朝から雨で空気が重たく感じられる午後の事だった。
私の働く不動産の営業所へ、初老の男性は一人でふらりとやって来た。
どこか具合が悪いのか、顔色は青白く、目に力はなく、背中は丸まり、周りの空気がさらに重たくなる気がした。
隣接している病院と間違えて入ってきちゃったのかな?と思いながらも、その空気を取り払うように
『いらっしゃいませ!』
と驚かさないよう大きすぎないけども明るい声で微笑みかけてみる。
一瞬僕と目を合わせ軽く会釈した後にカウンターの席へとゆっくりと腰掛けられた。
『家を売りたいんです…。』
消えるような小さな声で男性は目を合わせずにつぶやいた。
その男性は橋本さんといい、いろいろと話を聞くうちに、子供はいない事、奥様を昨年病気で亡くした事、ご自身の身体も調子が良くない為、現在暮らしている一軒家を売り、一人で暮らすのは大変だという事で老人ホームへ入居しようとされてる事をぽつりぽつりと話始めた。
なんだかとても不憫に思えてきて、なんとかこの人の力になりたいと強く感じた。
その日は特に予定もなかったので、後輩に営業所を任せ、すぐに会社の車でその男性と共にご自宅を見に行く事にした。
着いて中を拝見させて頂くと、雨のせいか重苦しい湿った空気を感じ、何故か背中が寒くなる。
夫婦二人で暮らすには広すぎる程の立派な家であった。
『立派なお家ですね~、しっかり手入れもされてますし、これなら先程おっしゃられてたお値段以上で売りに出せそうですよ。』
その男性は営業所へ来られた時よりは、少し表情も明るくなっていたが、やはりどこか具合が悪そうだ。
『高く売れなくてもいいんです。一日も早く妻との想い出がつまったこの家を出たい。あの日々を思い出すのは私にはつらすぎる。ここに一人でいるのはもう堪えられない。』
橋本さんは下を向き、涙を流しながらそう話した。
『わかりました。では、早速、家の見取り図など作成し、売りに出しますね。』なんとしても早くこの方を少しでも楽にしてあげたいと心から思った。
『よろしくお願い致します。』
橋本さんは深々と頭を下げた。
後日見取り図を作成し、橋本さん宅へ伺い外から見てみると、何か違和感を感じた。
自分の作成した見取り図と比べてみる。
『やっぱりおかしいな…。』
2階の西側の角を見上げて見る。
『あそこにもう一部屋あっても良いはず…。』
しばらくして、橋本さんが玄関からゆっくりて顔を出した。
『こんにちは、今外から見たら、2階の西側の角がこの前作成した見取り図と、違うような所があるので、確認させてもらってよろしいで…』
と言い終える前に橋本さんの顔色はみるみる青ざめ、目つきが鋭くなり、玄関を『バタンッ!』と閉めてしまった。
その後何度電話しても
『気が変わった、もう家は売らない』
の一点張りで、家に行っても出てきてくれなかった。
こちらとしても、せっかく一生懸命頑張ってたのに、だんだん腹立ちを感じ、他の仕事も入ったりで橋本さんの件はそれっきりになってしまっていた。
それから、約一年経ち橋本さんの事も忘れた頃、朝出社すると
『お前が一時期扱ってた具合の悪そうなじいさんが亡くなったから、取り壊す事になったみたいだぞ。』
と課長に言われた。
なんだか、突然あの時感じた違和感を確かめたくなって、
『いつ取り壊すんですか?』
と聞くと、今日からとの事。
僕はどうしても気になって、見に行かせてもらう事にした。
橋本さん宅にはすでに解体工事の業者が来ていた。
僕は事情を説明し、2階の西側の角の部屋があるはずの壁を壊してもらった。
すると…そこには壁、床一面びっしりと
『助けて。助けて』
と血で書かれたと思われるどす黒い文字と、右手を噛みついた状態の白骨化した死体。
後に警察の調べで、亡くなった橋本夫妻には18歳で行方不明になった娘がいたこと。
死体はその娘で、異様な状態は薄れゆく意識を保つために自分で右腕に噛みつき、その痕跡が骨まで達していたことがわかった。
しかし、なぜこのような結果になってしまったのかは謎のままである。
怖い話投稿:ホラーテラー 黒霧島さん
作者怖話