ここに実話を載せる。
少し後ろめたい気持ちもあるが、このまま俺達の間で留められるべきではないと考えた。
相当長くなるので、暇な時に読んで欲しい。
まずは俺の幽霊観から。
存在は信じている。
友達の中には、見習い坊主で、「みえる」奴がいたのだが、そいつの幼少時代の写真を見せてもらったことがある。無数の腕が彼の口から躍り出ていた。嘘だとは思えないし、そんな下らないことをする奴でもない。
その他にも、読経の後(そいつは学生だったが、毎週水曜日の夜中の二時から寺で読経して修行していた。終わるのは四時頃だったそうだ)に必ず起こる怪奇現象もたくさん聞いた。また改めて投稿してもいいのだが、ひとつだけピックアップして紹介する。
彼は寮で他の坊主(もちろん学生が大半)と共に暮らしているのだが、読経の後はその寮で夜を明かすそうだ。
その寮は細長い構造で、入り口から入ると長い廊下があり、右手に小部屋がずらっと並んでいる。
そいつは一番奥の部屋に、他の坊主と二人で寝泊まりしているのだが、事はいつものように読経が終わった後に起こった。
部屋で内心びくびくしながら布団にもぐっていた時、入り口の戸が開く音がする。
他の奴が便所にでも行って帰ってきたのだろう、と軽く片づけることは彼にはできなかったそうだ。直感で判るからだ。「きた」と。
直後、入り口に近い方の部屋から順に次々と部屋の扉が開いていく。
バンッ…バンッ…バンッ…と一定の間隔で響く音は、まるで部屋の内部から扉を蹴り開けたような激しい音だったらしい。
どんどん自分のいる部屋に近づいてくる。
隣で寝ている奴はぴくりとも動かない。ここで確信できたそうだ。目当ては自分か、と。
普通だったらこのような大音響に気づかないはずがないからだ。ということは、近づいてくるモノは自分を標的として選んでいるということだ。
霊は必ず伝えたいことを抱いてやってくる。相手を選んだら、その相手にしか知覚できない方法でコンタクトを取る。
だから大勢が同時に恐怖体験をするのは、それを引き起こしているモノの性質が悪い、ということらしい。そう考えたら、今回のモノはまだマシか、と安堵したようだ。
とうとう自分の部屋の扉が轟音と共に弾けるように開く。
直後、静寂。依然同室の住人は微動だにしない。
嫌な風が吹きこんでくる。生臭い、霊のため息だ。
次の瞬間、入り口の方から扉が次々と閉まっていく。まるで巨大な手が廊下を横切って撫でるように扉を連続で閉めていくような感じだったらしい。
そして、隣の部屋の扉が閉まり、また静寂。自分の部屋だけが開いたままだった。
空気が冷たくなり、気配が近づいてくる。
白装束を着た女が三人、入ってきた。
息を呑む。
真ん中の一人が、自分の腹の上に正座して、見下ろし始める。憎しみを込めた眼で。
この時既に金縛りにあっており、動くことはおろか、声を出すこともできなかったらしい。
他の二人の女は、自分の両サイドを挟むように正座した。
そして、呟き始める。
生きていた頃の世の中に対する不満を、次々と吐きだしてゆく。
朝を迎えるまで、彼女らの愚痴を聞き続け、その後ふっと消えたという。
こんな話をたくさん聞いたから、霊がいないとは思わなくなった。
しかし、どの話も、恐怖はその場限りで、また事後、精神や身体に異常をきたすものもひとつとして無かった。だから無意識に、実害を被ることは無いのだ、よく聞く突飛な話、端的には取り憑かれて死ぬとかいう話は、事実無根のものなのだ、と思っていた。
今から話すのは、霊の中には生者を苦しめ、陥れ、狂わせ、堕落させることで狂喜するような邪悪なモノもいる、ということを痛感したものだ。
大学二回生の頃の話である。
僕は工学部のある学科に所属していて、生徒は30人ほどだ。
それは夏休み間近の、七月下旬の頃のことである。
1コマ目の解析学の講義が終わった後、突然同じ学科の島大恃(シマ ダイジ、仮名。以後、人名は全て仮名)が大声を張り上げる。
教授も生徒も、驚いてそちらに目をやる。
島「ふざけんなよ!謝ってばっかじゃなんもわかんねぇだろ!
なにがあったか、説明するのが先だろう」
寺島夕(テラジマ ユウ)「…ごめん…取り乱した。…大恃、みんなを、集めてくれるか。次の講義はみんな空きコマだから大丈夫だよな…」
すると島がみんな集まれ、と声をあげて手招きしている。
学科仲間が訝しげな顔をしながら集まってゆく。当然俺も駆けつける。なにか嫌な予感がした。何故か、教授も教壇の前でこちらの様子を窺っている。
皆が集結したところで、寺島がおもむろに口を開く。
その内容は今でも鮮明に覚えている。
寺島「みんな、よく聞いてくれ。今から話すことは、冗談じゃない。…先に謝っとく。ごめん」
そう言って頭を下げた。みんな訳が分からなくて動揺するしかなかった。
寺島「昨日、ある場所に行ってきた。みんな知っていると思う。*山だ」
寺島の最後の言葉を聞いた瞬間、あちこちで抗議の声があがる。或る者は怒りの表情を、また或る者は驚愕している。
いつの間にか教授が隣にいた。眼を見開いている。
*山は、この大学では有名だった。
寺島は所謂オカルト好きで、心霊スポットとか、自殺スポットもよく訪れていた。俺もよくそういう話を本人から聞かされた。
何度も止めた。が、聞く耳を持たなかった。俺が忠告するといつも寺島は「どうせ次も期待外れさ」と言って笑った。
そういう「曰くつき」の場所は、負のエネルギーが充満しているのだという。霊を見た、見ないとは関係なく、行くこと自体が芳しくないことなのだ。そして、その負のエネルギーは本人に蓄積されてゆく。
日常生活で感じるストレスも同じカテゴリーに入るが、前述した坊主の友達が言うには、「粘っこさ」が段違いだという。ストレスは心境の変化などで意外と簡単に解消されるが、霊と関係するものは違う。簡単に消えることはないという。
「絶対にそういう場所には行くな。面白半分でとかそういうのは関係ない。あっち側から見たら、全てが憎しみの対象なんだ。誓って行くなよ」
そいつの真剣な顔つきを見て、正直震えた。その教えは俺の金科玉条になった。
そして、その負のエネルギーが蓄積し、ある境を越えてしまうと(個人差がある)、一時的に強力な霊媒体質になってしまうらしい。
要するに、向こうから寄ってきてしまうようになる。
俺は寺島がそういう状態にいつかなってしまうのではないか、と危惧していたのだ。
そんな寺島に対する懸念が今回の「なにか」と関係しているのではないか、そう直感していた。周りのみんなもそう感じていると思う。
*山には「問答ノ怪」がいる
それがこの大学で常に蔓延っている噂だ。事の始まりは10年以上前らしい。
この大学の工学部にトップの成績で入学した生徒が、ある期末テストで初めてトップを逃した。テストは学科内で実施されるから、自分を上回ったのは当然同じ学科にいることになる。
執拗に探した。執念すらこもっていた。
あげく判明したトップの生徒は、彼にとって最も屈辱的な奴だった。
そいつは授業中いつも寝ているにも関わらず、レポートやテストは抜群にできた、所謂天才型だった。それに比べ自分は努力家だった。それも自覚できるほどの。
だから屈辱だった。全く苦労していない奴が、死ぬほど苦労してトップを守っている自分をいとも簡単に追い越した。
いや、本人には追い越した、などという感覚もないかもしれない。
こんな不条理極まる事態に我慢できず、本人に詰め寄った。
「実は勉強してるんだよな?隠れて頑張ってんだろ?」
そいつは軽く流すようにこう言った。
「他のやつらがお前を抜いてみろっていうからさ、ちょっと勉強してみたんだ。やり方よく分からないから全然捗らなかったけど。
次の期末はまたお前がトップだろうな。もう勉強は御免だよ」
なにかが、弾けた。
心の中が、どす黒いモノで満たされていった。
瞳の光が闇に吸い込まれる。
手刀で喉元を強打する。
相手は眼を見開き、両手で喉をおさえてくぐもった呻き声をあげる。
周囲の生徒が異常に気付き怒号をあげて迫ってくる。
既に相手は痙攣を始めている。喉仏が陥没して息ができないのだろう。
彼は闇に堕ちた。高嗤いする。
人は、理性というフェンスに囲まれ、ギリギリの所で光のあるところに留まっている。でも、一度一線、つまりフェンスを越えたら、もう戻れない。その人にとって越えられたフェンスは意味を成さない。
理性と本能の境目がなくなる。
光の世界から見る闇は恐ろしい。しかし一度踏み込んでしまえば、戻れなくなる。居心地が良く、楽だからだ。
光の世界では気になっていた体裁も、法も、倫理も、なにも見えない闇の中では無意味だ。それだけ無秩序で、深く、混沌としている。
彼は絶叫し、頭を振り乱しながら走り出す。
他の学生は反射的に身を引く。彼の眼はもう何も見ていなかった。
凄まじい叫び声がこだまし、そして徐々に小さくなってゆく。
後日、*山の頂で首を吊っているのが発見された。
次の文章は、彼が失踪した直後、同じ学科生全員に送られてきたメールの内容である。
彼は、優等生だという理由から、講義連絡を伝えるために作られた、学科生全員に同時にメールを送信できるアドレスを保持していた。
『自分の唯一の取り柄を失った。自殺するに当たって、僕と同じ学科の奴等に宣言する。
先に謝っとく。ごめん。フフフフフフオマエラは何も悪くない。だからこれは僕の個人的な憂さ晴らしだと思ってくれ。迷惑だろ?だから謝っといた(笑)
僕は厄介なモノにこれからナルだろう。さっきから沢山の腕が僕を掴むんだ。でも別に嫌な気はしないよ。だってさ、今よりできることが増えそうなんだもの。例えば、呪い殺すとかネ冗談だよフフ
殺しはしない。そんな結末はつまらなすぎる。もっと苦しんで欲しい。
そこで、提案がある。僕は死んでから、君たちに問題を出す。もちろん出席番号順だよ。コンタクトの取り方はわからない。まだ死んでないからね。
でも必ず君たちのところへイク
問題内容は様々だと思う。解析学、量子力学、初等幾何学、初等整数論、確率、線形数学、いくらでもあるさ。重要なのはそこじゃなーい。もし一週間以内に正答できたら、あ…解答は一回のみだからなぁ!正答できたら、見逃す。何もしないよ。もし、モシ!!誤答したらララララララララッ。
呪ウ。
君たちの自己同一性を奪う。ヒトにとって最も大切なモノだよ。それを失ったら、鏡に映るのは化け物でしかなくなる。コワイヨネェェェェェェッ!
それじゃ、楽しみにしていてね』
何故10年前のメールが未だに残っているか不審に思っている方もいると思う。
寺島に送られてきたからだ。
皆の前で、寺島がそのメールを見せた。
教授が叫んだ。みんな何事かと注目する。
教授は嗚咽を漏らしながら絞り出すように声を出した。
教授「それは…十年前に死んだあいつが…送ったメールだ。間違いない。寺島…お前…まさか…」
教授はこの大学に勤めてもう二十年以上の方だった。
それを聞いたとき、その場の全員が震撼し、凍りついた。
寺島が、その場に激しく吐いた。
落ち着きを取り戻した寺島が、ぽつり、ぽつりと語り出した。
寺島「昨日、*山の…頂上まで行ってきた。もちろん噂を確かめるためだ。…そしたら、頂上に、頂上に………。鳥居みたいなのがあった」
寺島が、昨日見た光景を想い起しているのだろう、焦点の合っていない目を見開く。
顔面蒼白、手は震えていた。
寺島「その奥に、木でできた祠みたいなのがあった…」
教授「封がしてあっただろう!六芒星の印があるやつだ!…お前まさか剥がしたのか!!お前ぇ!」
教授が血相を変えて寺島の両肩に掴みかかり、激しく揺さぶった。
那波淘大(ナナミ トウタ、俺)「落ち着いて下さい!おい!寺島お前剥がしたのかよ!」
寺島「剥がしてねぇよ!俺は、俺はただ近づいてみただけなんだ…。そしたら!札が勝手に燃えたんだ!信じられないだろ!?でも事実だ!なんにもしてないんだぞ!?どうにかできるわけないだろ!」
島「突然か?なんの前触れもなしに?」
寺島がこれ以上ないほど神妙に頷いた。
驚愕した。あり得ない。
島「だから止めろって言っただろ!お前がしょっちゅうそういう所に行ってるから!自業自得だよ!冗談じゃねえよ…」
鈴木「うわっ!!おいみんなこれ見ろ!!」
鈴木が唇を震わせながら寺島の首筋あたりを指さしている。
全員が寺島の後に回り込むように移動する。
信じられなかった。
首筋に、寺島の首筋に、六芒星の印が焼き付いたように刻まれている。
事態が尋常ではないということを全員が察知した瞬間だった。
寺島が狂ったように首筋を擦りまくっている。しかし、消えない。俺も近くで見ていたが、皮質そのものが黒く変色している感じだった。
これが何を意味しているかは見当もつかない。だが、良い予感は露ほどもしなかった。
すぐに崎谷(坊主の友達)に電話をかける。
4、5回のコールの後、繋がった。よかった。
崎谷「もしもし。久しぶりだなぁ!どうしたんだ突然」
那波「すげぇことになった。俺達じゃどうしようもない。聞いてくれるか」
崎谷「…嫌な予感しかしないがな。話してくれ」
俺はそれまでの経緯を一気にまくしたてた。
自分でもかなり焦っていることが分かった。
なにかが迫ってくる、という危機感を肌に感じていた。説明の順序がめちゃくちゃで、思いついたことを片っ端から吐きだしていく感じだった。
崎谷はなんとか理解してくれたみたいで、重い声で言った。
崎谷「聞きたいことがある。その寺島とかいうやつの身体のどこかに、「痕」みたいなのはあったか?手形とか、焦げ跡とか、憶えの無い傷とか、そういうものはあったか?」
言葉を失った。重要なことを話し忘れていたということよりも、崎谷がそのことをピンポイントに聞いてくることに、不吉さを感じずにはいられなかった。
那波「…あるよ。札に描かれている六芒星の印と同じものが、首筋に。それがどうかしたのか?」
最後の言葉を口に出すのは、勇気が必要だった。
長い沈黙。電話の向こうで崎谷が生きているのか死んでいるのか分からなくなってしまう。時間にすれば2、30秒なのだろうが、永遠に長く感じた。
嫌な不安感が波のように押し寄せてくる。
向こうでは教授も誰かに連絡を取っている。
電話の向こうで、低い唸り声が聞こえた。
崎谷「いいか、よく聞け。霊がある特定の人に痕を残すとき、それにはちゃんと理由がある。見失わないようにするためだ。
…恐らく、寺島を中心にして周りの奴等にも取り憑いていくと思う。
通常悪霊は死に場所から動くことができない。だが、媒介となる人間がいれば、そいつを通して動き回ることができる。その人間が、おそらく寺島なんだろう。
封が破れたのも、寺島が触媒となったせいだと思う。
断定はできないから、親父に聞いてみるが、これだけは覚えとけ。
そいつは悪霊の域を超えてる。
だいたい、メールで生きた奴と接触できるなんて、元が人間だとは思えない。
間違いなく、「憑き神」程度の力を持ってる。
具体的にいえば、生者の精神に直接働きかけることができるんだ。
操ることもできるし、気を狂わすこともできる。
対処法は見当もつかない。
この後すぐに、寺島に送られてきたメールを俺にも送ってくれ。で、周りに異常があったら、すぐに連絡しろ。
電話が繋がらないときは、実際は繋がっているから、構わず話せ。
奇妙な音とか声とか聞こえてきても、だ。
これからは肌身離さずケータイを持っておくから、コール三回以内には必ず出る。
それ以上まだコールがなるようなら、それは現実に起こっていることじゃない。
いいか、今、お前には危険が迫っている。
それをちゃんと自覚しろ。
周囲に細心の注意を払って、少しの異常も見逃すな。いいか?」
崎谷がこれだけ親身になって事に対処してくれることに心底安心した。だが、それは事態がこの上なく悪いことの裏返しでもあるのだ。
那波「わかった。この後すぐメールを送る」
崎谷「よし。じゃあ、連絡待っている。なにかわかったらこちらからも連絡する」
那波「ありがとう。じゃあ、また」
すぐにみんなのところに戻る。幾分落ち着きを取り戻していたと思う。
異変に気づく。
全員が教授の方を見つめ、眉をひそめていた。
教授が、電話しながら大爆笑している。
異常なまでの大声で、腹を抱え込んでいる。
全員がじりじりと後ずさる。
すると突然ケータイを投げ捨て、近くにあった椅子に座り、机の中に頭を突っ込んだ。
普通に考えて頭が入るスペースなんて無いから、身体を捩らせながら頭頂部を捻じ込んでいる。
ゴリッゴリッ…
と、不気味な骨音が響きだした。依然教授は大爆笑。
なにかの糸が切れたように、全員一目散に逃げ出す。凄まじい速さで講義室を飛び出し、そのまま食堂まで脇目も振らず走り続けた。半泣きしている奴もいた。
学科生30人が血相を変えて猛ダッシュしている異様な光景に周囲は眼を丸くしているが、そんなの微塵も気にならなかった。
必死に崎谷の電話番号を押している自分がいた。
今思えばその時からだった。
堰を切ったように異常現象が次々と起こり出した。
崎谷が出ない。もうコールは五回以上鳴っている。
ここで先ほどの崎谷の言葉を思い出す。
が、本当に繋がっているのか、たまたま出られないだけじゃないのか、といろいろ考えているうちに、自信がなくなってきた。
よく考えれば、コール中の電話に向かって話しだすなんて気が狂っている。
…おかしい。コールが止まない。
通常は留守番電話に切り換わるはずなのに、さっきからコールが鳴り続いている。
ぞっとした。
現実に鳴っているコールじゃない。
那波「…もしもし。すまん、少し戸惑った。こっちじゃずっとコールが鳴っているんだが、繋がってるんだよな」
依然コールは鳴ったままだ。
那波「……さっき、大学の教授が、なんていうか、異常行動をとってた。笑いながら机に頭突っ込んでた。どうしたらいい?
俺達テンパってどうしたらいいか分からなくて逃げてきちゃったけど、教授どうなってるのか気がかりで仕方がない。戻ったほうがいいかな?崎谷、いるのか?
…返事してくれ!なぁ、わけわかんねぇよ!なんでずっとコールしてんだよ!!崎谷!おい!!」
直後、コールが止んだ。
止んだんだ。
通話状態に切り換わったとか、そういうわけじゃない。
それまで鳴っていた「音」が、ただ鳴り止んだ、そんな感じだった。
そしたら、何か聞こえた。
まるで、電話口を直接引っ掻いているような音だった。
ガリッガリガリガガガガ
得体の知れない恐怖に全身覆われ、耳を離すこともできない。
すると急に音が止む。
直後、「誰か」の息遣いが聞こえ始める。
鼻息を直接電話口に当てているような、丁度そんな感じだ。
ボォーボォーッヴゥーヴッフッフフフフフッボオォォォオオオオ
崎谷「…!!…み!!那波!!おい!返事しろ!!何かあったのか!?おい!」
崎谷の声で我に返った。完全に思考が中断していた。
すがりつくように電話口に向かって叫ぶ。
那波「崎谷!!俺だ!もうわけわかんねぇよ!!変な音が聞こえてきたんだ!誰かの息遣いみたいなのが!もう勘弁してくれ…」
崎谷「落ち着け那波!ちゃんと始めからお前の声は届いてた。急に黙り出した時はどうしようかと思ったよ…。その教授のとこには行くな。絶対だ!」
那波「ちょっと待て!おいおいおい!お前の声女みたいになってるってうわ!ちょっと…崎谷!!崎谷!お前だよな!」
半泣きだった。
崎谷「気にすんな!いいか、向こうはあらゆる手段でお前らを孤立させようとしてくる。いちいち反応してたらまともじゃいられなくなる。いいか!!今お前が話してるのは間違いなく俺だ!崎谷司だ!わかったな!!返事しろ那波!!」
那波「ああ…すまん。もう混乱して…。…!?」
自分があまりにも慌てふためいていたせいで、後ろの学科仲間の騒ぎに気付かなかった。
振り向いて、目を疑う。
学科生が取り巻くその中心に居たのは、石川と、教授だった。
教授は走って俺達を追いかけてきていたのか。
でも後方から追いかけてくれば誰かが気づいてもおかしくない。
もう訳が分からなかった。
崎谷「那波!!どうした!?」
那波「教授が…そこにいる」
崎谷「はっ!?逃げてきたんじゃないのか!?
…いいか!近づくなよ!他の生徒は何してるんだ!」
那波「…マジかよ!!問題出してる!崎谷!どうしたらいいんだ!」
崎谷「わけわかんねぇよ!!問題ってなんのことだ!!」
そこで初めてまだ崎谷にメールを送っていないことに気付いたが、それどころではなかった。
教授が、コピー用紙を石川に突きつけ、ニタニタ嗤っている。
なんと、白紙だった。問題の類は一切書かれていない。
しかし、石川の表情は恐怖に青ざめていた。事態が把握できない。
教授「いいか。期限は一週間だよ。まあレポートやる感じでちゃちゃっとおわらせちゃいなよ。未提出とか、誤答とかするとロクなことにならないからねぇ。答えに辿り着いたらなんでもいい。紙に書いて置いとけ。見にイクからさぁ!
それと、この問題、集団で解こうとしても無理だから。問題の内容は誰にも話せないし見えないようにする。じゃ、頑張って」
一息も入れずにそこまで喋り終えると、教授はその場に卒倒した。
崎谷「那波!!いい加減にしろ!なにも把握できない!まずはメールをよこせ!いいな!!切るぞ!」
そう言って崎谷は乱暴に電話を切った。
石川はなにも書かれていない紙を持って震えていた。全員が駆け付ける。
石川「どうしよう!!答えるしかないのかよ!みんな!」
島「ちょっと待て。それになんか書かれているのか?」
石川「は?どういうこと…。これが見えないのか!?」
*(誰が言ったか覚えていない、または不特定多数)「そこに問題が書かれているのか!?」
石川「そうだ!本気で言ってるのか!?こんなにはっきり印字されてるのに!………」
*「石川?おい!!どうした!!」
急に石川が黙りこくった。視線をあちこちに向け、どんどん息が荒くなっていく。
石川「…ウワァァァァァァァァァアアアアアア!!!!」
突然石川が絶叫した。
全員ほぼ同時に半歩下がる。
石川「…駄目だ!問題の内容を言おうとしたら…息が…目の前が暗くなってフフフフフッフフッフフフッフフフフフッフフフフフフフフ!!」
石川の眼がどんどん赤く血走っていった。
寺島が逃げ出すのが見えた。腰を抜かして立てない奴もいた。吐いている奴もいた。関係無い生徒まで事態の深刻さを悟ったかのように口を開けて見つめている。
石川「だから言ったろー笑問題は独力で解くしかない。ズルしようとした奴は何回でもこいつみたいに気ィ狂わせてやるから覚えとけ」
そして、石川までその場に卒倒した。
ただ茫然と立ち尽くすしかなかった。
作者怖話