あるタクシー運転手の話
その夜の最後のお客は上客だった
峠をひとつ越えたホテルまでは一時間弱、約六千円の売上になる
しかもそのお客は往復分の運賃を支払うと言う
当然、会社には片道分しか売上として報告する気はない
つまり片道分はチップという事になる
不景気な今、一人のお客での六千円の売上は滅多になく、六千円の臨時収入など何年もない事だった
思ってもない小遣いが出来て上機嫌な運転手は、帰り道の峠を鼻唄混じりで走っていた
曲がりくねった峠道の木々の間だから、対向車らしき車の灯りが見えた
対向車が近付いて来る…
もう数十メートルでスレ違うという瞬間、対向車のライトの前を小さな影が飛び出し対向車がその影を跳ねた
対向車はそのまま過ぎ去り、影の主は道路の真ん中付近で動かなくなっている
タクシーの運転手は車を停め、その影に近付いた
影の主は狸だった
狸はまだ死んではいなかった
力無く運転手を見上げる狸を運転手は可哀想に思い、家に連れて帰る事にした
翌日、運転手は出勤前に狸を獣医の元に連れていき治療してもらう事にした
何とかマケてもらった治療費は一万二千円であった
運転手は昨夜の六千円と、少い自分の小遣いから六千円をだし、泣く泣く支払った
それから数日がすぎ
狸は元気を取り戻し、入れてあった段ボールから飛び出して運転手の家中を走り回った…いや逃げ回った
運転手はやっとの事で狸を捕まえ段ボールに戻そうとした
その瞬間、狸が運転手の指に噛み付いた
運転手はビックリして噛まれた指を思い切り狸から引き離した
それが逆に大怪我の元となったのか
指の肉が見事に引き千切れ、骨らしき白いモノが見える
運転手は救急車で病院に運ばれ手当を受ける事となった
運転手の息子が独り家に残り、玄関や掃き出しの窓を開けて狸を何とか家から追い出した
大怪我をしたタクシーの運転手は、手の怪我の為に暫く会社を休む事になったのだが
不景気なのか初めからその対称だったのか、運転手は会社をリストラされた
理由は
業務外での手の怪我により、安全な運転に支障を及ぼすおそれがある為…と言う事だった
一応、依願退職という形をとったが運転手の落胆は相当なモノだった
運転手には学歴も何等かの資格もなかったし
何よりもタクシーの運転手以外の仕事をした事がなかったからである
運転手は荒れ始めた
夫婦喧嘩が毎日の様に起こる
運転手は家族に当たり散らし、運転手の妻は毎日泣いていた
高校生だった息子は学校を辞めて働くと言い出した
息子は働いて、夫婦喧嘩の絶えないこの家を出て行きたかったのだ
運転手の妻は仕事を探したが、年齢的にパートの仕事も無かった
運転手の家は次第に蓄えもなくなり、息子の学費も払えない状態になった
運転手は一家心中を考えた
明日の晩に妻を殺し、息子を殺し、自分も自殺する気でいた
その夜、あの狸の夢を見た
夢の中での狸は二本足で歩き、運転手の前までヒョコヒョコと歩いて来て
土下座して謝ったそうだ
狸は『朝一番で宝くじを買え』と言ったそうだ
運転手はその通りロト6を四百円分買い
そのロトが見事に当ったそうだ
数千万の現金を手にした運転手は、それを元手に知り合いの不動産屋から小さなアパートを買い、家賃収入で細々と暮らした
今ではアパートも二棟に増え、少しは余裕も出来て年に一度の夫婦旅行を楽しみにしている
この話の運転手は私の父親である……。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話