十年くらい前のことだが、年末の慌ただしい時期のことだったのでよく憶えている。
現実的には絶対ありえないことだが、私とお得意先の部長さんが、とある日帰り温泉の休息所でなぜか商談をしていた。
そこへ、内湯の脱衣場を後にしてどこかで見かけたことのある初老の男性が現れたのだ。
紛れもなく、当時すでに亡くなっていた叔父だった。私は驚いて、
「こんな場所で会うなんて信じられません。今日は何でまた…?」
と、思わず叔父に声をかけた。
叔父はいい湯かげんだったのか、気持ち良さそうに髪の毛をタオルで拭いながら、
「今日はミツコと一緒でな。表で待ってんだよ…」
と、ニコニコしながら私に言った。叔父の肩辺りから、ほんのり湯気が立ち上っていた。
さらに叔父は、
「マサアキのことがな…じゃあ、またな…」
と、少ししかめ面をしながら嘆くと、靴をはいて出て行こうとする。私は叔父を追いかけようとするのだが、叔父が出口の扉を開けたとたん、外から強烈な光が射し込み、叔父は光に吸い込まれるようにそこから消え去った。私は呆然と見送るしかなかった。
そんな夢を見たのだ。
ミツコというのは義理の叔母で、二人は夫婦だ。叔父より一年後に亡くなっていた。つまり、二人ともこの世の人ではないってことだ。マサアキというのは、その息子だから私の従兄弟にあたる。
叔父が亡くなった当時、そのマサアキの行方が知れず、両親の葬儀にも現れなかったので、私ら含め親戚、兄弟も随分心配した。
私は亡くなった人と会話すると、死期が近いという言い伝えを聞いたことがあったので、夢を見たあと気を紛らわせようと、このことを仲のよい同僚に話した。同僚は、
「俺も亡くなった人の夢見たことあるけど、そういえば亡くなった人って、しゃべらないよなぁ…そんな言い伝え自体知らないけど、叔父さんはお前に何か言いたかったんじゃないのかな…?」
と、真剣な表情で助言してくれた。私は悩んだ末、弟にもこのことを話した。弟は、
「あぁ…たぶん、墓参りしてないからじゃないか?キョウコも香港だろ?マサアキは行方知らずだしな…」
キョウコというのはマサアキの姉だが、旦那の海外勤務について行っていた。
とにかく悩んでいても始まらないと思い、私と弟で叔父の墓参りをすることにした。
叔父は今は亡き私の親父と違ってエリートだったが、ツンケンしたところがなかったし、私ら兄弟を息子のように大事にしてくれた。幼少の頃、親から買ってもらえなかったものを叔父にねだると、「内緒だぞ」と笑って、こっそり買ってくれたりした。
叔父は服飾業界に勤めていたせいか、仕立てのいいスーツを着こなし、たぶんコロンをつけていたのだろう、いつも甘い匂いがしていた。私ら兄弟はそんな叔父が好きだったし憧れの存在だった。しかし今から思えば、叔父はなぜか息子のマサアキにだけは厳しかったように思える。
マサアキは飲み屋で知りあった外国人女性と恋愛関係に陥り、結婚の意志を両親に伝えたが、叔父は猛反対した。マサアキは話のわからない叔父に啖呵を切って、その女性と駆け落ちしてしまった。叔父は、
「俺はあの女が外国人だし、飲み屋あがりの女だから反対してるわけじゃねぇ…あの女は絶対ダメだ!マサアキを滅ぼすだけだ!」
いつも優しい叔父とはちがって、当時本当に恐い顔してそう言っていた。
それを聞いていた私の親父は、
「そうかなあ…?美人だし、よく気のつくいい子だと思うぜ。お前、なんでそこまで反対するんだよぉ?」
と、呑気そうに叔父に言っていた。
叔父は兄であるそんな親父の言うことをまったく無視していた。
私ら兄弟はマサアキの心中とか、もしものことを案じたが、叔父は、
「あいつにそんな勇気はねえょ!そのうち泣きついてくるぜ!」
ときっぱり言って、真っ赤な顔して怒っていた。
叔父が眠る墓地は駅から急な坂を十分程度登りきった丘の上にあり、ここから街や港が一望できた。
叔父は亡くなる一年前に、すでにここに墓を建立していた。そして、まっさきにこの中に入り一年後には夫婦が一緒になった。
私と弟は叔父の墓の前に立ち呆然となった。
墓の周りは私の背丈ほどもある雑草が何本も生い茂っていた。墓石にはべたべたと鳥の糞が付着していた。叔母が亡くなってからたぶん誰もお参りすることがなかったかも知れない。私は叔父、叔母に心から詫びた。
とても寒い日だったが、それから私らはお互い無言になって叔父の墓を必死で掃除した。二、三時間はかかったろうか、墓は見違えるようにきれいになった。
そして、誰よりも清潔感があり、温泉が大好きだった叔父のために用意していたお湯で墓石を拭った。叔父が好きだった焼酎も墓前に捧げた。墓石からかすかに湯気が立ち上っていた。最後にお香を焚き、合掌して叔父の墓を後にしたとき、コロンの甘い匂いがした。
数ヵ月後、弟から連絡があった。
なんと、マサアキが現れたと言うのだ。
マサアキは、地方都市の信用金庫で働いていたが、業績悪化で破綻、現在旅館で住み込みの賄い夫をしながら細々暮らしていた。
駆け落ちした嫁はマサアキの預金通帳やキャッシュカードを持って、数年前に忽然と姿を消していた。幸いにも子供はいないが、金に困っていて、弟に借金を申し出てきたと言うのだ。
弟はマサアキにずいぶん説教したが、結局マサアキは弟の経営する薬局で事務を手伝い、当分の間弟の自宅に住み込むことで決着がついた。借金の返済は叔父の遺した預金ですべて終わらせた。
現在マサアキも別に所帯を持ち、娘が一人できた。さらに薬局で事務長として経営に敏腕を振るっている。
そして、私ら兄弟とマサアキは、お互いの両親の墓を毎月一回お参りすることにしていた。昨日も墓前に立ち、一年間の近況報告とお礼参りをした。
昨日、叔父の墓に向かう坂で私はハッとなった。
私の前を亡き叔父が歩いている…
我先にと前を歩くマサアキの後姿が叔父にそっくりだった。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話