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中編5
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片岡君

これは僕が中学生の時の話。今から14年前の出来事です。中学1年生の夏、宿泊合宿3日間で香川県屋島にある宿泊施設に行きました。

今はどうか分かりませんが、その当時中学校のクラスでは障害者の生徒を区別した特別学級というクラスが設けられていました。この話はそのクラスの生徒で生まれてから一言も話す事が出来ない、もしくは話せない病気の片岡君と僕自身におきた実話です。

宿泊合宿当日、クラスの仲間と共に、屋島にある宿泊施設に向けバスで移動している時の事です。僕は何か屋島での宿泊合宿に対して嫌な予感がしていました。何故かと言うと、その宿泊施設で起こるという怪奇な噂がどうしても気になって頭から離れなかったからです。その宿泊施設がある屋島という場所は昔源平合戦で平家が滅んだ地で、僕達が泊まる宿泊施設はまさにその源平合戦があった場所に建てられており、3年に一度宿泊合宿で生徒一人が死ぬという変な言い伝えも聞いたことがありました。

宿泊合宿初日、バスは屋島につき、駐車場にはたくさんの生徒で溢れかえっていました。宿泊合宿で訪れる生徒は僕の学校だけではなく何校か合同で行うもので、僕の学校だけではありません。

到着して早々点呼の時間。僕はこの時すでにバスで車酔いしたのか分からなかったのですが軽いめまいと、吐き気で朦朧としていました。ようやく点呼・集会が終わり、最初のスケジュールはカヌー実習です。

不可思議な現象はここから起こりました。僕はカヌー実習の班長を任されていて班のみんなとは別に、カヌーの教員に一通りの説明を受けて後から実習場所で合流する事になっており、他の班の班長と共に後からカヌー実習のある海辺に向けて移動していました。海砂浜に降りた瞬間です。両足に未だかつてない程の重さを感じたのです。重いというよりも進もうと足を前に動かしても重くて歩けないといった方が正しいのでしょうか。横にいた他のクラスに助けてもらいながら合流地点へ向かいました。

実習の時。班長としては失格かもしれませんが、カヌー実習も楽しむどころか朦朧として今でも良く覚えていません。1時間ほどで実習が終わり、僕は両足が重いまま三角塔という宿泊する三角形の建物に戻り荷物をおいて着替え、クラスの皆に僕の体調を心配されながら夕食の時刻まで過ごしました。

夕刻、食堂のある別館に移動する最中、僕は「とてもじゃないけど具合が悪いので三角塔に戻る」と友人に告げ一人来た道を戻りました。ですが、ここでも不思議な事が起こったのです。三角塔に入ろうと近くまで来た時の事です。みんな食堂に行ってしまって誰もいないはずの三角塔の中から確かに人の話声が聞こえるのです。恐る恐る中を除いても誰もいません。僕は気味が悪かったので食堂に向かって、また重い足を引きづりながら歩き続けました。

夕食が終わり、時刻は夜20時を回った頃でしょうか。初日最後のスケジュール「肝試し大会」です。集合場所に向かう直前になって、僕は体がだるくなり動きたくても動けそうに無く、一人三角塔で休んでいるからと班のみんなに告げて、残りました。10分、20分、、静けさが増す三角塔の中。しばらくたってふと夕刻の出来事を思い出し、一人でいるのは気味が悪くなり集合場所に向かいました。

僕の班は既に肝試しを始めており、集合場所にはもういなかったので、先生にその事を告げると別の班と一緒に行動するように、ある班の元に誘導されました。その班が片岡君のいる特別学級の班だったのです。

5人一組で肝試しをするのですが、その班は保健の先生も一緒に同行してくれるため、僕を含め7名で山道に向けて歩き始めました。時刻はその時21時半を回っていたと思います。

僕は朦朧とする意識の中、どうでも良い肝試しに付き合わされて、なんで山の中を特別学級の子達と一緒に歩かなければならないんだ。という苛立ちを隠しきれず、厭々ながらも山道を歩いていました。

山の遠くの方からは、他のクラスの班の奴らが「変な井戸を見つけた」「民家にお婆さんが座っていた」などと騒いでいます。それを聞いた保健の先生ももっと楽しみましょう的なノリで僕に話し掛けてきましたが、特別学級の奇声を放つ子や何も話さない片岡君などと一緒にノレる気にもなれないし、体も重くなっていたので早く終わらせて帰りたい気でした。

僕がいる班が肝試しの最後の班で後ろには誰もいません。肝試しコースも中間地点を過ぎ、山を降りて帰る途中でそれは起こりました。

未だに思い出すと鳥肌が立つのですが、妙に寒気がした後、頭上を赤い物体が通りすぎていったのです。これは気のせいなんだと自分に言い聞かせて歩いていると、後ろで急に片岡君が泣き始め、保健の先生の前で泣き声かうめき声か分からない様な変な声で何かを訴えていたんです。今まで話した事も無く、感情すら露わにしたのを見たことが無い片岡君が確かに泣いてうめき声を発しているのです。それだけでも驚きだったのですが、一瞬みんなが立ち止まった時に、僕は片岡君が何を言っているのかハッキリ聞こえたのです。

「…せんせい。くびをとられた」

28歳になった今でもその声ははっきり耳の中に残っています。

僕は翌日、39度を越える高熱を発してみんなが起きる起床時刻の前に、校長先生の車で自宅に帰りました。自宅の前では祖父、祖母が心配して待っていてくれました。このとき祖父には何が見えたのか今となっては聞けませんが、家の中に入るとすぐ「仏壇に行ってお参りをしなさい」と言って、そのまま僕は仏壇に向かい手を合わせました。祖父は優しくそっと僕の両肩に長い数珠をあててくれました。

一日寝ると、あれだけ重かった体や熱が治ったのが驚きでしたが、この話にはまだ続きがあります。

宿泊合宿が終わり1か月位あとだったでしょうか。片岡君が東京の学校に転校したという事を全校集会で聞きました。

その3日後だったのです。朝のホームルームで先生が暗い顔をして僕達に片岡君が亡くなった事を話しました。

今となって言いますがあの時、肝試しで片岡君も見た赤い物体、首だけの落ち武者の無念な顔。片岡君も恐らく同じものを見ていたのだと思います。

そして僕は今、東京に住んでいます。祖父も祖母ももうこの世にはいません。一つ願うとしたら、この話に続きが無い事を願うのみです。

※この話を読んだ方は何卒、片岡君の御冥福をお祈り頂けますようお願いします※

怖い話投稿:ホラーテラー 呪人さん  

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ご冥福をお祈りします。

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御冥福を御祈り致します。

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ご冥福をお祈り致します(_ _)

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御冥福を御祈りします。

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ご冥福をお祈りします。

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ご冥福をお祈りします。

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ご冥福をお祈りします

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ご冥福をお祈りいたします。

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