『女は二十歳を過ぎると転がるように歳をとる』
成人式の時に言われた母の言葉をなぜか思い出した。
『オイオイ、お前みたいな女が人の親?
世も末だなぁ〜』
横で騒ぐのは私の職場の先輩。
見た目はジャイアンに似ており、性格に若干問題はあるが悪い人ではない。
相変わらず失礼な言葉を連発する先輩を適当にスルーしながらデスクの荷物をまとめる。
まぁ、もともとそんなに私物も備品もなかったのだが。
荷物をまとめ終えると職場の人達に一通り挨拶を済ませ会社を出た。
じゃあな、ジャイアン。
私はもうかまってやれなくなるから性格直せよ。
通い慣れた道に別れを告げながら、定期の残りを惜しみつつ電車に乗り込む。
ピーク時と違い車内は空いていたが席は空いていない。
つり革を掴む。
ゴトン、動き出す電車に私の鞄が揺れる。
最近鞄につけたマタニティーマークも一緒に揺れた。
30分程電車に揺られ駅に着く。
改札を出ると、ひょろりと背の高い色白の男が近寄ってく来た。
私『…なんでいるの?』
『仕事早く終わったから。現場も近かったし。』
そう言いながら私の荷物を取り上げる。
私『別に来なくても良かったのに。』
『1人だとパチンコとか行っちゃうでしょ?』
私『……。』
この生意気なモヤシ男は、私の腹の中にいる子供の父親だ。
名前はケイという。
ふうっと吹いた風が側溝に積もった桜の花びらを吹き上げた。
また春が来た。
確かに転がるように月日は流れる。
だが、今、心地悪くはない。
今日から妊婦生活かぁ〜。
駅から10分ほど歩くと家に着いた。
私は妊娠中、つわりもほとんどなく、情緒不安定になることもなく、至って快適に過ごしていた。
最低限、掃除、洗濯、料理をすればあとは三食昼寝つきだ。
代わりに酒とタバコ、パチンコとのお別れは当時少しだけ寂しかったが。
異変は安定期を過ぎた頃、少しお腹が目立ち始めた5ヶ月検診の帰り道。
20m程前をサラリーマン風の男性が歩いていた。
……?
男性の頭上何かいる。
鳥か?
いや、あんな所に鳥がいるわけない。
仮にも妊婦である私の歩みが早いのか男性が遅いのか、距離が縮まる。
「それ」は男性の頭上にいるのではなかった。
男性の頭にへばりついている、といえぱ良いか。
男性の方から頭にかけて、覆い被さる様にくっついている。
更に男性との距離は縮まりついには横に並んだ。
横目で男性を見る。
『ひっ』
思わず小さな声を出してしまった。
男性の肩には人らしきモノが乗っかっていた。
更にそいつは、あり得ない位大きく口を広げ、男性の頭にかじりついている。
体の大きさは小さな子供くらいの「それ」は、ギョロッとした大きな目、あり得ないくらい大きな前歯で男性の頭にかじりついている。
顔は明らかにオッサンだ。
男性は、「それ」の大き過ぎる前歯が刺さる所を気にする様に触っていた。
のろのろと歩く男性をそれ以上ガン見する訳にもいかず、そのまま更に歩みを早め帰宅した。
それ以来、その「ちっちゃいねずみ男」以外にも変なモノを見るようになった。
歩道で信号待ちの時、横断歩道を挟んだ向こう側の歩道、40代位の女性が歩いていた。
化粧気はなく、顔色が悪い。
俯きながら歩くその女性の先に、地面にへばり着いた大きく口を開けた女がいた。
口は、やはりあり得ない位大きく縦に拡げており、顎は地面にぴったりとくっつけている。
何だか男性トイレの小便器のようだ。
女性はその便器口女にどんどん接近する。
しかし、目の前を路線バスが通りすぎる間に、女性も便器口女もいなくなっていた。
他にも、パチンコ屋から出てきた水商売風の50代位の女性の左足にしがみつく小さな全裸のオッサンや、若い女の子の後頭部に正拳付きするオバサンの姿がなど見えた。
最初はさすがに不気味に思っていたが、あまりにシュール過ぎる光景に次第に呆れに違い感情が生まれていた。
ここにきて情緒不安定になっているのだろうか。
私の珍獣報告にケタケタと笑うケイ。
何がそんなに面白いのか。
仮にも妊婦、話は真面目に聞けよ。
まあ、コイツがスルーしていると言うことは問題ないのだろう。
何より、ちゃんと笑うようになった。
8ヶ月検診が終わった頃。
ケイが珍しく職場の人達と飲んで帰ってきた。
帰宅したケイの手には似合わないデパートの紙袋が。
中には赤ちゃん用のヨダレかけや、靴下。
職場で良い方たちに巡り会えたのだな、とちょっと嬉しかった。
まだ飲みたいと言うケイにつまみを作り、酒を出す。
今までとは逆のパターンだ。
ケイの職場の話から気付けば私の珍獣報告の話へ。
初めて見る酔ったケイは饒舌に話し出した。
『「見えるもの」それだけが、この世の全てじゃない。
感情は念、魂は形を残して身近にあり続けるんだよ。
一定じゃないとしてね。
ただ、そこに「ある」として意志があるか、日常があるか、それはそれぞれで。
ただ、「それ」はそこにあり続ける。
決して、俺たちが容易く踏み込んではいけないものもあって。』
……。
ケイの唐突な話に思考が追い付かず、固まる私をよそにケイは続ける。
『アヤさんが最近、見てきた変なものは、目で見ていたのかな?』
私『???』
ケイ『「それら」を認識するのは視覚や、聴覚、そういうんじゃなくて、感度。アンテナ…とでもいうのかな。
結局、感じる、感じない、それだけ。
明らかに強い念や想いなんかなら形を感じ取れるけど、そうでなければ個人のインスピレーションによって形は変わるわけ。』
何だか初めてべらべら喋り出したと思ったら、ずいぶんサイケデリックな話を始めたな。
眉間にシワを寄せ完全ドン引きの私に気づいたのか、
ケイ『まぁー、アヤさんが怖くないように、フォローしてるんじゃない??
末恐ろしいけど
ま、何よりアヤさんが鈍感でよかった』
ケイは私の腹に手をあてて笑いながら言った。
なんのこっちゃ、私にはこの時意味がわからなかった。
ちなみに、出産してからは私自身、あんな変なものを見ることはなくなった。
腹を痛めて産んだチビはナゼか桜が大好きだ。
たまに誰も桜の木の下で話しているチビを見ると、相変わらず転がるように歳をとっているんだなぁと感じる。
怖い話投稿:ホラーテラー 干物さん
作者怖話