今から、20年ほど前。
当時、築40年のボロアパートが私の住まいだった。
まさに裏通りという如何にも様々なイベントが起こりそうな環境の立地に、そのアパートはある。
夜ともなると、あやしげな外国人が路地に立ち、許されない物の受け渡しが日常的に行われているような、日本では最も劣悪といっても過言ではない場所だ。
そんな吐き溜めに越してくる人間は、たいていの場合、まっとうではない。
私の部屋は202号。西隣の201号には、四十過ぎの男の住人がいたが、素性は分からない。まぁ、ここに住む者に素性を尋ねるのは野暮であったから、当然である。
問題は東隣。203号だが、ここは長い間空き部屋だった。
ある日、出先から帰って来ると、その203号から話し声が聞こえてくる。
『訳あり』夫婦か、はたまた『訳あり』カップルか…。比較的若い男女とおぼしき2人が入居したようだ。
「…ここなら、不自由しない…」
と言う女の声は、一言で言うと不気味…。
「そうだろう。とりあえず、…話は……して…」
途中から話し声が小さくなったのは、私が咳払いをしたからだが、その後、男の方からは少し怒りの感情を感じた。
何にしても、他人の抱える問題ごとや秘密は聞かないに限る。
このような環境に住む人間としては、興味本位ほど危険なことはないことを常識として弁えている。
その後、数日は平穏な日々を過ごしていたのだが、2週間くらい経った頃から男女がいなくなった。
と、いうのも、その部屋から電話の呼び出し音が聞こえてきたが、一向に出る気配はなく、その内、切れる。
これが、2日ほど定期的に続いていたからいなくなったと思ったのだが…。
『…出ろよ…。うるせーなー』
私は、この独り言を何回も口ずさんでいたが、隣にも電話に出れない事情があるのだろう…。
始めのうちは、そう思い無視を決め込んで我慢していたが、2日も続くとやはり我慢できなくなった。
何とかするよう、大家に掛け合ったが、大家もなるべく、かかわり合いは避けたかったのだろうか…。渋々部屋を調べ、電話線を抜いてくれた。
『…電話線抜いたからもう鳴ることないと思うよ。…しかし、おかしいねぇ…』
報告に来た大家は何か言いたげであったが、静かな環境に戻れれば、私としてはどうでも良い。簡単な礼で話を遮り、戸を閉めた。
次の日、私の部屋の電話が鳴った。誰にも番号は教えていないし、出る気はない。
暫くすると、呼び出し音は止んだ。
その2時間後、再び電話が鳴り、同じ行動を取り、同じ結果。
更に1時間後、再び鳴る。さすがに何事かと思ったが、やはり無視し出なかった。
そして、30分後…同じように電話が鳴った。
だが次は、結果は同じだが、動機に変化がある。
たかが電話のベル音が異様に不気味に感じ、受話器に手を伸ばす勇気が湧かなかったのだ。
…15分後…。鳴った…。
もはや、尋常ではない雰囲気だ。勿論、出れない。
私は精神的にも参っていたためか、部屋から脱出する考えが湧かず、次に電話が鳴る前に何とかしなければならない…と、いう思考に支配されていた。
10分くらい考えて、大家の言葉を思い出し、急いで電話線を引き抜いた。
それから、1分もしない内に201号の部屋から電話の呼び鈴が聞こえた。
根拠はないがとてつもない安堵感を覚え、思わず腰を落とした。しばらく、呼吸が苦しく、整えるのに時間がかかった。
隣は、その呼び出しには出なかったが、直ぐ間髪入れずに、再び電話が鳴り始め、これには出た様子だ。
私は、壁に耳を当て会話を聞いた。
電話の向こう方の声は聞こえないが、隣の男の声は聞こえる。
「もしもし?…は?…なに!?…ふ…ふざけんな!!何だ、テメェは!!!ゴルァ!!」
この男を何度か見たが、かなり『訳あり』な風貌で、一般人ではない、その筋の方であることくらいは、誰でも想像できる。
おそらく、路地に立つ外国人とも、付き合いがあるのも何となく分かる。
「お…おぃ…。よせや!や…止めてくれや…!!」
口調の変化がある前に、電話の相手が、次元の違う『訳あり』であることを私は確信していた。
「ぎゃあぁあ!」
バタン!!
突然、隣から凄まじい悲鳴が上がり、何かが倒れる音がこだました。
「さん!?さん!?どうしたね!!?」
直ぐに大家が駆け付け、その後、警察が大勢やってきた。
後日、大家と話をしたのだが、男の死因は薬物中毒だったことを聞いた。
そして、203に住んでいた男女も同じく薬物中毒で亡くなっていた事実を聞かされた。
ただし、この男女が死んだのは、更に4年前のことだそうだ。
「…あんたが電話が鳴るって言ってきたとき、おかしいと思ったんだよ…。あの部屋には、その二人が死んで以来、誰も住んでないからさ」
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話