「なあ、夜釣りに行かないか?」
俺は10年振りに再開した友人に切り出した。
彼はかつての俺の親友であり、先生であり、そしてヒーローだった。
彼は両親がここの出身ではない俺に、漁師町ならではの遊びを沢山教えてくれた。
自転車に乗れない俺の練習に根気よく付き合ってくれたのも、誰よりも早く補助輪の取れた彼だった。
悪いことも、酒やタバコも彼からだ。
そして釣りも。
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久しぶりの帰省で偶然の再開を果たした俺たちは、
お互いの近況を報告し合い、そのまま彼の家の離れで飲むことになった。
共通の友人のその後、幼い頃の思い出と話題は移っていったが、10年の空白は思っていたよりも大きく
やがてお互いの口数も少なくなっていった。
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彼とはそれこそ物心ついた頃からの付き合いで、小学生の頃は毎日日が暮れるまで一緒だったのだが、
中学に上がると彼は所謂不良の道を進み、少しずつ俺たちの距離は離れていった。
そんななかでも、夜釣りだけは二人の共通項だった。どちらからともなく連絡しては夜釣りに誘い、
夜中まで色々な事を話しながら釣りをした。
夜釣りの時だけは彼は変わらず俺の親友で、先生で
そしてヒーローのままだった。
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間の持たなくなった俺は、冒頭の台詞を口にした。
お互いに酔っているのでいつものポイントには上がれないが、防波堤の中なら平気だろうと思ったのだ。
しかし彼は歯切れ悪く、もう釣りはしないのだと話した。
何故か俺は裏切られたような気分になり、彼を問い質す。
彼は本当に話したくなさそうだったが、夜釣りに関しては思うところもあったのだろう。
ポツポツと語り出した。
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~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
ああ、夜釣りな。
ほんとにもうやってねえんだわ。
まあな。
よく二人で行ったよな。
理由?
あんまり、気持ちのいい話しじゃねえぞ。
俺も出来れば思い出したくないけどな。
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あれはいつだったかな、俺が遠洋から帰って来た最初の年だったから、もう5年?いや6年か。
帰って来たはいいけど、やる事もなくてな。
だからって家の手伝いもしたくねえし、金はあったしな。
で、せっかくだからいい道具揃えて釣りでもするかって。
場所?
そう。いつものな。
東防波堤の角のテトラポット。
ああ、懐かしいか?
そこで夜釣りしてたんだわ。
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まあ、釣果はいつも通りだよ。
倍の値段の道具揃えても、倍釣れるわけじゃねえのな。そりゃそうか。
で、潮が止まってアタリなくなって。
1時位だったかな。
次の時合は2時半位か。もう帰るかって。
片付けてたんだわ。
そしたら、足元のテトラでピチャピチャ水音がしてさ。
あ?潮動いたか?って。
まあそんな事ねえわな。
んで、片付け続けてたら今度はバシャバシャ聞こえてな。
なんだ?魚か?ってライト照らしたのよ。
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…………
ああ、それで見たらテトラの先になんか引っ掛かってんの。
そしたら、
「誰か…誰かいないか……」
って、声がしてな。
ああ、人だったんだよ……
で、俺もそこまで降りてってさ。
大丈夫か?なんて声かけてさ。
「上がれないんだ…引っ張ってくれ…」って。
わかるよ。服が濡れてたら重てえからな。
お前もわかるだろ?
俺は親父を呼びに行こうかって思ったけど、
すぐだからな。1分もかかんねえ。けど、
その間に流されるかもしれねえって思って、
結局一人で引っ張ることにしたんだわ。
うん?携帯?
そうだな。持ってたんだから。
こん時に使っときゃよかったんだよな…
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…………
うん?
ああ、悪い……
きっと動転してたんだよ。
情けねえよな。こんなナリして。
上げたよ。一人で。
そいつもさっきまで喋ってたのになんも言わなくなって。
ああ。重たかったよ。
…………
それで、ここまで上げりゃ大丈夫だろってとこに
置いてさ。
やっと使ったよ。携帯。
親父に電話して。すぐ来てくれって。
ん?
ああ、結局親父だよ。
あんなにケンカしてたのにな。なんでだろうな。
1分もしないうちに来たよ。
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駆け付けて来た親父に、救急車呼んでくれって頼んでさ。
親父も俺のこと見てすぐ状況解ったみたいで。
俺か?
大丈夫か?って声かけてたよ。
親父は防波堤の上で電話してた。
そしたら親父が、一回こっち上がって来いっつって。今、警察呼んだからって。
警察?って思ったよ。
救急車は?いつ来る?って聞いたけど返事はなかった。
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結局警察来たのはどんくらいだったかな。
10分かかんなかったんじゃねえかな。
ああ、早えよな。
田舎だからな、暇なんだろ。
一人はよく知ってる顔のじじいだよ。
俺がガキの頃から警官のな。
お前も見たことあんだろ。
もう一人は知らねえ顔だったな。
若けえやつだった。そん時の俺と同じかもう少し上かって感じの。
じじいの方は親父と話してたな。
俺は若けえ方に呼ばれて上がってった。
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で、状況聞かれてな。見りゃ解んだろっての。
まあでも警察だからな。
俺も見つけた時の事から、今までの事を話したよ。
俺が話す事をいちいち繰り返すのが癇に障ったな。
「水音ですか?」とか「え?声ですか?」とかな。
あと、そいつ俺の顔見ねえの。
俺の手元ばっかり見ててさ。
ああ、甲に墨入ってるからな。
俺のことヤクザかなんかだと思ってんじゃねえのかって。アホらしい。
ヤクザが夜に釣りするかって。
で、じじいの方からも呼ばれてそっち行こうとしたら。
そいつ変なこと言ったんだよ。
「でも凄いですね。あんな水死体を一人で。」
って。
はあ?って思ったよ。
こいつ俺の話聞いてたか?って。
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…………
…………
お前も気付いてただろ?
おかしいのは俺だったんだ。
初めから変だったんだ。
あいつは俺が帰ろうとしたら初めて声かけてきたんだ。
それまでそいつは何処にいたんだ?
俺が釣りしてる間、ずっとあそこに引っ掛かってたのか?声も出さずに?
…………
最初から死んでたんだ。
待ってたんだ。ずっとあそこで。
親父はさぞ気味が悪かっただろうな。
駆け付けてみたら息子が死体に話しかけてるんだ。
大丈夫か?って何度も。
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………
その時始めて気が付いたんだ。
俺の体からひでえ匂いがしてんのが。
………
あの警官が何で俺の手元ばっかり見てたのかも解ったよ。
俺の手には髪の毛やら何やら、訳のわからないものが絡みついてた。
………
気が付いた瞬間、盛大に吐いたよ。
吐いても吐いても止まんなかった。
…………
それから?
ああ、身元か。
密漁しようとして溺れた下っ端ヤクザだったか、小遣い稼ぎのチンピラだったか。
あんまり興味なかったな。
………
ん?
ああ、一週間以上経ってんのは間違いないらしい。
………
それで、俺は夜釣りが怖くなったってことだ。
大したことねえよな。俺も。
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………
あ?
ああ、そうだな。
それだけじゃないな。
………
怖くなったんだよ。
勿論、海もだ。海は怖え。
だけどそれよりも、人の情念?執念ってのか。
なんでもいい。そんなドロドロした想いだ。
そんなのが怖くなった。
あいつはてめえの都合で溺れて死んで。
それでも見つけて欲しかったのか、見ず知らずの俺を巻き込んで。
あんな姿になってまで。
そうまでして陸に戻りたかったんだろうか。
俺も海で死んだらそうまでして戻りたいと思うんだろうか。
誰かを巻き込んで、あの死体のあいつみたいに。
それでそうなったとして、俺を引っ張ってくれるやつはいるだろうか。
ってな。
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なんだろうな。上手く言えねえ。
ん?
そうか。なんとなくでもいいよ。
……
悪いな。こんな話しちまって。
そうかお前が話せっつったんだったな。
でも、なんか話したら少しすっきりしたよ。
ありがとな。聞いてくれて。
そうだ。今はまだ無理でもさ。
また出来たら二人で夜釣りしてえな。
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そう言って、彼は笑顔を見せた。
それは、俺の知ってる夜釣りの時に見せるあの笑顔だった。
でも、俺は彼の言葉に上手く答えることが出来なかった。
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俺はあの若い警官と同じ様に、彼の手元を見ていた。
彼は話している間、ずっとタオルで手を拭っていた。
無意識のまま、時に一心不乱に。
俺が声をかけるまでずっと。
何かに取り憑かれたかのように、自分の手を拭う彼の目には何が映っていたんだろうか。
結局この日はこれでお開きとなり、再会の約束をして俺達は別れた。
以来彼とは会っていない。
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あれからもう10年も経ってしまった。
去年、いや年が明けたから一昨年になるのか。
彼が亡くなったと報せがあった。
死因はアルコール中毒による多臓器不全。
漁師はやらず、職を転々としていたらしい。
海を恐れ、海で死ぬことを恐れた彼は
結局アルコールの海に溺れて死んでしまった。
悔いはある。
でも、どうすることも出来なかったのでは
とも思う。
俺はあの時、彼になんと答えたのだったか。
今では思い出せない。
ただ、今なら解る。
たとえ結果が変わらなかったとしても。
俺もあの頃のままの笑顔で、こう言えば良かったんだ。
「ああ、また一緒に夜釣りに行こう。」と。
作者Kか H