僕が中学生時代に体験した洒落にならない恐怖体験のお話をします。
実話なので細かい部分もお話しなければならないので長文になります。
僕の地元に首吊り山という山があります。
誰がそう名付けたのかは
知りませんが、祖父が子供の頃から言われていた
そうなので、明治後期か
大正の頃から、この山はそう言われていたということになります。
祖父から聞いたところによると、この山の奥には元々村があったそうで、疫病で隔離されてからは病人だけが住む場所になり、全滅したときに焼き払ったそうです。このとき亡くなった人たちを放って捨てた井戸もあるそうです。
僕の祖父が、さらに祖父から聞いた話なので、この惨事は江戸時代の頃なのでしょう。
祖母もこの土地の人で、
彼女の話はもう少しリアルでした。
祖母の友達の一家が失踪して、首吊り山で揃って首を吊っていたらしいのです。
祖母の父。つまり僕のひいお爺ちゃんにあたる人が山狩り捜索の長だったらしくて、この現場に立ち会ったそうなのです。
祖父母や父(母は土地の人ではないので)が言うには、僕が生まれる前にも首吊り自殺が数件もあったそうです。
実は僕が小学生のときにも首吊り自殺が1件と飛び込み自殺が1件ありました。
飛び込みというのは、山の入り口付近にある踏切での飛び込みです。
この踏切を通る電車は山を沿って走ることになるのですが、この事件のときは踏切から線路一帯が
すべて封鎖されました。
自殺者の首が見つからなかったそうなのです。
後日、首は電車の車両奥に絡まっていたと聞きましたが噂なので事実はわかりません。
僕が中学生になった頃に
ドラゴンクエストⅢが発売されました。
巷では大ブームで、これに伴って首吊り山クエストなるものが地元で流行っていたのです。
空気銃や木刀を背負い、
中にはバイクのヘルメットを被ってくるヤツもいました。
近所の駄菓子屋で食料を
買い、踏切をこえた入り口に屯するわけです。
凝ったヤツがマップをつくったりもしていて、新たに何かを発見したりすると、マップに書き加えられて伝説の冒険者になるんです。
冒険初級者は、入り口から幅の広い獣道を50メートルほど登った地点にある「首吊りの木」と呼ばれた大木と、家畜小屋付きの廃屋を探索していきます。
この周辺は菓子の袋や食べカスが散乱していました。ジュースの空き缶やら、ゴミだらけでした。
小学生でもここまでは入りこめる領域でした。
廃屋も床が抜けて屋根も殆ど無いもので、家畜小屋も仄かに肥料の悪臭がするものの、柵と屋根が
僅かに残るだけでした。
この辺りはまだ笑い声も
聞こえる場所でした。
この廃屋を越えて、さらに50メートルほど奥へ進むと少し中級者向けになります。
マップに描かれた通りここは墓地跡で、リアルに倒れた墓石が散乱していました。
草と墓石に埋もれたこの奥地は本当にやばかったです。
運命の日。
僕らはこの中級者向けの地帯からさらに奥地へ踏み込む計画をたてたのです。
僕を含めた4人編成のパーティです。
日曜日。朝10時頃
僕はこの日、ガス銃のウージーを肩からさげ千発のBB弾袋を数袋持ち、腰には祖父の部屋にあった
飾刀の脇差とヌンチャクを装備していました。
3人の友人も、それぞれ
空気銃を装備していました。一人の友人などは本物のナイフを持ってきました。そのナイフを長い棒の柄にガムテープで固定して槍だと言っていました。
今考えると可笑しくて危ないのですが、当時は槍を作るなんて良いアイデアだと思っていました。
完全武装の僕らを見て、
小学生の子達が格好いいなんて言ってました。
英雄気分だったと思います。
廃屋付近で菓子を食べながら、マップを見て作戦を練っていました。
作戦ルートは、墓地跡から迂回してさらに山を登り奥へ進む道。
根拠の無い「何か」を見つけてマップに書き記す
のが目的です。
墓地跡の奥にさえ行けば
その「何か」は僕らで創作してしまうつもりだったんです。
噂や伝説を創ることが真の目的だたのかもしれません。
処刑台があるとか言われたこともありましたが、
デマでした。
本当に奥地へ踏み込んだ者が創作できるデマはもっと本格的でリアルじゃないといけません。
僕らは「首吊り跡」を創作するつもりでした。
ロープを用意して、木に吊るして写真を撮るわけです。
4人は伝説の勇者になるわけです。
作戦会議は盛り上がり、正午になったので一旦解散しました。
昼食をとった後、ふたた
び集まった四人は、廃屋から家畜小屋を撮影しながら墓地跡へやってきました。
ここはさすがにいつ来ても怖かったです。
撮影しました。山中で薄暗い場所にフラッシュが何度も照らしました。
36枚撮りの使い捨てカメラです。
「ちゃんと残しとけよ」
ロープを持った友人が笑いながら言ってました。
僕らは墓地を迂回して、
傾斜を登りました。頂上付近に立つと、逆方向に
下っていきました。
下方に広い野原が見えたからです。
怖いというより、山の奥地はとても綺麗でした。
季節は秋。紅葉の時期でしたから。
僕らは駆け下りるように山を下り、野原に転がりました。
涼しくてとても気持ちのいい場所。誰もいなくて
静かな領域です。
ここでしばらく談笑していました。
すると、霧がかかってきたんです。
周囲が見えなくなるほどの濃い霧じゃなく、薄いものでした。
「そろそろ帰る?」
僕が言うと、みんな頷きました。
立ち上がろうとしたときに、一人が野原の奥を指差しました。
「あれ?みろよ」
何かあるようでした。
気づかなかったけど、確かにありました。
それは井戸でした。周囲に細い棒が差し込まれ、
縄でくくられてました。
縄には白いジグザグの紙が貼られていました。
井戸はトタンで蓋がされてるようでした。
友人が撮影をしているとき、僕はとんでもないことに気づきました。
「この井戸。爺ちゃんが言ってたやつかも」
そう呟いたとき、トタン板の中からドン!て音がしたんです。
もうみんな仰天して逃げ出しました。
散々な目にあいましたが
僕らは晴れて英雄になったわけです。
マップには野原と祠のような井戸が追記されました。
そして、ここで撮影した写真はとんでもないものでした。
廃屋付近には何人か写っていたし、墓地跡には子供を抱いた女とか軍人らしき男とか。
一番怖かったのは井戸とトタン板の隙間から見てる数人の睨み顔です。
実話なので憚られますが
後日談があります。
首吊り山クエストで勇者になった4人。
僕は、中学三年のときサバイバルゲーム中に誰かに崖から落とされ肋骨と腕の骨を折る大怪我をしました。
誰に押されたのかわかりませんが、一緒に遊んでいた連中は「ダイブしたのを見た」と証言しています。
ナイフで槍を作った友人は、中学三年のときに母親を亡くした失意で登校拒否になり、以降会っていません。
もう一人の友人は、中学三年のときに引っ越してしまい以来会っていません。
写真を撮影し、保有していた友人は中学時代は何事もなかったようです。
彼は高校を卒業して就職したそうですが、その仕事中にトラックの助手席に乗っていて事故で亡くなったそうです。
偶然か必然の因果なのかわかりませんが、僕もいまだに時々人から背を押されたりすることがあります。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話