長編10
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Cicadaー蝉ー

「蝉取りにいこう!」

今日も友達が誘いにきた。

八月上旬、夏休みの真っ最中だった。

1ヶ月以上の長期休暇、その全ての日が予定で埋まるわけもなく、むしろなにもない暇な日の方が多かった。

そんな日は決まって友達のAが、蝉取りに行こうと俺を誘いに来た。

「ちょっと待ってて、弟呼んでくる!」

俺 には小学一年生の弟がいた。

別に特別弟と仲がいいわけではないが、何も言わなくてもどうせついて来る。

「ほら、いくぞ。網と虫かご忘れんなよ。あと帽子もな。」

網と籠を持ったまま一生懸命に靴紐を結ぶ弟に小さな麦わら帽子をかぶせた。

「よしっできたよにーちゃん、いこ!」

弟は玄関から外へ駆け出しながら俺を振り返った。

「お、よし準備できたな!ならしゅっぱーつ!」

走ってくる弟を見て、待っていた友達も公園に向かって走り出した。

「おい、いきなりそんなに走ったら疲れるだろー」

そんな文句を言いながら俺も2人のあとを追いかけた。

ーーーーーーーーーーー

ミーンミンミンミン

ギラギラと太陽が照りつける中、公園ではこれでもかというくらいの蝉の鳴き声が辺り一面に響いていた。

「よっしゃ今日もいっぱいいそうだな!」

友達は公園のベンチに持ってきた水筒を起きながら、もう片方の手で虫取り網を空に向かって構えた。

家から走ってきたせいで3人の額には既に汗が浮かんでいた。

「僕は今日はクマゼミとる!」

弟が張りきった様子で言った。

「あとツクツクボーシもな。いこーぜ!」

俺は友達と一緒に木の生い茂った方へと走った。弟も後からついてくる。

蝉は面白いほどよく取れた。

一時間もしないうちに、虫かごの中は捕まえた蝉でいっぱいになった。

「こんなに集まるとちょっと気持ち悪いね。」

弟は虫かごを覗き込みながらつぶやいた。

「でもお前の取りたがってたクマゼミも取れたじゃん。」

横から更に俺が覗き込む。

虫かごの中では蝉たちがここから出せと言っているかのようにジワジワと鳴いて五月蝿かった。

「あれで最後にしようぜ!」

友達が側にある木の少し上の方を指差して言った。

大きめのアブラゼミだった。

「届くかなー、ギリギリだな。」

俺は虫取り網の持ち手を伸ばしながら木に近付いた。

スルスルと網をアブラゼミの方へと近づける。

「いくぞ。」

3人の間に妙な緊張が走った。

「おりゃ!」

俺は自分の出せる最大の速さで網をアブラゼミへ振り下ろした…が

ジジッ

蝉はスルリと網をかわして木から飛び立った。

「おい!逃げたぞ!」

友達が叫んだ。

「あ、やべ!」

俺は絶対に逃がすまいとがむしゃらに飛び立った蝉目掛けて網を振りまわした。

バツッ

網の持ち手から俺の手へと変な感触が伝わったと同時に、何かが目の前へ落ちてきた。

友達がしゃがんで覗き込む。

「げ!」

胴から真っ二つに分かれたアブラゼミだった。

「お前、網の枠のところ蝉にあてただろ!」

友達がしかめっ面で俺の方を振り向いた。

「あーやっちゃったー」

俺は苦笑いしながら頭をボリボリかいた。

「あーやっちゃったーじゃねーよ、真っ二つになってんじゃんかよぉ。」

地面に落ちた蝉の足は、まだわしゃわしゃと動いていた。

弟はと言うと…

これまた酷いしかめっ面で真っ二つの蝉を見つめていた。

「もう、帰ろーぜ。」

罪悪感が無かったわけではなかったが、そんなに騒ぐことでもない、とも思った。

真っ二つの蝉を端の方へ網でよけると、俺たちは歩いて公園を出た。

ーーーーーーーーーー

友達と別れて弟と家に着いた頃には、奥の部屋からカレーの匂いがしていた。

「おかえりー、丁度良かったね。もう夕飯できるよ。」

お母さんが居間から顔を出した。

「きゃっなにその大量の蝉!」

お母さんは弟が持っていた蝉で埋め尽くされた虫かごを指差して叫んだ。

「早く逃がしてきなさい!」

弟は最初言うことを聞こうとしなかったが、俺が説得すると、渋々虫かごを持って外へと向かった。

「また捕まえたらいーじゃん。」

俺はすねた顔の弟をなだめながら虫かごの蓋を開けた。

とたんにブワーーーーッと一斉に中の蝉たちが外へ飛び出す。

しばらくして、弟は虫かごの蓋を閉めると駆け足で家の中へと戻っていった。

カレーを食べる頃には弟の機嫌も元に戻り、おいしそうにカレーを口へかきこんでいた。

俺もカレーは好きだったが、昼間のあのアブラゼミの事が頭から離れず、カレーを味わうことができなかった。

実は蝉を殺してしまったのは、あれが一度目では無かった。

網の使い方がいまひとつ雑な俺は、たびたびああやって蝉を潰してしまう。

でもあそこまではっきりと真っ二つにしてしまったのはこれが初めてだった。

痛みは感じていたのだろうか…

「どーしたの?」

夕飯を食べ終わって和室で寝そべって漫画を読んでいた俺の隣に弟が立っていた。

「いや、別に。」

俺はあえて弟の方を見ずに答えた。

「ねえ、ほらっ」

弟が漫画と俺の顔の間にズイッと虫かごを入れてきた。

「まだ一匹残ってたよ。」

虫かごを覗くと端っこの方にまだ一匹蝉がくっついているのが分かった。

「ほんとだ。外で逃がしてこよーぜ。」

俺は漫画を畳に置くと、弟から虫かごを取ってその場に立ち上がろうとした。

「…あの蝉死んじゃったのかな」

突然弟がつぶやいた。

「え?いや、そりゃ死んだだろ。」

俺は少しドキリとしたが、そのことで悩んでることを知られると恥ずかしい気がして、ぶっきらぼうに言った。

「にーちゃん、あんまり気にしないでね。」

「は?別に気にしてねーよ。」

弟にまるで見透かされているように感じた俺は声を荒げた。

「でも、カレーのときもずっと考えてたみたいだからさ、蝉のこと…」

なぜかは分からないが無性に腹が立った。

「だからさ、気にしてないっていってんじゃん!だいたいな、蝉なんてただの虫だぜ!腐る程いんのにたかが2、3匹殺したってなんもかわんねぇんだよ!」

俺は虫かごをこれでもかというくらい振りまわした。

ただ強がりたかっただけなのかもしれない。

俺はイライラが収まらず、そのまま虫かごを床に叩きつけた。

「にーちゃんやめて!蝉まだ入ってるんだよ!」

弟の声ではっと我にかえった。

虫かごの中の蝉は動かなくなっていた。

「ほら…にーちゃんが乱暴にするからまた死んじゃった…」

弟が泣きそうな声で虫かごを拾う。

「知らねー、俺もう寝る!」

なんとも気まずくなった俺は、二階の自分の部屋へ駆け上った。

電気を消し、布団に入ると、疲れていたせいか、あっという間にまぶたが重くなり、そのまま眠りについてしまった。

ーーーーーーーーーーー

ジジッ

その夜、変な音で目が覚めた。

「んー…」目を擦りながら側のデジタル時計を見る。時計は2時をまわっていた。

俺は首の周りに滲んだ汗を拭うと、また眠りに戻ろうと目を閉じた。

ジジジッ

「ん?」

また同じ音が聞こえた。どうやら窓の外からのようだった。

俺がカーテンを開けて外を見ようとしたその時、

ミーーーーーーーンミーーーンミーーンミーンミンミンミン

カーテンのすぐ後ろでけたたましい蝉の鳴き声が響いた。

あまりの五月蝿さに俺は耳を塞いだ。と同時に、目の前のカーテンがふっくらと膨らんでいることに気づいた。

誰かがカーテンの後ろで立っていた。

カーテンの下のわずかな隙間から、裸足の足がのぞいているのが見えた。

俺はその場で凍りついた。

(いつの間に中に入ってきたんだ…!)

心臓の鼓動がだんだんと早くなる。

ミーーーーーンミンミンミンミンミーーーン

さらに怖いのは、このけたたましい蝉の声も、そのカーテンの後ろの"誰か"の方から聞こえてくること、もうそいつが"鳴いている"としか考えられなかった。

ミーーーーーーンミンミンミンミン

ミーーーーーーンミンミンミンミンミーー

頭がおかしくなりそうだった。

「もうやめろーーーーーー!」

俺は耳を塞いだまま大声で叫んだ。

ミ…

鳴き声が止んだ。

俺はそっと耳から手を離すと、カーテンの方をじっと見つめた。

沈黙が走るーー

スッ

カーテンの隙間から見えていた足が一歩前に踏み出した。

俺は思わずすぐ後ろの壁に張り付いた。

部屋の扉に目をやったが、明らかに自分よりも、あのカーテンの後ろのやつからの方が近い。

部屋から出ることはできなかった。

スッスッ

足はゆっくりとすり足でこちらへと向かってくる。

と同時にカーテンが後ろに引っ張られ、膝、腰とだんだんと身体の部分が露わになり始めた。

ロングスカートを履いている時点で、それが女だと分かった。

もう俺との距離は一メートルほどしかない。

カーテンはもう女の首まで来ていた。

後少しで…顔が……顔が…………

スルッとカーテンが女の頭から離れた。

「……!!!」

俺は目を見開いた。

蝉だった。

女の長い髪の間から覗いた顔は、蝉そのものだった。

飛び出した二つの丸い目玉、その間から先の尖ったストローの様な口が顎の下まで伸びていて、鼻らしきものは見当たらない。

その歪な顔に俺は固まったまま動くことが出来なくなった。

女の細長い口がピクリと動いた。

ミーーーーーーンミーーーーンミンミン

またあのけたたましい鳴き声が部屋中に響く。

女は、あまりの恐怖に耳を塞ぐことさえできなくなった俺に走り寄ると、ガバッと俺の腹の上にまたがった。

「ひっ…」

体がいうことを聞かない。

「や、やめ…」

ドッ

言い終わらないうちに女の口が俺の腹に突き立った。

「あああああああ!!」

突然腹を貫いた鋭い痛みに俺は叫び声をあげた。

女は頭をピクピクと動かした。すると、

ズッ…ズズズズズ

「〜〜〜〜〜!!!」

俺の腹の中から何かが吸い上げられていく。

俺は口をパクパクさせながら必死でもがいた。

腹の中がどんどん空になっていく、なくなる、なくなる、なくなるなくなるなくなるなくなる

「…は!!」

俺はガバッと布団から飛び起きた。

ゼェゼェと肩で息をする。

着ていた服は汗でぐっしょりと濡れていた。

はっ、と俺は腹に手をあてた。

…………ある。

ちゃんと押すと弾力があった。

あまりにもリアルな夢だった。

蝉の顔をした女。

まだ鮮明に覚えている。

夢にまで出てくるなんて、昼間のこと、気にしてないフリはしていたが、やはり相当気になっていたようだった。

俺は大きく息を吸って止めた。

限界まで止めると一気にはいた。

これが俺がいつも気持ちを落ち着けるための方法だった。

俺は額の汗を拭うと、また布団に横になった。

………目の前に蝉女の顔があった。

「うわあああああ!!!」

すぐに夢じゃないと悟った。

ジジッ

飛び出した二つの眼球が俺の目をじっと見つめている。

女はギチギチと手を震わせながら俺に手を伸ばした。

俺は咄嗟に叫んだ。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい、ごめんなさい!!!」

ぎゅっとつぶった目から大量に涙が零れた。

女の動きが止まる。

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい!!!」

俺は心の底から謝った。

頭の中をあの真っ二つになった蝉がグルグルとまわった。

女の手が、ぬるりと俺の顔面をなでた。

ゆっくりと目を開けると女の顔が目の前にあった。

「…………ユルサナイ、……………ツギハ、ゼッタイ………」

俺が瞬きをした次の瞬間、女は消えていた。

強張っていた体から一気に力が抜けていくのが分かった。

俺の気持ちが伝わったのだろうか。

あのとき、本当に心の底から謝った。必死だった。

次はない、と言っていた…

しばらくは蝉取りに行けそうもない。

顔を触ると、汗と混じって土がべったりとこびりついていた。

ーーーーーーーーーーー

次の日も、また友達が蝉取りに誘いに来た。

俺はさすがに行く気にはなれず、弟だけを行かせた。

弟は少し俺の様子を不思議がっていたが、蝉はたくさんいるんだから、またいっぱい捕まえてくるぞ、と張りきっていた。

その夜、夕飯を済ませ、俺はまた和室に寝そべって漫画を読んでいた。

ふと視線を感じ、顔を上げる。

目の前に弟が立っていた。

「なんだよ、ビックリさせんなよな。」

弟はニコニコ笑いながら俺の目の前に拳を差し出した。

「なんだよ。」

「えへへ、」

ゆっくりと弟は拳を開いた。

何枚もの蝉の羽がパラパラと手のひらから畳の上へと落ちた。

俺の顔がみるみる青ざめる。

「な、なにしてんだよおおおおお!」

弟は少しビクッとすると、おどおどと「だって、羽きれいだったから…にーちゃん、たくさんいるから2、3匹ならいいって言ったから…にーちゃんにあげようって思って…」とか弱い声で呟いた。

弟は確かにまだ小学一年生だが、まさかここまで俺の言葉を間に受けてしまうとは思いもしなかった。

弟の顔には全く罪悪感の色は見えなかった。

なにが悪いの分からず、戸惑っているようだった。

「…………ユルサナイ……………ツギハ、ゼッタイ……」

昨夜のあの女の声が頭の中で何度も繰り返される。

真っ二つの蝉の死骸、虫かごの中で動かなくなった蝉、カーテンの後ろの足、蝉の顔をした女、腹から何かが吸い取られる感覚、顔にこびりついた土…もういやだ、あんなのもういやだいやだいやだいやだいやだいやだ…

………………………ジジッ

窓のすぐ外で、蝉の声が聞こえた。

Concrete
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