私が小学校3年生になった時、クラス替えで新しく古木杉(コキスギ)くんという人物とクラスメイトになった。
古木杉くんは、背が低く、浅黒い肌の、大きな目をした少年で、真冬でもいつも短パンを穿いていた。
また彼はとても不潔であり、そのスポーツ刈りの頭にはいつもフケが混じっていて、着ている服は何日も同じ服だった。
しかしそれ以上に、彼には強烈な特色があった。
彼は大変な好色であったのだ。
小学校3年生というと通常、男子は女子に興味があったとしても、プラトニックな範囲か、持つとしても少しの性的な感情しか持たないが、古木杉くんは男子中学生と変わらぬような旺盛な性欲の持ち主で、口を開けば卑猥なことばかり話していた。
我々が女子について話をするとしても、誰々が可愛い、などと顔の話をするだけだったが、古木杉くんは、誰々のケツがいい、などと女体の特定部位についての話をした。
彼の女性の胸に対する執着も大変なもので、特に巨乳(当時はボインと言った)への拘りは特筆すべきものであった。
ボインと言っても、クラスメイトは子供ばかりで一人もボインがいないので、必然的に彼の興味は女教師の胸に向かっていた。
私たちのクラスの担任は引保先生という、男の教師であったので、古木杉くんは時おり、休み時間になると、わざわざ校舎の1階の1年生のフロアまで出かけて、1年2組の担任でボインの女教師の胸を拝みに行った。
そうは言っても、古木杉くんは同年代の女子に興味がない訳ではない。
1年生の終わりか2年生の始め頃には誰もやらなくなっていたスカート捲りを、彼だけは3年生になってもずっと続けていて、女子たちから大変な顰蹙を買っていた。
「もう!やめてよ!」などと女子から怒られても、古木杉くんは「うひゃひゃひゃ」と言って高らかに笑いながら、阿呆面で別の女子のスカートを捲りに行くのであった。
私はどういう訳かそんな古木杉くんとしだいに仲良くなっていった。
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私が古木杉くんと仲良くなって少しして、私たちは初めて古木杉くんの家で遊ぶこととなった。
私たちは学校から古木杉くんの家に向かう途上、いつものように戦いゴッコをした。
戦いゴッコで私がカメハメ波を炸裂させると、古木杉くんは決まって、『ボインアタック』という、オリジナルの必殺技で反撃してきた。
このボインアタックというのは、古木杉くんが着ているTシャツの中にテニスボールを2つ入れて即席のボインな胸を作り、「ボイーン」と言いながら体当たりをしてくるというものだった。
彼はこの必殺技のためだけに常にテニスボールを2つ持ち歩いていて、そのくらいボインが好きな少年だった。
そうした戦いの最中、私の攻撃を古木杉くんが避けたとき、古木杉くんはランドセルの留め具をきちんと留めていなかったので、ランドセルの中身が路上に散乱してしまった。
「うひょひょ、いただき」などと言って、私が散乱した古木杉くんの私物を拾ってランドセルに戻していると、路上に落ちた彼の私物の中に、1枚のボインの女性のブロマイドがあるのを見つけた。
何かと思って私がそれを手に取り、見てみると、それは南国系の顔立ちのボインの若い女性が、胸のあいたドレスを着て、小悪魔的な薄笑いを浮かべている写真であった。
「なんなの?これ?」
私が尋ねると、古木杉くんは少し恥ずかしそうに、「かあちゃんだよ」と答えた。
そしてその時、初めて私は、古木杉くんの母親がフィリピンの女性であること、彼の母親は彼が1年生の時に家を出て行き、今はもうフィリピンに帰ってしまったこと、古木杉くんは現在、日本人の父親と2人暮らしであることを知った。
私は古木杉くんのボイン好きのルーツは実はこの母親にあり、彼はボインの女性に、生き別れた母親の面影を見ているのかな、などと、大人びたことを考えた。
古木杉くんの家は、『栗花荘』という、非常に古い木造のアパートだった。
栗花荘は2階建てで何室か部屋があるが、今住んでいるのは1階に住んでいる古木杉くん親子2人だけのようだった。
と言うのも、古木杉くんの家のドアに張り紙がしてあったのだ。
「この部屋は○月×日をもって閉鎖した。部屋に立ち入った場合は不法侵入とみなし、○○警察に引き渡す」
このようなことが書かれていた。
栗花荘は取り壊しのため古木杉くん親子は立退きを迫られていたが、彼らはそれを無視して、おそらくは家賃も払わずに居座っていたのだった。
古木杉くんは張り紙を見ても何も驚くこと無く、無言でベリベリと張り紙を剥がすと、ドアを開けて私を部屋に招き入れた。
ドアを開けた瞬間、カビ臭さと男の汗臭さに、使用済みの大量の靴下の匂いを混ぜたような、独特の刺激臭が私を襲った。
部屋の中は小さな電球一つで薄暗く、窓には何故かガムテープがバッテンに貼られているので外の光もあまり入っていなかった。
至る所に脱ぎ捨てた作業着や、古木杉くんの主食であったカップラーメンの残骸が散乱し、壁には半裸で胸を出した女性が、ビールを注いでいるポスターが飾られていた。
どういう訳か床の一部が剥がれて土が剥き出しになっている部分があり、石ころや砂利みたいなものも散乱していた。
うわぁ、これは凄いところにきたなと、私が驚いていると、古木杉くんはヘラヘラしながら「まあ、入ってよ」と言った。
私は部屋に入るとすぐに、何かネットリとした柔らかいものを踏んでしまい、「うへえ」と声をあげた。
何を踏んだのか足を上げて見てみると、それは使用済みのコンドームだった。
私は当時それが何なのかよく分かっていなかったが、それが何か汚い、いやらしい物であるとは直感的に理解した。
私は思わず「汚ねえ!」と叫び部屋を飛び出して、古木杉くんは「うひゃひゃひゃ」と言って腹を抱えて笑っていた。
家に帰って私が古木杉くんのことを母親に話すと、PTAの役員で人の噂に精通していた母は、古木杉くん一家のことをよく知っていた。
古木杉くんは1年生の時に同じ区内の学校から転校してきたそうだが、それからしばらくしてフィリピン人の母親は家を出てしまったということだ。
古木杉くんの父親は元々はペンキ屋であったが、奥さんが出ていってからはほとんど廃業して、現在は当たり屋で生計を立てているという噂だった。
つまり古木杉くんの父親はデリヘルやパチンコなどで遊興して金が無くなると、高級車に体当りして交通事故被害者を装い、示談金などの名目で、運転していた金持ちから金をせびっていたのだった。
私の兄の関係もあって長期に渡ってPTAの役員であった母は、問題のある家庭の代表格みたいな存在であった古木杉家を心配していて、フィリピン人の奥さんから何度か相談を受けたこともあった。
彼女は、ペンキ屋の仕事をあまりせず、金があると風俗ばかり行く、大変な色魔であった古木杉くんの父親と離婚したいと考えていた。
古木杉くんの父親の好色ぶりは同じく好色であった古木杉くんの比ではなかったそうだ。
フィリピン人の奥さんは、元々体があまり丈夫でなかったこともあり、働かずに家にずっといた古木杉くん父に、一日に何度も何度も関係を求められることで、大変に衰弱していると吐露していたという。
離婚して家を出るにしても今後の生活費と、子供の今後が心配と、フィリピン人の奥さんは息子である古木杉くんのことを大変に心配していたという。
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先にも少し触れたが、私たちのクラスの担任は引保(インボ)先生という、40代独身の男性教師であった。
彼はミスターオクレのような、七三分けでメガネをかけた、出っ歯の男であったが、彼も大変な好色として女子達から嫌悪されていた。
PTAのネットワークで母がつかんだ情報によると、彼は世界的に有名なポルノビデオのコレクターであった。
当時はVHSも普及し始めたばかりでAVもそんなに多くなかったと思うが、彼は世界の各地から大枚をはたいてポルノを輸入して収集し、一大コレクションを築いていたという。
無修正などはどうやって輸入していたのか知らないが、いずれにしてもポルノコレクター界に日本人あり、とのことで、海外の雑誌にもとり上げられたほどの人物だと言う。
引保先生は埼玉県の出身であったが、どういう訳か関西弁のような口調であり、授業の合間などにいつも陽気に関西弁で卑猥なことを話していた。
コンパスで円を描く授業の時、先生は自分用の木製の巨大なコンパスを女性の足に見立て、
「おねえさん、ええ足してまんなぁ」
と言って、ニヤニヤしながらコンパスをさするギャグをした。
男子はキョトンとしていて意味が分からない人が大半だったが、女子はほとんど全員が気づいたようで、皆が不快な顔をしていた。
授業もあまりやる気がなく、生活指導的なことにもあまり関わらない放任主義の担任であったが、私はわりかし引保先生のことを気に入っていた。
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そんな引保先生のクラス内で、ある時ちょっとした事件が起きた。
古木杉くんが学校への連絡なしに、突如として欠席したのだ。
引保先生は、「おい、お前、古木杉どうしたか知らんかー?」と言って、古木杉くんと仲が良かった私に尋ねた。
私は「知りません」と答え、引保先生は、もし古木杉くんが来なければ授業のノートやプリントを彼の自宅まで届けるように私に指示した。
私が学校の帰りに古木杉くんの家である栗花荘に行くと、家の中には誰もいないようだった。
私が諦めて帰り、翌日、学校に行くと、古木杉くんは普通に登校していた。
「昨日、どうして来なかったの?」
私が訊ねると、古木杉くんは、
「父ちゃんが、車に轢かれたぁ」と答えた。
古木杉くんの話では、彼の父親は当たり屋行為に失敗し、車にもろに轢かれて緊急入院したとのことだった。
一般的に見てどうしようもない最低な父親には違いないが、古木杉くんにとっては日本にいる唯一の肉親であり、彼は父親が死んでしまうのではないかと大変に不安がっていた。
事実、古木杉くんの父親は生死の境をさまよう危険な状態であった。
父親の自爆事故以来、不安から落ち込みがちであった古木杉くんだが、ある日から授業中、ニヤニヤとスケベそうに笑みを浮かべるようになった。
私は彼の不安が時と共に少し和らいで、彼の好色ぶりが戻ってきたのかと嬉しく思ったが、話してみるとそれだけではないようだった。
「ボインのねえちゃんがうちに来てるんだ」
古木杉くんは恥ずかしそうにそう答えた。
フィリピン人の母親が帰ってきたわけではない。
古木杉くんの話では、父親が入院し、1人で過ごしていた彼の部屋に、突如として見ず知らずのボインのおねえちゃんが現れ、彼の世話をしてくれるようになったという。
子供1人では心もとないので、役所がおねえちゃんを派遣したのかなと、私は初め、そう考えた。
古木杉くんは授業中、さらにそのボインのおねえちゃんのことを考えるようになったようで、授業そっちのけで、ヨダレを垂らしながら空想にひたるようになった。
私が何かギャグを言っても上の空で、休み時間もずっとボインのおねえちゃんのことを考えているようだった。
「ボインのねえちゃんにオッパイ触らしてもらった」
古木杉くんはそう言って喜んでいた。
これは本当に役所が派遣した女性なのかな、私は少し疑問に思い始めた。
それから数日もすると、古木杉くんは始終、ヨダレを垂らしながら、スケベそうな顔で空中に両手を突き出し、胸を揉んでいるような仕草をするようになった。
私が話しかけても、女子に奇異な視線で見られても、引保先生にいじられても反応なし。
口を開けて、ヨダレを垂れ流したまま、「うへへへぇ、うへへへぇ」と言いながら、ただただ胸を揉む仕草を続けるようになってしまった。
心なしかその姿も少しやつれたように見え、まるで何かに生気を吸い取られているかのような感じさえした。
その日の夕方、私は母や弟とともに近所のスーパーのダイエーに出かけた。
食品コーナーを家族と歩いていると、私は古木杉くんが向こうから1人で歩いてくるのに気づいた。
その様子に何か異様な感じがしたので、私はあえて声をかけず、古木杉くんを観察することにした。
古木杉くんは1人で歩いているにも関わらず、しきりに右上を見ながら、何かブツブツと話していた。
まるで右隣に誰か大人がいて、その人に話しかけているかのようだ。
そして古木杉くんはまるでホステスと歩いている中小企業の社長のように、ニヤニヤ、デレデレしながら、いつにも増してスケベそうな顔をしていた。
その様子が幸せそうで邪魔しちゃいけない感じでもあり、また、声をかけづらい雰囲気でもあったので、私はそのまま彼のことを気づかないフリをした。
家に帰って先程の出来事を思案した私は、もしかして古木杉くんの隣にいたのは、あのボインのおねえちゃんではないかと考えた。
もしかするとボインのおねえちゃんは人間ではなく、古木杉くんの命を吸い取る幽霊なのかも知れない、私はそんな大それた仮説をたてた。
そして明日、友人として、古木杉くんに幽霊のことを忠告しようと強く心に誓った。
翌日、私が古木杉くんに例の件を忠告すべく、意気揚々と登校すると、古木杉くんは既に学校に来ており、相変わらずヨダレを垂らして空想にひたっていた。
昨日にも増してやつれた様子で、目には隈があり、頬がこけている。
私は彼の目を覚まそうと、古木杉くんに早足で近づいて叫んだ。
「コッキー、昨日ダイエーいたでしょ!」
私の問い掛けに、古木杉くんは急に真顔になって、こちらに振り返った。
私はさらに叫び続ける。
「昨日ダイエーで見かけたよ!誰といたの!」
私が友人を助けようと正義感にかられ息巻いてそう話すと、古木杉くんは真顔のまま、いつになく低いトーンで言葉を返してきた。
「俺、今、久々に母ちゃんが帰ってきたみたいで嬉しいんだ」
「ねえちゃんが誰かなんて、どうでもいいんだ」
思いもしなかった返答に、私は何も返すことができなかった。
古木杉くんの覚悟を決めたような真剣な表情を前に、私の薄っぺらな正義感は何の意味もなさなかった。
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古木杉くんは、その翌日、また連絡なしに学校を休んだ。
引保先生はまた私に、放課後、連絡ノートやプリントを持って古木杉くんの家へ行くように指示した。
その日の放課後、私は実際に古木杉くんの家へ向かったが、何となく気が重かった。
古木杉くんがボインなおねえちゃんの幽霊と一緒にいたとして、私に何ができるのだろうか。
忠告しようとしても聞かない彼に、何をすればいいのだろうか。
栗花荘に着き、古木杉くんの家のドアに近づくと、私は部屋の中から、あえぎ声のようなものが聞こえているのに気づいた。
「あぁ、ぁ、あふ、あふぅ、あふぅぅん、ん……」
などと言う声が聞こえる。
私は注意深く聞いてみようと、ドアに耳をつけてさらに聞いてみた。
「あふ、あふ、う、う、うぅ……。あふぅぅん、ぁ、あふぅぅぅん……」
それはボインのおねえさんの声ではなく、古木杉くん1人のあえぎ声だった。
ボインの幽霊が今まさに古木杉くんの生気を吸い取っているのだと、私は直感した。
しかし私はそのような卑猥な状況から、さらにドアを開けづらくなり、結局、玄関前にノート等を放置して家路についた。
翌日、学校に行くと、その日も古木杉くんの姿はなかった。
替わりに古木杉くんの机の上に、一輪の花が飾られていた。
引保先生は朝の会の時、クラスメイトの前で、突然、こう話した。
「えー、昨日、古木杉が死にました。みな、驚かないように」
「ええー!」
驚かないようにと言っても、どよめくクラス内。
あれ程、古木杉くんを毛嫌いしていた女子も、この時は何人も泣き出した。
「なんで死んじゃったの?」
女子の1人が半泣きで先生に質問した。
「心臓発作やった。心臓が突然止まってしまったんや」
先生が真剣な顔で説明を続ける中、私は古木杉くんの死に実感がわかず、上の空で、なぜかニヤニヤと笑っていた。
帰りの会で、私は引保先生に、後で談話室に来るように言われ、私は放課後、談話室に向かった。
そしてそこで先生と、古木杉くんの死について話をした。
引保先生は私が連絡ノートなどを届けに行った何時間か後、仕事を終えてから、古木杉くんの様子を見に行ったのだという。
そして部屋に入ってみて、既に生き絶えている古木杉くんを見つけたのだという。
私は言うべきか悩んだが、死の真相に繋がるかも知れないと、私が聞いた古木杉くんのあえぎ声について、先生に話した。
先生はしばらく押し黙った後、しかめ面をして、ゆっくりと口を開いた。
「それやったら、その後すぐやろな、古木杉が昇天したのは」
それが場違いなギャグであることに気づくのに、少しの時間がかかった。
先生は少しニヤッとして、自分のギャグの余韻にひたっている。
私はこんな時にこの人は何を言っているんだろうと、徹底してギャグに気づかないフリをすることで、その場をやり過ごした。
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私と引保先生ともう1人の友人は、それから数日して、一緒に古木杉くんの葬儀に出かけた。
古木杉くんの父親は仕事をしていない上、親戚づきあいもしていなかったようで、参列者の数は非常に少ない、寂しい式場だった。
古木杉くんの父親自体も当たり屋行為の失敗で生死の境をさまよっている最中で、式場に姿はなかった。
フィリピン人の母親も、連絡がつかないのか、来ていないようであった。
PTAと思われる、無関係に近いような人が喪主がわりのような感じで、式場を切り盛りしていた。
子供たちがショックを受けないようにする引保先生の配慮だろうか、私たちは焼香を済ませた後、古木杉くんの遺体とは対面せず、外に出て式場の中庭のような所で時間を潰した。
先生はタバコに火をつけ、一服して、近くにあった自販機でジュースを買って我々に奢ってくれた。
すると、引保先生は突然、
「ワレメはなあ、色んな形があるんやで」
と、変なことを言い出した。
ワレメ?何の話だろう?
私が注意深く耳を傾けると、それは紛れもなく女性器の話であった。
なんだこの人、なんで急に、しかも葬式で女性器の話を始めるんだ。
私たちがドン引きしていると、引保先生は段々とのってきたようで、非常に饒舌になってワレメを語り続けた。
私は小学生にそんな話をしてもいいのかよ、と内心思いつつも、いつものくせで先生の話なので真剣に聞いてしまった。
おそらくはモテないであろう引保先生が、風俗か裏ビデオか何かで見た、さまざまなワレメの話。
先生はまるで自分でモノにした女の話でもするように、少し自慢気に語っていた。
後で考えれば、先生も教え子の死で、少し精神が不安定になっていたのだろう。
そして先生は突然、おおっ、と言い、
「燃した、燃した。うひゃひゃ。燃したでー」と続けた。
何かと思って私が先生の視線の先を見ると、そこには隣接する火葬場の煙突があり、煙突の先から煙が出ていた。
古木杉くんの火葬が行われたのであった。
「古木杉のヤツ、煙になってしもうたなあ」
先生はそう言って、ボロボロと涙を落とした。
私たちが先生の涙に戸惑っていると、突然、突風が吹いた。
突風はやがて弱まるも、その場には比較的強い風が、しばらく吹き続けた。
古木杉くんの煙は風に吹かれ、西の方に飛ばされて行った。
「きっとこの風に乗って、フィリッピンの母ちゃんに会いに行くんやろ」
私は先生のその言葉で、初めて古木杉くんの死を実感し、私の目には涙があふれた。
「泣いたらあかんで。送ってやろう」
先生はそう言って、古木杉くんの煙に向かって大きく手を振った。
私たちも手を振り、フィリピンに向かう古木杉くんを見送った。
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葬式を終えると、引保先生は古木杉くんの話題を一切しなくなった。
クラスメイトの間でもある種、タブー化され、誰ひとりとして古木杉くんの話題を話さなくなった。
当たり屋行為の失敗で生死の境をさまよっていた古木杉くんの父親は、古木杉くんの葬式から2週間ばかりして、息子の後を追うように亡くなった。
住む人がいなくなったことで、古木杉くんが住んでいた栗花荘も取り壊しとなり、ボロボロの木造アパートは、近代的なワンルームマンションへと生まれ変わった。
『栗花荘』という古臭いネーミングも、どういう意味かは分からないがオシャレな横文字の『イーカ・クセーナ栗花』に変わった。
古木杉くんの父親が亡くなり、住んでいた所も無くなって、私は古木杉くんが皆から忘れられていくような気がして悲しい気持ちになった。
人はこうして忘れられていくのかと、人が忘れられる過程を早回しで見ているような気分だった。
他の人も古木杉くんのことを忘れたわけではないだろうが、少なくとも私だけは親友として、古木杉くんのことを忘れずにいようと、心に強く誓った。
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それから、数十年の月日が過ぎた。
30代も半ばの中年となった私は、実家住まいをやめ、実家の近所で一人暮らしを始めることにした。
そしてあの時の誓い、古木杉くんとの思い出を忘れぬよう、引越し先はあの『イーカ・クセーナ栗花』にすることにした。
当時は新築の近代的なマンションであったイーカ・クセーナであったが、今はもう築20年以上の薄汚れたマンションとなっている。
当時よりは家賃も安くなり、ワーキングプアの私でも何とか住める物件だった。
そうして私はイーカ・クセーナに引っ越し、半年が過ぎようとしていた。
すると突如として、大変に喜ばしい、不思議な現象が起きた。
30数年、生まれてから彼女がいなかった私に、恋人ができたのだ。
もしかすると天国の古木杉くんが、私に幸せをプレゼントしてくれたのかも知れない。
彼女との出会いは、全く不思議なものであった。
ある日、私がイーカ・クセーナの自室で普通にベッドで眠って寝返りをうつと、左腕に何か柔らかいものの感触があった。
何かと思ってベッドサイドのランプを点けると、私の隣には見ず知らずの、うら若き女性が全裸で眠っていた。
私は寝返りをうつときに、偶然にも彼女の大きな胸に触れていたのだった。
私が驚いてベッドから飛び起き、思わず部屋の隅に逃げると、彼女も目を覚まして身を起こし、優しく微笑んだ。
そうしてベッドの上で彼女は、私に向かって手招きしたのだった。
こうして、私はいない歴30数年の童貞街道を抜け出し、今、ひとかどの道を歩もうとしている。
ワープアの仕事も、同棲する彼女が部屋で待っていてくれることを考えれば、楽しいものだ。
彼女は大変なシャイのため部屋から出たがらず、そもそもなぜ突然、彼女が私の部屋に来たのかも未だに聞き出せていない。
しかしそんなことはどうでもいいのだ。
私はこの奇跡は古木杉くんからの恵みに違いないと、古木杉くんに感謝する日々を送っている。
若く、色白で、もち肌で、ボインな彼女。
彼女はその見た目が良いだけでなく、癒し系の女性でもある。
私は彼女といると、ちょうど古木杉くんの思い出と同じような、何か懐かしい心持ちがするのだ。
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作者怖話