触ったんだ。

俺の右手に、髪の毛を掴んだワシャッとした感触がはっきりと残っている。

俺は慌てて電気をつけようと自分の背後の壁に手を伸ばした。

「あれ・・あれ・・?」

すぐ後ろに照明のスイッチがあるはずなのに、いくら手でまさぐってもそれらしきものに触れた感じがせず、あるのは壁紙のざらざらとした感触だけだ。

俺は軽くパニックに陥っていた。

とにかく一回部屋を明るくしてその正体を確かめたい。

人なはずない。だってさっきまでこの部屋でずっとドラマ見てたんだぞ俺は・・

人なはずないけど、他に説明が思いつかない。

俺の呼吸は荒くなる一方だった。

そんな俺の見つめる視線の先、布団の上で何かが動く気配がした。

俺は思わず息をひそめた。

動いた確証はないが、そんな気がした。

暗闇に僅かにぼんやりと浮かぶ布団の輪郭。

その上に感じていた空間の密度が変わっている気がする。

先ほどまで寝ていたものが、上半身だけ起き上がっているような・・・

部屋が真っ暗なせいで、全てに確信が持てない。

しかし次の瞬間ーーー

ぱきぱきっ

まるで関節が鳴るような音が布団の上でなった。

俺はハシゴを半ば転がり落ちるようにかけおりると、カーテンを開け放った。

外から微かに明かりが入り部屋中を照らす。

ロフトを見上げた俺が見たのは、ロフトの柵から上半身を乗り出すようにしてこちらを覗く女の姿だった。

「うわぁぁあぁぁああ!!」

俺は叫びながら玄関に向かって走った。

その俺の背後でドンッと何かが落ちる音が響く。

ロフトから女が飛び降りてきたのだと想像がついた。

俺は後ろも振り向かず裸足のまま外に転がり出ると、夢中でマンションの廊下を走った。

俺の部屋は角部屋で最上階の12階。

何かから逃げるには最悪の条件だった。

廊下をエレベータがある端まで走り、エレベーターのボタンを押す。

エレベーターの現在位置は、1階だった。

「クソ・・・早くしろよ・・・」

意味はないとわかっていながらも、俺はエレベーターのボタンをガチャガチャと連打した

2階・・・3階・・・・

なんでこんなに遅いんだ。

俺は咄嗟に後ろを振り返った。

廊下の一番奥、自分の部屋の扉が丁度開くところだった。

俺はなぜか目を離すことができなかった。

ゆっくりと開け放たれた扉。

そこから鼠色に濁った細長い脚がまるで部屋の中から生えるツルのように伸びると、指先からじわりと地面を踏んだ。

出てくる・・・追ってくる。

形容しがたい恐怖が俺の中を駆け上がった。

エレベーターの表示を見ると8階だった。

俺がまた廊下を振り返った時には、女は完全に廊下に出てきていた。

四つん這いの体制でこちらに構えたその体は腐敗し、いたるところに赤黒い血が滲んでいた。

開いた毛穴から脂が浮き出ているのか、全身が廊下の緑がかった蛍光灯に照らされてテラテラと嫌な光を放っている。

びたん

女はゆっくりとひじを伸ばして手を前に着くと、そのまま体を引き寄せるようにしてずるずると前に進んだ。

何よりも俺をゾッとさせたのは、女が自分の顔を地面に擦り付けていたことだった。

ぐしゃぐしゃになった髪にまみれた頭はこちらを向くことなく、顔面をコンクリートの廊下に躊躇なく擦り付け進んでくる。

ジャリリリ・・・ジャリリリ・・・

見るに堪えないその光景に俺は思わず目を背けた。

ピンポン

背後のエレベータの到着音が鳴り、ドアが開く。

俺はすぐにエレベーターに飛び乗った。

その途端、今までのろのろと体を引きずっていた女がすっくと立ちあがった。

ギョッとした俺は急いでエレベータ―の「閉」ボタンを連打する。

『ドアが閉まります』

ドアが閉まり始めると同時に、女は信じられない速さでこちらに向かって突進してきた。

思わず俺はエレベーターの壁に張り付いた。

ぺちぺちと裸足で地面を蹴る音がすごい速さで近づいてくる。

女の腕がドアに届く寸前に扉は閉じた。

バンッッ

女はドアの向こう側にぶつかるように張り付いた。

エレベーターのドアの窓の向こうに張り付いた女の顔が見えた。

それはもう顔と呼んでいいものではなかった。

無かったのである。コンクリートに自ら擦り付けた顔はすべて削られたかのようにすり減って無くなっていた。

あるのは赤くぐちゃぐちゃになった断面と、目や鼻などのパーツがあったであろう暗い穴だけだった。

エレベータ―がゆっくりと降下を始め、女の顔は頭上へと消えていった。

俺は今の状況を飲み込むのに精いっぱいだった。

日常とは完全にかけ離れた出来事が、今、現在進行形で起こっている。

それにもしあの女に捕まったらと考えると、無事な結末が思いつかない。

そんなことを考えている間にもエレベータ―はゆっくりと下降を続ける。

とにかく1階に着く前に覚悟を決めないと。

あの女が待ち伏せしていたら、その時は終わりである。

でもそれを怖がって恐る恐るエレベーターから降りていたら、それこそ全ての可能性を自ら捨てることになる。

答えは一択だった。

ピンポン

エレベータ―が1階にたどり着いた。

俺はごくりと生唾を飲み込んだ。

ガコンと扉があいた瞬間、俺はエレベーターを飛び出て迷わず出口へと走った。

「うわああああああああ」

叫びながら出口の扉をぶつかるようにして開けるとそのまま道路へと走り出る。

振り向くなんてことはしなかった。

正確には振り向かずとも見えたのだ。

エレベーターを飛び出た瞬間、扉のすぐ横の非常階段から降りてくる女が。

俺はもう死に物狂いだった。

今までにない速度で住宅街を走り抜け、遠くにいつも使っているコンビニの明かりをとらえた。

エレベーターの中で、逃げ込むのはここだと初めから決めていた。

自動ドアの前まで来るとドアが開ききるより先に体をねじ込むようにして店内へと滑り込んだ。

「・・・いらっしゃいませ。」

凄い形相で入ってきた俺を、大丈夫かコイツといわんばかりの顔で店員が見た。

聞きなれた入店のメロディ。

店の外に女の姿はなかった。

ここで初めて俺は胸をなでおろした。

がっつりと「立ち読みはご遠慮ください」と表記された雑誌コーナーの前に立つと、俺はポケットから携帯を取り出した。

時刻は2時5分。

たった20分足らずの間に起きたことだとは到底信じられなかった。

メッセージアプリを開き、ここからすぐ近くのマンションに住むAにメッセージを送る。

『ごめん、起きてる?』

既読が10秒足らずでついた。

A『うい』

A『どした』

『今からAん家泊まっていい?』

『すごく急だけど』

A『まじで急だな笑』

A『いいけど明日仕事は?』

『普通にあるよ』

『色々あって、』

『後で説明する』

A『え、なにこわ』

A『まいいや』

A『俺すぐ寝るから早めによろしく』

『うん』

『まじありがと』

俺は土下座するキャラクターのスタンプを送ると、携帯をポケットにしまった。

さすがに朝までコンビニに居座るわけにもいかない。

幸い今日の宿も確保できたことだし、俺は意を決してコンビニを出ることにした。

何も買わずに出るのも申し訳ないと、炭酸水を購入し恐る恐るコンビニの外に出た。

コンビニの前には2人組のトラックの運転手らしき中年男性がタバコを吸っていた。

人がいるだけで安心感がまるで違った。

Aの家には5分もかからずに着いた。オートロックもないのでそのままエレベーターに乗り、Aの部屋がある5階へと向かった。

部屋の前に着き、インターホンを押すとドアの向こうからちょい待ち、とAの声が聞こえた。

床を踏み鳴らす足音の後にガチャリと鍵を開ける音。

お待たせ、とAが開けるドアが途中でガンッと止まった。

「あっごめん、チェーンかけっぱだっ・・・」

そう言いながら顔を上げたAの表情が硬直した。

「え、どした?」

俺が訪ねるも、Aの顔はみるみる青ざめ、次の瞬間バンッとドアを閉めてしまった。

加えて鍵を閉める音がする。

「ちょ、A!なんで閉めるんだよ!」

「待って待って、何いまの。」ドアの向こうからAの震えた声がする。

「無理無理無理無理無理、俺そういうのほんと無理だから。」

Aは泣きそうな声でしきりに無理と繰り返す。

「何が?無理ってなに?」

俺はまさか、と怖くなって後ろを振り返った。

しかし辺りには何もいない。

「開けろって頼むから。何もいねえじゃん」

「いやいるでしょ!顔どうなってんだよそれ!まじやめろよ!」

Aの口から出た「顔」という言葉に血の気がサーッと引いていくのが分かった。

「いや、え・・顔ってお前・・どこにいるんだよ、だって後ろも何も・・」

「いるだろ!上に!!」

俺はその場で硬直して動くことができなかった。

上・・・・って・・・

ゆっくりと視線を頭上へと向ける。

「ぎ・・・・・・・・」

Aは玄関の前でドアノブに手を掛けたまま小刻みに震えていた。

次の瞬間

「ぎゃああああああああああああ」

玄関の外で物凄い叫び声が響いた。

Aは思わずドアから飛びのき後ろに倒れこんだ。

「ぎぇっ、ぐあああぁあぁぎぃいいいいぃうぎげぐkyぎhちh」

外からこの世の物とは思えない断末魔が聞こえる。

その声と共にジャリジャリグシャリと地面に何かを擦り付ける音も聞こえてきた。

そのおぞましい音にAの体中が総毛立った。

「け、、警察・・」

あまりの恐怖に頭が真っ白になりながらも、居間にある携帯を取りに走る。

ベッドの上の枕元に携帯を見つけ、拾い上げようと手を伸ばした瞬間

携帯が消えた。

消えたというよりは、携帯が布団の中へと引き込まれたのだ。

布団の中から伸びた細長い腕によって。

Aはその場に硬直した。

目の前の布団から10本の指が覗く。その指はゆっくりと剥がすように自分の上にかかった布団をめくりあげていく。

白い布団とマットの隙間の暗がりに、ぐしゃぐしゃの髪の毛にまみれた頭とおびただしい量の血だまりが見えた。

恐怖で声も出ないAは、玄関へと這いずるように逃げる。

膝がガクガクと震え足に力が入らない。

這い上がるようにしてノブを掴み、ドアを開けて外に倒れこんだ。

ベチャアと床が赤いしぶきをあげる。

目の前に、まるでおろし金で削られたかのように変わり果てた顔の友人が転がっていた。

「うぅ…お前・・」

Aは泣きじゃくりながら血にまみれた亡骸の肩を揺さぶった。

「お前、なんで俺のとこに連れてきたんだよ・・・」

そう言い終わると同時にAの体は部屋の中へと引きずり戻された。

ガッチャンとドアが閉まる音だけが廊下に響いた。

Concrete
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