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長編22
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変愛

高校に入学して間もなく、私はクラブ活動でバスケットボール部に入部した。

不精で運動音痴である私がなぜ帰宅部でなく、そのような体育会系の組織に所属したかと言えば、高校に入って初めてできた友人に誘われたからであった。

その友人は樺澤(かばさわ)くんという名前で、バスケットというよりはアメフト選手みたいな、背は高くないが、がっしりとした体躯の男であり、その横に広がった大きな口や、離れ気味の小さな目、低くて大きな鼻から、何となくカバを連想させる男であった。

その影響で彼は中学時代まではムーミンというあだ名であったということで、彼は自分で自分のことを「俺」や「僕」ではなく、「ムーミン」と称していた。

彼はいつも、がっしりとした体躯とは真逆の、オカマみたいな声や口調であり、動きもどこか女っぽく、モジモジ、ナヨナヨしていた。

何か自分の主張を話すときも、「ムーミンはさぁ……」といった感じで、少し口を尖らせながら、ぶりっこに話しだすのが彼の特徴であった。

私も彼に従い、彼のことを「ムーミン」と呼ぶことにしていた。

「ムーミンは部活何にするの?」

私が訊ねると、彼は「キミと一緒のにするー」と言って、はにかみながら微笑んだ。

「じゃあ俺、帰宅部だよ」と私が返すと、彼は少し頬を膨らませて怒った様子を見せながら、「それじゃモテないよ」と言った。

ムーミン自身はオカマタイプで女性に興味があるのか、ないのか、分からないような感じであったが、それよりも彼はなぜか私のことを心配していた。

私に全く女っ気がなく、私が童貞であること察知すると、彼は私に彼女ができるよう、色々と世話を焼いてくれたのであった。

「今ってさぁ、バスケットが人気あるんだってよぉ」

ある日、ムーミンは内股で尻を振りながら私に駆け寄ると、そのように話しかけてきた。

なんでも読売新聞に「バスケ部の男子がモテモテ?」という内容の記事が載っていたらしく、彼はそれを報告してきたのであった。

記事の内容は、漫画のスラムダンクの影響で、バスケットが女子に注目されており、女子はバスケ男子に夢中というもの。

ムーミン自身は大のサッカーファンであったが、彼はサッカー部には入らず、そのような理由から、私に一緒にバスケットをやろうと薦めてきたのであった。

私の高校は男子校の進学校であり、大学受験予備校のような感じでスポーツには力を入れておらず、バスケ部の練習内容もきついものではない。

しかしそれでも私がこの話に乗り気でなかったのは、いかにバスケットが本当に女子に人気があったとしても、男子校の中でいくら練習しても、女子に見てもらうチャンスが一切ないからであった。

試合に出て活躍すれば他校の女子に見てもらうチャンスがあるかも知れないが、私は運動音痴な上、私の学校はスポーツに力を入れていないから全国の高校で最弱の部類であり、大会などで活躍する可能性も皆無であった。

それでも 「やろーよ、やろーよ」、「モテよーよ、モテよーよ」 とムーミンがしつこく誘うので、とりあえず私は仮入部のような形でバスケ部に入部した。

しかし私は入部当初から、どのようにしたら角を立てずに穏便にフェード・アウトできるか、つまり、せっかく私のためにあれこれ手を焼いてくれているムーミンを傷つけず、本入部を辞退できるかを思案していた。

しかし結局、私たちは2人とも本入部したのだが、それにはバスケ部のある先輩の影響があった。

その先輩は佐戸川(さどかわ)先輩という名前で、端正な顔立ちの、切れ長の目をした、薄い口唇で、短髪の男であり、私よりも少し背は低かったのだが、スタイルが非常に良く、小顔で、足が私より20cmくらい長かった。

性格はどちらかと言えばクールな、スラムダンクの流川のような印象であったが、運動神経が良い上、面倒見の良いところがあり、運動音痴である私とムーミンにも丁寧に指導してくれた。

しかし私に男色の気はないので、そのような良い人がいても、バスケ自体にやる気がない以上は本入部する動機にはならない。が、ある出来事があった。

「よお。お前ら、カラオケ付き合えや」

佐戸川先輩はそう言って、こちらの返事も聞かず、練習後に有無を言わさず私とムーミンをカラオケに連れて行ったのだが、そのカラオケの場に途中から、うちのバスケ部のマネージャという女性が合流したのだ。

女性は金髪で、ラルフローレンのカーディガンに、チェックのミニスカート、ルーズソックスという、当時のコギャルの典型的なスタイルであった。

左腕を骨折しているようで、ギプスで固定し、包帯で首から吊るしていた。

「どうもー。よろしくねー。マネージャーでーす」

彼女はそのように我々に挨拶し、骨折していない右手で握手を求めてきた。

私たちの学校は男子校で、女人禁制という訳ではないだろうが女子マネージャなどいるはずがないし、練習中にも見かけたことはないのだが、彼女はそのように自称していた。

彼女は名を、面(おもて)ヘラ美と言い、華奢な体、端正な顔立ちで、クリっとした大きな目と、華奢な体に似合わない、大きな胸が印象的な女性であった。

佐戸川先輩と同じ高3ということであり、同じ学校ではないのだが、私は彼女を「ヘラ美先輩」と呼ぶことにした。

本入部後に気づいたのだが、ヘラ美先輩は単に当時の佐戸川先輩の恋人というか、非常に女性にモテる佐戸川先輩の数ある相手の内の一人で、情婦のような存在であり、マネージャでも何でもなかった。

このカラオケは言わば佐戸川先輩による私たちの本入部への勧誘活動であり、彼女がカラオケに来たこともその一環なのであった。

しかし童貞で世間知らずであった私は、そのような謀略には一切、気づかずに、ヘラ美先輩が歌うglobeなどを聞いてはその可愛らしい歌声にうっとりし、時おり、こっそりとヘラ美先輩の胸に目を向けては、ニヤニヤ、デレデレしていた。

それどころか、ヘラ美先輩が少し体を密着させる形で私の隣に座ったり、私が飲んでいたアイスコーヒーを「ちょっと、ちょーだい」と言って、私のストローをそのまま使って飲んだりしたので、私は「この女、俺に気があるな」くらいに、勘違いすらしていたのであった。

そのような術中にまんまとハマり、私はヘラ美先輩と仲良くしたい一心で、バスケ部への本入部を決めた。

先に述べたように実際はヘラ美先輩はマネージャではないので練習に参加することはなく、私が彼女に会う機会はそんなに多くはなかった。

しかし佐戸川先輩の下校を待っているのか、時おり校舎の外で私が彼女を見かけると、彼女は「やあ。元気ー?」と、いつも明るく私に声をかけてくれた。

男子校で男ばかりの中で苦しい日々を過ごし、女性と話す機会が全く無かった当時の私にとって、彼女の存在は、一服の清涼剤であった。

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男子校に入ったことがない人は分からないかも知れないが、男色の気がある人以外には、そこはある意味で「生き地獄」のような場所であった。

例えばこのような状況が、男子校の日常としてよくある光景であった。

ある日の休み時間の教室内。私の隣の席のムーミンが、私に対して好きなサッカーの話を熱心に語っていた。

私はサッカーにはほとんど興味がなく、机に伏して寝るような形で彼の話を聞いていたのだが、やがて彼の話は、彼がファンであったサッカー解説者のセルジオ越後の話になった。

私はサッカーに興味がないのだからセルジオ越後なんて、なおさら、興味がない。

「だからさぁ、セルジオさんの解説は正しかったんだってぇ!」

ムーミンはそう言いながら私の肩を叩いた。

数日前にサッカーの試合があったそうだが、その時のセルジオ越後の解説が間違っていたのではないか、という世間のサッカーファンの疑念に対して、ムーミンは必死に否定していたのであった。

しかし私はその試合を見ていないし、セルジオが何を言ったかも知らないので私には全く関係がない。

私は彼の話を無視し、目を閉じて、しばらく眠りに就くことにした。

すると、足音がして、私の机の前に誰かが来たようであった。

「やばいって!マジやばいって!」

そう言って机に伏して寝ている私の肩を叩いてきたのは、同じクラスのちょっと不良っぽいスキンヘッドの男であった。

私が何かと思って顔をあげると、スキンヘッドは私の目の前でズボンを脱ぎ、怒張したイチモツを丸出しにした。

「マジやばいって!収まんねえって!ぎゃはははっ!」

スキンヘッドはそう言って、イチモツ丸出しで笑っている。

スキンヘッドの隣には、彼の友人のギャル男みたいな男がいた。

「ぎゃははは!オメエ、ツヤいいな!今日すごくツヤがいいな!ぎゃははははっ!」

ギャル男はスキンヘッドのイチモツの先端の艶がいいと笑っている。

ああ、汚い。ダメだ。男子校はダメだ。男子校に入ったのが人生の失敗であった。

私は目の前の、

破廉恥。

卑猥。

不潔。

変態。

ホモ。

と、ハ行が全部揃う凄惨な光景を前にして、げんなりした気持ちになり、再び目をつむって、現実を忘れるべく、妄想体制に入った。

ここが女子高ならどんなに良いだろうか。

瑞々しく、可憐な女子高生たちの、華やかな会話。

実際の女子高の実態は知らないが、少なくとも現状のように、イチモツを丸出しにして馬鹿笑いすることはないだろう。

私はその時ふと、自分は女子高のベンチになりたいな、と思った。

校庭の隅にある女子高のベンチ。

休み時間ともなれば、女生徒たちが私に群がり、次々と私の上に座る。

沢山の女生徒が私の周りを囲み、華やかな会話をするのだろう。

ああ、ベンチになりたい。

私は女子高のベンチになることを、神様に強く念願することにした。

ベンチになりたい、ベンチになりたい、ベンチになりたい。

そう強く念願して目を開けば、目の前は女子高で、今まさに休み時間。

女生徒達がにこやかに駆け寄ってきて、私に座るべく、尻をこちらに近づけてくる。

神様に強く念願すれば、そういう夢のようなことが起きるのではないか、そんな気がした。

男子校にいる現状に苦しむ私に、神様が救いの手を差し伸べてくれるのではないか、そんな気がしたのだ。

ベンチになりたい。

ベンチになりたい。

ベンチになりたい。

私はそう神様に強く念願して、目をつむったまま顔を上げた。

きっと目の前は女子高に変わっている、女子高だ。女子高になってる。きっとそうだ。

私はそう祈りながら、クワッ!と勢い良く目を開けた。

「ぎゃははは!ツヤいいな!まじツヤいいな!ぎゃははははっ!」

しかし目の前では、汚い男達がまだイチモツの艶の会話をしていたのであった。

はぁ、ダメか。私が落胆しながら、ふと横を見ると、ムーミンはまだセルジオ越後の話をしていた。

「セルジオさんってさぁ。けっこう素敵だよね。話し方とかさぁ、理知的な感じで……」

だからセルジオは興味ねえって言ってるだろ!

私はそう思いながら、ふと、このカバ男のムーミンが、フーミンならいいのに、と思った。

フーミン。細川ふみえ。

当時としては珍しいFカップの巨乳で売り出していたタレントで、我々のセックス・シンボルのような存在であった。

ムーミンがフーミンならどんなにいいか。

フーミンの話なら、セルジオ越後の話を聞くのも苦ではない。

柔らかそうなFカップの胸を見つめながら、いつまでも話を聞いていたいものだ。

ムーミン、フーミンになれ。

ムーミン、フーミンになれ。

ムーミン、フーミンになれ。

私は再び目をつむり、神様にそのように念願した。

きっと目の前ではフーミンが、Fカップの巨乳を揺らしながら私に微笑みかけているはずだ。

私は顔を上げ、クワッ!と勢い良く目を開けた。

しかし目の前では、相変わらずカバ面のムーミンが、バカ面でセルジオ越後の話をしているだけなのであった。

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話がだいぶ逸れたけれども、そのように男子校は劣悪な環境であったので、当時の私のほとんど唯一の楽しみは、ヘラ美先輩に会うことであった。ムーミンはと言うと、彼はそんな私の気持ちを応援したい、私がヘラ美先輩と付き合えるよう応援したい、という事で、あれこれ私にアドバイスするようになった。

ヘラ美先輩は佐戸川先輩と一応、付き合っていたのだが、私は段々とムーミンの熱意に押される形で、私の中にヘラ美先輩への恋心が、徐々に芽生えていった。

佐戸川先輩に連れられ、ムーミンと共にヘラ美先輩とカラオケに行ってから一月ばかりした頃だろうか、バスケ部の練習を終えてムーミンと共に校舎を出ると、校舎を出てすぐの電柱の影に佐戸川先輩とヘラ美先輩がいて、何やら2人で話し込んでいた。

ヘラ美先輩は涙を流していて、佐戸川先輩は彼女の顔を見つめながら、表情ひとつ変えず、低い声で何かを話していた。

喧嘩中かな?私はそう思って、聞こえるか聞こえないかくらいの声で「お疲れした」と言いながら、2人の横をそそくさと通り過ぎようとした。

しかし通りすぎる瞬間、私は何か彼らの様子に違和感を覚えた。

以前にカラオケに行った時のヘラ美先輩の骨折、これはまだ治っていないようで、彼女はその時もギプスをしていたのだが、ギプスをしているのが右腕であった。

「あれ?ヘラ美先輩の骨折してたの、右腕だったっけ?」

喧嘩中と思われる2人から充分な距離を離れた後、私がムーミンにそう訊ねると、ムーミンは、

「ムーミンも変だと思ったよぉ。あの時ゼッタイ左腕だったし。おかしいよねぇ」と言った。

ムーミンは細かいことによく気が回る方で、些細なことも注視してよく覚えているタイプであったため、ムーミンがそう言う以上、私の違和感も間違ってはいないようであった。

「まあ、でも左の後に右を骨折したのかもね」

私は深く考えずに、そのように話してお茶を濁した。

「でもヘラ美さん、すごく辛そうだった」

ムーミンはそう言い、ヘラ美先輩の怪我よりも、彼女が泣いていたことを、帰り道にずっと気にかけていた。

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それから数ヶ月が経ち、夏休みとなった。

進学校である我々の高校では夏期講習と称して夏休みも授業が行われていたのだが、講習の後にはバスケ部の練習が待っていた。

それほど力を入れていない、自由参加のいいかげんな練習であったが、我々は佐戸川先輩の目もあるので、練習日は毎回参加することにしていた。

そして練習後には私と佐戸川先輩とムーミンとでファミレスに行ったりしたのだが、そこにはたまにヘラ美先輩もいた。

ある日の練習後、ファミレスに行くと、その時もヘラ美先輩が既に来ていて、私たちを待っていた。

ヘラ美先輩は今度は頭を怪我したようで頭に包帯を巻いており、左足も怪我したのか、ギプスで固定しており、右腕は相変わらず骨折しているようでギプスで固定していて、包帯で首から吊るしていた。

骨折していない左腕で杖をつき、右足のみで歩くという非常に危うい状態であった。

「その怪我、どうしたんです?」

私が訊ねると、ヘラ美先輩は、「ちょっと。転んじゃった」と言った。

そして佐戸川先輩の顔を見て、いたずらっぽく舌を出した。

ファミレスを出た後は佐戸川先輩が彼女の荷物を持ち、「大丈夫?」「痛くない?」などと言って優しげに彼女に声をかけてサポートし、ヘラ美先輩はそれに対して笑顔で返していたのだが、そもそもなぜこのような状態で彼女がわざわざファミレスに来たのか、私は少し疑問に感じた。

両先輩方と別れた後、私はムーミンとヘラ美先輩の怪我について話をした。

「ヘラ美先輩って何か骨の病気なの?すぐに骨折するし」

私がムーミンに問いかけると、ムーミンは、

「知らないけど、たぶん今の腕の骨折は嘘よ」と言った。

「嘘? 何でわざわざ動きにくいギプスなんかするの?」

私が再度問いかけると、ムーミンは、

「知らないけど、何かそんな気がする」と言った。

結局、結論は出ず、私は何かモヤモヤしたものを抱えたまま、ムーミンと別れ、一人、家路についた。

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その練習から4、5日して、私はムーミンから、ヘラ美先輩が入院したという話を聞いた。

自宅マンション2階の、階段の踊り場から転落したという話であった。

「お見舞い、行かなきゃね」

ムーミンがそう言うので、私は佐戸川先輩から彼女が入院している病院の住所を聞き、ムーミンと共に病院へ向かった。

事前に何の連絡もせず、いきなり病室に行ったにも関わらず、ヘラ美先輩は笑顔で迎えてくれた。

「よく来た。ちこう寄りなさい」

ヘラ美先輩はそう言って私たちを彼女の寝ているベッドの近くに呼び、ムーミンは途中の花屋で買った花を彼女に渡して、何か花についての説明をした。

私はヘラ美先輩と何を話すべきか分からなかったので、話はムーミンにまかせておいた。

するとムーミンは、「ちょっと、何か飲み物買ってきます」と言って、一人で売店へ向かってしまった。

ヘラ美先輩への私の恋心を思って、ムーミンが変な気を使ったのかも知れなかった。

私はヘラ美先輩と2人、取り残され、何か会話しないとと焦って、おかしなことを言ってしまった。

「その怪我、ディー・ブイですか?」

私の突然の質問に、ヘラ美先輩は「へ?」といった感じでキョトンとした。

「佐戸川先輩の、ドメースチック・バイオレンスですか?」

私の再度の問い掛けに、ヘラ美先輩は無言で目を大きくして、驚いた顔をした。

私は、なんとなく直感で、ヘラ美先輩の怪我が、実は転落事故ではなく、佐戸川先輩の暴力によるものと考えていた。

その心の中での推察が、ふいに口から出てしまったのであった。

「違うよー。自分でやったの。佐戸チンは優しいよ」

ヘラ美先輩はそう答え、私はそれ以上、返す言葉が見つからず、石像のように押し黙った。

「きゃーっ!冷たい。聞いてなかったけどぉ、コーラで良かったですか?」

ムーミンがそう言いながら部屋に戻ってきた。

怪我を「自分でやった」とはどういうことなのか。

飛び降り自殺?マンション2階の階段みたいな低い位置から?

私が彼女の怪我の理由について無言のまま推察していると、後ろから声が聞こえた。

「あら。お客さん?」

私の後ろには中年の女性がいて、どうやらヘラ美先輩の母親のようであった。

「バスケ部の男の子たち。お見舞いに来てくれたの」

ヘラ美先輩に紹介され、私とムーミンは母親に軽く会釈した。

すると母親は、

「わざわざ悪いわねえ。この子、佐戸川くんに一途だから。ご迷惑おかけして」

と言った。

佐戸川くんに一途? それと怪我に何の関係があるのだろうか。

私は頭の中をぐるぐる回転させて思考したが、結局、結論はでなかった。

そして私は、更につっこんで怪我の理由について、ヘラ美先輩や母親に聞いてみる勇気も、持ちあわせてはいなかった。

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それから1週間もすると、夏休みの練習に、佐戸川先輩は姿を見せなくなった。

毎回、私たちよりも早く来て練習に打ち込んでいた佐戸川先輩。

どうして来なくなったのだろうか。ヘラ美先輩の入院と、何か関係があるのだろうか。

他の先輩に聞いても誰も理由を知らず、私は悶々とした日々を過ごした。

そしてそんなある日の夜、ムーミンからうちの家に電話があった。

ムーミンは泣きはらした後のような、いつになく少ししゃがれた声をしていて、電話口の向こうで泣きながら私に話をしてきた。

「ヘラ美さん、亡くなったってよぉ」

私はショックを受け、その後のムーミンとの会話はよく覚えていない。

後に聞いた話では、ヘラ美先輩は病院を退院する日になって、今度は病院の2階の窓から、下の駐車場に飛び降りたのだという。

2階であり、高さはそれ程なかったのだが、たまたま打ち所が悪く、そのまま即死のような形で亡くなったのだという。

私は頭の中が真っ白になり、ただ、なぜなのか、なぜなのか、と頭の中で自問を繰り返した。

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ムーミンは佐戸川先輩と連絡を取り合っていたのか、葬式の日取りなどを知っており、私はムーミンや佐戸川先輩と一緒に、ヘラ美先輩の葬式に行くこととなった。

葬式当日。男たち3人は喪服に着替え、ヘラ美先輩の葬式が行われる斎場に来た。

佐戸川先輩がヘラ美先輩と特別な関係にあったためか、友人代表のような形で、私たちはヘラ美先輩の遺体とも対面した。

ヘラ美先輩との最後のお別れ。

無宗教式か、何式か分からないが、我々は親族と共に横二列の席に座り、5メートルほど離れた前方には、ヘラ美先輩がいる綺麗に飾られた白い棺があった。

順番に一人一人が席を立ち、ヘラ美先輩の遺体と対面しては、棺近くの台座に置かれていた花を棺の中へと入れていった。

私の番になり、私はムーミンと共に立って、棺に近づいた。

そして棺の中を覗いた私たちは、ギョッとして驚いた。

中にいたヘラ美先輩。生きているのと、さほど変わらないような、いつものヘラ美先輩。

しかしそのヘラ美先輩の頭には包帯が巻いてあり、腕にはギプスが付いていた。足にもギプス。

顔は出ていたが全身がかなりの割合で包帯でグルグル巻きになっていた。

全身やけどをした訳ではないのに、なぜこのように包帯姿なのか。

これから荼毘に付すに違いないのに、なぜギプスを付けたままなのか。

驚きながらも私たちは花を棺に入れ、心の中でヘラ美先輩の冥福を祈りつつ席に戻った。

席に戻ると、私の前の席に座っていたヘラ美先輩の母親が後ろに振り返り、私たちに話しかけてきた。

「変に思ったかも知れないけどね、娘の希望だったからね」

母親は少し涙ぐみながら私たちにそう言った後、何かを懇願するような顔をして、私の右隣にいた佐戸川先輩の顔を見つめた。

「変に思った」というのは、先程の包帯姿の話だろうか。

なぜそのような姿を、ヘラ美先輩は希望したのだろうか。

私たちの次の順番は佐戸川先輩で、佐戸川先輩は席を立ち、ヘラ美先輩の棺に向かった。

私たちと同じように棺を覗いた後、一瞬、ギョッとした佐戸川先輩であったが、早々に花を棺に入れた後、何かモゾモゾと動き出した。

モゾモゾ、モゾモゾ。

少し俯きながら動いている。

ヘラ美先輩と最後の会話をしているのだろうか。

こちらからは佐戸川先輩の後ろ姿しか見えず、何をしているのかは不明であった。

すると、不思議に思っている私の様子に気づいてか、ムーミンが、

「男として最後のお別れをしているんでしょ」

と、意味深なことを言った。

そのムーミンの言葉が聞こえたのだろうか、

「お前、何しとるんや!!」

と、ヘラ美先輩の母親の隣に座っていた男、おそらくはヘラ美先輩の父親と思われる中年男が唐突に席を立ち、佐戸川先輩に掴みかかっていった。

父親が佐戸川先輩の体をグイと引き寄せ、こちらに向けさせると、佐戸川先輩の喪服のズボンの、いわゆる「社会の窓」から、イチモツが丸出しになっていた。

父親は佐戸川先輩に殴りかかり、私たちや親族など、席に座っていたものは皆が席を立ち、父親を止めに入った。

「やめてー!やめてあげて!あの娘の希望だから!お父さん、やめてあげて!」

ヘラ美先輩の母親はそう叫び、父親を必死に制止しようとしていた。

皆が父親を止めている最中、私がふとヘラ美先輩の棺を覗き込むと、包帯姿のヘラ美先輩の遺体には、既に佐戸川先輩の白濁液がかかっていた。

これがヘラ美先輩の希望?

私は訳が分からず、式場の混乱の中、頭を冷やすため、ムーミンと一緒に外へ出ることにした。

「そういうのが好きな人もいるのよ」

式場の中庭に出て、外の空気を吸っていると、ムーミンが思わせぶりにそう言った。

「そういうのって?」

私が問いかけると、

「怪我をしている人とか、障害を持った人とか、ハンディキャップのある人。そういう人を好きな人がいるのよ」

ムーミンはそう言い、少し目に涙を浮かべながらこう続けた。

「佐戸川さんがそういう人だから、ヘラ美さんも必死だったと思うのね。最後に包帯姿になった気持ち。ムーミン、わかる気がする」

ヘラ美先輩は最後まで佐戸川先輩にとって魅力的な女性であろうと、死してまで包帯姿になったということか。

そしてそのヘラ美先輩の気持ちに、佐戸川先輩は自慰をすることで応えたのだろう。

私たちは外の空気を吸って冷静になると、佐戸川先輩のことが気になりだした。

あのまま殴られて、大丈夫なのだろうか。

先程の会場に戻ってみると、既にそこに佐戸川先輩の姿はなかった。

私たちが佐戸川先輩を探し、斎場中を歩きまわっていると、ヘラ美先輩の母親を見つけた。

母親は我々を見ると何故か深々とお辞儀をし、我々に近づいて、話しかけてきた。

ヘラ美先輩が佐戸川先輩に心底、惹かれていたこと。

ヘラ美先輩がたまたま骨折の怪我をして以来、それが治っても、ギプスを続けたこと。

それが佐戸川先輩のためであったと知ったこと。

時にはヘラ美先輩は自ら骨折してまで、怪我をしている状態にこだわっていたこと。

止めてあげたかったが、娘の気持ちを考えると、自分にはできなかったこと。

ヘラ美先輩の母親は、そのようなことを私たちに話した。

母親は佐戸川先輩の行方を知らなかったので、私たちはその後も少し佐戸川先輩を探しまわった。

再び中庭に出て、探すのを一旦やめて少し休んでいると、ムーミンが不意に視線をあげた。

何かと思い、彼の視線の先を見ると、そこには隣接する火葬場の煙突があり、煙突の先から煙が出ていた。

おそらくは、ヘラ美先輩の火葬が行われたものと思われた。

すると突然、ぐじゅ、ぐじゅ、と変な音を出しながら、鼻水を撒き散らし、ムーミンが泣き出した。

斎場に来てから、なぜか少しクールなキャラであった彼だが、ここに来て悲しみが限界に来たようだ。

「汚ねえな、鼻水出すなよ」

私はそう言いながらも、彼を気遣い、両手を横に大きく広げ、作り笑顔をして、

「泣くか? 俺の胸で泣くか?」

とガラにもないギャグを放った。

ムーミンがそれで笑って、少しは気が晴れると思ったからだ。

しかしムーミンは少しも躊躇せず、私の胸に飛び込んできてオイオイと泣き出した。

私はギャグを真面目にとられたことに驚きつつも、不可抗力でムーミンをそのまま強く抱きしめた。

男同士、強く強く抱き合いながら、私は煙突から空に向かって立ち上る、ヘラ美先輩の煙を見つめた。

ちょうどお昼時、太陽は私たちの真上にあり、日差しが強く照りつけていた。

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それから、十数年の月日が経過し、私たちは30才になった。

ちょうど30才になったから久々に会おう、ということで、私とムーミンは5年ぶりくらいに再開した。

私はワープアで、高校時代から童貞のままであり、ムーミンは男娼のようなことをして日銭を稼いでいた。

特に現状、華々しい人生を謳歌している訳でもない以上、私たちの会話は、必然的に昔話となった。

「アベイショフィリアって言うらしいよぉ」

喫茶店で軽食をとり、散歩がてらに2人で街を歩いていると、ムーミンがそう話した。

「何それ?」と私。

「佐戸川さんみたいの。怪我人とか障害者への性的倒錯ね」

「ふうん」

ふうん。私はそれ以上の返答が思い浮かばず、その場には、しばしの沈黙が流れた。

そして返答を考えるうち、私の中にはなぜか怒りが込み上げてきて、私は少し捲し立てるようにこう言った。

「ていうかさー、言わば変態でしょ。そういう人が女にモテてさ。そりゃイケメンかも知れないけどさ、おかしくない? 要するに女性が虐げられた状態に興奮するみたいなことでしょ? 女性への人権侵害じゃないのかね? だいたいあの怪我だってヘラ美先輩が自分でしたことになってるけど、本当はどうなんだか。佐戸川先輩がやったんじゃないの? はっきり言って。女もさあ、何であんなのと付き合ってんだ? はっきり言って」

私が積年の思いをそう話すと、ムーミンは、

「佐戸川さんがモテる理由は分からないけど、キミがモテない理由はわかる気がする」

と言い、話を茶化した。

するとその時、前方から突如として、何者かが声をかけてきた。

「よお、お前ら。相変わらずだな」

それは10数年前と変わらず、非常にハンサムで、スタイルの良い男。

佐戸川先輩であった。

先輩は車椅子を押しながら歩いていて、車椅子には、若くて綺麗な女性が座っていた。

女性はにこりと微笑み、私たちに軽く会釈すると、無言のまま、腹部に手を当て、ゆっくりと自らの腹部をさすった。

幸せそうな顔をして、少し膨らんだ腹部をさする女性。

妊娠しているのだろうか。

私は佐戸川先輩に返す言葉が見つからず、ただじっと、笑顔で腹をさする女性を見ていた。

「じゃあな」

佐戸川先輩はそう言って、車椅子を押しながら、私たちの横を抜け、街の雑踏の中へと消えていった。

「全くわからないよな」

私はなぜか少し涙目になって、ムーミンにそう訴えた。

「そう?」

ムーミンは私の問い掛けに、曖昧な返事を返した。

「うわっ!」

その時、道路のちょっとした段差につまずき、私は前につんのめって、転びそうになった。

気を取り直し、少し早足で歩こうとして失敗したのだ。

「もう30なんだから。おじさん無理しないで」

ムーミンはそう言って笑った。

「女の気持ちなんてね、難しいことないの。教えてあげるから。ムーミンが」

ムーミンが少し胸を張ってそう言うので、私は、「じゃあ、教えてよ、女心をつかむ極意を」と返した。

するとムーミンは、

「女心をつかむ極意? それはね……、グゲホッ!ゴホッ!ホッ!オッホ、ウッ、ウッ、グッホッ!」

と、一人で勝手に言葉をつかえ、むせて苦しみだした。

「もう30なんだから。おじさん無理しないで」

私はそう言って笑った。

「まあ、お互い年取ったな」

私はそう言いながら、ふと空を見上げた。

昼時はとうに過ぎ、既に太陽は私たちの頭上にはなかった。

先程まで照りつけていた日差しは既に弱まり、陽が沈み始めていた。

怖い話投稿:ホラーテラー 山下の息子さん  

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怖いかどうかは疑問だけど話は中々レベル高いんじゃない?いつもながら、登場人物の名前があり得ないのがこの人の話しの特徴だけど、自分は好きだな、この作者。

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なんでヘラ美て名前なのかな。

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