中編3
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憑き蕎麦

あっ、私ですか?卯崎龍三(うざき・りゅうぞう)ってんです。コワモテながら甘党と言う、有名な作曲家みたいな名前でしょう?あの人は芸名だけど私だと親が付けちゃったんだから致し方無い訳です。

屋台蕎麦(やたいそば)、落語の演目で『時そば』ってのが有りますがね、口の上手さで見事に代金を誤魔化すのと、代金を誤魔化せずに、むしろ高く取られて失敗するのが居る話で、『目黒のサンマ』に並ぶ食絡みで有名なのは多くの知る話で、屋台蕎麦に関する話を私も致したく思います………ではでは。

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暮れも押し迫る、寒さが身に堪(こた)える夜、21:00を回った頃だろうか、小腹の空(す)いて来た私は屋台を見付けて飛び込んだ。先客が居たのを確かめて、ヨッコイショとベンチの様な席の横に腰掛ける。

「どうも旦那。何に致しやす」

屋台を引いているだろう主人は、髭こそ汚く不揃いだが、屋台は小綺麗な中身で、旨そうな匂いと湯気が心地良い。

「天ぷら蕎麦(そば)を」

「へいっ」

嗄れた声で訊いて来て、私の注文を了解した主人はゆっくりと蕎麦を茹で始める。

「旨かったねェ親父!喉越しの良い蕎麦、出汁(だし)の利いて良い塩梅(あんばい)のつゆに、甘味の有る御揚げに天ぷらも汁を吸ってホロロと崩れて又旨い!ところで親父、今何時だね」

旨さで我を忘れて蕎麦を啜(すす)る私はハっとした。

(………聞いた事有るな、まさか)

「………ああ、夜も9時を回って40分って所だな」

「ハイよ親父、どうもね!」

チャリンと小銭の置かれる音がして、バっと先客が暖簾(のれん)の向こうに消える。

私は駆け出そうとしたが、身体が抵抗して勢い良く主人の方に向き直る。

案の定、硬貨を数える主人の顔がこわばっている。

「………なろー、100円足りないでやがる」

喰い終えた私は、「やはり」と青ざめながら、自分の支払いに上乗せして支払おうと、主人にその百円を余計に渡そうとする。

「ああっ、旦那。貴方が先客の不足分を、支払っちゃあ行けねェ。旦那は旦那の分だけで良い」

私の動きを見ていたのか察知したのか、主人が制止する。

「………す、す、済みません、然し」

「うんっ」と急に無愛想からにこやかな表情へと変わり、力強く頷く主人に強情にはなれず、私は額面通りに支払って「御馳走様でした」を欠かさずに、頭を下げて色白の黒い背広を着た男と入れ替わりに屋台を後にする。

やる瀬無さや悔しさに、無理にでも誤魔化された分を支払いたかったと、違った意味での熱も有って、あの時の私の顔はさぞや赤かったろう。

「いらっしゃい、毎度どうも」

「油揚げと天ぷらの………いや、やめよう。かけを頂くかね」

「ふうん、馴染みか」と青白い顔付きとは不釣り合いに上等な背広の男と、屋台の主人と言う全然噛み合わない、いわゆるアンバランスな取り合わせに、暫し考えてから私は街灯の下で腕時計を見る。

22:00………ものの10分かと思ったが、支払いの件で主人と20分やり取りをしていた様だ。

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数日後に新聞を読むと、事件の記事が有った。

「古い家屋を焼いた火事で遺体として発見され、連絡の取れなくなっていた60代男性と判明、度重なる寸借詐欺を働いていた容疑者として捜査していた事が警察から発表される。死因は焼死のはずなのだが不可解な点があり、熱湯に入れられての大やけどを負ってからの、さらに火に巻き込まれての逃げられずに焼死したのではとの検証である」

「待てよ」と私は思い出そうとする。青白い顔の黒い背広の紳士と主人の会話を。

「置き銭で誤魔化されたが、粋な先客がなァ」

「止めさせて正解よ。先々客には支払って貰わにゃ」

「先客の心意気も救いたいが」

「では先々客はこうで、先客はああで………」

うろ覚えだが、やはり新聞記事の件とは関係無かろう。

………そう言えば蕎麦を喰いに行ってから、妻や子が、去年はいつに無く年越し蕎麦を喰いたいと言った為、私は内心喜んだ。例年だとカップ拉麺(ラーメン)を喰いたいと、蕎麦なんぞ貧乏臭いだのとブーイングを飛ばしていたのに。

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