普段、動物園シリーズなる物を投稿している者です。
今回は少し趣向を変え、動物園シリーズとは別の話を投稿したいと思います。
尚、動物園シリーズもよろしくお願いします。
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歴史には明るく無いのでどの時代なのかはよく分からないのだが、恐らくは数百年は前の北欧の話。
その村はどこにでもある様な田舎の漁村で人口は近隣の村に比べ多くは無かった。
村自体は争いごとなど無く至って平和なのだが、
村人達はどこと無く陰鬱で退廃的であり、よそ者に対して排他的な性格を持っていた。
ある日、漁港近くの浜辺でのこと。
前日が嵐であったせいか、その浜辺は流れ着いた漂着物があちらこちらに点在していた。
こんな時は村の子供達はよく浜辺で遊ぶことが多い。
元来、娯楽の少ない村で子供達の遊び場など少ない。
嵐の次の日の浜辺は、子供達にとっては格好の遊び場となるのだ。
どこかで難破したであろう船の破片、
見たこと無い形の瓶、
何の用途か知れぬ錆びた鉄片、
外国の物であろう珍しい柄の布切れ、
それら全ては子供達の好奇の対象である。
この日はどうやら大漁であり、子供達は嬉々として浜辺に並ぶ珍品、奇品を漁っていた。
子供達にはまだ、この村の大人達が持つ陰鬱な気は及んでいない。
しかし何故かここで生活するものは大人になるにしたがい、
純粋さや夢といったもの失い、ただ生きる為だけに生活するような人間に育っていくのだ。
そういった純粋さは得てして、何かを察知する能力に必要不可欠なものなのかもしれない。
その日の漂着物の中で、子供達が手を出そうとしない品が一つあった。
単純に嫌な感じがするからなのか、本能が見てみないフリをさせるのか……、
それは分からないがその品がある一角には誰も近寄ろうとはしない。
そこには大きな樽が横たわっていた。
別段変わったところなど無い至極普通なその樽は、
不思議な存在感があり誰もがちらちらと目をやるのだが、
それに触れようとする者、近寄ろうとする者は居なかった。
しかし、子供の好奇心というものは抑えることが出来ないものらしい。
彼らの中のリーダー格の子がついにその樽に近寄った。
そうなってしまえばもう、自らの興味を抑えられる者などその場には居なかった。
漁を終え漁港に戻って来た漁師の元に、数人の村の子供達が駆け寄ってきた。
意味の分からぬ言葉を喚く者、ひたすらに泣き続ける者、手足をバタつかせ暴れている者
多種多様ではあるが皆に共通しているのは一種のヒステリー状態であるという事だった。
漁師はとにかく何があったか聞き出そうとしたが、結局浜辺で何かが起こったということ以上の情報を知ることが出来なかった。
このままでは埒が明かないと、漁師は浜辺に向かう事にした。
浜辺にも子供達が数人居り、輪をなしていた。
輪の中心には樽がっており、そのすぐ横にはその蓋らしき物が見てとれる。
微かな臭気が鼻腔をついた。
猟師は子供達の輪に分け入りその樽に近づく。
樽との距離が近づくにつれ臭気はますます強くなる。
猟師は樽の下まで行くとしゃがみ込み、樽の中を覗き込んだ。
樽の中には男が体育座りのような形で押し込められていた。
臭気の原因が男の糞尿であることを考えると、その男が樽に閉じ込められていた期間は一晩だけとは考えられない。
少なくとも男は2~3日はこのままの状態で、海をさまよい続けていたのだ。
「またか……」
猟師はつぶやいた。
当時、この村の近海では頻繁に海賊が出没していた。
彼らは、旅船や貨物船、漁船などを見つけては手当たり次第に襲った。
襲われた船では、一人を残し船上の者はすべて殺された上、略奪行為が行われる。
そして、残された一人は樽に詰められ海に捨てられる。
海賊にしてみればその一人が、運悪く死んでしまえばそれまでだし、
運よく近くの陸にでも打ち上げられれば、自分達の怖さを知らしめる生き証人となる。
実は海賊の目的は略奪によって得る利益ではなく、この近海の漁場の確保にあった。
事実、彼らのほとんどは隣国に住む元漁師か現役の漁師で構成されており、
漁場をよそ者に荒らされないようたまにこういった蛮行を繰り返していたのだ。
それはともかく、この村の浜辺に着いた男は運が良い方のようであった。
猟師は男がまだ微かに息をしていることを確認すると、村で唯一の医者の下に男を担ぎこんだ。
男は衰弱しきっており再び目を覚ますことがないように思われたのだが、
医者の献身的な看病により三日間の昏睡の後、四日目の朝には意識を取り戻した。
この村唯一の医者は、村では珍しい他所から来た者であった。
彼は元々もっと大きな街で医者の看板を掲げていたのだが、
人間関係のわずらわしさや、当時はまだ残っていた封建的な身分格差などに嫌気がさしこの村にやってきたのだ。
もっともこの村も医者にとっては住み易い場所ではなかったようで、村独特の陰鬱で閉鎖的な雰囲気が好きではなかった。
今回の事にしたって、この男が浜辺に流れ着いたことは既に村中の知るところとなっている筈なのに
意識を取り戻すまで村の長が日に一回来るだけで、男を助けた猟師も含め誰も様子を見に来る者は居なかった。
医者はこんな村に流れ着いてしまった男に、同情と親近感のようなものを感じ、意識を取り戻したら色々話をしたいと思っていた。
しかし結局、医者のその思いが叶う事はなかった。
意識を取り戻した男は明らかに自失した状態であり、よく意味のわからぬ事を喋ったり、時には奇声を上げたりなどした。
結局、村ではその男をもっと大きな街の教会が営む療養所に預けることにし、
相手側の準備が整うまでの間は医者が面倒を見ることになった。
当初の期待を削がれた医者は、努めて仕事として男と接するよう心がけた。
しかしながら、男と生活を共にする中であることに気づき始める。
男の発する内容はとても正気な人間が考えうることではなく、明らかに妄想や世迷言の類なのであるが
それでいてなぜか妙な一貫性を保っていた。
男のそういった妄言は日に日にエスカレートして行き、それは行動にも現れてくるようになった。
昔からそうだったのか、こうなってからのことなのか分からないが、
男は夜……というより闇そのものを好むような性質を持っていたらしく、
昼は口数少なくむしろ大人しいとすら言えるのだが、日が沈んでから人が変わったように妄言吐き続け、
奇声を上げ、さらには上機嫌であった。
日が沈むと男はあてがわれた部屋に閉じこもり、明かりもつけずひたすら闇と対峙した。
そして深夜になると、家を出て浜辺に行くのだ。
男はそこで海に向かって座ると、何事か喋り続けそして日が昇る前には家に帰ってくる。
医者ははじめ男のこの行動に驚いたが、それが規則正しく行われることに気づいてからは別段意識することをやめた。
そういった生活をする中で医者はある時、男の言う妄言に興味を持ち始めている自分に気づいた。
男がこのようになったのは、おそらく悲惨であった船上での出来事がきっかけになっているのは明らかだが、
果たして人はそのような経験をきっかけに男が言うような、
理解するのに吐き気催すような概念抱き、この世に生あるもの全てを冒涜するような言葉を吐くようになるのであろうか?
それは月も出ない完全に闇に閉ざされた夜の事、いつもどおり外に出ようとする男を医者は引きとめた。
止められた事について男は不機嫌になると思われたが、予想に反して男は上機嫌であった。
医者は意を決して聞いてみた。
男がなぜそのような概念を抱くようになったのか、海賊に襲われた船の上で何を感じ何を見てそうなったのか。
それに対して、男は意外なほどしっかりとした口調で次のように答えた。
「彼ら(海賊)のような蛮行を興じる者には、このような素晴らしい世界を人に伝えるなどは到底無理なことである。
しかし、私は彼らに感謝している。彼らが私を樽につめてくれたおかげで私は知ることができた。
私も初めは恐怖した、身動きの取れないあの狭い空間であれらを感じるのだから当たり前だ。
それは音無き声を発し、形なき姿を私に見せた。
しかしそれらは恐れるものではなかったのだ
光の中ではそれらを感じることはできないが何時でもどこでもそれは存在する。
私はそれを感じることを待ち望むようになった。
あの樽の中でひたすら夜を待ち続けるだけになった。
それは私に色々なことを教えてくれたが、私はそれを人に伝えたかった。
しかし、結局『あなた』は理解出来なかった様だ。
でも本当に理解出来ていないのだろうか?
少なくともこの村の者達は何かしら理解しているのではないのだろうか?
それ故に彼らは陰鬱で閉鎖的で退廃的なのではないか!?
本当に分かっていないのか!?海からのそれはさらに強く感じることが出来ることを!!!!
そうだ!!あなたはどうだ、本当に分かっていないのか!?
分かってないようなフリをしてるだけではないのか!!!?
あなたは本当に『これ』が聞こえないのか!!!!」
医者はしばらく耳が痛くなるような無音を聞いた。
そして、男に対して静かに否定を意味する言葉発した。
男はそれを聞くと黙って家を出て、そのまま家に帰ってくることは無かった。
多少脚色は加えたが話は以上である、その後その医者がどうしたかは知ることが出来ない
なぜならその医者の手記はそこで途切れているからである。
男は真闇のなか何を聞き、何を見たのであろうか……。
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私がこの話を知人から聞いた時、奇妙なことを考えた。
近代物理学では、質量の無いものが存在することを示唆している。
それは質量を持たないがうえ、既に物質ですらない。
それは質量のある物質に対して、何一つ影響を与えることが無いか
もしくはあってもプランク長(誤差みたいなもの)以内であるため決して観測することは出来ない。
しかし、質量の無いそれら同士は互いに影響しあう。
見方を変えるとそれは私達が住む(認識している)世界、
それと重なり合うようにもうひとつ、または複数の世界が存在することを示唆しているのではないだろうか?
そして、この男や村人達など昔の人はその世界に存在する何かを何らかの方法で感じることが出来たのではないだろうか?
例えば休日の前日などで予定が無いときに
部屋中の電気を消し、あらゆる電子機器のコンセントを抜き
闇に身を沈めるのもいいのかもしれない。
あるいはこの男のように音無き声、形なき姿を感じることが出来るのかもしれない。
怖い話投稿:ホラーテラー 園長さん
作者怖話