静かな雨が窓を叩く。
ソファから身を起こし、何となく窓の外を眺める。
街灯に照らされた非常階段の踊り場で、男女が痴話喧嘩をしている。
互いにこの世のものではないのだろう。
その皮膚はただれ目は抉れ所々骨が見え隠れしている——
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この世で成仏しきれない者など数多くいる。少なくとも俺はそう思う。
肉体は消滅しても、強い未練があれば死んだ者の念のような、魂のようなものがこの世に残ってしまう。
こういった残留思念の一種は「知らぬが仏」的な要素がある。
しかし何となく不気味、何をするかわからないといった恐ろしさは実態を知ることで霧消する。
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俺自身よく怪奇現象に遭う。
ある日の深夜、布団に入っていた俺の枕元に首無しの血塗れの者が現れた。
気配に気付き顔を其方に向けると、何やら会釈をしている。
そして喋りかけてくるのだ。
煙草をくれませんか。と
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首が無いのに一体どうやって喋っているのか。煙草を渡したところで、どうやって煙草を吸うのか。
しかし俺の耳には確かにそう聴こえる。煙草をくれませんか。と
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俺は煙草を咥え火を着け、その煙草を手渡した。
その者は受け取った煙草を首の切れ端の気道の部分に刺した。
それはまるで香炉に立てた線香のように煙を燻らせている。
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その異様さを不気味に感じる。
そして俺の枕元で正座をし、語り始める。
曰く、この者の名は佐山倫子。当時二十歳。生前は都内の有名私立大学に通っていた女子大生で帰宅途中にある男に拐われて強姦され、更に首を切り落とされて殺されたのだという。
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当時、猟奇性の高い惨憺たるこの事件は世間を多分に震撼させることになる。
被害者の女性は首が切り落とされ、指、皮膚、乳房、性器に至るまで切り取られていたのだ。
それらを犯人は自宅にコレクションとして飾り、切断した頭部は煮て食したというのである。
犯人、腐多腐太郎は比較的早期に逮捕されている。公判中、全く反省の色が無く、悪態をつき続けていたのだが、死刑ならずで判決は無期懲役だった。
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倫子を纏う禍々しさが臨界点に達し俺の肌を裂く。倫子は腐多を惨殺してくれと懇願する。
凄まじい怨念に思わず慄然とした。
——どうして俺のことを知っている。問うと、あの世で知った。そう答える。
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仕事は断ったが一つ提案をした。
「俺が殺しはしない代わりに、ちょっとした案がある。後はあんた自身で好きにすればいい。」そう伝えた。
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俺の裏仕事は、俺が直接ターゲットの息の根を止めるというところに重きがある。
この女では報酬を支払うことは出来ないだろう。
別に俺は正義の味方ではない。
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異間という場所がある。
あの世とこの世を繋ぐ境界には僅かな隙間があり、そこでは霊体が生体に物理的に触れることが出来る。会話も可能だ。現世の概念に於いての時が止まっており、「僅かな隙間」の割には非常に広大な空間である。
生者の俺には無理だが、死者の倫子なら収監中の腐多を異間に引き摺り込むことができる。
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この異間に腐多を引き摺り込めば、倫子は腐多に凄惨な拷問を加え続けるだろう。腐多は想像を絶する苦痛と永久に付き合わなければならない。
もはや怨念と化した倫子には人の心など持ち合わせてはいない。
そして倫子にはもう転生の道はない。
成れの果ては、地獄に巣食う血も涙も無い本物の鬼だ。
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——雨が哭いている。
こんな夜は良くないことが起こる。
今宵の仕事は長くなりそうだ。
作者龍-4