短編2
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新潟少女監禁事件

【事件概要】

 1990年11月13日(水)午後7時45分、新潟県三条市内にある駐在所に、近くの主婦が「小学4年生の次女が帰ってこない」と届け出た。その日のうちに捜索が行われたが、発見できず。その後も捜索は続けられたが、ついに少女の行方はわからなかった。

 2000年1月12日、柏崎市四谷にある佐藤宣行(当時37歳)宅を訪問した保健所の保健婦が2階の宣行の部屋にて毛布にくるまった女性(当時19歳)を発見。女性はすぐに保護され、三条市で行方不明となった少女と判明する。佐藤は下校途中の少女をさらい、自室に連れ込み生活させた。少女や母親に対する暴力・虐待も日常的にあったようである。女性は家族と実に9年2ヶ月ぶりの再会を果たした。

【監禁】

 1990年11月13日、下校途中の少女をナイフを突き付けて脅し、車のトランクに押し込め、自宅に連れ込む。部屋に連れ込むと数十回に渡り少女を殴打した。「出られないぞ」「俺の言うことを守れ」と言いつづけ、ナイフを少女の腹部に突き付けて「これを刺してみるか」「山に埋めてやる」などと脅した。逃げられないように佐藤の外出中は少女を縛りつけていた。

 91~92年ごろ、母親に買わせたスタンガンを少女に押し当てて放電し、大変な恐怖心を植えつけた。大声をあげると佐藤の罰があるので、少女は自分の腕を噛み痛みに耐えていた。少女に「おじさん」と呼ばれると激昂し、少女を殴った。少女に競馬番組のビデオ録画を命じ、忘れたりすると殴打した。少女は常にベッドの上にいるように指示し、守らない場合は罰を加えた。用便すらも部屋から出さず、ビニール袋の中にさせた。少女がベッドから落ち、埃まみれになった時のただ一度しかシャワーを使わせなかった。このような生活により、両下肢筋力は低下、骨量も減少しており、歩行も難しくなった。

 はじめのうちは母親が作った夜食用の弁当を少女に与えており途中からコンビニの弁当(おにぎり)に切り替えた。96年頃からはそれまで一日ニ個与えていた弁当を一個しか与えなくなった。小学四年生時に46kgあった少女の体重は38kgにまで落ち、失神するようになった。

 佐藤は少女の服を自分で買うことも、気づかれないために母親に頼むこともできず、ショッピングセンターで万引きして洋服を入手していた。

 母親の要請により、佐藤の精神病院入院のために訪れた保健所の職員などが自宅を訪れたことにより発覚。

裁判で懲役14年という判決をうけました。幽霊なんかに出会うより、ある日突然何の落ち度もないのにこんなことに出くわす方がよっぽど怖いですよね。

怖い話投稿:ホラーテラー 怖い怖いさん  

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