この事件は1988年、名古屋で起こった。
事件の主犯の少年A(当時19歳6ヶ月)は中学を卒業後、鉄工所の作業員や、土工などで短期間勤めたが、その後暴力団員と懇意になり、付かず離れずの関係となる。事件当時は鳶職をしており、共犯の少女E子と同棲していた。
彼らは名古屋市中区のTV塔付近にある噴水にたむろしていたので、「噴水族」「TV塔族」などと呼ばれていたようだ。少年Aは昼間は鳶で働き、夜はE子を連れてふらふらと噴水に集まり、仲間と合流するという毎日を送っていた。
事件当夜、そこに集まったのは主犯のA、B(17歳)、C(18歳)、D子(17歳)、E子(17歳)に、暴力団の使い走りをしていた高志健一(20歳)の6人である。
噴水まわりでシンナーを吸いながら何ということもなく「金が欲しいな」という話になり、ひどく短絡的に「じゃあ盗ろう」という結論が出た。車で公園や埠頭などを流し、いちゃついているアベックを脅かして金を巻き上げよう、と誰からともなく言い出し、全員がそれに賛同する。
1度目の襲撃は失敗するものの2度目は成功し、それに味をしめた彼らは「もう1回やろう」と言ってまた車を出した。そして襲われたのが、本事件被害者となるYさん(19歳・理容師)とZ子さん(20歳・美容師)である。2人はお互い忙しいながらも、たまの休日や少し時間のあいたときなどにデートし、「将来ふたりでお店をもとう」と誓ってせっせと貯金していたという。Z子さんは敬愛の意をこめてYさんを「お兄ちゃん」と呼び、両親公認の非常に仲のいい恋人同士だったようだ。
1988年2月23日、午前4時半。Aたちは2台の車に分乗し、Yさんの車に狙いをつけると、バックして逃げられないよう前後に車をぴたりと止めた。そしてウインドウを開け、「いちゃついてんじゃねえ」などと威嚇、挑発を繰り返した。
Yさんは身の危険を感じ、車をぶつけてスペースを確保し、逃げようとした。だがそれが火に油をそそぐ結果となった。
犯行に使われた車のうち一台はAの車だが、どうやら新車だったらしい。加えてもう一台は暴力団員の「兄貴格」から借りた車だった。この大事な二台を損傷され、Aたちは逆上した。
激昂した彼らは最早金を奪うことは二の次となり、Yさんの車のフロントガラスを鉄パイプで割り、YさんとZ子さんを引きずり出した。
「この車、どうしてくれるんだ。ふざけやがって」
怒鳴りながら鉄パイプや木刀でYさんを殴るうち、怒りはますます高まってきた。典型的な集団ヒステリーである。Yさんは抵抗したがやがて完全に叩きのめされた。それでもおさまらず、少年3人はZ子さんを押さえつけると、輪姦すると宣言した。ラリった少女ふたりは「やっちゃえやっちゃえ」と手を叩いたという。
少年はZ子さんを輪姦し、殴打した。殴打があまりに長くつづいたので、Z子さんの顔がみるみる変形していくのを目の当たりにしたYさんは、命の危険を感じ、
「お願いです。彼女だけは助けてやって下さい」
と泣いて懇願したという。しかし少年たちはYさんの腹を蹴りあげ、黙らせた。Z子さんへの暴行には少女2人も荷担し、体に煙草の火を押しつけたりライターで髪を焼くなどしたようだ。
輪姦が終わり、少年たちも少し落ち着きを取り戻した。金を奪い、輪姦し、車は壊れている。発覚すればきっと逮捕されるだろうし、かといってこのまま2人を帰すわけにもいかない。仕方なく少年たちは瀕死のYさんと放心状態のZ子さんを車に乗せ、あちこち連れまわしながら、「これからどうしよう」と車内で相談した。
「車の修理代、どうしょう」
「俺、金ないよ。どうやって弁償すんの」
話題は主に2人のことではなく、車のことだったという。車を借りた暴力団員に連絡をとろうと事務所に電話したが、なかなか連絡がつかない。やっと電話が通じたと思ったら、「面倒はてめえらで始末しろ」と投げだされてしまった。
結局、なにひとつ具体案は浮かばない。持て余したAはついに、
「男はもうだいぶ怪我もしてるし、やっちまおう。女は売り飛ばせばいいや。その金で車を修理しよう、それでいいだろ」
と言い出した。反対する者はなかった。
彼らはYさんを車からおろし、両手をロープで縛ると、Yさんが哀願するにもかかわらず、Aがロープを二重にその首に巻きつけて首の後ろで交差させ、一方の端をBにわたした。そして、ロープの両端をそれぞれ2人ずつで持ち、綱引きの要領で両方から力一杯ひっぱって絞殺した。
Z子さんはその間ずっと「ここどこですか、お兄ちゃんはどこに行ったんですか」と言いつづけていたという。
Yさんの死体は車のトランクに積み込まれた。Z子さんは目隠しされていたのでそれを見ることはできなかったが、なんとなく全てを察知したらしく、車内ではずっとすすり泣いていた。
24日、少年たちはZ子さんを連れ、BとCが同居しているアパートに泊まった。そこでまたZ子さんは輪姦されている。
6人の少年たちはふたたび「これからどうしよう」と相談した。売り飛ばすことにしたはいいが、暴力団員に見放されてしまった今となってはもうあてがない。かっとなって犯行に及んだものの、ふと気がついたときには取り返しがつかない状況で、知恵も出てこなければ頼れる先もない。また、抑制する者もないからずるずると悪い方へ流れていくばかりである。
「女も殺そう」
その結論にたどりつくまでに時間はかからなかった。
25日深夜、少年たちはZ子さんを連れて三重県の森に車を走らせた。そこで少年らは交代で死体を埋めるための穴を掘り、Z子さんに「最後になにかして欲しいことはあるか」と訊いた。
「せめて、お兄ちゃんと一緒の穴に埋めて下さい。……最後にお兄ちゃんの顔をみせて」
Yさんの死体から目隠しをはずし、顔を見せてやると、Z子さんは泣きながらいまだに死体の手首を縛ったままのロープを解いた。
少年たちはZ子さんを穴の近くまで連れていくと、Yさんの殺害方法と同じく、ロープを首に巻きつけて両側から力まかせに引っぱりあった。
「綱引きだ」「この煙草、吸い終わるまでにやっちゃえよ」
などと笑いながら殺した、というのは事件発覚当時、かなり有名になった話である。
27日、目撃情報などから主犯が逮捕され、そのまま芋づる式に6人全員が捕まった。死体は自供どおり三重県山中から発見された。一審でAは「未成年だから死刑になるはずない」とうそぶいていたが、裁判長は「一片の情状酌量の余地もない」として求刑どおりの死刑を言い渡した。Bは無期懲役となり、高志被告は懲役17年。C以下3人はそれぞれ5年から10年の判決となり、AとBのみが控訴。
その後、名古屋高裁は一審判決を破棄し、Aを無期懲役、Bを懲役13年とした。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話