まだ家のばあちゃんが生きてた時の話です。
ばあちゃんは、終身雇用制の保険会社で70歳くらいまでバリバリ働いて、ボーナス時期なんかもすごく羽振りがよかった。
何事も豪快で、カレーを作れば大鍋2杯、ひょっこり海外旅行に行く、俺が友達とTVゲームをやっていると、有無をいわさず水戸黄門にチャンネルを替えるなどなど、まさしく家族のドンであった。
友達付き合いもよく、法事や祝い事などがあると、ばあちゃんの友達が大挙して家におしよせてました。そんなばあちゃんを俺は誇らしく思っていました。
しかし、旅行先でつまずき、膝を悪くしてからしばらく家で寝たきりのような状態になってしまった。あんなに元気だったのに、歩き回らなくなってからどんどん老け込んでいった。
家族全員で必死の介護にあたったが、まもなく痴呆の兆候が現れて、親父もやむなく介護の施設に入居させる決断をした。
週に一度は必ず家族のだれかが施設にお見舞いに行き、ばあちゃんの好きなプリンやお菓子などを差し入れに行った。
しかし、進行のスピードは遅くなったとはいえ痴呆は進んでいった。
入居して約1年、ばあちゃんはとうとう俺の名前を間違えて呼び始めた。その時ばかりは、えもいわれぬ病気への悔しさと、元気だったころのばあちゃんの姿とのギャップに涙が出てきた。
ついには誰がお見舞いに行っても、どこの誰なのかすら思い出せないようになってしまった。
それから3ヶ月あまりして施設から電話がかかってきた。最近のばあちゃんの容態があまり良くなく、病院に入院させるということだった。
ばあちゃんを車に乗せ、病院までの間、少しだけ話をした。相変わらず俺が分かってないみたいで、「どうも、親切にありがとう」みたいなことを言っていた。また涙が出そうになった。
2週間後ばあちゃは、家族みんなに看取られて静かに息を引き取った。ばあちゃんの通夜、葬式は人柄が表す通りそれはすごい数の人がお悔やみに来てくれた。
葬儀後、今までの御礼をかねて、施設へ挨拶に行った。
そこで一番ばあちゃんの面倒をみてくれていたヘルパーさんが泣きながらお悔やみを言ってくれた。
そして是非見せたいものがあるといい、3階のレクレーション室に案内された。そこには、入居しているお年寄り達が作った折り紙や、絵画、粘土細工、押し花などが展示してあった。
「これです」とヘルパーさんが習字の展示がしてあるコーナーを指差していた。
題目「大好きなもの・言葉」左から順に目を通していくと「青春」「家族」「盆栽」など上手ではないが、一生懸命に書いたことがうかがえる書が並ぶ。
ばあちゃんの作品は一番最後に展示してあった。それを見た瞬間、俺はまた涙が止まらなくなってしまった。
「たけし」 戦争で亡くなったじいちゃんの名前が書いてあった。「これを書いたのは入院の10日前なんですよ。痴呆が進み、自分の名前すら分からなくなっていたのに・・・」
帰って、家族にこの話を伝えた。家族は一様に(ばあちゃんらしいや)と感じていたようだった。
ばあちゃんの遺影は今も仏壇の上で家族に微笑んでいる。大好きなじいちゃんの遺影の横で。
怖い話投稿:ホラーテラー おっす!オラ投稿者!さん
作者怖話