携帯で一気に書き下ろしたので、誤字、脱字など、読みにくい点もあるかもしれないが、勘弁して欲しい。
1996年8月某日。
その日、出身小学校の裏山に集まったのは、二十人程だった。
タイムカプセルを掘り起こすためだ。
ほどなくして掘り出されたタイムカプセルを開き、懐かしい品々を手に取って、皆一様に楽しんでいた。
不可解な物を見つけたのは、来ていない仲間の品物を選り分けている最中だった。
それは円形ディスク。
CDなのか、それとも他の物なのか、その時は不明だったが、ともかく、これを埋めた当時は流通しておらず、存在するはずのないものだった。
私以外は、その違和感に気が付いていない様子だ。
掘り出した時にはCDは普通にあったものだし、無理もないか。
私自身も、そう深くは考えずに持ち主不明物として保管を引き受けたのであった。
時が経ち、2007年の冬。
同窓会にて再び皆が集まる機会があった。
この時は、私はそのことをすっかり忘れていたのだが、このディスクの話題が誰からともなく上がった。
『…あぁ、そういえばあったね。そういうの。
たぶん、自宅にあると思うけど…。
でも、あれ埋めたときCDなんか、この世にあったっけ?』
この問いに、私の周囲は一時の静寂に包まれ、皆顔を見合せ不思議そうな表情を浮かべていが、すぐに何か勘違いをしているのであろうという答えになり、私が中身を確かめることになって、ドンチャン騒ぎの再開となった。
翌日、二日酔いの目覚めで気分は低調ではあったが、ディスクのことがどうにも気になって、物置に向かった。
パソコンのトレイにディスクをセットし、プレイヤーを起動させると、フォルダが表示された。
その中にあるのは、どうやら画像ファイルのようである。
その一つをクリックすると、徐々に画像が画面に表示されてきた。
皆が笑いながら写ってる6年生の修学旅行の集合写真に思わず『フ…』と笑みを溢す。
次のを表示さそうと画像を閉じようとしたときだった。
40人の仲間と先生とバスガイドが写る普通の写真…。
デジカメなど無い時代にどうやって?などという疑問も、どうでも良くなる程の事実が写っていた。
いや、正確に言うと写っていない。
…私が写っていないばかりではなく、知っている人間が4人を除いて誰一人としていないのである。
間違いなく我々の写真。
次も、また次も、記憶にある場面に風景…。
ただ、先程の4人以外は写ってる人間だけがすり変わっている。
最後から二番のファイルはワード文書だった。
私は震える指でそれを開いた。
『やっと思い出したか』
…何のことか分からない。
最後の画像ファイル…。
これには唯一フォルダ名が設定されている。
『1975.8.**(日付)』
この写真には憶えが無かった。
どこかの海岸であろうか、同級生5人が写っている。前述の4人ともう1人。
日付からして、小学5年生の夏休みだろう。
小学5年生…?
小学5年生の夏休み…。
そうだ、思い出した。
私の小学校では2年に一度にクラス替えがある。
つまり、5年と6年は同じメンバーだ…。
5年の夏休み明け、学校に行くと悲しい知らせが担任によって知らされた。
1人の生徒が1人で近くの海岸で遊んでいて行方不明となったのだ。
それ以来、クラスは39人のはずだ。
彼だったのか…。
するとこの4人は?
私は不安と好奇心に駆られ、図書館に奔り、当時の記事を探した。
『1975.8.**』の新聞に小さな記事。
間違いなくあのファイルのタイトルの日付だ。
その場で、同窓会の幹事に電話をかけた。
あの4人はタイムカプセルのときも、同窓会にも来ていない。彼らとは連絡が取れたのか知りたかった。
『あぁ、あいつら、結局連絡取れなかったよ。どうかしたのか?』
『…いや…。何でもないんだ』
なぜか、話す気にはなれなかった。
おそらく、彼らは見つからないだろう。
去年の夏、あの海岸で少年の遺体が発見された。
もう復讐を終えたのだろうか?
結局、このことはクラスのメンバーには話してはいないが、ディスクを見た数ヶ月後に行方不明になった子の墓参りを言いだし、半ば無理矢理数人を連れ出した理由である。
因みに、ディスクは今でも私が保管している。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話