「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その一~

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「エターナルチェイン」~ある怪奇譚その一~

夕方に降った雨にまんまと降られ、アパートへと駆ける。

帰っても、風呂に入って寝るだけだから、別に急がなくても良いのだが…何故かその日は、身体が何かにせっつかれている感覚が一日中張り付いていた。

「ただいま」

誰もいない部屋にそう声を掛けて、ずぶ濡れのコートとカバンを玄関の床に脱ぎ捨てる。

頭から被った雨粒のせいで、部屋の輪郭はぼんやりとしていた。

…ふと、廊下の奥の暗がりに、誰かが立っている気がして動きを止めた。音を立てないように手探りで電気のスイッチを入れる。

パン、パチン…

点滅して部屋が明るくなると同時に、人影のように見えた『何か』は、姿を消す。

「なんだ…自分の影か」

大きな安堵の溜息を付くと同時に、どっと疲れが押し寄せる。

中に着ていた服を洗濯カゴに放って、沸かした風呂に身体をどっぷりと沈める。体中を這っていた疲労が、油汚れが取れるみたいに、ドロドロと浴槽の底へと流れていくのを感じて…ようやく、心が落ち着いた。

風呂から上がり、僕は、テレビ画面の前に腰かけた。

外は、先程よりも雨足が強くなっている。

「ちゃんと食べてね!」

…とだけ書かれた、ガールフレンドのミユカからのメモ書き。それと共にテーブルに置かれたコンビニおにぎりを、口に運び、ビールで流し込む。

テレビから流れる深夜ニュースに目を向けると…昨日と同じ特集で、キャスター達が盛り上がっていた。

ここ最近…どこもかしこも、「エタチェン」の話題で持ち切りだ。

ネットも当然の如く…動画配信者や掲示板まで、つい数か月前まで何の見向きもしなかったくせに…今では、我先にといった顔で、さも全てを知っているかのように話している。

画面の向こうでは、レポーターが大型スクリーンの横に立って、しきりに指差し棒を動かしていた。

婚活界の異端~その栄光と、深すぎる闇~

そんなテロップと共に、創設者のキャリアを紹介する、生真面目そうな男性レポーター…

ふと左手を見ると、銀の指輪が薬指に嵌められていた。

「いや~実を云うと僕も、妻とは婚活サイトで知り合いましてですねぇ…」

そう冗談交じりにはにかむキャスターの心の内にも、沢口や三好が抱えていた『闇』があるのだろうか。

高度な人工知能では辿り着けなかった、深い、心の奥底でくすぶり続けていた闇を…

これは、社会に溶け込んで生活する、ただの凡庸な男が、覗き見た物語である。

ただのゴシップと読むか、怪奇譚と読むかは…読者に委ねる他、

考える術はない。

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「みのりが帰って来ないんだ」

沢口の言葉に、一同は動きを止めた。

数秒間停止したのち、最初に口を開いたのは秋元だった。

「何、新婚早々もう大喧嘩?」

秋元の問いかけに、沢口は答えない。

つい一年程前に結婚し、あと数か月後には子供も産まれるという、仲間内で今一番、絵に描いたような幸せを享受しているはずの彼が、まるで全てを失ったとでもいうようなテンションの低さだ。

「マタニティブルーってやつじゃね?まあ、よくあるらしいじゃん…な、喜代田」

「え!あ、ああ…聞いた事ある」

「喧嘩できる相手がいるっていいなあチクショウ!幸せ者!」

佐川、僕、三好と…立て続けに沢口に話しかけるが、沢口はなおも俯いたままだった。

「…え、そんなに深刻な状況なわけ?」

秋元が、沢口の顔をそっと覗きながら言うも、変化はない。

その頑なさに、普段、酒が入ると下らない話だけで終わる集まりが、今日に限っては違う…と、その場にいた、沢口以外の誰もが悟った。

僕と沢口との出会いは、今から五年前…大学時代に遡る。

バイト先の同僚だったのが、たまたま年齢が近かった事もあって、ふとした会話から友達になり、今でも関係が続いている。

秋元、佐川、三好の三人は沢口の大学の同期で、お互い卒業し、社会人になった頃…何かの拍子で一緒に飲む事になり、現在に至る。どちらも、何がきっかけだったかは思い出せない。

というか…正直、ある程度歳を取ると、どこでどう出会ったか何て事は、割とどうでも良くなるのだ。

…恋愛や、結婚を除けば…

「ねえ、ちょっと~!沢ぐっちゃん!何があったか話してよ~!」

秋元のウザ絡みにも、沢口は反応しない。…どうやら、思っていた以上に事は深刻らしい。

だが正直、ダンマリに耐えるのも限界があるってもので…次第に、三好も佐野も僕も、しびれを切らしてお代わりを頼み始めた。

「ほっとけほっとけ」

「本人が話す気にならない限り無理だろ」

「もうすぐラストオーダーだって。秋元、何飲む?」

地蔵の様に固まる沢口を横に、僕達はギリギリまで酒を流し込み、閉店のBGMと共に店を出た。

終電ダッシュで散り散りになる皆を、飲酒の爽快感たっぷりに見送ったあと…僕は、眼下で未だダンマリの沢口に視線を向けた。

「おい、沢口…帰るぞ」

「うん…」

ようやく口を開くも、か細く元気が全くない。奥さんに逃げられたのがよっぽどのショックなのは分かるが…流石の僕も、沢口の態度に苛立ちを隠せなかった。

「もう!何なんだよ…!嫁さんの事心配なら、なんで今日ここに来たんだよ!」

「なんで…なんでだろね…わからないよ…」

「皆、あれでも心配してたんだぞ!秋元が話しかけてくれてたの、気付かなかったとは言わせないぞ!」

「わかってる…わかってるけどさ…言えなくなっちゃって…」

言えなくなっちゃった――――

そのフレーズに、僕の心の奥底に眠っていた、微弱なSの血が騒いだ。

「おい…こうなったら、何が何でも俺に話してもらうぞ…!話してくれるまで俺はお前の傍から離れないし、会社にも行かせない…眠らせるなんてもっての他だ!」

酔った勢いでめちゃくちゃな言葉になってしまったが…それが逆に効果を奏したようだ。

沢口は、僕の顔を見ながら「ひっ」と小さく悲鳴を上げたのち、必死の表情で頷いた。

僕は、沢口の腕をむんずと握って、居酒屋から徒歩十分のアパートへと戻ると…居間の壁側に沢口を座らせ、その真ん前で胡坐をかいた。

「さ、なんも怖がることはない!俺に全部話せ!」

「喜代田、分かった!…分かったからさ…でも…信じて貰えなかったら…」

「大丈夫だって!信じるから!な!」

僕の、酒の力によって生まれた根拠のない自信に押されたのか…沢口は、観念した様子で、溜息を一つつくと、話し始めた。

「僕さ…みのりと、婚活サイトで知り合った、って言っただろ…?そこ、めちゃめちゃ高いけどサービス良くて…出会いから結婚までじゃなくて、その後も色々アフターケアが充実してて…で、半年前にみのりの妊娠が分かって…それから、ちょっと様子がおかしくなったんだ」

「あの…なんだ、マタニティブルーってやつ?」

「違う。違うんだよ…その逆。大喜びしてた。それで、妊娠が分かった事を伝えたら、プレママ?っていうの?…とにかく、母親向けのサークルがあるって、スタッフから紹介されて…それで、足繁く通うようになって…それで…それで…」

沢口は、頭を両手でかきむしりながら、言葉を詰まらせた。

今の話を聞く限り…妊婦の集まりに参加して、姿を消した…という事になるが、意味が分からない。

「沢口…おい、しっかり。それで…どうした?」

「二週間、前、かなあ…仕事から帰ったら、いつもならいるはずのみのりが、いないんだよ…いつも、僕の帰宅に合わせて、買い物とかから帰って来るのに…代わりに、手紙…一行だけの手紙残して…」

―――――サークルにお世話になります―――――

…という一行だけを残して、みのりちゃんは二週間前、突如として、二人で暮らすマンションから、姿を消した。

思い当たる理由も無く、直前に喧嘩した事も、いざこざも無い。

…というか、二人に限って、そんな事は、決して有り得ないのだという。

「そんなの…お前がそう思い込んでただけかも知れないだろ?」

「違う!絶、対、有り得ない…僕らは、ちゃんと選ばれたんだから…」

「なあ、選ばれたって…何だ?婚活サイトで知り合ったんだよな?アレって、お見合いみたいな…何つうか、お互いの了承じゃないのかよ?」

「……違う、違うんだ…なのに何でだよ…」

沢口は、涙をぼろぼろ流しながら、体育座りで俯いた。

だが…数十秒後、勢いよく顔を上げ、僕の方に向けると…さっきまでの気弱さから一変、落ち着き払った口調で、あるフレーズを口にした。

「エターナルチェイン」

「え…えた…?なに?」

「エターナルチェイン…僕とみのりを、繋げた場所だよ」

―――――エターナルチェイン…聞いた事、有るような無いような…いや、もしかして?

僕は、数日前に見た、あるスレッドを思い出した。

何でも、スレ主は「超高級婚活サイトに登録した」とかで…ようやく順番が回って来たのに、入会金用に溜めていたお金を、うっかりゲーム機購入につぎ込んでしまい、泣く泣く辞退した、と書いていて…スレ民から総ツッコミされていた。

だが、そのスレ主が書いていた、超高級婚活サイトこそ…エターナルチェインだっだ。

AIによって、究極に相性が合った人同士を結びつける…最強の婚活サイトとして。

僕も含め、見ていたスレ民の誰もが、「釣りだろ」と疑っていたが…まさか近しい友人から、同じフレーズが出てくるなんて…信じられない。

「…その、エターナルチェインっていうのが…みのりちゃんとの出会いだったとして…で、なんで、みのりちゃんは姿を消したんだ?」

「それが分からないから、悩んでるんじゃないか…」

沢口は、再び気弱な口調へと戻った。今のところで分かったのは、婚活サイトから紹介された妊婦サークル?に通っていたら、何の予兆も無く、いつのまにかマンションから出て行った…という事。

そして、その婚活サイトは、実在した、という事…

と、ここで僕は、肝心な事を忘れていた。

普通…こういうのって警察に捜索願出さないか…?

書置きを残して妊婦が消えるなんて、事件になっていてもおかしくない。自ら姿を消したとなれば…最悪の事態だってあるはずだ。

さっき誰かが言ってた、マタニティブルーって言うのに、知らない間になっていたとしたら…尚更だ。

僕は、段々と嫌な予感に引っ張られて、沢口よりも、そっちの方が気掛かりでならなかった。

こんな所で、二人で話してる場合じゃない…!!

「警察…警察に連絡しよう!」

「え?」

「え?じゃねえよ!お前、自分の奥さんが居なくなったんだぞ!何か事件に巻き込まれてるとか…!」

「…それは、無いと思う。だって…」

「だっても何も無いだろ!」

「だって…これ、こんなの送って来るんだから、事件ではない、はず…」

沢口は、そう言いうと、ジャケットの内側の胸ポケットから、一枚のハガキを取り出して僕に見せた。

そこには、高級そうな壁紙を背景に、高級そうな椅子に座って、高級そうなティーカップを持ちながら微笑む、上品な水色のワンピースを纏った、みのりちゃんの姿があった。

手元にはピンクとゴールドのネイルが、色白の顔には薄化粧が施され…艶立ちのある髪は、ヘアアクセサリーで綺麗にまとまっている。

「これっ…なに?」

「マンションのポストに入ってたんだ。一週間前かな?ほら、『元気です』って、書いてあるだろ…?これ、みのりの字で間違いない。だから、大丈夫ではあるんだよ。でも…何で僕から離れていったのか、それだけは書いてないんだ」

見た感じ、フェイクやコラージュでは無い。どこか…ホテルの一室?のような場所で、カメラ目線で微笑んでいる…それも、自然な笑顔だ。贅沢アピールって感じもしない。

披露宴で聞いた限り…みのりちゃんの家は親が会社役員だとかで裕福だし…沢口と結婚して、二人の生活になってからも…ランクを下げないと暮らせないとか、では無かったはず。

AIが選別したのなら…尚更だ。

そもそも、嫌いなら、わざわざ送って寄越したりしないだろうし…根っからの、育ちのいいお嬢様って感じの彼女が、こんな手の込んだ嫌がらせするとは思えないし…彼女に、意地悪な要素は感じなかった。

…じゃあ、一体これには、何の意味が???

途端に、背筋がゾクリと震えた。

「…どうしよう…どうしたら…みのり…!帰って来てよ…」

沢口は、僕の手元から写真を取り戻し、胸元に当てると、横たわって涙を流した。

それを見て…何故か、僕の心がざわめき出す。

長年、自分の中でくすぶり続けていた、ある密かな野望が…再び芽吹こうとしていた。

友人の身に起きた…不可解な出来事によって―――――

僕の中で眠っていた好奇心が、目覚めるのが分かった。

「なあ、沢口…俺、俺で良かったら…一緒に探すの手伝うよ」

「えっ…探す、って…?」

「だっておかしくないか?その…お前が利用したっていう婚活サイト…正直怪しいって言うか…」

「…そうなんだよ…!僕、アドバイザーに言ったんだ。…サークルに行ったまま帰ってこないって…でも、連絡が付かないし……第一、そんなサークル実在しないって…!じゃあ、じゃあこの写真は何なんだよ!なあ…助けてくれよ…」

「沢口…ごめん、さっき怒って…俺がいるから、一緒にみのりちゃん見つけよう!」

「うん…ありがとう…ありがと…喜代田…ごめん…ありがとう…」

沢口を抱きしめながら…罪悪感と好奇心と野望が、絡み合い、渦を巻いて…身体の内側の、頭のてっぺんからつま先の間を、行ったり来たりする。

生来の面倒臭がりで怠け好きな自分が、唯一「なってみたい」と思えた、「物書き」という仕事…

ちょっと前まで、その駆け出しとして、地方紙の小さな枠を貰っていたのだが…思うように筆が進まず、諦めかけていた。

そんな時に、まるで狙ったようにタイミング良く降って湧いた事象…

これなら、もしかしたら…と、涙にくれる沢口をよそに、僕の胸は高鳴っていた。

勿論、みのりちゃんがどこにいるのかを探すのが大前提だが…全てが解決した後で、僕はこれを一つの物語にして、世に出そう…!

思い立ったが吉日だ。

「沢口、一緒に頑張ろう…一先ず、なんだ…その、エターナルチェインについて、教えてくれないか?」

「うん…うん…えっ?」

「いや、だって…どういうシステムで出会ったのか、知りたいからさ…」

「どういう、って言ったって…AIに選別されました、ってスタッフから連絡が来て…それで、会ったとしか…」

「…それだけ?」

「うん…そんな感じ…」

「あっ…そうそう、サービスが手厚いって言ってたじゃん…それは…?」

「ああ…それ…でも、聞いてどうするの?みのりと関係が…?」

沢口の顔に怪訝さが混じるのが分かって、僕は聞くのをやめた。

Concrete
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