怖い話だと思ったことはないんだがなあ、と先輩が笑った。
【先輩の話】
先輩も俺もロクな奴じゃない。
先輩と出合ったきっかけは俺がフリーターから脱出しようと思って応募した居酒屋だった。
居酒屋の社員の待遇はまあ、酷い。
22時間労働当たり前で、後の二時間寝るか飯食うか風呂入るかのどれかを選択したきゃいけないような過酷な日々だった。
勿論給料がそれに見合うわけもなく俺は4年働いて辞めた。
先輩は学生時代からその居酒屋で働いていて、バイト上がりの社員。
背は小さいが酒焼けと怒鳴りすぎてガラガラの声をしていて、その癖接客に入るとやくざみたいな顔をにんまりとさせるもんだからそのギャップで結構若い女にもてた。
ブルモテっていうらしい。
怖いけど、かっこいいとかいうやつか。
俺には女の心理なんか解らない。
口も態度も悪いが俺は好きだった。
で、先輩はどうも見えるらしい。
だが、肝が据わっているからなのか、それを不思議に思ったことはないそうだ。
「俺は散々酷いこともしてきたからな、感覚が麻痺しちまっているのかもしれねえぜ。
タチの悪い奴に絡まれたってよりは大抵が構って欲しい奴が多いんだよ。
それに」
もっと怖いもんを俺は知っているからな。
と言って先輩はある店の事を教えてくれた。
チェーン店の居酒屋ではよくある話だが、人手が足りない所に他の店の社員やバイトが手伝いに行くことをヘルプという。
で、先輩もよくその店に行っていたそうだ。
東京と埼玉の間にあるような所。
田舎だがいい場所だ。
水商売の入るテナントは大概がいわくつきだって皆は知っているだろうか。
テナントが空くっていうのは大概が潰れることを意味している。
するとオーナーがそこで自殺したりお客同士で殺傷事件が会ったりしているわけで、けして良くはない場所である。
それにあいつらは騒がしい所が好きだから集まってくるんだよ、とにやにやしながら先輩が言った。
それでその店に最初に入った時、いるな、と思った訳だ。
誰も来ないのにベルが鳴ったり、店の隅の席で呼ぶ声がする。
「すみませんすみません」と。
行ってみると誰もいない。
店の古いメンバーに聞くと常連らしい。
よくそういう類のお客さんがくるそうだ。
だから店のメンバー達はまたお客さんが来たね、という感じで気にしていないようだった。
先輩もまあいいか、と思って仕事をこなした。
営業が終わるのは午前三時だから、始発までは間がある。
他のメンバーは地元だからさっさと帰って、終電待ちの先輩だけが残された。
よく来ている店だから店の鍵の隠し場所も教えて貰っていたので、電車が出るまで酒呑んで寝ようと思い、コンビニで買ったビールを持って座敷に上がった。
元々焼き鳥屋だったようで、座敷部分が随分広い。
相席あり、のでかいテーブルが5列。
そこで先輩は座布団を引いて寝てしまった。
最初は快眠だったのだが、どうも変だ。
うつ伏せになって寝ていたが、誰かが上からのしかかっているような気がする。
それから、轟々と音がする。
川の濁流を間近で聞いている、そんな音だ。
なんだか、イメージが瞼の裏に広がった。
轟々、黄色い水が凄い勢いで流れている。
川、いやダムのような場所を誰かがガードレールの前から見ているのだ。
じっと、見つめている。
そして、ぐぐっ、と背中の圧力が増した。
やめろ、先輩は唸る。
金縛りのように体が動かない。
瞼を開けてはいけない。
そう思ってぎゅう、と瞑る。
誰かが、囁いた。
「返してくれよ」
そこでハッ、と目を開けちゃったんだ。
男が先輩の首元にいた。
眼球が飛び出したようなギョロ目、舌を出した黄色い顔。
水が、滴っていた。
先輩はうお、と叫んで飛び起きたら誰もいなかった。
やべえ、と思って座敷を出ると掃除のおばちゃんが不思議そうな顔をしてた。
時刻は八時。
いつのまにか相当寝ていたらしい。
それで話を聞くと、このテナントの前のオーナーは悪い奴に騙されて借金を作って自殺したらしい。
川の上流で。
おばちゃんは話をした後、先輩に大丈夫?と聞いた。
「なんか、反吐みたいなものがついてるけど吐いちゃったの?」
そう言われて首筋をなぞると、黄色い何か、がべっとりとついていた。
「まあよっぽど悔しかったんだろうなあ。
俺にはなんにも出来ないけどよ、もしも俺がそいつなら化けてでると思う」
「先輩怖くなかったんですか」
「まあ、びびるけどな。
なにかする訳でもなし。
大体俺たちが悪いんだよ。
夜は寝るもんだ。
だのに昼も夜も我が物顔でのさばるもんだから、でくわしちゃうんだ。
俺たちが、あいつらの領分に入っちまってるんだから。
そういうのは仕方がないんだって。
怖いって思ったこたないぜ」
かっかっかっ、と先輩が笑った。
俺はじゃあそれより怖いものってなんですか、と聞いたらすげえ冷たい目で、生きている人間。
と言った。
俺もそれに異論はない。
おわり
怖い話投稿:ホラーテラー 鉄砲さん
作者怖話