先輩には絶対に、おそらく霊感がある。
絶対と言うのは、彼のおかけで助けられ、はたまた危険な目にあったからである。
そしておそらくと言うのは、彼自身がそれを頑として認めていないからである。
先輩はいつでも喫煙所にいる。
それも誰も来ない大学の端にある小汚い喫煙スペースの椅子に。
「体に悪いですよ」
僕は昼休みに彼の元を訪ねた。先輩は心底うんざりした様に僕を眺める。
「今度はなんだよ」
先輩は煙を吐き出すと僕に向き直った。
「先輩は鈴鳴りの森を知ってますか?」
「知ってる」
即答だった。僕は少し面白くない気持ちになって頭を描いた。
「なんて言うか…。先輩は物知りですね」
「だから何の用だよ」
何本目のタバコだろうか。先輩はポケットからそれを取り出し、火を点ける。
「お前本当怖いの苦手な癖に好きだな」
「いいじゃないですか。連れてって下さいよ」
鈴鳴りの森に。そう付け加えると先輩は五百円玉を投げつけた。どうやら飲み物を買って来いと言うことらしい。僕はほんの少しムカっときたが、先輩の機嫌を取るべく、黙って自販機を目指した。
鈴鳴りの森とは最近話題の心霊スポットである。ただ心霊スポットと言ってもそんな森はない。なんでも気づいたらそこにいるらしい。そしてとても恐ろしい目にあうらしい。
僕はそこに行ってみたい。何故なら僕はオカルトオタクだからだ。ただ怖いのが大の苦手なのである。
「そこに何しに行くんだよ」
先輩は僕が買ってきたお茶を飲みながら尋ねた。聞かれても困る。そういう性分だとしか言えない。先輩はまだ気だるそうだったが、
「分かったよ。連れてってやる」
「本当ですか?」
「ああ、丁度俺もそこに用があったしな」
「例のバイトですか?」
先輩はよく分からないバイトをしている。詳しくは知らないが、単位を落としてでも優先する程の物なのだろう。
先輩は今夜自分のアパートに来いとだけ言うと、手ぶらで何処かへ消えた。
お釣りは勝手に貰った。
「行くぞ」
先輩の車に乗ると、先輩はカーナビも何もつけずに走り出した。
おいおい大丈夫かよこいつ。失礼ながらそう思うと、先輩は不機嫌そうにチラリと僕を見た。どうやら勘付かれたらしい。
「お前ちゃんと飯食ってきたか?」
急に何を言ってるのだろう。僕は小首を傾げた。
「食ってきたか?」
尚も尋ねる先輩。その目がほんの少し怖かった。
「食べました」
僕は恐る恐るそう答える。嘘だ。本当は食べてない。
すると先輩は意地の悪い笑みを浮かべ、
「そいつはいいな」
それだけ言って運転に集中した。
鈴鳴りの森とは車でいけるところなのだろうか?聞いた話だと道に迷うと着くらしい。
そこで僕は気づいた。
「先輩もしかして…」
「ああ、ここどこだ?」
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気づいた僕たちは暗い森の中にいた。
さっきまで道路はしってなかった?てかこんなに簡単に行けていい場所じゃないだろ。
「降りるぞ」
先輩はどこから取り出したのか、懐中電灯を二本取り出し、一つを僕に渡して車から降りた。
草がビッシリと生えている。そして驚くことに、車で通った後がない。先輩は確かに運転してたのだから、タイヤの後があるはず。しかし懐中電灯で必死に探しても見つからなかった。先輩を見るとタバコに火を点ける真っ最中だった。
どうやら僕たちはついたらしい。鈴鳴りの森に。
「じゃあ行ってくらあ」
「え?ちょっと先輩」
先輩はそう言うと歩き出した。僕は驚いて呼び止める。こんな所に一人になりたくない。噂では恐ろしい目にあうらしいのだから。しかし先輩は面倒くさそうに振り返ると、
「お前は車に残ってろ」
黙々と木々の隙間を縫う様に行ってしまった。僕は少し混乱した。どうしよう。先輩を追おうか?いや、そうやって迷子になるのが一番怖い。僕は車の中で待つことにした。そしてドアを開けようとした時、
「…あれ?」
僕は異変に気付いた。ドアが動かない。開かないのではなく、動かない。取ってすら接着剤でくっついた様だった。逆側のドアも同様。勿論全部試した。まあ結果は…。
僕は無性に怖くなった。車の中に居れば安心だと言う根拠のない自信があったからだ。心拍数が上がる。先輩が早く帰ってこないか切に願った。と、その時
「チリーン…」
何かが聞こえた。僕は驚いて振り返ると、そこには何もいない。と、そこで僕は気づいた。何も聞こえないのだ。動物や虫の声も、風の音すら聞こえない。それこそ草を踏みしめるぐらいしか音を確かめられない。
「チリーン…」
もう一度聞こえた。聞き間違いではない。何故なら間違える音が存在しないから。それは比較的木々の隙間が広がった先から聞こえた。その時、何故か僕はその音を確かめなければいけないと感じてしまった。使命感とかそんな類。本当に意味不明だ。
「チリーン…」
導かれるままに行くと、有る程度開けた場所に出た。そこには、
「井戸だ…」
ポツンと寂れた井戸が一つあるのみだった。近ずくと、あることに気づく。地面に煙草が落ちているのだ。どうやら先輩もここに来たらしい。僕はふと井戸を覗いて見た。何も見えない。そして懐中電灯で照らそうとした時、…僕は何者かに井戸へ突き飛ばされた。バシャンと水をかぶる。
「いててて…」
そこまで高さが無かったのが幸いし、僕は軽い打撲で済んだ。そしてしまったと思った。先輩は車で待てと言ったのに。自分の軽率な行動を後悔した。しかし本当の後悔はまだ先だった。
「っと懐中電灯はどこだ?」
僕は手探りで探すと、あった。急いでつけてみると、高さがそれ程なさ過ぎることに驚いた。井戸にしては短すぎだろ。これを作った人は馬鹿なのだろうか。しかし本当の馬鹿は僕だった。僕は自分の真後ろに大きく空いた丸穴を見つけたのだ。直径およそ一メートル程だろう。窮屈だが通れないこともない。僕はその穴を明かりで照らそうかと思った時、
「チリーン」
鈴の音が聞こえた。それもさっきよりも近くで。僕は咄嗟に懐中電灯の明かりを消した。何故かそうしなければいけないと思ったのだ。
「チリーン」
もう一度聞こえる。例の丸穴からだ。僕は息を殺してその穴から離れた。何か来る。
「チリーン」
もう一度だ。どんどん近ずいてくる。
「チリーン」
…
…
…
…
…
…
あれ?鈴の音が聞こえなくなった。僕は正直少し安心したが、映画みたいに穴を覗き込んだ瞬間バッと出てくるのを想像して近づけなかった。僕はなんとか井戸から這い出ようと上を見た時、そいつと目があった。
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「あっ…」
それは井戸から身を乗り出して僕を見ていた。明かりがないはずなのにそれ自体が光源になってるのか、青白く光っている。そいつの目は一つだけだった。体中の毛はなく、口は縦に避けているのみだ。しきりにその大きな眼球を動かしている。何か探しているのだ。勿論僕をだろう。僕は思わずそばあった水溜りを踏んでしまった。
「ピチャン」
その途端、そいつは縦に避けた口をパクパク動かした。その度にさっきの鈴の音が聞こえた。いや、一つだけじゃない。
「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」
ああ、仲間を呼んでいるのだろう。そいつの出してる音の他に重なって聞こえる。そいつは四つん這いで井戸を降り始めた。僕は恐怖で身動きが取れない。ぎゅっと目を閉じた時、
「おい、何やってやがる」
井戸の上から声が聞こえた。その声に反応する様に鈴の音が止み、迫ってたそいつは滑る様にあの丸穴の奥へ入って行った。
「車にいろやタコ」
先輩がタバコをすいながら悪態をついた。そして井戸を覗き、僕と目が合う。懐中電灯の明かりがとても温かく感じた。僕は思わず泣いた。
「せ、先輩!」
涙を拭いて見上げると先輩はいなかった。僕の背中にぞわりと鳥肌が立つ。
「先輩!!」
「何だようるせえ」
ただ離れていただけらしい。
「早く上がれよ。煙草が無くなりそうなんだ」
「無理ですよ!何か縄とか持って来て下さい」
そこでハッとした。
「やっぱダメです!他の方法をかんがえましょう!」
またあれが来たら嫌だ。先輩が離れると考えただけで涙が出そうだ。
そう思い唇を噛み締めた時、先輩はまるで馬鹿を見る様な目で僕見下ろして、
「だから早く上がれよ。それ使ってさ」
先輩が懐中電灯で照らした先。そこには錆びた鉄のはしごがあった。
「お前随分そこにに居たいらしいな」
先輩はタバコの灰を落として呟いた。僕は少し恥ずかしかったが、羞恥心より恐怖が上回り、急いでそれに手をかけ這い出した。最後は先輩の手を借りて抜けると、生まれてから多分一番の溜息を吐き出した。先輩はと言うと、名残惜しそうに根元まで吸ったタバコを例の穴に放り込んだ。
「さあて、おいアホ。そっち持て」
そう言って先輩が指差したのは丸い形をした板だった。とても古臭い。その所々に札の様なものが貼ってある。
「なんですかこれ?」
「蓋だよ。この井戸らしきもんのな」
早く持て。そう言われ恐る恐る持つと、驚く程軽かった。そしてゆっくり蓋をした。
「よし。任務完了」
どうやらこれが先輩のバイトだったらしい。先輩は煙草が吸えなくて気分が悪いのか、さっさと車に帰ろうとした。無言で。せめて一声かけて欲しいものだ。先輩と一緒に車に戻る。そこでドアがあかないかと一瞬ヒヤヒヤしたが、何事もないかの様に開いた。僕は我先に飛び込み、そして先輩がやや遅れて入った。
「どうだ?怖い思いは出来たか?」
そりゃあもう。僕は先輩にさっきの化け物について聞いてみることにした。
「先輩。あれは一体なんですか?」
「あれ?」
「とぼけないで下さい。あの一つ目の」
「ああ、すずめか」
雀?まだ勘違いしてるのか?あれはそんな可愛らしいもんじゃなかった。
「言っとくが鈴の目と書いて鈴目だ。ありゃこの森特有の生き物だ。まあマスコット的なもんだな」
「マスコット?どこが!あんな化け物!」
その言葉に先輩は目を細めた。
「お前本当に化け物なんていると思ってるのか?」
「先輩だって見たでしょ!あいつら僕を食べようとしましたよ!」
「じゃあなんだ?お前は人を食ったクマも化け物か?違うだろ?奴らは生き物だ」
出たよ!霊感ある癖に絶対認めないんだから。僕は嘆息した。
「じゃあイイですそれで。でもなんで先輩はあいつらの名前を知ってるんですか?」
「店長がさ、最近迷った奴や、肝試しに来た奴らを食ってる化けもんをなんとかしろってさ」
「ほら!やっぱり化け物だ!」
「ああもううるせえな」
今度は先輩が嘆息した。
「別に奴らは人間を主食にしてる訳じゃねえよ。ただ山の生き物手当たり次第に食いまくって見境なくなってるんだ」
先輩はそこで言葉を区切る。
「あのお前が落ちた井戸に穴あったよな?あそこが奴らの住処だ」
「で、でも他にもたくさんいましたよね?」
「ああ、なんか大勢でたむろしてっから、何してんのかなあと思って見たらお前が落ちてんだからよう」
先輩は薄く笑って見せた。
「奴らも晩飯取り上げられて悔しいだろうな」
先輩の声を聞いて逃げて行った目の化け物。まるで天敵から身を避ける様だった。もしかして先輩には霊感の他にも能力があるのかも。尋ねてみると先輩は首を降った。
「いや、奴らは耳と鼻が異常に利くんだ。どうやら煙草の臭いが大っ嫌いらしいな」
だから水溜りの音に反応したのか。出発した時に先輩がご飯を食べたのか尋ねたのもそういう理由なのだろう。匂いを感じ取られないために。
「それにしても先輩詳しいですね」
バイトの店長(?)と言う人に聞いているとはいえ。
「まあ、何回も来てるしな」
「はあ!?」
とんでもない事を聞いた。
「言っとくが奴らが這い出して来る穴はあれだけじゃねえよ。あと五回くらいか?」
僕は一回でももう来たくないのに…。凄いを通り越して呆れてしまった。
「もういいか?行くぞ」
「あ、はい」
先輩がエンジンをかけ、ライトをつけた時。目の前にとんでもない物が写っていた。
「チリーン」
鈴目だ。それも
「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」「チリーン」
大量の一つ目の化け物が、縦に裂けた口からヨダレを垂らし、こちらを凝視している。
「まあ随分人気だなお前」
先輩はケラケラ笑ながら僕をみた。そしてゆっくり進み出すと、鈴目の群れはそれを避ける。僕はもう限界だった。顔を下げ外を見ない。早く早く脱出してくれ!
「ん?」
そこで先輩が車を止めた。
「早く先輩!早出して!」
もう歯の根が噛み合わない。しかし先輩は窓を開けると、身を乗り出した。
「あそこさあ。多分奴らが這い出して来る穴の一つだわ」
だからなんだ!心中そう呟くと、先輩はとんでもない事を口走った。
「ちょっと行って来る。待っといて」
言いながらドアに手をかけた。僕は必死に先輩の服を掴む。
「や、やめ!」
「大丈夫だって。俺の体にも車にもタバコの匂いがついてるからさ」
「ダメです!」
先輩は僕の制止を無視して車から降りた。どんどん先輩は避ける群れを押し退けて見えなくなった。鈴目は相変わらずこっちを見ている。まるで極上の肉を見る様に。と、その時
「チリーン」
僕の座ってる席の窓の方から音が聞こえる。反射的に振り向いて後悔した。窓にべったり奴らが張り付いているのだ。その光景を最後に僕は気を失った。目が覚めたのは、先輩がタバコを買いに止まったコンビニでだった。
作者紀田