私の通っていた小学校の、裏門に近い電信柱の陰には、時々“おじぎさん”と呼ばれる女性が出没した。
背骨の病気なのだろうか、その名の通り、いつも深く深くおじぎをしている様な格好で、何をするわけでもなく立っている。うまく閉まらない携帯の様な二つ折りの体。
その気味悪さからか、PTAからの苦情も出ていた様で、恐らく幽霊では無かった筈だ。
殆どの生徒がその存在を知っていたが、彼女の顔を見た者は誰もいなかった。
その、深いおじぎの格好のせいだ。
ある日、クラスにT君という転校生が来た。
明るく、裏表のない性格の彼は、すぐにクラスに溶け込んだ。
中でも、私とは家が近いお蔭で、特に仲が良かった。
ある日クラスで“おじぎさん”の話題が出ると、T君は初めてその存在を知った様子で、詳しく話を聞きたがった。
一通り話すとT君は、「病気の人を怖がったりするのは失礼だ」と言った。
話に水を差された気持ちはあったが、正論だったし、T君のそういう優しさが皆嫌いではなかったので、素直に話題を別なものに移した。
その放課後、私はT君に一緒に帰ろうと誘うと、「裏門寄ってくけど、それでもいい?」と言う。
何をしに行くの、と聞くと「おじぎさんと話をしてみる」と答える。
先程の話の件もあり、私は、どうしてそんなにおじぎさんにこだわるのか、と尋ねた。するとT君は、今まで胸の奥に閉まっていた事を、私にだけ打ち明けてくれた。
「俺のお母さんも背骨の病気だったんだ。それでも普通に生活する事は、一応出来なくはない程度の筈だった。でもお母さん、そのうち『世間様の目があるし、子供も気味悪がるだろうから』って言うようになって、段々外に出なくなった。そのまま体が弱って病気が悪化して、そして死んじゃった。俺、嫌なんだ。そういう、良く分かりもしないくせに、怖い怖いって噂するの。だから話してみる。きっとそんな所に立ってるの、何か訳があるんだと思う」
思いもよらぬ重い話に私はたじろぎながらも、そういう大事な話をしてくれた事が、親友の証の様な気がして嬉しかった。
私も一緒に行く、行って話す、と言うと、T君は
「ありがと。お前、やっぱ良い奴だな。」
と言って、笑った。
二人で、帰るには全くの遠回りにしかならない裏門へ向かう。
噂のせいで、こちらを通る生徒は殆どいなかった。
門を出ると、少し離れた電信柱の陰に、運良くおじぎさんを発見した。
が、そこにいたのはおじぎさんだけではなかった。
低学年と見える子供ら数人が、少々距離を置いて取り囲む様にいた。
リーダー格らしい小太りの子が、何か喚いている。
バーカ、化け物、キチガイ、死ねー。
そして持っていた小石を、おじぎさんに投げつける。それを合図に、周りの子らも投石を始める。
私がその状況を完全に把握する前に、もうT君は走り出ていた。
小太りの子供の頭に思い切り拳骨を喰らわせ、胸倉を掴み、こう怒鳴った。
「もう一辺言ってみろ。ぶっ殺してやる。お前ら皆ぶっ殺してやる」
そう言い放って突き飛ばすと、子供らはお化けより怖い者に襲われたとでも言う様で、泣きながら蜘蛛の子の様に散り、逃げて行った。
今まで見た事のないT君の怒り様に、端で見ていた私も震えが来る程だった。
T君は逃げて行く子供らを暫く睨み付けてから、微動だにしないおじぎさんに向き直って言った。
「大丈夫かい、おばさん?あんなの気にするなよ。色んな噂する奴はいるけど、ここに立ってるの、きっと何か訳があるんだろ?」
そう言いながら腰を少し屈める。
やっと追い付いた私は、T君の表情が強張っている事に気付いた。
おじぎさんがT君の手を両手で握っている。爪が妙に割れている。
―ごメんねエ。
変な抑揚の声が何処からか聞こえる。
彼女は、妙な捻り方で、鉛の様に首から上だけを、ゆっくり持ち上げる。
T君の顔がはっきりと恐怖を示す。
おじぎさんの顔が見えた。
左目が白かった。黒目が見当たらず、そこから白濁した涙を流している。右目は赤黒く滲む眼帯で抑えられ、妙に膨らんでいる。そこから血の涙が次々溢れてくる。
「ごメんねエ…」
割れた唇が言った。
先に叫んだのは私だった。それに呼応する様にT君も叫び、彼女の手を振り払い、走った。
グラウンドの遊具の所迄来て、二人とも倒れ込んだ。
T君は泣いている。
私はT君の手に赤い物が付いているのを見て、吐いた。
T君は泣きながら言った。
「俺も同じだ。あのガキ共と同じだ。お母さんを死なせた奴らと同じだ…」
それから程無くしてT君は、また転校していった。二度と笑顔を見せずに。
私は今、その母校に用務員として勤めている。
今日も遠回りをして裏門から帰る。
おじぎさんに再び会い、今度こそ怖れず、話を聞いてあげる為に。
その時こそ、T君が自分を責めずに済む日が来る。
怖い話投稿:ホラーテラー みさぐちさん
作者怖話