旅行でインドに長期滞在していた時の話。
インドはとにかく交通事故が多い。
年間を通して交通事故死亡者の数が世界でもっとも多いのだ。
普通に街中を歩いていても、簡単に交通事故現場に遭遇できる。
俺が昼食を済ませるため、定番のインドカレーを食いに出かけた時の事。
道路の中央に、なにやら人だかりが出来ている。
インドにいれば別段めずらしいことではないのだが、そのときの俺は何故かその人だかりの中に分け入り、「それ」を見てしまった。
若い男がバイクとともに血を流して倒れていた。
気の毒な事に、男の下半身部分は不自然な形に折れ曲がり、上半身は下半身から離れ1メートル先のアスファルトに転がっていた。
近くにはトラックがあり、前部が大破していた。
たぶん高速で追突して自分のバイクのハンドル部で2つに分断されたと推測できる。
男の体格からも肉の慣性が大きいので、たぶん間違いない。
あまりにも悲惨な光景に食欲が一気に失せてしまった。
今日はホテルで大人しくしていようと思い、人だかりから出ようとしたとき、不意に肩をつかまれて呼び止められた。
「おい」
「え?」
振り向いた俺はゾッとした。
俺の肩をつかんでいるのは紛れもなく、今そこに横たわっている男だった。
服装も顔も髪型も、全てが同じなのだ。
ただ違う点は、胴体が繋がっているのと、まったく汚れていない服、それはまるで事故前の姿のようだった。
人だかりの中にいるのにも関わらず、その男の声だけがはっきりと、まるで俺とその男しかそこに存在しないようなほどにはっきりと聞こえた。
「はは、真っ二つだよ真っ二つ。これじゃあもうバイクには乗れないなぁー・・・。」
「俺、嫁も子供もいるんだよ。今日も家で嫁と子供が俺の帰りを待ってる。」
「なんで俺がこんな目に遭わなきゃいけないんだ・・・気をつけてたのに・・・」
「死にたくない・・・死にたくない・・・夢だってあったのに・・・俺は死にたくない・・・家族が待ってる・・・死にたくない・・・死にたくないよ・・・」
そう言いながら男が俺の両腕にしがみつき、胸のあたりに顔をうずめてきた。
振りほどこうにも、まるで金縛りにあったように身動き一つできない。
周りの人間は誰一人として気づいてはいなかった。
ただそこに横たわる「真っ二つ」の死体を指さして隣の人に語りかけたり、口を手のひらで押さえて凝視しているだけだった。
これだけ人がいるのに、周りの音が全く聞こえない。
まるでその男と俺だけが別の空間に隔離されたような、そんな不思議な状況だった。
「死にたくない・・・死にたくない・・・助けてくれ・・・死にたくない・・・俺は・・・死にたくない・・・だから」
少し間をおいて男がうずめていた顔を上げ俺を見た。
「代われ」
その瞬間周りの音が元に戻った。
しがみついていた男も消えていた。
アスファルトに横たわっていた死体は、警察の手によって黒いシートが敷かれ片付けられようとしていた。
俺は先ほど起きた不思議な現象にただ呆然と立ち尽くすしかなかった。
その日から、その男の夢を頻繁に見るようになった。
何もない暗闇の中で、上半身だけの血だらけの男が、こちらに向かってゆっくりと這って来る。
その間、俺は動くことが出来ない。
目もくらむような暗闇の中、男だけが異様にはっきりと見えた。
男は俺の体をのぼってくる。
そしてあの時と同じように、胸の位置に顔をうずめて俺に語りかける。
「死にたくない・・・死にたくない・・・助けてくれ・・・俺は・・・しにたくない・・・だから」
男は少し間をおき顔をあげて俺を見る。
「お前が代われ」
いつもここで目が覚める。
ドイツに滞在中、ずっとこの夢に悩まされていた。
ある晩、夜中にホテルのベッドで寝付けずゴロゴロしていると足元から「死にたくない・・・」と聞こえた。
触れられている感触は無いが、無視していると声はどんどん上ってきて、最後は胸元のあたりで「おい」と聞こえた。
布団をめくったら何もなかった。
こんなことが毎夜続くので、俺はあの事故を目撃してから一週間後に帰国した。
帰国してからは、その男の霊を見ることはなくなった。
しかし気になる問題がある。
何故、周りにあれだけの人がいながら、俺を選んだのだろうか。
たまたま波長があったから?
そこに偶然いたから?
俺が一人だけ日本人だったから?
俺が衝突したトラックの運転手だと勘違いした?
ドイツに滞在中聞いた話では、衝突したトラックの運転手は事故が起きた際、すでに即死だったそうだ。
その運転手は事故前に大量の飲酒をしていたらしい。
バイクの男は事故の瞬間体が2つに分断されたが、即死ではなくしばらくは意識があったらしい。
朦朧とする意識の中、たった一人日本人だった俺に興味を持ってしまったのだろうか。
ただ一つ言えることは、俺はその日「偶然」その現場に遭遇し、いつもは素通りする事故現場の人だかりの中に分け入り、その男の死体を見てしまったという事。
まるで、吸い寄せられるように。
日本に帰国後、電車の中で高校卒業以来何年も会っていなかった友人と偶然再会した。
友人は会社の帰りだったらしく、近くのファミレスで話さないかと誘ってきた。
俺もその後特に用事はなかったため了解した。
コーヒーを飲みながら昔話に花を咲かせていると、突然友人が真剣な顔つきで俺を見てきた。
「?」
「お前の胸の辺りにやっかいなもんがしがみついてる。早く祓った方がいい。」
「見えるのか?」
「ああ・・・ところでなんでそいつ、下半身がねえんだ?」
俺はその時初めて、心底ゾッとした。
近々、お祓いに行こうと思う。
怖い話投稿:ホラーテラー 達人さん
作者怖話