中編6
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前を向いてと言う約束

「ゴメン、無理。別れて」

「何でですか。理由を訊かせてよ」

「ムリなのはムリだから。逢おうとすんなら、まぢツーホーすっから。マヂゴメン、ムリにきたら仲間つれてくっから」

最後の言葉が脅しにも聞こえて、僕、真間義人(しんま・よしひと)は泣く泣くその理不尽とも言える振り言葉に、諦めざるを得なくなった。

「あっちから誘って来たのに、分かんねェよ………僕はキープ君か何かだったのかよ………いざ別れるってなると辛いわ………糞っ、自分がこんなに女々しいとは思わなかった」

思えば思う程に、悔しさだけが込み上げて来るので、暫く外に出るのも怖くなって来てしまった僕は、今日を境に数日外出は止(よ)そうと、籠城を決め込む前に、最後の寂しい外食として公園のベンチに座って菓子パンをがっつこうとする。

「御待ちなさい」

髭を蓄えた黒い背広の老紳士がニコニコしながら立っていた。

「え?」

「菓子パンだけでは、水分が取られましょう。珈琲の飲める場所に参りましょう」

僕は、見知らぬ老紳士に続く。

*********************

今のいわゆるコーヒーショップで無い、看板に「おはなし」と言う奇妙な名前ながら、古き良き時代の空気をまとってタイムスリップして来た様な喫茶店に案内される。

「御好きな御席にどうぞ」

ガタイの良い、低く響き渡る声のマスターの案内する声に促されながら、僕は老紳士と向かい合わせに座った。

「あのー、菓子パンは………」

「頂けますかな」

「へ?」

「話を聴きましょう。場合に依っては、御力(おちから)になれるかと。只とは申しませんが、代わりにそれを依頼料として」

「依頼って何だ?」と、ネズミ講の類いにでも引っ掛かったかなと警戒するも、脅される感じで振られた為に自暴自棄になり掛けていた僕は、悔し涙で言葉に詰まりながらも、告白されて付き合い始めた事、理由を告げられずに別れを切り出され、訊こうとすれば男の知り合いを連れて来てボコボコにすると脅された事を、何故か見ず知らずの老紳士に、包み隠さず話してしまっていた。

「………そうですか。よくぞ話して下さいました」

「あっ、御免なさい。知らない人の前で、こんな女々しい姿を御見せしてしまって………」

「良いんだ。良いんです。多様性の叫ばれる時代、貴方は理由を知りたくての悔し涙でありましょう。ウジウジしての涙では無いではありませんか。似た様な目に遭って悔しさだけで無関係な弱者に手を上げたり、罪を犯した者を幾人も見て来ましたから………」

頭を下げた僕の横に、見計らった感じで低く響き渡る声のマスターが歩み寄る。

「………失礼、どうされます」

「早く注文を」とでも言われるだろうと腹で身構えた僕の予想を裏切り、注文伝票をゆっくりペンと共に取り出したマスターに、僕はたまたま横目で見たメニューから、コーヒーとチョコレートケーキのセットを注文する。

「さて、私はクリームソーダを」

「かしこまりました」

老紳士の注文に驚くでも無く、サラサラとペンを伝票に走らせたマスターは、一礼してカウンターを隔てたこちらからも見える厨房に入る。

********************

チョコレートケーキもコーヒーも美味しかったのだけど、何故か老紳士が奢ってくれて、僕の財布が助かった。別れを切り出した彼女の名前はおろか、僕の名前さえも老紳士は訊いて来ず、一つだけ約束を告げられた。

「私の事は忘れても忘れなくても良い。但し、堂々と今迄通り外出したり、もし御仕事やアルバイトをしているなら無断欠勤したりせずに、様子を心配されたら話す事、学生なら授業や講義に出る事。変なのが変な事を訊いて来ても、オドオドせずに堂々と主張する事、これだけを御願いしたいのです」

僕がこれからやろうとしていた事を見透かす様な言葉で、老紳士に約束する迄は、正に講義やアルバイトに暫く出ずに、引き籠ろうとしていただけに、元彼女の関係者に付きまとわれる不安は有りつつも、僕は老紳士の優しい言葉で背中を押された気がした。

ふと一抹の不安がよぎり、スマートフォンのメッセージアプリを起動する。

誰も何も言って来てはいないのが、少々不気味ではある。

*********************

末鎌百合乃(すえかま・ゆりの)がメッセージアプリを起動するも何故かエラートラブルに巻き込まれている。

「あー、マヂムカツク。なんでみんな、うちのメッセージにハンノーしないんだよ。ヒョロガリな真人間みたいな名前の奴がなんかキモくなったからフって、合コン誘えってたのもーとしたのによ。しかも、キモイウザイウケルってワードがなんで弾かれるんだよ!」

ピロンっ♪と通知音が鳴って、投げた筈のスマートフォンに慌てて飛び付いた末鎌が「はあっ?!」と青筋を立てた形相になる。

次々来るメッセージは確かに、自分の引き連れていたりしている筈の仲間である。だが………

『おい、テメーまじめな奴になにしやがった、ケロケロ。あの人、オレのバイト先のパイセンなんだけど。なにオレたちにボコそうとさせてるわけ?なめてんの?おい』

『うちら取り巻きってかんがえかた、マヂメーワク。ゲロゲロ。ともやめするね。コロロ、コロロ』

『おい。おっさん怒らせたらしーな。ヤが付く商売だったらしいじゃん。勤務先に乗り込まれて、おっさんがつれてきたヤツに、うちの族のパイセン、ラチられたんだけど。テメー、セキニン取れるのかよ。げべべ、げべべ』

「ワケわかんないし意味わかんない!なんかこっちから返信できないし!なんなのコレ!」

カチャ、キリリと施錠していた筈の鍵が差し込まれて回され、ガチャっと金属製の扉の開く音がしてドカドカと集団が乗り込む、明らかに気の立った荒々しい足音が響く。

「え?なに?ちょっと!なんでだよ!ギャっ!!グフェ!ギェーっ!!」

身体で守っていた筈の扉が軽々と開けられ、壁に身体を勢い良くぶつけた末鎌は、脱色したバサバサの金髪頭を押さえ付けられ、緑色の被り物をした集団に、執拗な迄の体当たりを喰らう。金切り声で無く、いわゆる汚い絶叫が空間に響き渡る。

涙と赤い体液まみれになった末鎌を軽々と担いだ集団は、今度はゆっくりとした歩みで、踵を返し始める。

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数日後、テレビではダムで変死体が見付かったとニュースで報じられた。

「川爪ダムで見付かった変死体、その身体は執拗な迄に痛め付けられており、専門家の話に依ると、本来このマンションのセキュリティーの頑丈な筈のエントランスをどうやって集団が乗り込めるのか?捜査を進めております」

僕は老紳士の言葉通り、或る意味逃げずに外出する事を心がけ続けており、年上で柄は悪いながらも優秀なアルバイトと一緒に働きながら、互いに詮索したりせずに、今に至る。数日間、体調不良との理由で休まれはしたものの、支障は無かったのと、「ゆっくり休んで」と連絡して来た際に付け加えたら、不思議と懐かれてしまったが。

講義に関しても、他学部に振った彼女の取り巻きが居た筈なのだが、誰も何も言って来ないのを見ると、下手すれば見限ったのかも分からない。これ又、詮索する気も起きないのだけど。

心残りは、老紳士の案内してくれた筈の喫茶店「おはなし」を探したのだけど、古い新聞記事に依れば、平成初期辺りに廃業したと言う、にわかには信じがたい事実に直面してしまい、二度とあのチョコレートケーキとコーヒーのセットが食べられないと言う事である。

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「蛙化(かえるか)現象………思いを寄せていた筈の手にいざ振り向かれると、急に覚めてしまう事らしいが、覚められた方は堪(たま)ったものでは無い。自身が、蛙の御姫様だったなんて落ちだろうに。ふっふ。だが青年、後押しが出来たみたいで嬉しい限りだ」

蓄えていた筈の髭をビリリと取り外し、皺(しわ)だらけだった顔がみるみるうちに青白くなり、客に「有難う御座いました」と頭を下げて送り出す真間の姿を、遠目に穏やかに見つめる、有芽元次(ありめ・もとつぐ)の姿がそこには在った。

Concrete
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