僕は焦っていた
理由は僕の目の前にいる女の子だ
女の子は泣いている
僕が叩いたからだ
別にこの子が嫌いなわけではない
むしろ大好きなのだが
それをどう態度に表わしていいか分らない僕は
いつも苛めてしまう
女の子は変わらず泣き続けている
僕は焦っている
僕はこの子に笑っていてほしいのに……
子供の頃の夢を見ていたらしい
辺りを見回す…オフィスは騒然としていた
どうやら顧客との間にトラブルがあったらしい
電話口でひたすらに謝る者
机の引き出しから資料引っ張り出す者
パソコンを起用に操作し資料作成の準備をする者
皆それぞれに忙しそうだ
ちょうどその時、業務終了時間を知らせるチャイムが鳴った
私は席を立つと課長の元に行く
「では、お先に失礼します」
「ちょ、ちょっと君、この状況で帰るというのか?」
「ええ、定時ですから」
「しかし…」
私は、課長の目をじっと見つめた
「……そうだね。定時だもんね、お疲れ様」
「失礼します」
私は踵を返しそのままの会社を出た
外は帰宅途中の人で溢れていた
ごった返す駅の中で、いかにもという若い男と肩がぶつかる
「オイ!」
そいつが私を呼び止める
「人にぶつかって謝りもしねぇのか?」
私は、相手の目をじっと見つめた
(うるさい黙れ)
「……」
相手は白痴の様な表情をしている
パン!!
私は相手の頬を引っ叩いた
「……」
男は特に何の反応も示さないが
行きかう人々が立ち止り何事かとこちら側を見ている
私はひとしきり周りを見渡した
(見るんじゃない、どこかへ行け)
皆、一様に呆けたような表情になる
一瞬訪れた静寂の後
何事も何事も無かったかのように皆歩き始めた
そう、私は人の心を操る能力を持っている
こう言うと大多数の人が羨ましがり
そして、楽しい人生を思い浮かべるのかもしれない
しかし、実際はそうでもない
むしろこの能力が疎ましくさえ思うことがある
何故なら、いやがうえにも「自分が孤独であること」を自覚してしまうからだ
たとえば、社会生活を営む上で
人との関わり合いというのが必要不可欠であるという事は
誰にも理解できることではあると思う
相互的な協力関係の中でしか人は生きていけない
すべてがその目的であるとは言わないが
人はそういった相互協力の関係を築くために友達や恋人といった
人生を生き抜く上でのパートナーを作っていくのだろう
しかし、私にはそのプロセスは必要ない
人の協力が欲しいときはその通りに念じれば
人は私の思うように動いてくれる
非常に便利この上ないのだが
その反面、私は人との関わり合いの中で
友情や愛情といった
普通の人間なら感じずにはいられない当たり前の感情を
経験する機会が全くなかった
そもそも、好きな時に相手を自由にコントロールできてしまう人間が
その相手と通常の人間関係を築く事などできるのであろうか?
その答えに気付いた時から、私は自分の孤独を意識するようになった
ならば敢えてその能力を使わなければいいのではないか?
と思うかもしれないが
私はこの能力を自覚して以来
ほとんど能力を使わずに人とコミニケーションを取ったことがない
自分でも何か壊れていることに気付いているが
もはやどうしようもない
長い間そう生きて来てしまった自分をそう簡単に変えることはできない
なんと空虚な人生を送っているのだろう
「ただいま」
玄関を開けると、奥の部屋から妻が出てきて
「おかえり」
私を笑顔で出迎えてくれた
さすがに普段から、毎日出迎えてくれるわけではないが
今日は結婚してちょうど一年目である
ちょっとしたサービスのつもなのだろう
彼女とは幼馴染で
私が能力を使わずにコミュニケーションを取れる唯一の存在…
というより、私は彼女に対して能力を使ったことが一切ない
おそらく、私が能力を自覚する前からの知り合いだった為
それが自然とできるのだと思う
それに彼女は私を苛立たせたり、不快にさせるようなことは一切しなかったし
なによりも私は彼女の笑顔が好きだった
彼女笑顔は私を安心させる
私は、能力を使った時にその相手がする
あの木偶のような表情を彼女にはさせたくなかった
私は彼女のお蔭で随分と救われてきたと思う
しかし…
「ごめん、まだご飯出来てないの」
彼女は言った
「いや、いいんだ。それよりもこっちに来て座ってくれないか?」
私はリビングに彼女を呼び寄せた
彼女が来ると私はカバンから瓶を一つ取り出した
中身は睡眠薬だ…
密かに、しかし、着実に私の心は綻び続けていた
生きているという実感が希薄なこの人生
このまま続けていくには私の心は疲弊しすぎていた
このままでは私自身が木偶の様になりなそうであった
今なら、決断できる
彼女と一緒であるなら…
彼女は何の疑いもないような笑顔で私を見ている
(この薬を一緒に飲もう)
私は初めて彼女に対して能力をつかった
彼女から見る見るうちに表情がなくなり白痴化していく
彼女は大量に薬を手に取りそして…私もそれに続いた
私は彼女を連れベッドへ向い
私と彼女で向き合う形でベッドに横なった
私はひどいことをしてるのだろうか?
彼女の顔を見ながら自問自答した
やがて、薬が効いて来たのか体が段々と重くなり
目が開けているのが困難になってきた
「すまない、そしてありがとう」
私は何とかそれだけを言った
彼女は一瞬表情を取り戻し笑顔になった
私はそれを確認すると、ゆっくり瞼を閉じた……
気付くと私は動物園らしき所におり
ベンチに腰を掛けていた
目の前には檻があり
『牛』とだけ書かれたネームプレートがかかっていた
「ここは…?」
思わず私は呟いた…
「ようこそいらっしゃいました」
私は隣に一人の男が居ることに気付いた
「……」
私が何も言えずにいると男は目の前の檻を指差した
檻の中ではちょうど二人の人間が飼育部屋から出てくるところだった
一人は飼育員らしき恰好をしている
もう一人は全裸の男でその飼育員らしき人に引きずられている
飼育員は男を檻の中央に放り投げると
地面と繋がっている鎖で手足をつないだ
どうやら逃げられないようにしているらしい
飼育員は一度飼育部屋に戻ると少し大きめの七輪のようなものを持ってきた
中には火掻き棒のようなものが数本入っている
飼育員はおもむろにその火掻き棒を手に取ると
先端の平たくなっている部分を全裸の男に押し当てた
男の絶叫が園内に響きわたる
飼育員は男の皮膚が焦げ付き黒くなったのを確認すると
一度その火掻き棒を七輪に戻し
別の棒を取り出した
ネームプレートから嫌でも想像できてしまう…
つまり『牛』の模様を作ろうとしているらしい
「なるほど…」
私は呟いた
「ひょっとしてここは地獄…という事なのか?」
「ええ、そうです。良く解りましたね」
「ああ、なんとなくな」
「素晴らしい、なかなか皆あなたの様に理解いただけないのですよ」
園長と名乗った男は嫌な笑顔でそう答えた
「わたしは罰を受けるのか?」
「ええ、そうです。」
「それは現世で罪を犯したから?」
「はい」
「ちなみどんな罪だ?」
「色々、あるんですが。一番大きな罪は自ら命を絶ったことです」
「そうか」
私は短く答えた
ここが地獄であることは特に驚きはしなかった
なぜなら、先ほどからこの園長と名乗った男に対して能力を使おうとしたのだが
一切使えなかったからだ
根拠は特に無いがその時からすでに私はなんとなく予感めいたものがあったのだ
そんな事よりもここに来た時からひとつ
気になっていたことがあった
「一つ確認したいことがある」
「何でしょう」
「私の妻は…いったい何者だったんだ?」
「何者とは?」
「死の間際、彼女は笑った…
それが解せない
よくよく考えてみたら、私が能力を使った場合その相手は必ず表情が失せる
にも関わらず…彼女は笑った」
「つまり…?」
「彼女は私の能力の影響下にはなかったのではないのか?」
「だとしたらどうだ言うんです?」
「私は本当に罪深いことをしたのではないかと思ってね
私の能力の影響下にいなかったのであるとするなら
彼女は自分の意志で私に着いて来てくれたのだ
彼女は私を本当に愛してくれていたのだと…」
「なるほど…」
「……」
「……」
「結論から言うと、それは勘違いです」
「なんだと?」
「彼女はあなたを愛してなどいない」
「なぜ、お前にそんなことがわかる!!」
「あなたの犯した罪で一番大きいのは自ら命を絶ったことですが
その次に大きな罪は彼女を殺したことです」
「……」
「もし、あなたの言う通りだとするなら
彼女もまた自ら命を絶ったことになります
しかし、彼女はここに来てはいない…これがどういう事か考えればわかりますよね?」
「しかし…彼女が私の能力の影響下にあったというのなら…
なぜ彼女はあの時笑ったのだ!!」
「それは、あなた自身に思い出していただく他ありません」
「何を……」
その瞬間、私を強烈な頭痛が襲った
頭が割れそうになるような痛さに呻きながら
私は過去の記憶を取り戻していった
依然、女の子は泣きやまなかった
僕は、ますます焦ってきた
先に公園に行くと言って家を出てから随分時間がたっている
もう少ししたら母親が来てしまう
この状況を見たら僕が女の子を叩いたことが知られてしまい
きっと怒られてしまう…
僕は女の子のほっぺをつねった
「泣くな!!」
しかし、女の子はますます大きな声で泣き始めた
僕はもうどうしていいかわからず
ますます、つねっている指に力を込めた
「泣くな!!泣くんじゃない!!」
女の子はさらに大きな声で鳴く
「泣くな!!泣くなったら!!僕を困らせるようなことするな!!」
女の子は泣きやまない
「笑えよ!!もう少ししたら親がここに来る
僕が何をしゃべっても笑っているんだ!!」
女の子は泣きやまない
「いいから笑ええええええ!!」
そして…女の子は泣きやみ、微笑んだ…。
少しづつ頭痛が収まってきた
私は今や、すべてを思い出した…。
私は…あの時初めて能力を使ったのだ
そして、彼女はあの時以来ずっと私の能力の影響下にいたのだ…
彼女が私に対して、を苛立たせたり、不快にさせるようなことは一切しなかったのは
あの時以降ずっと私の能力の影響下にいたためであり
決して彼女自身から発生した行動によるものではなかった
私は、それを勝手に彼女の愛情だと勘違いしていた
「そんな…私は…」
園長と名乗った男が私の耳元でつぶやく…
「ええ、そうです。あなたは…誰にも愛されてなどいなかった」
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話