新しい俺の家が決まった。とあるマンションの一室。
室内は築10年にしては綺麗だ。最近のリフォームは本当に魔法のようだと思う。
特になんのトラブルも無く、月日は過ぎた。
小さな異変に気付くまでは……。
いつものように会社の残業で夜遅くに帰宅したところ、冷蔵庫の中の食材が目に見えて減っていた。
これは泥棒に遭ったな、と思ったが……違う。
鍵は閉まっていたし、食材以外は荒らされた形跡がなかった。
念の為、警察に相談したが「気のせいでしょう」で片付けられた。
それにしても、釈然としない。
買い置きした食材は確実に減っていく。高校時代から続けている日記に苛々を書きなぐり、正気を保とうとした。
「誰だかしらないが喰った分の金くらい置いとけ!」と。
――次の日は土砂降りの一日だった。
営業で棒になった足を引きずるように帰宅。無造作に置かれたテーブルのお金に目がいった。
福澤諭吉二枚。
給料日前のカツカツのはず……。だから、部屋に、それもこんな所にある福澤諭吉を見逃す訳ない。俺のじゃない。
この出来事を記そうと日記を開いてみた。綺麗な文字でこう書いてあった。
『私はここで貴方とルームシェアをしている女です。食材を勝手に使い込んですみません。これからは食費をちゃんと支払います。すみませんでした』
ルームシェア? 俺はすぐに不動産に確認の電話を入れた。勿論、借りたのは俺一人。
――それから、奇妙な交換日記は始まった
女は、次第に俺の事を気遣ってくれるようになる。帰宅すると、ついさっきまで煮込んでいたカレーが、湯気の立つハンバーグが……。俺の夕飯を用意してくれていた。それだけじゃない、洗濯、アイロン、部屋の掃除。
生まれてこのかた、女性に優しくされた事のない俺は悪い気はしなかった。
しかし、一つ気になることがある。どうして女は姿を一度も見せないのだろうか?
女が言うには「タイミングが決定的に合わない」と。
ルームシェアしてるのに流石にそれは不自然だ。位相空間にでも住んでいるのだろうか?
ある朝、たまに挨拶を交わす、隣の大学生に言われた。
「彼女さんに昨日、カレー分けて貰いました。本当に美味しかったです。しかし、綺麗な彼女さんですね」
やはり、実在する人間か。綺麗なのか……うむ。
悪い気はしない。
それから、女の姿を見ないまま奇妙な同棲は一年続いた。
ある晩、帰宅すると赤子用の服が畳まれて、ソファーの上に置かれていた。
日記には『今日、病院に行ったらおめでたですって……貴方との子よ』と書かれていた。
……そんなはずは無い。
肌にも触れていない。
それどころか姿すら見た事がない。
急に怖くなった。
次の日、仕事が全く手につかなかった。頭の中でぐるぐると今までの事が蝿のように飛び回った。
そうだ、引越しして逃げよう。それが導き出したたった一つの結論。
帰宅。ソファーの赤子用の服をおもむろに手に取った。おかしい。背中に冷や汗。額には脂汗がブワッと出た。
袖が八つある。
市販のやつを女がリメイクしたみたいだ……。なんでそんなに必要なんだ?
急いで日記に目を通した。
『貴方、今日赤ちゃんが生まれたの』
え?今日?どういうことだ?普通じゃない。
『でね、私は赤ちゃんの養分になるから、これでお別れ。今までありがとう。この子をよろしくね……』
よろしくって、何なんだよ。日記を持つ手が震え出す。
その時だった。
『……おぎゃー……おぎゃー……おぎゃー』
微かに赤子の泣き声がして、
天井裏を何かがはいずり回る音が聞こえた。
怖い話投稿:ホラーテラー 薄荷飴さん
作者怖話