今から五ヶ月ほど前の話、夫と結婚一周年を記念して温泉に出かけたときの話だ。
夫とは大学で知り合い、お互い就職しながらも休日のたびに付き合ってのゴールインである。
地元である富山県の温泉(旅館名は控えます)に私たちは行くことに決めた。まだまだ気温も懐具合も寂しく贅沢な旅行は行けなかったが私は満足だった。
愛する夫と温泉旅行、口元がどうしてもニヤついてしまっていたことは今でも覚えている。
旅館はとても広々としていてビルが伸びているところには木が、わらわらといる人々の代わりに草木が、日本海のどんよりとした空の下には立山があった。
いつもの白い吐息もここではとても美しく見えた。
部屋は障子で区切られていて真ん中には座椅子とテーブル、隅にはTVがぽつんと置かれていた。まだ夕食には時間があったので町を少し散策することにした。
このときからなんとなく気味の悪い空気が流れていた。だがこのときの私はそれを高揚感かなにかだと思っていた。
市内では聞けない野鳥の囀りがどこからか聞こえてきていた。
露天風呂に入り、豪勢な食事も食べた私たちは明日のことについて話していた。
「明日は、何度もお風呂入って・・・そうだ、友達にお土産買わなきゃ!」
『○○のお母さんってこの近くだっけ?帰り、挨拶だけでもしていこうよ。』
大学時代から仲良しだったが、夫婦となってからなんとなくお互い相手のことを考えてか少し線を引いて話をするようになったが、それが私にはたまらなく心地よかった。夫婦にしか分からない距離感というかなんと言うか。
私達は明日に備えて早く寝ることにした。虫の音が微かに聞こえていた。
夫と旅行に来て良かった。心からそう思っていた。
目が覚めたのが何時だったかは時計を確認してなかったので覚えていない。なんとなく騒がしかった。
「こんな時間に誰が騒いでんのかな・・・学生とかかな?」と思いながら目をつぶり耳を澄ますとキャッキャッキャッキャっと障子を隔てた向こう側から聞こえてきた。
子供の声だ。しかもまだ幼い。
おいおい、親は何してるんだと寝ぼけてる頭で考えながら、何かが引っかかった。
人数が・・・多い?
五、六人とかじゃない。たくさんの声が混ざって変なノイズのような音だった。
しかもだんだん大きくなっている気がする。
私は薄めをあけ、障子のほうを向いた。
子供、がいた。
月明かりに照らされていて、障子の向こう側の子は影絵のように見えた。いや、それより・・・。
その子供は私を見ていた。障子越しから。距離で言うと2メートルもない。もう子供の声が聞こえなくなっていた。
私はこのとき初めて恐怖を感じた。冷や汗とも脂汗ともつかない汗を全身の毛穴から噴出していた。
なんだこの子は・・・。と思っていると障子の子の後ろから子供がぞわぞわと増えてきた。
ととととっと小走りで廊下を走り、戸の障子に横一列、規則正しくぴしっと並んだ。
子供達は幼稚園児ぐらいだ。その子達全員がこっちを、私を見ている。
気付いたときには体が動かなくなっている。首どころか目さえも金縛りにあっていた。体中から恐怖を感じた。いったい何なのだこの子達は。私の息遣いも荒くなってきていた。
不意に子供たち揺れだした。
左右に、カクカクカクカクカクカクカクカクカクカクと。
髪の長い子はバサバサとロックバンドよろしく激しく乱れていた。
子供たちの口から子供の声が漏れた。始めは静かに段々と大きく。周りの音は子供たちの声のみ。私の耳はしっかりとその声を聞き取った。
『お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん、お母さん。』『なんでこんなところに生まれてきたの。』『マママママッマママママママママ、ママ。』『ここから生まれたくない。』『なんでこんな子を産んだのよ。』『お母さん、生まれてこなければ良かった?』『お母さん』『おろしてくださいますか』『ママ、ママ、ママ』
他にもたくさん叫んでいた。私も叫びたかった。耳を塞ぎたいのに、体が動かない。ただ体がブルブルブルと震えるのみである。
私は目がわずかに動くようになり力をこめ目を動かした。夫の姿を見たかったのだ。
部屋にも子供たちがいた。十人以上。狭い部屋は子供たちで埋まっている。
子供の服はさまざまだったが総じて顔が赤ちゃんのようなしわくちゃだった。まるで、生まれたばかりの赤ちゃんのような。赤ん坊のお面を被っているようだった。
ケタケタケタケタケタケタ・・・と子供たちが口を開け笑いながら、部屋を走り回るようになる。私の布団の上をピョンと越える子、夫の顔を踏んづけ飛び回る子。皆、しわくちゃの顔をさらに歪ませている。障子の向こうからはまだ声が聞こえる。
このときだけ私は気が狂っていたかもしれない。「あああああ・・・。」と必死に声を出し目をつぶり、指先を動かすよう努力した。
不意に私の体に抱きつかれるような感触が走った。意識が飛びそうになった。子供の1人が『いいなぁいいなぁ。』と甲高い声で言った。他の子供も立ち止まり。『いいなーいいなーいいなーいいなー。』といいながら私の顔を覗き込む。抱きついた子が更なる言葉を発した。
『ぼくぅ、このひとからもういちどうまれなおしたい。』
それが引き金になった。私は必死で夫の名前を叫んだ。助けて!と強く心の中で念じながら、必死に声を絞り出す。気付いて!気付いて!!
夫はいきなり上半身だけ起こしこっちをすっと見下ろした。既に子供たちの声も姿も見えない。一瞬、夢かと思ったがすぐに思い直した。すぐに夫の顔がみたい。金縛りも無くなり、苦々しさだけが残っていて、心なしか空気がまだ重い。
とりあえず、夫の名前をもう一度呼ぶ。夫は私の目を見て口を開いた。
『ママぁ。』
気付いたときはもう朝だった。「もう、料理来ちゃうよ。」と夫が心配そうにこっちを見ていた。私はそのまま夫に抱きつき、声を詰まらせた。
夫はただひたすらキョトンとしていた。「どうしたの?汗グッショリじゃん。」と聞いてきたが返答することができなかった。
私たちは、予定を早めに切り上げ家に戻った。夫に昨日のことを恐る恐る聞いたが、まったく知らないという。
結局夢だったのではないかと思ったが帰る直前に従業員の人に晩に子供が走り回っていなかったか聞いてみたところ、従業員の顔が少し引きつっていた。私の顔をまじまじと見たあと女将さん(?)らしき人に話をぼそぼそとした後、すぐに戻ってきて「申し訳ありませんが、お時間よろしいですか?」と尋ねてきた。
専用の事務室のようなところに数分ほど待った後、女将さんと年配のおばあさん(多分、先代女将とかだと思います)がやって来た。「晩のことについて、お客様方にお話しなければならないことがあるのですが。」と切り出してきた。
晩のことを私は詳しく話した。夫はいまいち事情をわかっていないようだった。
おばあさんは「きのうのはここでいう 宿り子(やどりこ) というものの仕業です。」と伝えた。
やどりこ と声に出すと女将が多少早口に説明してくれた。ここからは女将が話したことをまとめていく。
宿り子とは生まれる前に流産、あるいはおろされた赤ん坊の霊であること。
この土地は古い掟があって決められた相手としか婚約できなかったこと。(当然、昔の話)
そのため、別の男の子を授かった場合無理やりおろされていたらしかったこと。
総じて女性にしか宿り子は見えないこと
そのほか土地の事情もあって(色々はなしてくれたがイマイチ分からなかった)ここでは宿り子が溜まりやすいということ。
宿り子は悪霊というものの程ではないが非常に念が強いということ。
しかし、女将たちはお払いはいらない、ということを強く押していた気がする。当然だ。このことが知れたらイメージダウンも甚だしいからだろう。
最後にご足労とかなんとかいって厚い封筒を渡されたが、なんとなく受け取る気にはなれなかった。女将たちは腫れ物をみるように私をみていた。帰りの車のなか、夫は「あの人たち、俺、嫌だった。」とつぶやいていた。同感だよ、と私も頷いた。
話が変わっていきなり私事だが、子を授かることとなった。気付いたのは旅行に出かけてからだいたい2週間後のことである。
金銭の理由で避妊してきた私たちだが、授かった以上育てていこうということとなった。夫は子供ができることに喜びを隠せないようで、仕事も速く終わらせることが多くなった。手帳ももらい、心臓の音も微かだが聞こえ、日々生きていることを実感している。毎日が喜びに包まれている、幸せな暮らしだ。
ただひとつ気になることといえば、
逆算すると、授かった日にちが旅行に行った辺りだということぐらいである。
怖い話投稿:ホラーテラー ◎野さん
作者怖話