個人宅配業を営む、Tさんが体験した話である。
企業配と違い、宅配の昼間の在宅率は、よくても6、7割であるから、夜間に再配をかける。
その日も、午後8時40分、Tさんは、夜間の配達を一通り終え、残った荷物を保管するために、センターに向かっていた。
秋もすかっり深まり、夜の空気は肌寒い。窓を開けて走って行くと、虫の声が、微かに聞こえてくる。
やがて、郊外に出ると、星空が美しく、ラジオに流れる音楽と溶け合っているようで、心地好い。
前方を見ると、小川が流れ、間もなく、その橋に達しようとする時だった。
ザッザザ〜ザ・・・
ラジオに突如、ノイズが入る。
Tさんは、舌打ちしてラジオを切ると、タバコをくわえ、火を着けた。
ふぅ〜と一息つき、そういえば、この川の土手には、彼岸花が一面に咲く。昼間ならきれいだろうな。Tさんは、そんなことを思いながら、橋を渡ろうとした。
その時である。
「 ・・・しゃん、ごんしゃん、何処へゆく、 赤いお墓の曼珠沙華(ひがんばな)、曼珠沙華、今日も、手折りに来たわいなぁ・・・・」
物悲しく、啜り泣くような、女のアカペラの唄が、何処からか聞こえてくる。
ラジオは切ってある。しかし、外の歌声が、走行中、これ程、明確に聞き取れる分けがない。
いったい何なんだ?
Tさんは、薄気味悪くなり、ラジオのスイッチを入れたが、まったく反応しない。逆に、その歌声は、ますます大きく、はっきりと聞こえてくる。
その時、Tさんは、目を見張った。目の前に、急に人らしきものが、飛び出て来た。
うわ〜あっ!!
急ブレーキをかけたが、間に合うはずもない。
鈍い、生理的に嫌な衝撃とともに、車は急停止した。
ああ!やってしまった・・・何てことだ・・・
Tさんは、絶望感に茫然自失となりながらも、車から降り、辺りを見渡した。
い、いない・・・誰も・・・??どういうことだ?
急停止する直前、確かに、確かに、この目で見たのだ・・・。白っぽい服の女と、そして幼い子供もいっしょだった・・・そして、間に合わず、撥ねて、撥ねてしまったのに・・・
Tさんは、混乱する頭で車に戻ろうとした。いずれにしても、道の真ん中に、停車しておく分けにもいかない。車を脇に寄せて、懐中電灯でもう一度、よく調べなければ。
その時である。
「ごんしゃん、ごんしゃん、何本か、地には七本、血のように、血のように、ちょうど、あの児の年の数・・・」
何処からか、また、あの唄が聞こえる。もっと近くで、もっとはっきりと・・・。
Tさんは、この時、悟ったのだという。
今、自分が、とんでもない世界に迷いこんだことを、とんでもない者達と遭遇してしまったことを・・・・
脈拍数は急増し、寒いというのに、嫌な汗が体からじわじわと湧いてくる。
車に戻り、エンジンをかけようと、ふと下を見た瞬間、Tさんの体は固まった。
足元のプレーキとアクセルの間から、白っぽい女の顔が、暗闇にも関わらず、はっきりと、そこに見える。
目は真っ赤に充血し、恨めしげに、じっとTさんを睨み、赤い紅を施した唇は、真一文字に結ばれていた。
ひっひぃ!うわああ〜!
Tさんは、もはや恐怖の極限に達していた。
車を飛び出し、狂ったように走り始めた。どこをどう走ったのか、全く解らずに、とにかくがむしゃらに走ったそうだ。
この場から一刻も早く、少しでも遠くに離れたい。そんな一心で、しばらく死に物狂いで走った。
いったい、どの位、走ったのだろうか。流石に、もう走れない。限界だった。心臓は破れるほど、脈打ち、呼吸困難な状況で、その場に膝を着いた。
そして・・・・、更なる悪夢が・・・
顔を上げると、小川があり、橋があった。そして、自分の乗り捨てた車が・・・・
その時である・・・・
「ごんしゃん、ごんしゃん、気をつけな、ひとつ摘んでも日は真昼、日は真昼、ひとつあとから、また、ひらく」
橋の上で、白い顔の女が、赤い目で、じっとTさんを見つめている。
血まみれの幼児を抱え、あの唄を歌いながら・・・
啜り泣くような、物悲しい声で・・・・
その時、Tさんは、何故か、それが、二本の赤い彼岸花に見えたそうである。
Tさんは、そこで完全に意識を失った・・・・。
その後、Tさんは、仕事も廃業し、長い闘病生活を続けているらしい。
担当医師の診断によると、PTSD、つまり外的障害後ストレス症候群。
個人の内面的な、苦悩などから発したものでなく、明らかに、生命に関わる、外的な事故やショックによって、精神障害や、それに伴う肉体的、生理的な障害を引き起こす疾患だそうである。
また、因みに・・・Tさんが通った橋の手前で、15年程前、轢き逃げ事件があり、今だに未解決だそうである。
幼い命が犠牲となり、その母親は、気の毒にも頭がおかしくなり、小川の土手を、唄を口ずさみながら、暫く徘徊していたという。
その唄は、
山田耕作 作曲
北原白秋 作詞
曼珠沙華(ひがんばな)
であった。
「 ごんしゃん、ごんしゃん、何故、泣くう、いつまで取っても、曼珠沙華、曼珠沙華、怖や、赤しや、まだ七つ」
今、私は、CDでこの歌曲を聞きながら、Tさんの怪話に思いを馳せる。
そして、まさに、これこそ、
強ち 起こり得ない話とは 言い切れない・・・・
と、密かに思うのである。
怖い話投稿:ホラーテラー 洗島の八さん
作者怖話