通勤途中、何となく周りで目にしなくなった素肌を感じ、夏が終わりかけているんだなと思ったある日の事。
「と、泊まりかけの取材……ですか?」
会社に着くと、早朝会議の一発目でいきなり上司にそう言われた。
「悪いな、バイトの子が休んで急遽穴が空いちまって、それにほら、お前まだ取材経験ないだろ?だったらこれを期に一度経験してこい」
煙草の煙が充満したオフィスで、上司は気だるそうな様子で二日酔いの薬を口の中に投げ入れる。
頭を掻きながら上司の言葉に黙って頷くと僕は部屋を出ようとドアに手を掛けた。
だが直ぐにハッとして振り返る。
「あ、あの!」
「あん?」
呼びかけた声に上司が振り向く。
「ちなみに……取材って何の……?」
「幽霊……」
「な、なるほど、幽霊で……幽霊!?」
目を見開き思わず上司の顔をガン見した。
そんな僕に上司はニヤリと、口元を歪め黙ったまま不敵な笑みを浮べてみせた。
こうして不確かで曖昧な、僕の非日常の一日が、幕を開けたのだった……。
木製ロマンチカ、零感倶楽部「とある画家の末路」
「で、新入り、お前うちに入ってどれぐらい立つんだ?」
車で移動中の車内、ハンドルを握る男性がバックミラーで僕を確認しながら聞いてきた。
歳は分からないがおそらく四十代前後、ハンチングキャップを被った男性の名前は瞬さん。
「取材経験ないんだって?」
助手席に座っていた男性が後部座席に座る僕に振り返り、手に持っていた缶コーヒーを差し出して言った。
僕はそれを受け取り深ぶかと頭を下げた。
「ありがとうございます!」
今缶コーヒーをくれたのは、こちらも瞬さんとはおそらく同年代、黒縁眼鏡の似合う男性で力さん。
瞬さんと力さんは、僕が入社した株式会社木製ロマンチカという出版社のベテラン記者だ。
週刊木製ロマンチカは、年間部数八万部という出版業界ではあまり高い数字とはいえないが、その歴史は結構古く古参やマニアのファンに愛されている週刊誌だ。
ゴシップ記事メインではあるが、二人はその週刊木製ロマンチカの中で継続的な人気コーナーを任されている。
その名も零感倶楽部。十七年も前に作られたコーナーで内容は霊感0の二人が投稿者から集めた心霊スポットなどの情報を頼りに突撃取材を行うというものだ。
コアなファンも多く、これ読みたさに雑誌を定期的に購入する人もいるのだとか。
「僕、去年の十月頃から中途採用でここに入ったんです。ずっとデスクワークと営業ばっかりやらされてて……あ、瞬さん達のコーナー読んでます!昔からオカルトとか好きだったから毎週楽しみにしてるんです。この前の飛び込み自殺が多発してる駅ホームの取材、凄い心霊写真撮れてましたね!」
「ぷっははははは!」
突然、助手席のちからさんが膝を叩いて笑い出した。
「えっ?」
「あのホームの線路側をバックにして撮ったやつか?」
バックミラー越しにニヤニヤと瞬さんが笑みを浮べている。
「そ、そうです!ホームの縁に青白い手が掛かってて、」
そう言うと、力さんが座席から身を乗り出すようにして僕に顔を近付けてきた。
「ありゃフェイク。俺の手にペンキ塗ったやつだよ」
「ぷはははははっ!あん時は大変だったな。俺が自撮りして、線路下に潜んだ力が手だけ出して撮ったんだけどよ」
「そうそう、あの後駅員どもがわんさか降りてきてさ、もうこっちは平謝り、事故なんですわざとじゃありません!みたいな?はははははっ」
笑いながら話す瞬さんに、うんうんと頷きながら力さんも爆笑している。
じゃあ、あの写真はフェイク……に、偽物?
唖然としていると、瞬さんはそんな僕をあざ笑うかのようにクククと笑みを零し言った。
「俺たちも一応仕事なんでね。ネタを提供してやんなきゃおまんま食い上げってわけだ」
瞬さんは言い終えると、胸ポケットから取り出した煙草を口に咥えた。
それを見て隣りにいた力さんがジッポを差し出す。
煙草を火にくぐらせ瞬さんは美味そうに煙を吸い込むと、僅かに開いた車窓に「ふうぅ」と、溜め息混じりに煙を吐き出した。
もやもやとした気分だった。晴れない霧が心の中に立ち込めてゆく。
正直やらせはどうなんだと思った。
少なくとも読者はそれを信じて購読しているのだから……。
頭の中で言うか言うまいかと考える。仮にも相手は会社の大先輩だ。その人達に対して俺は……。
だが、次の瞬間僕は頭を強く振り顔を上げた。
「そ……それって、ファンを裏切る事になりませんかね?」
「あん?」
力さんの返事で車内の空気が一変した気がした。
やっぱり言うべきじゃなかったのかも……でも、それでもやはりオカルト好きでもある僕としては、やはり二人の話を聞いてやるせない気持ちになったのは事実だ。
すると瞬さんは僕をちらりと見た。
「言ったろ新入り、俺達は慈善事業やってるわけじゃないんだ。読者を喜ばせて雑誌買ってもらってなんぼなんだよ」
「そんな甘っちょろい事ばっか言ってると、また雑用に戻されちまうぞ?」
力さんも後ろを振り返り僕にそう言った。。
「は、はい……すみません」
二人にそう言って頭を下げた。そしてこれ以上口出しするのはやめようと肩を落とし静かに流れる外の景色に目をやった。
その後、車はしばらく走り続け何度目かの休憩を挟みながら、ようやく目的地に辿り着いた。
時刻は午後三時過ぎ。
場所はかなりの山奥だった。
普段からあまり車も通らないせいか道路は荒れ果て、あちこち舗装が剥げていた。
木の枝や落ち葉が散乱し、ちょっとした広い獣道だ。
その道の先に鬱蒼とお生い茂る雑木林に囲まれた、今回の目的の心霊スポットでもあるロッジハウスが見える。
庭の雑草が子供の背丈ほど伸びており、あちこちに木材の残骸らしきものが転がっていた。
窓はあちこち割れており目立った落書きなどは見当たらないものの、外から少し見ただけで中もかなり荒らされている様子だ。
僕たちは先程の気まずい雰囲気を引きずったまま車を降りると、たくさんある機材を手分けして中へと運び入れた。
すると運んでいる最中こんな話を瞬さんから聞かされた。
それはこのロッジハウスに纏わる、暗い過去の傷跡……。
ここにはとある画家と、その奥さんと娘の三人の家族が住んでいた。
画家の名はK氏。K氏はデビュー当時から鮮烈的な躍進で人気を得たが、その後はヒット作に恵まれず次第に業界から姿を消した人物だった。
没落していった彼の元から奥さんと娘は姿を消した。風の噂では別の男と駆け落ちしたのだそうだ。
残されたK氏は唯一手元に残ったこのロッジハウスで生涯を閉じた。
変死だったらしく自殺の可能性も疑われたが、結局突発的な病死として扱われたらしい。
そして月日は流れ、このロッジハウスで奇妙な噂が流れるようになった。
死んだはずのK氏が夜な夜な現れては、娘の名前、ユカの名を呼びながら家の中を彷徨っていると……。
噂は瞬く間に広まり、実際の目撃情報や、YouTuberなんかが心霊凸で動画を配信するぐらい、この場所は有名になっていた。
だがそこまで聞いて僕は少し腑に落ちなかった。
そんなに有名な場所なのに、なぜ今更……?
普通ならまだ人がよりついていない場所なんかを狙ってレアリティを出すものだと思うが、なぜ瞬さん達はわざわざ有名所を狙ったのだろうか?
ひょっとして……またフェイク映像でも撮るつもりじゃ……。
「何だ新入り?俺の顔になにかついてっか?サボってないでさっさと運べ」
思わず力さんの顔を見ると、逆に怪訝そうな顔で叱られてしまった。
やがて全て運び終わり、僕らはそれぞれの機材を各部屋に配置した。
動作感知器に赤外線カメラ、全方位カメラやデジタル録音装置等など、準備万端を確認し後はその時を待つだけだ。
軽い夕食を済ませ夜は順調に更けていった。
いつもに比べ暗闇がその密度を増したかのような夜だ。
談笑する僕ら以外は、たまに聞こえるフクロウや鈴虫の鳴き声だけ。
時折聞こえるパキパキという不気味な家鳴りに、僕は眉をひそめながら辺りを見回す。
「おい新入り」
「は、はい?」
珈琲を片手に監視モニターに目をやっていた瞬さんが急に話しかけてきた。
「お前、心霊体験とかあんのか?」
「僕ですか?」
「お前以外にここに新入りが他にいんのかよ」
煙草を吸いながら横で力さんがニヤニヤとしている。
「は、はあ、まあ……あります」
「ほお、どんなだ?」
瞬
さんが監視モニターから目を離し僕の方を向いた。
「ええと、あれは……」
あれは、僕がまだ高校生の頃だった。
友達と面白半分で行った心霊スポット。
火事により家族五人が焼死したという痛ましい事件があった場所で、僕だけが子供の幽霊に遭遇してしまった。
当然その場はパニックになり皆してその日は逃げ帰った。
僕の初めての心霊体験でもある。
「ふ~ん、それでお前、その話皆にしたのか?」
僕の話に気のない返事を返しながら瞬さんは聞いてきた。
「ええ、まあ」
「反応はどうだった……?」
「反応……ですか?」
「そうだ。お前の話を聞いた皆の反応だよ」
「ええとそれは……」
正直あまり思い出したくない話だった。
クラスの女子たちはけっこう怖がって聞いてくれたけど、それ以外は皆話半分っといったところで、幻や夢でも見たとか、果ては頭がおかしくなったんじゃないかと言われる始末だったからだ。
「おおかた世迷い言だとあしらわれたんだろ?」
瞬さんは口の端を歪めニヤリと笑った。
「違いない。人間誰しも自分の目で確かめない限りは、そう簡単に受け入れられないもんだ。ましてや今時の冷めた若い奴らときたら」
力さんが大げさに肩をすくめて見せる。
僕は二人の話を聞いて押し黙ってしまった。
確かに二人の言う通りだったからだ。
今の世の中、実体験なんか話しても正直あまり誰も喜ばない様な気がする。
それよりも動画や写真で幽霊の声や影を拾ってきた方が断然盛り上がるからだ。
それが真実か否かは然程関係なく、エンターテインメントとして成立すれば全て事なきを得る、そんな気がした。
いや、だからといってフェイクが許されるとは、やはり思いたくはない。
それこそ一体何のためにこんな事をやっているのか……。
その時だった。
「おい」
力さんがモニターを見ながら急に発した声に、僕らはハッとして目をやった。
「おいおいまじか……」
瞬さんがモニターに食いつく。
僕も急いでモニターに目をやった。
「これって……」
モニターを見て唖然としてしまった。
遠隔監視モニターが全て砂嵐状態になっていたからだ。
接続ミス?いや、さっきまでちゃんと画面には映像が映し出されていたはずだ。
「しゃあない、手分けして確認しよう」
瞬さんが立ち上がりながら言うと、僕と力さんはそれに頷き各自仕掛けたカメラの場所に向かった。
二人は二階へ、僕はキッチン横の部屋へと向かう。
腐食し崩れ落ちたドアを飛び越え、砕け散ったガラス片を避けながら部屋へと入った。
懐中電灯で部屋の中央に備え付けたカメラを確認する。
その瞬間、
「うわっ!」
思わず声を上げてしまった。カメラの向こう側に人影を見た気がしたからだ。
だがその心配も徒労に終わった。
人形だ。何かの少女アニメを模したもの。
「ん?」
よく見ると人形は他にもたくさんあった。
熊や猫、犬や魔法使いっぽいものまで。
ひょっとしてここは、奥さんと家を出ていった娘の部屋?
なんだか急に寒気がした。
シュンさんの話してくれた言葉が頭を過る。
──夜な夜な娘の名を呼んで。
「確か瞬さんが言ってたな、ユカちゃん……だっけ」
──ズッ……。
「えっ?」
突如、扉の方から何かが擦れるような音が聞こえた。
思わず振り向き懐中電灯を照らす。
誰も居ない……いや、何か下にある。
懐中電灯を咄嗟に下げた。
だが、
「う、嘘だろ!?」
明かりが突如消えた。
スイッチを何度押しても明かりは点かない。
「くそっ」
電池切れかと思い急いで持っていた予備の電池に切り替えようとした時だった。
──ユ……カ……
「へっ……い、今なんて……?」
──ユカ……
──ズズッ……ズッ……
ユカ……確かにそう聞こえた。
扉の方から僕の方に向かって何かが這いずってくる音と共に。
喉から溢れ出そうな叫び声。だが声が掠れて一向に出ない。
いや、喋れない。
それどころか手足すら動かせない!
額に浮かんだ尋常じゃない量の脂汗が、鼻先を伝って足元に落ちた。
呼吸が荒くなり、口からひゅうひゅうと歪な音が漏れ出る。
全身が粟立ち異常な悪寒が爪先から首筋まで駆け昇ってきた。
逃げたい、今すぐここから!
頭で強くそう念じるも、僕の体は勝手にそれを拒否していた。
──ズッツ……ズズッ……
暗闇の中、足元を何かが這うようにして迫ってくる。
次の瞬間、僕の体が急に軽くなった気がした。
今なら動く、そう思った時だった。
さっきまでうんともすんとも言わなかった懐中電灯の明かりが点いた。
そしてその明かりが僕の足元を照らした時だ。
僕の足に、茶色く変色した手が……そして腐敗し肉がこそげ落ちたような……男の苦しそうな顔が、僕を見上げる様に照らし出されていた。
──ユカあぁぁぁぁぁっ!!
「うわあぁぁぁぁぁっ!!」
無我夢中だった。
心臓を楔で打ち付けられたかのような衝撃に突き動かされ、僕は叫びながら部屋を飛び出していた。
「えっ?うわっ!!」
足にコードや配線の類が足に絡みつき、思わずそれを強引に引き剥がそうとして盛大に転んでしまった。
「いてててっ……」
前のめりに倒れてしまい、打ち付けた腕を擦っていると、
──ガシッ
「うわあぁぁっ!!」
突然後ろから肩を捕まれま、たもや悲鳴をあげてしまった。
しかもすぐに振り返るとそこには、
「しゅ、瞬さん……?」
それに力さんもいた。二人共僕の顔を覗いて心配そうにしている。
「大丈夫か新入り?すげえ悲鳴だったぞ?」
「ほら、肩貸せ」
見かねた力さんが僕の腕を取り立たせてくれた。
「す、すみませんほんとに……あっ!」
「バカ!耳元で大きな声出すな!」
「あ、す、すみません!」
「はあ……分かったから、何だ?何かあったのか?」
軽く溜め息を吐きながら力さんが言った。
「そそ、それが見たんです!」
「見た?見たって何を?」
「あの、れ、例の画家です!K氏!」
「何だと?」
それまで黙っていた瞬さんが怪訝そうな顔で聞いてきた。
「信じてください本当なんです!こ、この目で見たんですK、」
「バカ、誰も疑っちゃいねえよ、それよりどこで見た?」
以外だった。
僕の体験談を世迷い言扱いした瞬さんが疑うことなく話を信じてくれたからだ。
思わずそれに驚き戸惑っていると、
「おい聞いてんだろうが、どこだ?どこで見た?」
僕に詰め寄るようにして再び瞬さんが聞いてくる。
それに対して僕はおそらく娘の部屋であったろう場所でみた、K氏と思われる人物がいた場所を指さして見せた。
「歩けるか?」
僕の肩を担いでくれていた力さんの言葉に僕はコクリと頷き返し、一緒に先程の娘の部屋へと足を踏み入れた。
瞬さんが懐中電灯の明かりを部屋の中央にかざすと、そこには無残にも倒れたカメラ機材と、ぐちゃぐちゃに絡まってしまった配線やコドーが放置されていた。
「てめえ……」
力さんが僕を睨みつけてくる。思わず乾いた笑みを浮べて視線を反らした。
「この辺か?」
瞬さんはそう言って持っていた懐中電灯で輪を描くようにして照らしてみせた。
「はい、間違いありません……娘さんの名前、呼んでました」
地の底から響いて来るような、恨みの籠もった男の声だった。
やはりK氏は亡くなった後も一人でずっとこの家で、いなくなった娘を探していたのだろうか……。
「瞬の狙いが当たったな」
「だな……おい」
「おう、新入り、ちょっとおろすぞ」
突然、二人は何やら話しだすと、力さんは僕を置いて部屋を出ていってしまった。
「えっど、どうしたんですか、急に?」
「お前、前に葛城さんに話したろ?」
僕の質問に瞬さんはニヤリとしてこたえた。
葛城さんとは今朝、僕に泊りがけの取材を急遽命じてきた上司の名前だ。
「話したって?」
「さっき俺たちにも話した事だよ。葛城さん言ってたぞ、うちのコーナーやりたさに大ボラ吹いてる新人がいるってな」
「大ボラなんてそんな!ぼ、僕は実際に経験した話を……そ、それに瞬さん達だってさっき僕がK氏を見た事、信じてくれたじゃないですか!」
「誰も嘘なんて言っちゃいねえだろ。さっき話した時だって、周りに世迷い言扱いされたんだろ?って聞いただけじゃねえか」
「そ、それは……」
確かにそうだ……。一見バカにはされたけど、僕の話が嘘だとか、二人は口にしていない。
「もしかすると……って思ってな」
「もしかするとって……?」
聞き返すと、瞬さんは煙草を取り出し火を付け、煙を吐きながら少し考え始めた。そして、
「ん~真実ってやつが分かるかも?」
「は、はあ?」
瞬さの言葉に思わず頭を捻った時だった。
「持ってきたぞ~さて、いっちょやっか」
力さんだ。何やら大きな機材と延長コードを持ってきた。
瞬さんが懐中電灯で照らし、力さんがそれを慣れた手付きで組み立て始める。
最初僕はそれが新しいカメラかと思っていた。けれど違った。
それは……ピックだ。工事現場なんかでよく見かける、少し大きめの工具。
先端に大きな釘みたいな杭がついていて、それを地面なんかに打ち込むやつだ。
「えっ?えっ?ちょっ、ちょっと二人共何するつもりなんですか?」
「決まってんだろ?」
ピックを腐りかけたフローリングに向け構えた状態で力さんが言った。
そして瞬さんがまた不敵な笑みを零して口を開く。
「ビフォーアフターだ」
それが開始の合図となり部屋の中に、けたたましい機械音が鳴り響いた。
元々腐っていたのもあってか、フローリングはメキメキと音を立て簡単に割れてしまった。
フローリングの下には隙間があり更にその下には、むき出しのコンクリートが見えた。
二人は割れたフローリングを剥がし今度はそのコンクリート目掛けてピックを打ち込み始めた。
深夜にこんな騒音、街中だったら一発で警察を呼ばれてるだろう。
いや、もう既にやってることは完全にアウトだ。
僕はオロオロとしながら周りを確認し事の次第を見守っていた。すると、
「ん?何か当たったな」
ピックを持った力さんが訝しげに言う。すると瞬さんはしゃがみ込み砕けたコンクリートをまじまじと見回した。
「やっぱりな……あったぞ!」
すかさず力さんはピックを降ろし、瞬さんと一緒に砕けたコンクリート片をどかし始めた。
本来ならもっとちゃんとした構造になっているはずだが、このコンクリートはかなり薄皮になっていたようだ。
しかも砕けたコンクリートの中には、
「これ……中に木材が……」
懐中電灯に照らされた先には薄皮のコンクリートで塗り固められた、木でできた箱のような物の一部分が露出していた。
コンクリートの中に……箱……。
瞬さんは箱を見ていた僕を押し払うと露出した木にピックの先端の杭を強く打ち付けた。
木箱の一部が割れ、その部分だけを強引に剥がし始める。
嫌な予感がした。
こんな場所に木箱なんておかしいだろ。何のために?誰が?何をここに?
額に浮かぶ冷や汗が止まらない。何度拭っても滲んでくる。
激しい動悸に合わせるように呼吸が乱れてきた。
考えたくない、いや想像したくない。
見たくない……なのに目は逸らさなかった。
まるでその箱の中身に惹きつけられるような……。
そして遂に視界の先にある箱の中身と、いや……箱の中に居る者と一瞬だけ目があってしまった。
割れた隙間、懐中電灯に照らされ、僅かに浮かび上がった骸骨の目……。
瞬間、僕は穴を覗き込む姿勢のままその場に転げ落ちるようにして倒れた。
瞬さん達が僕の名を呼んでいるのが微かに聞き取れたが、僕の意識は寄せては返す波のように遠ざかっていった。
気がつくと僕は一人ここに来た時に乗ってきた車の後部座席に寝かされていた。
ぼんやりとする目を擦りながら起き上がると、まだ外は真っ暗だった。
辺りを見回そうとした時、外から数人の男の声が聞こえた。
瞬さんと力さん……あと一人は……誰だ?
暗闇の中目を凝らす、紺のスーツ姿。がたいの良い男だ。年は瞬さん達と同じぐらい?
「じゃ、高田警部、後の事はよろしくお願いしますよ」
警部?今、瞬さんは警部って……刑事さん?
「たっく……変なもん掘り当てやがって、ここ掘れワンワンかてめえらは」
「いや~耳が痛い。まあそう言わず、今度とっておきのネタ、お土産に持っていきますから」
「土産ねえ……とりあえず後はこっちに任せろ、お前らはなるべく人目のつかないルートで山下ってさっさと帰れ」
「は~い」
「へ~い」
二人がヘラヘラとしながら返事を返すと、高田と呼ばれた刑事さんはハッとして二人の方に振り返った。
「あ、そう言えば、まー坊がたまには一杯やろうって言ってたぞ」
「まー君が?」
瞬さんが聞き返すと、高田警部は再び背を向け後ろ手に片手をひらひらと振ってみせた。
「まったまには店に顔見せてやれや」
そう言い残し、何やら携帯で誰かと喋りながら今度こそ、その場から去って行った。
「おっなんだ起きてたのか」
僕に気が付いた力さんが車に近づき窓越しに声を掛けた。
「起きたか……丁度いい、ずらかるとしますか」
瞬さんは言いながら車のドアを開け運転席へと座った。
「あ、あの……今の人は?刑事さん……ですよね?」
すると瞬さんはこっちに振り返った。
「何だ聞いてたのか?」
と、逆に僕に尋ねてきた。それに黙って頷くと瞬さんはやれやれと言った様子で首を振った。
「後始末を頼んだんだよ……」
「後始末?」
聞き返すと力さんが缶コーヒーを僕に手渡しながら、
「お前も見たろ……箱の中身」
そう言って軽く溜め息を吐いてみせた。
箱の中身……あれはおそらくいや、間違いなく人骨だった。
「ふぅ~」
瞬さんは煙草の煙をため息交じりに吐き出すと、灰皿に押し付けるように消して僕にこう言った。
「ありゃ娘の骨だ……」
「娘さんの!?」
「ああ、今回はそれを確かめるために来たんだよ」
「確かめる?それってどういう事ですか?」
「前にここの情報を読者から聞いて調査に来た時は何も起こらなかった。で、お前さんの話を聞いていっちょ試してみようかと思ってな」
「瞬が言うには、もっとそういうのを感じやすい奴が必要かもなって事だったんだ。それで一か八か、今回連れてくバイト君を外して、葛城さんにお願いしたってわけさ」
「じゃ、じゃあ今回は、ここに僕を初めから連れて行く手筈だったんですか?」
「そうだ。そして俺の感は確信に変わった。お前がK氏の姿を見てな……」
瞬さんが振り返り僕を見て言った。
K氏……頭の中であのおぞましい姿がチラリと浮かぶ。
背筋が逆立つような感じがして僕は頭を強く振った。
「と、ところで、何であの骨が娘さんだと?」
尋ねると、瞬さんは前に向き直り車のエンジンをかけた。
「前回行った後に調べたのさ。目撃情報によるとK氏は娘の名前を呼びながら家の中を彷徨っていたらしい」
「はい、僕もそれを聞きました……ユカちゃん、ですよね」
「いいや違う、娘の名は瞳だ」
「瞳ちゃん……えっ?ええっ!?」
驚きの声を上げ僕は口をパクパクさせ固まってしまった。
そんな僕をバックミラー越しに確認し、瞬さんは再び口を開く。
「奥さんも探しだしたよ。そして事の全てを聞いてきた。K氏と元奥さんとの離婚の原因は、K氏の没落でも、ましてや奥さんの不倫でもなかった」
「じゃあ何が?」
僕が聞いたと同時に、瞬さんがゆっくりとアクセルを踏みこんだ。
「娘さ……」
「娘……瞳ちゃん?」
僕の言葉に黙ったまま瞬さんが頷く。
そして煙草を咥えたかと思うと、今朝の様に助手席に居た力さんがジッポで煙草に火を灯した。
大きく吸い込み美味そうに煙を吐き出す。
「ふうぅ、瞳ちゃんは十九の頃に家出したそうだ」
「家出?どういう事ですか?」
「奥さんがある日起きると、家の金庫からお金がなくなっていたらしい。娘と共にな。調べると鞄や衣服などがいくつか消えていたらしくてな、直ぐに警察を呼んだが、おそらく家出で間違いないだろうと言われたそうだ」
「ちょ、ちょっとまって下さいよ!家出って、あの箱の中身は娘さんの骨なんでしょ?そんな……」
そこまで言いかけて僕はハッとして口をつぐんでしまった。
いや、待て……嫌な予感がする。
僕は唾をゴクリと飲み込み瞬さんの言葉を待った。
「亡くなったK氏は、夜な夜な娘の名前を呼んでいたんじゃない、床……床に娘がいると知らせたかったんだ。誰に?そう、K氏の声を聞き、娘の亡骸を見つけてくれる奴にだ」
そこまで聞いて僕は愕然としてしまった。
K氏は知っていたのだ。娘の居場所を……いや、どうやって?そもそも娘は誰にあそこに埋められた?
様々な疑問が過る中、瞬さんはそれを見透かすようにして話を続けた。
「生前、まだ家族が三人一緒の頃、K氏はいつも娘の似顔絵を書いていたそうだ。ただそれが娘への愛情としてなら良かったんだが……」
「それって……つまり?」
聞き返す僕に、瞬さんは眉をひそめて言った。
「残念ながら違ったようでな、当時のK氏の仲間の証言によると、娘の瞳ちゃんはかなりの美人だったらしく、通っていた大学でも男を取っ替え引っ替えするくらいの女だったらしい。そんな娘に実の父親であるK氏は異常な執着心を見せる事が多々あったそうだ」
K氏が実の娘を……何だか一気にどろどろとした話になってきた。
聞いているだけで胸焼けがしてきそうだ……。
「K氏夫妻の長年の知人によると、瞳ちゃんが家出する数日前、夫妻は大喧嘩をしたらしくてな、相談したい事があると奥さんの方から連絡があったそうだ。が、事件が起き、夫妻は互いに別れを告げ家族はバラバラになってしまった。さてここで問題だ」
瞬さんはそこまで話し大げさに片手を上げ手のひらを返した。
「な、なんですかいきなり?」
「お前好きだなそういうの、勿体ぶらずに言えよ」
隣りにいる力さんが呆れた顔で両腕を頭の後ろで組みながら言う。
「たくつまらん奴らだな。まあいいさ、とにかくだ、死んだK氏は全てを知ったわけだ。この家に眠るものが自分以外にいたって事を、しかもそれが自分の娘だってな」
「じゃ、じゃあ娘さんを……瞳ちゃんをあんな風にしたのは……」
「事件当時、警察に娘が家出したんじゃないかって言ったのは奥さんの方らしい。逆にK氏はその後何度も一人で警察署におもむき事件として捜査願いを届けたそうだ」
つまりそういう事なのだ……瞬さんが今語った全てが、この事件の顛末……。
「もしかしてさっきの刑事さんて?」
「ああ、昔からの馴染みでな。ああ見えてけっこう偉い立場の人なんだぜ?再捜査してくれるってさ、ついでに俺たちの証拠隠滅も頼んどいたよ」
なんて人だ……ここまで考えて動いていたのか。
瞬さんが考え計画し、力さんがそれを信頼して全力でサポートする。まさに長年培った阿吽の呼吸がなければできない事だ。
「あ……」
「どうした新入り?」
思わず漏れ出た声に力さんが振り返った。
「いや、これ記事にできないですよね……?」
フェイク画像まで作って載せてしまう人達だ。そう簡単に引き下がるとは思えない。
「ああ、最初から載せるつもりなかったしな、なあ瞬」
「だな」
「ええっ?なな、なんでですか?だってこんなモロ心霊事件なんて、お二人なら絶対記事にしたいんじゃ!?」
「ばーか」
そう言って力さんが俺の頭を軽く小突いてきた。
「俺達は別に記事にしたくてこの仕事やってんじゃねえんだよ」
バックミラーを覗き込みながら瞬さんが言った。
「で、でも昨日だって言ってたじゃないですか、おまんまの食い上げだって……」
「そうでもしないと俺達のコーナーも潰されちまうからな。だから嫌でもやんなきゃいけねえ。本物に出会うために……」
「本物……?」
「ああそうだ。いつも毎回俺達宛に何百通ものメールや手紙が寄せられる。その中にはたくさんの情報があるけど、大抵は嘘や誤った情報だったりする。でもな、たまに紛れ込んでくるんだよ、今回みたいな本物がな」
瞬さんがにやりとしながら言い終えると、それに続くようにして力さんが口を開く。
「フェイクで満足したい奴はそれでいい、でもな本物見ちまったら、もうそれでしか満足できない……俺も瞬も取り憑かれちまったのさ、本物って奴にな」
「そうそう、だからやってんだよ、ついでに三流ゴシップ記者ってやつをな、ははははっ!」
「違いねえ、ははははは!」
瞬さんが言って笑うと、釣られて力さんも笑い出す。
そこまで二人の話を聞いて、僕はもう何も言えなくなってしまった。
どさりと後部座席に体を沈めると、目を細めながら外の景色に目をやった。
東の空がやや青くなっている。
星はまだ瞬いているが、やがてそれも見えなくなり、青葉の匂いを漂わせた夏の朝がやってくる。
疲れた、とても……だけどどこか妙に心地いい、そんな気分だった。
二人の談笑する声が、少しづつ遠ざかっていく、重い瞼がゆっくりと落ちていった。
「三泊四日?」
「でかい声出すな、いてて、くそ、昨日はそんなに呑んじゃいねえんだがな……」
葛城さんは深酔いの薬を忌々しそうに見ながら、それを口に放り入れた。
「急に言われても……だいたい三泊四日って修学旅行じゃないんですから……」
とそこまで言いかけた時だ。
窓の外から、
「おい新入り!早くしねえと置いてくぞ!」
力さんの怒鳴り声が下に停めてある車から聞こえてきた。
ちなみにここは六階だ。どんな声帯してるんだあの人……。
「ああもう分かりました行きますよ!」
二日酔いで苦しむ葛城さんの耳元でわざと大きな声で言ってから、僕は逃げるようにしてオフィスを出て階段を下った。
外に出ると、会社の目の前に停まってある見慣れた白のバンの後ろに乗り込んだ。
「俺達を待たせるようになったとは、随分出世したじゃねえか新入り」
助手席に座る力さんが振り返りながら言った。
「まあそう言いなさんな、新入り様がこうやって俺達につきあってくださるんだからよ」
皮肉めいた声で瞬さんは言うと徐に車のエンジンを掛けた。
「二人共無駄口叩いてないで、本物……見に行くんでしょ?」
「おっ……」
「言うねえ」
瞬さんはそう言うとニヤリとしながらアクセルを思いっきり踏み込んだ。
車が大きくガクンと揺れ思わず天井に頭をぶつけそうになったが、それすらも今はなんだか笑えそうになった。
目指していた記者とはちょっと違う形になってしまったけど、今はそれでも良い、それが良いと思えるようになっていた。、
車内のラジオから高校野球の決勝戦を中継するアナウンスが聞こえてくる。
僅かに開いた窓の隙間からは、冷たい空気が混ざった風が流れ込んできた。
夏が終わる、けれど僕らの取材は今、始まったばかりなのだ……。
作者コオリノ
YouTubeで活躍されてる「木製ロマンチカ」のお二人を元に書かせて頂いたものでございます。