■デヴィッド&キャサリン■
デヴィッド・バーニーとその妻キャサリンは、ともに崩壊家庭に育った幼馴染みだった。彼らはお互いの傷をなめあうようにして育ち、ティーンエイジャーは恋人同士として過ごしたが、いったん別れ、それぞれ別の相手と結婚した。しかしデヴィッドの結婚が破綻してのち再会し、よりを戻すことになる。
デヴィッドは女性に対し、粗暴さとロマンティックな面との両方を持ち合わせていたようだ。彼は自分の恋人に花やチョコレートを贈るのが好きで、かつ過激なポルノ・ヴィデオのコレクターで、精力がありあまっていた。そしてキャサリンはそんな彼に頼りきって生きていたのだ。
1986年10月、自動車解体工場で働くデヴィッドのもとに、22歳の女子大生がタイヤを買いにやって来た。デヴィッドは彼女を強姦したいと思い、ナイフで脅して家まで連れ帰った。
彼女はベッドに鎖でつながれ、キャサリンが見ている前でデヴィッドに強姦された。そのあと公園へ連れて行かれ、ふたたび犯されたのち、絞殺された。
2週間後、ヒッチハイクをしていた15歳の少女をひろい、数日にわたって監禁、暴行したあげく、絞殺した。
翌週には31歳のスチュワーデスが、運転中にガス欠で困っているところを、手を貸すふりをして車に押し込み、誘拐。彼女はそうとうな美人だったのでデヴィッドは少し彼女に惚れ、そのせいでキャサリンは激しく嫉妬した。被害者は3日間監禁されたが、その間ずっと「はやく殺して」とキャサリンは夫をせっつき続けた。被害者は絞殺されたのち埋められたが、キャサリンはその墓場に唾を吐きかけたという。
11月4日、彼らはまたヒッチハイク中の女性を見つけた。女性は21歳で、彼女も前の3人と同じく自宅に連れこまれ、鎖でベッドに縛りつけられたのち、丸2日にわたって犯されつづけた。
3日目に被害者は植物栽培薗に連れていかれ、そこでも強姦されてから、ナイフで刺された。しかし首を刺してもなかなか死ななかったので、デヴィッドは斧を持ち出してきて彼女の脳天を割った。
キャサリンは被害者を強姦する夫の姿をカメラ撮影し、ときには殺人にも手を貸したようだ。少なくとも4人目の殺害で、彼女は夫にナイフを手渡している。
11月6日、バーニー夫妻は17歳の少女を誘拐。鎖でベッドに縛り、デヴィッドが何度も何度も強姦した。しかしこのとき、夫妻は不用意にも彼女を残して外出してしまう。少女は鎖をはずし、窓から脱出すると半裸のまま近所のショッピングセンターに駆けこみ、助けを求めた。
警察が少女の証言にもとづいて監禁されたとおぼしき家を訪ねると、バーニー夫妻はここ1ヶ月で4人の女性を殺し、埋めたことをすぐに認め、供述しはじめた。
ふたりがあまりにもあっさり犯行を認めたので、証拠や精神鑑定、犯行時の心理などはほとんど審議されなかった。そのため新聞社は独自でふたりの周囲の人間を取材し、談話をまとめなくてはならなかったらしい。
デヴィッドの弟(彼も性犯罪の前科があった)は、兄の精力絶倫ぶりについて語り、
「キャサリンと別れてた時期、ぼくは兄貴に強姦されたことがあります。」と証言した。
デヴィッド・バーニーは5人兄弟の長子で、彼が10歳のとき家庭は崩壊。子供たちはすべて施設に送られた。
キャサリンは母の死後、祖父母にひきとられて育ったが、遊び友達はひとりもなく、家に友達を入れることすら許されていなかった。幼少期、誰も彼女の笑顔を見たためしがなかったという。その厳格な祖母は、まだ幼かった彼女の眼前で、癲癇の発作を起こし悶え死んでいる。
逮捕後にキャサリンを面接した精神科医は、
「あれほど夫に依存しきって生きている女を見たのははじめてだ」と言った。
彼らはともに、終身刑となった。
怖い話投稿:ホラーテラー 匿名さん
作者怖話