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古都、鎌倉怪異譚「神猿」

中編5
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古都、鎌倉怪異譚「神猿」

 母が亡くなった。人形作りを生業とする父は、母の死に何も感じないのか、いつものように人形作りに没頭する毎日。

私はそんな父に反抗するかのように大学を休学し、日がな毎日、こうやって鎌倉の町を、何の目的もなく歩いている。

散歩と言えば、少しは聞こえはいいのかもしれない。

まだ早朝という事もあって、行きかう人も少ない。出歩くには丁度良い。

古い町並みを見渡しながら、適当に細い路地に入る。この辺りはまだ一度も来た事がないので、少しワクワクするものがある。

ふと、路地の通りで、一人の男性が瓦屋根をじっと見つめていた。

通り過ぎ様よく見ると、屋根の角に、何か壊れた置物の様な物が目に入った。

思わず立ち止まり見ていると、

「神猿だよ」

じっとその壊れた置物を見ていた男が、突然口にした言葉。

まさる?

人の名前か?

「人の名前ではないよ。神の猿と書いてまさると読むんだ」

「えっ、あ、ああそうなんだ。ていうか私に言ってるのか?」

読唇術でもやってるのかこの男?

「君にはこれが見えるみたいだからね。というか、女のクセに随分口が乱暴なんだな」

「何だ、今度は喧嘩を売ってるのか?」

思わず言い返す。口が悪いのは昔から、父親に何度咎められたか数え切れない。よって今更改めるつもりはないし、こんな訳の分からない男に言われても腹しか立たない。

だいたい見える?何が?この壊れた置物が?

「いやすまん。言い過ぎたな。あんまり女性とは話さないものでね、許してくれ。それより君は、」

「伊織だ。伊織でいい。」

君と言われるのも、あんまり好きじゃない。それに一応は謝ってきたのだから、名乗るくらいいいだろう。

「伊織か、ではそう呼ばせてもらおう。私は水城だ。すぐそこの古書店に住んで、まあそれはどうでもいいか。伊織はこれが何だか気になるのか?」

水城と名乗った男にそう言われ、私は黙って質問に頷いた。

「ふむ。昔から猿は神の使い、魔除けの象徴とされてきたんだ。有名な日吉神社では大神様として祭られている。京都なんかでは、延暦13年、都が平安京に遷都された時、京都の東北の鬼門に比叡山があり、鬼門の山があるのは地相が悪いと反対の声が上がったんだが、比叡山にはすでに日吉大社と延暦寺があり、日吉大社の大神によって守られていることから、この問題は解決し、京都が都に選ばれたという話だ」

「何だか小難しい話だな」

歴史の話は嫌いじゃない、むしろこういった話題は興味もある。が、事細かくなるのは少し苦手だ。

「まあ聞きたまえよ。伊織は、鎌倉という名の由来を知っているかい?」

「鎌倉の?」

鎌倉の由来……そういえば何だ?

思わず顎に手を当て思案する。

「まあ諸説色々あるんだが、その中でも一つ、こんな説がある。日本初代の天皇である神武天皇が、東夷を征服しようと大量の毒矢を放った。すると、その毒矢に当たって一万人以上もの人々が死に、その死体が山となって、あの鎌倉の山ができたという」

男はそう言ってここから見える山を指差して見せた。

男に言われるまま、私は山に視線を移した。

雨雲がゆったりと山の頂に流れている。少しどんよりとした風景。

「その時の戦いで、屍が蔵を作ったので、屍蔵となり、それがなまって、かまくらになったと言われている。あの山は、人々の死体の山でできているんだよ」

男は表情一つ変えないまま、淡々とそこまで話すと、また、先ほどの壊れた置物に視線を戻した。

「えげつない由来だな。観光客が聞いたらドン引きものだ」

口端を歪めて私が言うと、男も釣られるように微笑した。

無愛想な男だと思っていたが、意外と笑いもするんだな。

「ふふ、そうだな。でも私はこの由来、あながち嘘ではないと思うんだ」

「嘘ではないって、あの山が死体の山でできてるって、本当に信じているのか?」

「ああ。この置物はね。日吉神社から分霊された、大神様の御霊の一つなんだ。あの山の鬼門を封じるために、この町の至る場所に据えられていたんだが……」

「それ、猿の置物だったのか?近所のガキ共の投げたボールが当たったとか?」

「普段は人の目に触れる事も、触る事もできないよ。人の方から避けるように作られているからね」

男はさも当たり前のように話すが、正直頭のネジが緩いんじゃないかと思いたくなる話だ。

見る事もできない?なら私の目の前で壊れている猿の置物は何だと言うんだ。

「なら何で壊れたんだろうな。まあいい、私には到底分かりそうにない話みたいだし。昔話、面白かったよ」

私はそう言うと、男を横目に手を振り、その場から再び歩き出した。

このままいけば、話がどんどん明後日の方向にいきそうだ。

「鬼門が破られたと言う事は、道が開けると言う事だ。新たな道、あってはならない道がね……」

去り際、男は独り言のようにそう言った。が、流石に付き合いきれない内容だ。

私は何も返事を返さないまま、歩く速度を少し早めた。

これ以上はあまり関わりたくない。

路地に入ってきた道まで引き返すと、私は左右を見渡した。

来た道とは逆の方には、広い道がある。

自然と足をそちらに向けた。

その瞬間。

──がしっ

と、いきなり後ろから腕を掴まれた。驚いて直ぐに後ろを振り向くと、そこには男だ。先ほどの若い男が、私の腕を掴んでいた。

「なっ何を!?」

私がそう言い掛けた時だった。

「そこは行っちゃいけない」

男の真剣な声。そして私を見つめるその瞳も、さっきとは違い、射竦める様な鋭い光を放っている。

「離せ!」

瞬時にやばいと思った。やはり頭のおかしな奴だ。

生憎とスマホは出歩く時は持ち歩かないようにしている。

通りに出て誰かに助けを。

腕を振り払い振り返る。

だが……。

道が……道が……ない。

さっきまであった道が、忽然と消えた。

見間違などではなく、しっかりとこの目で見た光景が、一瞬で消えた……。

「な、何で……!?」

「言ったろう」

後ろから声が聞こえる、男の声だ。今度はさっきよりも落ち着いた声。いや、さっきよりもどこか冷たいような声。

「鬼門が破られたと言う事は、道が開けると言う事だ。あってはならない道がね。君には見えるようだ、この町の異変が色々と……気をつけたまえよ……」

「き、君と呼ぶな。い、伊織だ……」

思わずそう言い返す、が、男は返事も返さず後ろに向き直ると、その場から歩き出した。

呼び止めようと声を掛けようとしたが、

「神猿とは、魔が去るという念が込められているんだ。だから神の猿と書いてまさると読む。その猿が居なくなったという事は……」

男はそれだけを言い残し、後ろ手を振って、その場を去っていった。

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